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5月2日(月)
(略)踊り手は皮膚感覚で世界とダイレクトにつながっている。死ぬまで赤子でいられることが、オレたちの特権なんだ。その特権と引き換えに、いけにえとなり、目に見えぬ何かに踊りを献上する。大げさにいえばそれも星の営みの一部なんだと思う。 つまりは純粋な鎮魂の気持を、自粛って方向で、ひょいって簡単に解決されちゃうのが面白くねえんだ。なぜ東北の人たちがあんなに死んでオレが生き残ったんだ、何をすればいい、わからない、っていう迷いを持ち続け、ひとりひとりが己なりのやり方を探すのが「悼む」ってことじゃあないのかな。 原発を見てると、太陽に向かって、ろうの翼で飛んでいくイカロスを思い出す。手にしてしまった便利さを手放さず、もっともっと、と破滅に至るまで欲望を肥大化させてゆく。これもまた、人間の業なのだろうが。 震災は、被災地の遠くにいる人たちの胸にも深く矢を突き刺した。日本人みんなで十字架を背負ったんだ。だからこそ、心を癒す花が求められている。 オレたちは淡々と踊り続けるよ。死や自然を畏れて祈り、祈るために踊るしかないんだ。 これは少し前の朝日新聞に掲載された記事である。 舞踏家の麿赤児(まろあかじ)さんの言葉である。 深く心に食い入ることばだったのでここに引用した。 「悼む」ということと、わたしがわたしの日常につづけて向き合っていくことが決して無関係ではないということをふっと気づかせてくれた一文である。 もっともっとわたしたちはいただいた仕事に心をこめていきたい、 そしてそれがどこかでこの度の震災を悼むことにつながるものでありたい。 そう願いながら仕事をしていきたいと思っている。
by fragie777
| 2011-05-02 23:05
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nakanoshozo at 2011-05-03 16:53
舞踏家、麿赤児氏の一文、撃たれました。震災の被害を免れ、″生かされた人 ″は日本の四季と云う、変わらぬ時の運行の中を、星の営みの如く前を向き生きてゆくのです。胸に刺さった矢を思いつつ。
花に関わる者は心に自然への畏怖と祈りを持って、花を生け続けようと、益々の力になりました。 俳人長谷川櫂氏も震災歌集を刊行されたとの事ですね。敬服いたします。 ありがとうございました。
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fragie777 at 2011-05-03 22:28
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