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11月15日(月)
雑談で「嫁入り」と言うことばから、「おてもやん」の話題になった。 ♪おてもや~ん♪ っていう歌をわたしがちょっと歌って、 「これ知ってるでしょ?」 ってスタッフたちに聞いたら、みな一斉に首をかしげた。 「知らないのお?!」 わたしは驚いた。スタッフたちは一斉にパソコンで「おてもやん」を検索しウィキペディアでその情報を入手したのだった。 (でも、あのほっぺを真っ赤に塗って♪おてもや~ん♪っておどけながら歌う踊りを知らないなんて……) よし、今年の忘年会で誰か印刷屋のおじさまに踊ってもらおう。 そうわたしがみんなに言うと、 「yamokaさん、8000円でおてもやんセットを売ってるそうですよ。たらこくちびるとか……」 そんなセットを売っていたなんて……。買おうか買うまいかちょっといま悩んでいる。 先週のつづきの新刊春田千歳著『鰐の眼』の評論集『俳句・私論・空論』を紹介しなくてはいけない。こちらは、その評論のほとんどを俳誌「歯車」に掲載されたものを一冊にまとめたものである。跋文を「歯車」代表の前田弘さんが愛情をこめて書かれている。評論している俳人に副題が付けられているのだが、それを読むだけでもその俳人の特質がみえてくるようで面白い。以下に目次を紹介してみると、 三橋鷹女試論─その美しい蜘蛛の囲にとらわれて 『津沢マサ子俳句集成』を読む─狂いつつ枯れつつ 『林田紀音夫全句集』を読む─鉛筆の遺書ならば 池田澄子小論─あくまでもやさしくピュアな冷たさ 中村苑子小論─深く華麗に性の陰影を描く 『桂信子全句集』を読む─桂信子という大きな山 攝津幸彦の人と作品─ひとりぼっちの幸彦さん 田中いすずさんの人と作品─俳句=詩を創る楽しさ 恩田侑布子句集『振り返る馬』を読む─その一瞬を言葉で射止める 中村和弘句集『黒船』を読む─一本背負いの力技 澁谷 道小論─言葉そのものが発光体 柿本多映小論─異次元の世界へ誘う「をんな歌」 三村純也論─生と死の世界をはんなり歩く 佐藤鬼房試論 大木あまり小論 悼 阿部完市─心にしみてくるもの 田中裕明小論 三橋鷹女や津沢マサ子などについて語られることの少なくなった昨今、春田さんのこの評論にふれることでこれらの女性俳人を見なおしてみるきっかけになればいいと思う。特に津沢マサ子という俳人についてはなかなか知る機会がない。俳壇を遠くに見てひっそりと生活をしておられるのであろうか……。実はふらんす堂と同じ調布市にお住まいで以前お電話をしたときに「お酒を飲みにいらっしゃい」と気さくにおっしゃってくださったのであるがいまだお応えもしていない。サブタイトルにも見られるように強烈な個性を持った方のようでもある。 人間は辛い時ほど、ちり一片でもよいから掴まえて、風を巻き起こし走り出さなければ何もはじまらない これは津沢マサ子の言葉で春田千歳さんの心をとらえたものだ。「この文章が一時、私の心を占め、毎日この言葉を呪文のように唱えていた時期があった。呪文というよりこの言葉に『支えられていた』といった方が正確かもしれない」と春田さんは書いている。 灰色の象のかたちを見にゆかん 泣きながら責めたる母の荒野かな きらめくは野か歳月か君に会い 兄のあと追えば豊かに青大将 荒涼と生まれたる日の金盥 第一句集『楕円の昼』より春田さんが紹介している作品である。第五句集『0への伝言』およびそれ以降の作品を紹介しながら津沢マサ子論を進めていく。そして 第一句集『楕円の昼』の序文でいみじくも高柳重信が言った「― これらの作品を書かせているのは、津沢さんの心の中に住む詩人の感性であるよりも、どちらかと言えば、どろどろして正体不明な感じの女そのものの宿業のような気がする」、この言葉より四半世紀以上経った今、津沢さんの句を取り巻いていた「喪失感」「虚無感」「飢餓感」「非日常性」「現実乖離」などというものは、影を潜め、今、ひっそりと独りの女性が立っている気配である。 狂いつつ枯れつつ風と舞う日ぐれ 句集の終章ちかくに置かれたこの作品を紹介し、「すべてのものから解き放たれた」津沢マサ子の俳句として紹介している。 この春田さんの評論集『俳句・私論・空論』の「あとがき」はこんな風に終わる。 きっとこれからも迷いながら書いてゆくことだろう。タイトルの「私論・空論」という言葉から「論」が抜けて、「私の空」が見えてくる場所にむかって。
by fragie777
| 2010-11-15 18:22
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