カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
画像一覧
|
9月7日(火)
歩いていくと存じ上げている殿方が川に足を浸している。 「何をやっているんですか?」って聞くと、 「河童を待ってるの…」と嬉しそうに言う。 (……フーン、会えればいいですね…)ってこころの中で言って冷たくその場を立ち去る。 (河童はね、そんなところにはいないわよ。もっとくら~い鬱蒼としたところに100回に1回くらいしか姿を見せないんだから……) さあてと、気合いを入れて新刊句集を紹介しよう。 沖あきさんの第一句集『秋果』である。今の季節にぴったりの句集名である。君嶋真理子さんによる装丁もまさに「秋果」のタイトルにふさわしいマスカットを配している。沖あきさんは、俳誌「鷹」の同人で主宰の小川軽舟氏が序文を寄せられている。その序によると、俳句を始めたのは上田五千石の「畦」によって、その後五千石亡きあと藤田湘子主宰の「鷹」で学び湘子亡きあとは小川軽舟氏がその指導を引き継いでいる。そのことを沖あきさんは「あとがき」でこのように書かれている。 生花や長唄三味線の趣味の後、俳句を始めたのは四十代も後半の頃でした。上田五千石先生に四年間俳句の手ほどきを受け「鷹」入会後、藤田湘子先生に七年半、小川軽舟主宰に四年間学びました。 鳥取出身であるという沖さんは、心に望郷のおもいをつよく宿しながら旅に出ることが多い。そのことを小川軽舟主宰はつぎのように書く。 故郷への思いが強ければ強いほど、常住坐臥の心のどこかに旅愁の影が差す。沖さんの初期作品に多い船旅の句の抒情性は、沖さんの心の旅愁が航海の波に揺さぶられて表出したものだろうと私は感じている。 船旅の七曜淡し星月夜 忘れ潮どんぐり二つ浮ゐたり 沖あきさんという方は豊かな情緒をもったかたである。そしてその身体をゆったりとした時間が流れているようだ。ひとりの人間にあるゆとりというものは、その人が努力して勝ちうるものではなくてある意味すでにその人に備わったものであり、それは選ばれて許されているものなのではないだろうかってわたしは思うことがある。そう、沖あきさんのように……。 永き日を耳学問に勤しめり 夕顔に三味の譜面を開きけり またがりて駱駝の背の涼しかり 家持の讃へし雪の家郷かな 漢籍に倦みし夕べや白魚汁 干潟逝く過去なき人の如くゆく ルノアルの女見し眼になめくぢり さみしさの鎖骨ヨットへ向いてをり 螢火のひとつなまくら我もなまくら 句集名となった「秋果」は、 港の灯近き画室の秋果かな による。この句に小川軽舟氏は次のような文章を寄せている。 静物画を描くために皿に盛られた数種類の秋の果物が見えてくる。霧のかかった港から船の汽笛が聞こえる。ひんやりした画室の空気が心を静かにさせる。この句は、沖さんの俳句の出発点ともいえる船旅の句群に照応するようだ。淡い旅愁を漂わす空間に置かれた果物は、ひたむきに俳句を追い続けてきた沖さんの人生の彩りに満ちた収穫を暗示する。 花時に死ぬほど位なかりけり 掉尾に置かれた句だ。こんな風に言いきる沖あきさんの心意気がわたしは好きだ。 9月がもう6日経ってしまったなんて、わたしはこの6日間なにをしていたんだろうと思うほどヤバイ。 「ああ、今日がまだ8月6日だったらどんなにいいかしら!」ってため息をつきながら言うと、スタッフの愛さんが「yamaokaさん、どうしたんですか」って笑いながら言う。「もう日にちが無いよのよう、わたし何をやってだんだろう…」って泣きべそ状態である。言っておくが遊んだりしていない。日々仕事時間には人の倍速で仕事をし、風邪をひいて寝込むこともなく皆勤し頑張っているのに……。用紙を注文した紙屋さんから、 「yamaokaさん、用紙の種類が書いてありません! そして発注元がふらんす堂ではなくて印刷屋さんの名前になってます」 「ああ、ごめんなさい。間違えました。そして書き忘れました」とお詫び。 今度は宅急便屋さん。 「yamaokaさん、宅急便の受け取り指定日が3月9日になってますがいいんですか?」 「あら、ごめんなさい。9月9日の間違いでした」とお詫び。 昨日から「ごめんなさい」をもう何べん言っただろうか。 わたしはごめんなさいを言うためにこの世に生を受けたんでは断じてない! しかし、口をつくことばはごめんなさいなのだ。 言いすぎて疲れてしまった……。 さっ、 もう帰ろう。 そして今日も冷凍庫の扉を開けて、 「白熊くん」に癒して貰うんだ。
by fragie777
| 2010-09-07 19:27
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||