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4月21日(木)
ジーンズをはく時はまず両手でジーンズを胸の前あたりにかかげて、(いいこと、これからアンタを履くからね!)って睨みつける。そうやってから両足をジーンズに突っ込み、お腹にこうグッと力を入れてエイヤッと引きあげるのだ。この時の気合いが大事。うまく気合いが入らないとジーンズは途中で挫折し到達点までやってこない。しかもこのところのわたしはジーンズをはくのにちょっとしたバトルをしなくてはいけない。 なぜって…… それはわたしが太ったからよ。 風邪をひいてよれよれになりながらも、食欲だけはおとろえずなんでも美味しかった。 それが災いしてジーンズをはいたわたしの下半身はパンパンである。 カジュアルなものとしてジーンズをはくのではなく、スタイリッシュにジーンズをはきこなす。 それがわたしの課題だ。 若ければそれは容易い、しかしいい歳をしたおばさんには結構高いハードルになる。 今年パリに行って思ったのだがジーンズ文化はパリっ子たちにもすっかり浸透しているということ。おじさんのジーンズ姿にはよく出合った。 しかし、パリジャンやパリジェンヌといえどもジーンズをカッコよくはいているおじさん、おばさんはあんまりいなかったのである。 ジーンズをいかにカッコよくはくか、それが問題である。 って、こんなことにうつつを抜かしていないでyamaoka仕事やれよって……。 すみません。 新刊紹介をします。 すこし前に句集『忘れ草』を刊行した光野石見さんの歌集『勿忘草』が出来上がった。光野石見さんは、その略歴をみると大手新聞社に勤めていたのを退職して文筆業に専念しておられる方だ。詩歌への情熱はすさまじいほで、この歌集『勿忘草』には1200首もの短歌を収録している。帯にはこう書かれている。 私の短歌とは 詩の花に 剃刀を振るって 刈り取り 美の壺に 生けたものである。 1200首の短歌には古今東西の詩歌にふれあるいは眼前の事物に触発されて、著者の詩嚢より溢れんばかりの言葉がほとばしる。詩魂のエネルギーのスパークとでも言うべきか……。 ダイレクトに詠われた恋や愛の作品も多いのだが、ここではあえてそうでない作品を数首紹介するにとどめる。興味をもたれた方はこの本を読んでいただきたい。(著者の希望により新かな遣いと旧かな遣いが混在してます。) 心なき身にも沁みゆく秋の風歌詠みなれど黙して語る 三十八億年を進化する胎児は鰓と水搔を持つ 潮変はり知盛卿(きゃう)は破滅に辿り着く見るべきほどは見つヘクトール つばくろの低きを飛びて雨は来ぬ灰色帽子フェルト雲 自転車の鈴(りん)のかはりに口遊む誰か気付くや子犬のワルツ 子雀が私の耳に住んで居る鳴かせてあげる無となるまでは 世の中の垢(あか)に染まりしこの身をば転生(うまれかわり)は白百合となせ 夜鶯(うぐいす)は知らずに吾が子を殺めたりとこしえに鳴くうらぶる小鳥 私は私のことをまだ知らない風か雨かただ歌なのかを 人生はリボンを鋏で切るように夢のなかにて途切れてる道 この歌集の担当の愛さんは、「1000首以上の短歌を校正するのが大変でした。わたしは2度も校正をしたんです」と言って、一首あげてもらった。 無花果の青きを歎き飛び去りぬ小鳥の声の銀の囀り 今日スタッフたちが退社するときこの歌集『勿忘草』のことが話題になった。それはこの歌集の最後におかれた歌、 かくばかり思ひ焦がれてゐやうとも 叶はぬ恋の愛は幻影(まぼろし)! セラ。 の「セラ」は何か……。ということなのだ。著者にはお聞きしていないらしい。「セラねえ…」とみな一瞬考え込んだ。と、誰かが、「ケセラセラ」の「セラ」じゃない?って言った。「ああ、そうかもねえ!」「じゃ、c'est la ってこと」などなど……。 しかし、やはり、謎である。 「セラ」が……。 どう思います?
by fragie777
| 2011-04-21 19:55
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