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8月29日(日)
奈良・興福寺の猿沢の池にあるお茶屋さん。 ここの「ひやしあめ」は素晴らしくうまい。 みうらじゅん推薦の親子どんぶりはまたしても食べられなかった。 ひやしあめのこのまったりとした色はどう。 冷たいのだけど身体が冷えない、不思議な飲み物である。 今日は日曜日。 お夕飯を食べたらブログを書くことをすっかり忘れてさっきまでおいしい麦茶などをこしらえてのんびりと過ごしていた。 もう今日は書かなくてもいいや、って思ったりしたがはっと気づいた。 今日もわたしがいかに勤勉であったかをブログを読んでくれている諸氏にアッピールをしなくてはいけない。 そうなのです。 わたしは昨日よりの持ち越しの資料とガラクタの海を泳ぎまくって格闘の末、とうとう新しい大地を手に入れたのだ。 新しい風、新しい光だ。 多くの夾雑物を吐き出し身軽となったわがロッカーは、これからの夢と希望をその身にうけいれるべく軽やかに今にも飛びたたんばかりである。 (実はひとり助っ人が現れて手伝ってくれた。) (わたし一人では心もとない作業となっただろう。) 明日からはまずスタッフたちにこのリニューアルされたロッカーを公開し、ついでにご来社くださったお客さまにもお見せしちゃおうかっていうほどの勢いだ。 ともかくもわたしは解放された。 もうかのロッカーもわたしの背中を威圧することもないだろう。 さあ、明日から新しい気持で出発だ。 今夕、スタッフのPさんは、担当した「炎環新鋭叢書シリーズ」の『きざし』の方々が、Pさんの慰労会をやって下さるということで六本木まで赴く。主宰の石寒太氏も見えられるということだ。 今日の「ねんてんの今日の一句」は、昨日と同じ山田弘子句集『月の雛』より。 叶うならポンポンダリアほどの恋 この句、ポンポンダリアのような恋をしたい、というのだがなんとなく同感である。そういえば私は、「恋人とポンポンダリアまでの道」と作っている。ポンポンダリアのような恋に私もあこがれているのかも。 と坪内稔典さん。 「ポンポンダリアのような恋」ってどういう恋をいうんだろう。「ダリア」という花は「恋」を連想させるのかしら。三橋鷹女の有名な句に「千万年後の恋人にダリア剪る」っていうのがあるけど、この「ダリア」のおもむきと「ポンポンダリア」のおもむきはだいぶ違うような気がする。「ポンポンダリアのような恋」って、明るくて軽くて罪がなく人を傷つけないですむようなそんなイメージを勝手に思ってしまうけど、「千万年後の恋人」の方はそうはいかない。ダリアを剪るんだって必死の覚悟だ。この恋人はいろんな解釈ができそうだけど、わたしの好みを言わせてもらえば「千万年後の恋人」の方がいい。だって千万年後の恋人よ、ちっとやそっとの恋人じゃない、っていうかもうほとんど不可能な恋だ。 これはまさに私の好きな九鬼周造の「いきの構造」におけるがごとき永遠の平行線だ。 そういのが好みなの! 文句ある! これは今日のわれらが労働の証。
by fragie777
| 2010-08-29 23:17
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