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9月2日(木)
醍醐寺の僧二人。老僧の言うことに熱心に耳をかたむけていた若き僧。 昨夕、「俳句研究」秋号が届く。 蛇笏賞、詩歌文学館賞とならんで「田中裕明賞」のページも設けられ、受賞者の高柳克弘さんの「受賞記念作品22句」と短文が掲載されている。 このようなかたちで「田中裕明賞」が顕彰されていくのは嬉しい。 高野ムツオ、星野高士、井上弘美、田中亜美各氏による連続座談会でも、「第一回田中裕明賞」のことが話題にされ句集『未踏』が論議の対象となっている。皆さんがそれぞれ評価する作品にちがいがあり、そのことについて四人の方々が力をこめて語っていて、それを読むのも興味深い。 藤本美和子さんにより「現代句集評」では、シリーズ自句自解1 ベスト100 池田澄子が紹介されている。 さまざまな自註句集が刊行されるなか、本書の構成はすばらしい。見開きのページの余白が、ひとつひとつの作品のイメージを自在に広げてくれるからである。俳句を一篇のタイトルとして百物語が展開しているように思える。(略)こぼれ話から思いがけぬ作品の背景が見え、作品がさまざまな顔をみせてくれるのが本書の味わいであり、自解の面白さである。 おかげさまで好評のこのシリーズ、池田澄子さんにつづいて来週には小川軽舟さんのが刊行になる。 小川さんの自解は、池田さんの自解とはまたうって変わってこれはこれでとても面白い。 「俳句研究」の編集長の石井隆司氏の奥さまが8月11日に亡くなられた。「編集後記」でそのことに触れられているが、闘病中の奥さまを支えあるいは支えられながら「俳句研究」の編集に頑張って来られたのだと思うとその心中を思うに余りあるものがある。 すこし前に届いた「俳句」9月号、高柳克弘さんが書かれている連載「現代俳句の挑戦」は今回は「境涯と連作」というタイトルだ。坪内稔典氏の評論集『モーロク俳句ますます盛ん』収録の「戦後俳句のゆくえ」に記されている「俳句史は、俳壇動向史ではなく、俳句の表現史として記述されなければならない」という一文に啓発されて、 自分自身が「表現史」の上でどこに立っているのか、どこへ向かおうとしているのか、現代においてももっと意識されてよい。 という認識のもとに俳句を読み解いていこうとする挑戦だ。 「田中裕明賞」の候補となった後閑達雄句集『卵』と斉木直哉句集『強さの探求にも言及していて興味深い。 病院の夕食早し初蛙 達雄 夢を見ぬ全身麻酔四月尽 〃 点滴の跡の薄るる麦の秋 〃 羅を 着て骨と皮 のみの母 直哉 軒を辞し 濡るる自由や 夏の雨 〃 伏して聴く 我が秒針や 春炬燵 〃 病とその克服に費やした月日を、繊細で肌理のこまかな言葉によって誠実に筆記する後閑氏の作。無骨な措辞で世界との違和感を表明しようとする斉木氏の作。両者の句風は対照的ともいえるが、ともに、俳句の形式的な美しさと同等、あるいはそれ以上に、みずからの人生を刻みつけることを重視しているように見える。 「境涯性」の色濃く出た作品だ。 それでは、「連作」についてはどうか。こちらは第三回芝不器男賞を受賞した御中虫(おなかむし)さんの作品が問題となる。 一滴一罪百滴百罪雨ハ蛙ヲ百叩キ 排泄をしようぜ冬の曇天下 深入りはするなと言われても夏だ 「過度なまでの感情移入」「道徳や倫理に縛られない人間のあり方に対する鋭い批評」「性のタブーを取り払ったところから発せられるあけすけな声」と紹介し、「共感よりも、驚きや違和感を先に読み手にもたらす作風」と。そして「表現史に何を付け加えているかという視座から、氏の作品を見てみたい」と書く。 口語を大胆に駆使し、俗語や危言を弄することも厭わない御中虫氏の言葉には、異様な力がみなぎっており、いわゆる台所俳句とは一線を画している。鈴木しづ子の持つ奔放さを思わせながら、しかし、しづ子にはなかった悪魔的な哄笑を響かせる御中虫氏の作品には女性俳句史に何かを書き加える予兆がある。 と書き、高柳さんは椎名林檎を引き合いに出しながら「過度な自己演出と、そこから発せられる現代社会へのシニカルな批評に共通するものがある」とし、「サブカルチャー的感性に忠実であるがゆえに、御中虫氏の作品は、むしろよく馴染んだ懐かしいもののようにも見えてしまう」と鋭い。 従来の俳句表現史を否定することが、俳句の新しさにつながるという認識は、単純に過ぎるだろう。俳句史に新しい一句を書き付けるという行為は、従前の価値観を更新するのみならず、時代の感性に先んじたものでなければならない。 御中虫さんの俳句表現の魅力とは何か、それは「連句形式」であると高柳さんは言う。 一句単体では独立性の弱い御中虫氏の作が、百句という体裁をとると、1篇のドラマチックな物語を作る。 俳句の世界における「連作」への認識低さを指摘し、「旅吟」と「境涯性」に連作の可能性がある、と指摘する井上弘美さんの発言をとりあげ、 連作による境涯性の有効性は、御中虫氏の作品が、よく表しているようだ。(略)一句の韻文性を担保しつつ、連作によってみずからの主題を追い求めることは、大勢が日常の記録にとどまっている現代俳句の「表現史」を、刷新する力となるのではないか。 と結ぶ。 「境涯と連作」によって俳句へのひとつの新しい可能性を見出さんとする意欲的な論考だと思って興味深くよんだ。 おおざっぱな紹介なので、どうぞ「俳句」9月号をお読みになってくださいな。 今日のねんてんの今日の一句は、中原幸子句集『以上、西陣から』より。 新涼の新老人のゆで卵 「新老人」って、「老人になったばかりの人」のこと?って……。 ともあれ、今日の句の新老人は自分で新老人だと意識している人。 と坪内稔典さん。 ちょっと不思議な句だ。とても調子のよい句で、読んだあとに清々しい気分にもなる。 「ゆで卵」もちょっぴりひやっとしておいしそうだな……。
by fragie777
| 2010-09-02 20:01
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Comments(4)
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