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4月3日(日)
久しぶりで矢川緑地を歩く。 今の季節は白い花と黄色の花がことさら美しい。 今日の夕飯はわたし一人だけ賞味期限切れのにしんそばを食べた。 (どうしても食べたかったのよ。) 食べながらひょっとしたらわたし、結構仕事熱心かもしれないと思った。 というのは、「サザエさん」を見ながら、頭ん中はずっと『金子兜太×池田澄子 兜太百句を読む。』 のことを考えていたのだった。だから「サザエさん」の漫画がどう展開しているのか全然つかんでいない。 カツオとサザエさんが例のごとくやりあっている、そんなことか……。 原因はきっと以下の二つの記事によるものだと思う。 ひとつは、今日の週刊俳句 Haiku Weeklyで、西原天気さんがこの本を取り上げて評しておられること。→『金子兜太×池田澄子 兜太百句を読む。』 もうひとつは、「ねんてんの今日の一句」で、坪内稔典さんが、やはり取り上げて意見を言っておられること。 西原天気さんの記事は「よろしき距離」と題するものである。 かなり丁寧に紹介してくださっているのだが、題名からも推測できるように、金子兜太の作品に向かう池田澄子の距離の取り方を、近づきすぎず遠すぎず「よろしき距離」として評価しているのだ。そして池田澄子の選んだ100句が有名句にとどまらず、そうでない句も選び、あるいは誰でも知っている句をあえてはずしたことの池田澄子の表現者としてのこだわりにも触れていて興味深い。 一方、坪内稔典さんは、 猪が来て空気を食べる春の峠 兜太 をこの『金子兜太×池田澄子 兜太百句を読む。』より選び、 この句、同書の58番目の句で句集『遊牧集』(1981年)にある。この本の百句のうち、私がいいなあと思う最後の句がこれである。残念ながら58番目のこの句以降には、それまでの兜太の秀句をしのぐ句がない。これ、どういうことだろう。。この30年間の兜太は俳人の存在感を誰よしも示したが、作品においてさほどでなかった?澄子に聞いてみたい。 と、なかなか手厳しい。 (この手厳しさは兜太さんにももちろん及ぶわけであるが…) 当然こういう読みがあっていいと思う。坪内さんは池田澄子の百句選にまっこうから向き合ったのである。実はわたしは坪内さんのこの評を読んですぐに59番目から作品をざっと読んでみた。 そして、そうかな……と思ったのであるが、しかし、坪内さんは自身の表現者としての体重をかけてそう発言しているわけであるから、それはそれで拝聴すべきことであり、また嬉しい手ごたえである。 坪内さんに百句選をお願いしたら、それはまたそれでまったく違った兜太作品が浮上するだろう。 西原さんは、『金子兜太×池田澄子 兜太百句を読む。』を「よろしき距離」のゆえに、面白く読んでくださったようであり、この『自句他解シリーズ』のつづきに期待をよせて下さっている。 (この「自句他解」となんともひねりのない命名に筑紫磐井さんは大笑いをしたということであるが、大いに笑ってやって下さい。ホント今から思うともっとイカシタ名前はなかったんかと自分に突っ込みたい……) 池田澄子のキャスティングのよさをほめてふらんす堂編集部への期待を寄せてくださっているが、いやあ、弱ったな……。 池田さんにお願いすることになったのも、わたしの編集者としての慧眼につきるわけよね、 と、胸をそらしたいところであるが、実は行きがかり上そうなったのである。 兜太さんに本当は「自句自解」をお願いしたかったのであるが、 「だいたい、忙しい方だからご自身の作品を100句にしぼるなんて無理ですよね」 と目の前にいらした池田さんに呟いたところ、池田さんが 「うーん、それじゃ、兜太さんさえよろしければわたしがまず150句抄絞ってあげましょうか、それを兜太さんに選んでいただくのはどう?そうしたら兜太先生オラクでしょうから…ただし、わたしで良ければよ」。 こう言って池田さんはわたしに助け舟を出してくれたのだった。 それを聞いたわたしは同じ会場にいた兜太さんのところにすっ飛んでいき、 「兜太先生! 兜太先生さえよろしければ池田澄子さんがまず150句抄出してくださるそうですから、100句の自句自解をやってください。」」と恐れもなく申し上げたのだった。 「ああ、そうか、池田さんがやってくれるのか……、いいよ、だったら池田澄子の解釈でやって欲しいよ。おれはな、自句自解はほかの版元でずっと前に約束してあるからまずいんだよ」 池田澄子さんに兜太さんのお気持をお話しすると、 「あら、いやだ、わたしがそんな、なぜ百句も解釈しなくちゃならないの。選ぶだけだったらやるけどね」 といやがる池田澄子さんをそれじゃあ、百句選んでいただいてそれをもとに兜太先生にインタビューしましょうということにして有無をいわせずそうしてしまったのだ。 それも当初は池田さんは、黒子として質問をして兜太さんにお話をしていただく、 そんな風に考えておられたようだ。 多分そういうことだったような気がする。 いろいろと夢中だったんでよく覚えていないが……。 早春のまだ寒い日に兜太さんの家を池田さんと訪ねたのは一年前のことだ。 車の後部座席で資料に集中する池田さんの姿があった。 最初は逃げ腰だった池田さんではあるが、やるということになってしまったら腹をくくり兜太作品に向き合い百句を選び出した。そしてその作品について丁寧に資料を読み込み、十分な気合をもって金子兜太さんに臨んだのである。 しかし、あくまで黒子としてという意識の池田さんであったらしい。 兜太氏はその池田さんを前にしてこう言ったのだった。 「これは君の本だからね。それがいやだったらここで終わり、帰っていただくしかないな」 その言葉を聞いた池田さんの驚愕の顔を覚えている。 わたしもこのきっぱりとした兜太さんの物言いには驚いた。 わたしの方に向かって(こんなはずじゃないじゃないの…)と抗議している池田さんの顔があった。 しばらく(池田さんの記憶によると20分くらいだったらしいのだが、)「わたしはそんなつもりじゃありません」といい続け、兜太さんは知らぬ顔、わたしももうこうなったら度胸を決めていただくしかない、ということで池田さんの抗議を「いやあどうしましょう」と言いながらのらりくらりとかわしていたのだった。 そしてとうとう観念した池田さんはすばらしいインタビュアーかつ鑑賞者としてその能力を十全に発揮されたのだった。 一冊になるまで、どうなるものか、皆目検討もつかなかった。 一度校正のために兜太さんにゲラを読んでいただいたところ、 「あれはおもしろいぞ」 と本になることを喜んでくださった。 忙しいなかでどうにかやっと一冊にできた本であったが、いまふたたび読み返してみると、池田澄子であるが故の魅力にあふれた一冊となったのではないか…… 金子兜太 × 池田澄子 いい対決だ。 もしyamaokaをよくやったと褒めていただくとすると、池田澄子さんの前でボヤいたことである。 情けないながらそれのみかな、それと持ち前の鉄面皮で臆する池田さんを巻き込んでしまったことぐらいだ。 あのとき、偶然にもわたしの目の前にいてくださった池田澄子さま、有難うございます。 と心より池田さんに申し上げたいのである。
by fragie777
| 2011-04-03 21:17
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Comments(2)
メイキング・オヴ・兜太百句を読む。
たいへん興味深く拝読いたしました。 よい仕事をする人は偶然を味方につける、と思っています。 まさにその恒例なのでありましょう。 シリーズ第2弾以降を楽しみにしております。
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fragie777 at 2011-04-05 11:58
西原天気さま。
コメントをありがとうございます。 舞台裏を書いてしまってもいいのかどうか、一瞬迷いましたが、 興味深く読んでくださる方もいて、 こういうことも書いていいのだな、と思いました。 (迷うわりには、日ごろどうでもいいようなことばかり書いておりますが…) このシリーズ、お二人の俳人を表舞台で対決させる、 そんな感じがありますので、舞台裏の人間もお二人の気合いに負けないようにハイテンションで臨みます。 しかし、対決などという肩肘をはらなくても、 その俳人の表現のうらにあるたたずまいが現れてくる、そんなことを 教えられたのが、第2回目でした。 読者はどう思うか…… それもまた知りたいところです。 (yamaoka)
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