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1月26日(水)
車のことに触れたので一昨日のことを思い出した。 仕事場から家へ車を運転しながら帰ったのであるが、わたしは途中で「あぶねえ! あぶねえ!」と顔をひきつらせて5回くらい叫んだのだった。 何が危なかったかって、わたしの車はツウドアなのだがその運転席のドアを開けたまま走っていたのだ! 走りながらやけに右側がスースーするので窓が開いているのかなとチラッとみるとそうでもないらしい。しばらくするとな、なんとドアがすーっと開くではないか……、「ひゃあ、あぶねえー」とわたしは叫び、手を精一杯のばし思いっきりドアをしめた。(いやあ、危なかった……)そのあとホッとしたのか、声に出して「あぶねえ…いやあ、あぶねえ…」と言いながら自分を落ち着かせたのだった。幸いなことに前後左右に車が一台もなかったら良かったものの、後ろから車などが来ていたりしたらもうアウトだ、確実に事故っていた。 ここだけの話なんだけど、こういう事態ってこれで三度目……。ホント、自慢にはならない…。 運転される皆さま、お気をつけくださいまし。 高橋正英詩集『CREPITOクレピト』が、二つの新聞に取り上げられている。二つとも紹介者は詩人の野村喜和夫さん。讀賣新聞と公明新聞である。讀賣新聞のほうは、「沈黙を知る言葉にこそ力」と題して、柴田トヨ詩集『くじけないで』(飛鳥新社刊)と三角みづ紀詩集『はこいり』(思潮社刊)とともに紹介されている。 僧侶でもある新鋭高橋正英の『クレピト』。沈黙のうえに言葉が伸びやかにまたひびきが豊かに流れ出し、頁全体にわたってともに仏教的な喜びの宇宙を表現しているかのようである。「こうして地より湧きいでてきた/清らかなことばで満たされますように」 公明新聞の方は「未知のすてきな詩と出会う。今月はその驚きと悦びを伝えよう」と言う書き出しではじまり、高橋正英詩集『CREPITOクレピト』が紹介されている。タイトルは「仏教的な宇宙観を通じて詩を探求する」だ。全文を引用したいが一部のみにとどめる。 頁を開いたとたん、意味よりなによりさきにその詩の空間の美しさに眼が奪われた。凡百の新人とは言葉のセンスがちがう感じだが、それは殆ど見た瞬間にわかるものなのである。(略)「こうして涌きいでてきたもののどこへゆこともなくどこへもゆけずに/だってどこもここではないと言うものたち」というフレーズが、やや変奏されながらも繰り返しあらわれるということだ。それは「今ここ」こそが宇宙一切という作者の宗教的法悦を語りながら、同時に、この詩集に「涌きいでて」くる言葉そのものの姿を映してもいるのだろう。こうして、頁から頁へ言葉のエロスをひびかせながら、その行為が信仰の深まりでもあるかのようにすること。それが高橋の願いであろうか。となると、すぐさま私などは宮沢賢治の世界を想起してしまうが、おそらく両者は近い。 「現代詩手帖」2月号がとどく。 頁を繰っていたら、東直子歌集『十階』(じっかいの書影がある。田中綾さんという歌人による連載月評だ。タイトルは「装幀家の存在ー歌集が印刷書籍であるために」。昨今の巷をにぎわしている電子書籍について触れながら、印刷書籍の意義について装幀という観点から迫っているものだ。つまり印刷書籍は「装幀の力」が必要とされると。 近刊歌集でも、装幀に目を奪われた二冊があった。一冊は、東直子の『十階』。句集を中心に刊行しているふらんす堂からの上梓である。文庫本をやや大きめにしたサイズで、表紙も本文も、目にやさしいクリーム色。キリンの脚長のシルエットが金色で描かれた表紙がスタイリッシュうだ。装幀家は、和兎。 これを読んだときに思わず「ヤッタネ…」とわたしは叫んだ。 いままでにはないような歌集をということで、新進の装幀家の和兎さんに本文のレイアウトから外回り造本まで全部まかせた。もちろん途中経過を確認しあい、著者の東さんにもご希望を伺ったりしたのだった。本文用紙もできるだけ軽いものを見つけてもらい、若い女性たちが「わあ、可愛い…」って手に取ってもらえるようなものをと心掛けた。(しかし、じつはこの本にいるのはキリンではなくて脚を長く変形されたウマなのです) NHKの「ブックレヴュー」で紹介者の大竹昭子さんが、「電子書籍では味わえない一冊」と紹介をして下さった時に、こちらの本づくりの思いが伝わったようで嬉しかった。 して、東直子さんの歌については、 やわらかいものに匙を入れるとき、え、と小さくそれがささやく 洗面器の水面ふるえやまぬなり人語を解す水かもしれず の二首を紹介し、 無機物に身体性と発語機能を与え、しずかに世界をかくはんする歌群である。 と。なるほど……。 もう一冊は、大橋麻衣子歌集『JOkER』(青磁社刊)装幀家は濱崎実幸さんのものが紹介されている。この青磁社はいまふらんす堂のホームページで「短歌日記」の連載をして下さっている永田淳さが経営されている出版社である。 永田淳さんに電話して「お互い、嬉しいですね」って喜んでしまったのだった。 昨日のねんてんの今日の一句は、水上博子句集『ひとつ先まで』より。 流木の焚火ポケットウイスキー あまり飲めない私にはポケットウイスキーを携帯する習慣がないが、どこかの海岸で流木の焚き火にあたってウイスキーを飲むなんて恰好がいいなあ。と坪内稔典さん。 このところつくづく思ったのだけど、ウイスキーってむかしほど飲まなくなったような気がする。わたしんとこもよく角瓶を買ったり、あるいはお使い物にオールドを貰ったりしたが、いつの間にかウイスキーの瓶が家から消えていた……。学生時代なんか男友だちがやれボトルを何本空けたとか言っていたがこのボトルとはウイスキーやバーボンのことだ。 何故人はウイスキーを飲まなくなったのか……。 余談だけどウイスキーの一番似合う詩人は田村隆一だ。 田村さんの家に伺った時に奥さんにナイショでウイスキー(角瓶)を買ってきてほしいと頼まれたときは笑ってしまった。 焼酎でもなく日本酒でもなくワインでもなくやっぱり田村隆一にはウイスキーだ。 きっと田村隆一のよれよれのレインコートにはポケットウイスキーが忍ばせてあったとわたしは確信する。
by fragie777
| 2011-01-26 18:41
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