ふらんす堂編集日記 By YAMAOKA Kimiko

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本当のこと。

3月1日(火)

本当のこと。_f0071480_2105484.jpg
仙川商店街にいた犬。こんな風にして飼い主にぴったりと寄り添っていた。


今日から3月だ。
2月は夢のごとくに過ぎていった。


アカデミー賞が決まり、その結果にああそういうことになったかと興味を覚えていたが、まだ観ていない「英国王のスピーチ」はその主演がコリン・ファースということを知っていたので、これは観るべき映画であると思っていた。
コリン・ファースは素晴らしい役者だ。
そしてわたしは、彼がもっとも美しい青年だった頃を知っている。
さりながら人が何を美しいと感じるかは千差万別であるけれど、コリン・ファースにおいては27歳のときの映画「ひと月の夏」もそれはそれで良かったが、あるいはオースティンの『高慢と偏見』のイギリスのBBCドラマでダーシ役を演じた少し渋くなったコリン・ファースもたしかにわるくなかった。
しかし、美しいボーイたちがのきなみ登場する映画「アナザカントリー」のコリン・ファースが最高だ。
イギリスパブリックスクールを舞台にしたエリート男子生徒のなかにあって、マルクス主義思想を信奉する意志的な青年を演じたコリン・ファースが何よりもとびぬけて良かった。
クリケットに興ずる若者たちのなかでコリン・ファーズ演ずるところのトミー・ジャッドのクリケットファッション(こういう言い方が許されれば…)のカッコよさ、腰にまきつけたセーターとはこういう風に巻かれなくてはけないのか、サスペンダー付きのズボンの着こなし方といい、おしなべて洋服とはこういう風に着られるものでなくはならないであろう、そしてそれを身にまとう手足の美しい少年たち、それらはみなわたしのボーイズアルバムのページを飾っているのだ。
ビューティフルボーイズアルバム。
そんな素敵なものが存在するのかと尋ねられれば、
それはね、
こうやって目をとじれば、わたしの前頭葉の斜め45度前方にふわっと浮び出てくるのである。

しかし、こう書いてくるとコリン・ファースの演技者としての素晴らしさよりも23歳の彼がいかに美しかったか、それだけがわたしにとって問題となるように思えるが、いやいやコリン・ファースはすばらし役者であることを演じるごとに立証していっているではないか。

彼がいちばん美しかったその映画を観ている、ということをちょっと自慢したいわけなのである。

ただ、それだけだ。

……と、今日もまた映画ネタのどうでも良いことを書いてしまった……




さてと、
今日の新刊を紹介したい。
廣瀬悦哉句集『夏の峰』である。精鋭俳句叢書の”serie de la lune” の一つとして刊行された。
著者は俳誌「白露」(廣瀬直人主宰)に所属し、飯田龍太主宰の「雲母」時代より俳句をはじめ、すでに20年あまりとなる。
俳句を始めて二十年余りになる。「雲母」に入会し、飯田龍太先生にご指導いただけたことが何よりの幸せであった。
と「あとがき」に書いている。
 生き物の気配の満ちて山ねむる
 山吹の黄に目覚めゐる瀬音かな
この句集の最初のページに収められた二句であるが、龍太の作品に響き合うかのような瑞々しいリリシズムに満ちている。この句集は第一句集となるが、現主宰の廣瀬直人氏は序文を寄せておらず、跋に井上康明さん、栞は歌人の三枝昴之さんがそれぞれことばを寄せている。廣瀬直人氏は悦哉さんの父上でもあるので、あえて避けられたのかもしれない。
「あとがき」に登場する川崎展宏さんとのやりとりがいい。学生時代に展宏さんの授業を受けて父親の句を鑑賞せよと迫られしどろもどろになる、そんな場面に臨場感がある。そして俳句をやらないのかと尋ねられ、もし俳句をやるなら、
「始めたらとにかく休まず続けることだ。それから、お父さんとは違う自分の俳句を目指しなさい」
と言われたという。展宏さんらしいことばだ。
 草餅の色参道へあふれ出す
 グリンデルバルド駅夏山が力瘤
 むき出しの木の根波打つ大暑かな
 つはぶきや紅さす母を見て通る
 炎天のどこ歩きても印度象
 竹伐つて男蒼ざめ戻りけり
 夏つばめ尖塔に来るひるがへる
 師弟あり寒の日差しのごとくあり
 涼しさや大きな月が波の上
 人死んで人集まつて焚火かな
 大鷹の生肉を裂く眼なり
栞をよせた三枝さんが「男俳句の新鮮さ」と題したようにズンズンと迫ってくるような力強さがある。
 ずつしりと大根ほんたうの重さ
 家並みの先が真つ青寒の海
二句に共通するのは直裁なもの言い、そして〈もの〉や〈こと〉の輪郭鮮明な感触。こういう作品を読むと、ああ男の俳句だ、と私はまず反応するのである。
と三枝さんは記し、龍太作品との違いにふれる。「野球にたとえればカーブなのに直球に近いスピードを感じさせる」のが龍太で、「真っ向勝負の直球、受け手にずしりと重いストライク」が来るのが廣瀬悦哉の作品であると言うが、なるほどと面白い。
跋を書いている井上康明さんは、
句集『夏の峰』は爽やかな一集である。
とまず書く。
 葉桜や風やはらかに空へ抜け
 春筍の土まみれなり別れなり
 空つぽの鳥籠十六夜のひかり
そして、この三句目の作品に「句集の新しさを思う」と。
十六夜の月明から掬い取ったような鮮明な情景である。「十六夜」に言い難い味わいがあり、一句は、個を突き抜けて普遍の表情を湛えている。

読後感がさわやかな句集だが、あえて選ぶならわたしの好きな一句はこれ。
 
 本当のことを知りたいさくらかな

そうなのよね、知りたいのよね。
本当のことを……。



昨日の朝日新聞の「風信」で、林まあこ句集『真珠雲』が紹介されている。
 笑む父の遺影に供へ早桃かな
朝晩に白く光る雲を題名にとった第1句集。父母や親しい人への優しい視線がある。


やはり昨日の「ねんてんの今日の一句」は、小枝恵美子集『ベイサイド』より。
 やどかり歩く太陽も歩き出す
地上のヤドカリっと空の太陽の対比が大胆でおかしい。いい構図だ。俳句は大胆でなければならない。極度を目指すべきだ。うまいだけという句が一番つまらない
と坪内稔典さん。
by fragie777 | 2011-03-01 21:37 | Comments(0)


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