カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
画像一覧
|
3月31日(木)
道をはさんだわが家のお隣さんは若いお父さんとお母さんがふたりの小さな子どもを育てている。ときどきお父さんが上の男の子のキャッチボールの相手をしてやって、わが家のせまい庭にもそのボールが飛んできたりする。お母さんはとても早起きでわたしが起きるころにはベランダには洗濯ものがきれいに干され、わたしの部屋の窓からそれがよく見える。お布団だって毎日のように干してある。 それがあの地震の日以来いっさい見られなくなってしまったのだ。 洗濯もの、お布団、子どもの姿も声も……。 どこかに行ってしまったわけではなく家の中にいる気配はするのだが、こちらから見える風景は一変してしまった。 ベランダには何もなく、庭に子どもの姿は見えない。 もちろんお父さんと野球をする男の子もいない。 すべてがひっそりとしている。 春の日差しだけがその家を明るく虚ろに包んでいるのだ。 新刊がだいぶたまってしまった。 今日は宇沢圭作句集『鞍馬炎ゆ』を紹介したい。 宇沢圭作さんは、大正のお生まれで今年は84歳となる。ふらんす堂からすでに第3句集『座禅草』と第4句集『信玄の国』を刊行されていて今度は第5句集となる。すらりとした長身のジェントルマンである。俳誌「玉藻」「惜春」「諷詠」に所属、俳歴は長い。句集『鞍馬炎ゆ』は、その帯に「本著は京都を始めとして対馬、恐山、山古志など、各地の出会いと句材を求め歩いた旅吟集である」とあるように旅吟が多く収録されている。句集名の「鞍馬燃ゆ」も、鞍馬の火祭を吟行した作品よりの命名であると思う。 火祭や険しき闇に鞍馬炎ゆ 火祭の男がまとふ長襦袢 ほかにも、 いそしみて機居る窓の花こぶし (秩父) 鹿食つて吉野に月を愛でにけり (吉野) 冷まじき杉の高野の墓碑の数 (高野山) 坊つちやんの街に足湯をして遅日 (松山) 魏志倭人伝の対馬の桐の花 (対馬) などこれ以外にも日本各地を旅しておられる。しかし、わたしは沢山の旅吟の中にひっそりと収められている日常詠に心がいってしまう。そこには一人の老人の孤独の嘆きが少し悲しく詠まれている。 老醜は恥づべし花の頃籠もる 葦のごと痩せ朝顔の白愛す 憂きことの頬杖の眸に蠅生る 背を丸め罪なきすがたにて昼寝 水洟に気付かず話すとは不覚 胸中を書信に込めて書く暮春 洗ひては墓に呼びかけてもひとり この句集の担当は愛さん。愛さんは第三句集も第四句集も担当している。「好きな一句は何?」と聞くとつかさず教えてくれたのが次の一句。 鯛焼きや推理小説いま佳境 「推理小説好き」の愛さんらしい一句である。 「あとがき」を読んで悲しくなってしまった。 本著は京都を始めとして対馬、恐山、山古志など、各地の出会いと句材を求め歩いた旅吟集である。旅行中は何事にも興味を示し、無我夢中であった。ところが私も八十四歳。恐らく、この句集発行が最後のものとなるであろう。 そんなことをおっしゃらないでいただきたい。まだまだ長生きをして第六、第七と句集をつくっていただきたいと思っている。そしてまたふらんす堂にいらしていただきたい。フットワークのよろしい宇沢さんは何度もふらんす堂にご来社くださったのだ。 遠出は無理であっても、俳句道の研鑽は続けたいと精進している日々である。 と続く「あとがき」にホッとする。この句集の見返しは画家・奥園房子氏の絵で飾られている。阿蘇山の絵である。宇沢さんの故郷の山であり、「本句集を故郷の阿蘇山の装画で飾り得たことは、望外の欣びである」と書き「あとがき」を終えている。 讃美歌を口ずさみつつ年用意 掉尾の一句である。 老いることもその身に引き受けた明るい眼差しに救われるような思いがする。 しかし、ふらんす堂にいらした時にみせた宇沢圭作さんのすこし悲しそうな笑顔が、この句集を閉じたあともなかなか心を去らないのだ……。 お客さまが一人お見えになった。 頓所(とんしょ)友枝さん。俳誌「沖」に所属する俳人の方で、句稿をもって来社されたのだった。 はじめての句集となる。 今回句集をおつくりになるにあたって、ご主人に、 「本を作るのなら、かがり製本のものにしなさい」 と言われたということである。ご主人は出版業に詳しい方であるかもしれない。「かがり」にこだわられるとは、なかなか嬉しい。もちろん並木製本の本はすべて「かがり製本である」。 2011年の3月が終わろうとしている。 桜もまもなく咲くだろう。 いったい誰がこのような気持で桜をあおぐことになると思っただろうか……。 わたしの右手はわたしの左手をそっと掴む。 左手の悲しみが右手にも移っていった。
by fragie777
| 2011-03-31 19:19
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||