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7月1日(木)
さて、 yamaokaは、6月の宿題をクリアしたのであろうか……。 ウーム。 したとも言えるし、いやまだ残っているとも言える……。 極めて微妙だ。 だが、朝の仕事机に向かってため息をつくわたしがいる。 (あたまが沸騰しそうだ……) 横にいるスタッフのPさんにそれとなく仕事をずらし、「ねっ、お願い」って言ってみた。 「ダメです!」と突き返された。 やっぱり頑張るか……。 ということで新刊句集を紹介します。 橋本シゲ子句集『翠樹』が出来上がる。著者の橋本シゲ子さんをわたしはよく存じ上げている。それは田中裕明さんを通してのご縁だ。「ふらんす堂句会」の「田中裕明教室」に参加され、俳誌「ゆう」で俳句を学んでこられた方だ。橋本さんに会うと田中裕明さんの話になり決まって橋本さんは涙を流す。「あんなにお若かったのに田中先生は逝ってしまわれて……」と。そんな橋本シゲ子さんであるが、大切な俳句の師を失ったばかりでなく更に悲しい出来事に遭われた。 突然娘を襲った余命二ヶ月の「肉腫」の宣告。まさに青天の霹靂でした。四十七年間の短い娘の命でした。それ以後は何もかも狂ってしまいました。 悲しみの日々を過ごす橋本シゲ子さんをもと「ゆう」の編集長でいまは俳誌「秋草」の主宰山口昭男氏や俳句の仲間が温かく励まし、句集を刊行することをすすめてくれたのだった。どうしようかとまよう橋本さんに「それは良いことだ」と言ってくれ「私はお婆ちゃんの句集はほしいよ」という孫娘さんの言葉に句集刊行の決心をされたと「あとがき」に書かれている。 俳句の出発を田中裕明の「ゆう」で始めた橋本シゲ子さんについて、山口昭男氏は序文でこのように書く。 俳句の師としての弟子を育てる裕明の指針はかなりはっきりしていました。その指針とは、「良い句は良い」という、すこぶる単純なことでした。単純ですが、良い句を見極める眼力がなければできないことであり、また、情に流されてしまうこともあるものです。裕明にはそんなことはなかった。それが、シゲ子さんには、たいへん魅力に感じられたことでしょう。俳人としてまた、人間としての魅力を裕明に感じ取ったところからの俳句のスタートは、たいへん幸運だったといえます。 この句集は、「ゆう」時代のものと、田中裕明亡きあと指導をうけた竹中宏主宰の翔臨」時代のものが収録されている。 竹中宏氏指導の「翔臨」では、 「ゆう」で学んだ季語の本意を大切にした句作りに合わせて、景のどこを切り取れば詩情豊かな俳句になるのかを追求していきました。それを竹中主宰は援護し、あるときは「大胆であるところがよい」また、「おおらかさが感じられる」というように、実作に即して学ぶことができたシゲ子さんでした。 と山口氏は序文に書く。 汗かかぬ子のゐて空気青白き 冬耕や向かうにまぶたほどの海 ほたるいか子を産むひかりゆゑ淋し 緑蔭にころがつてくる水の音 こほろぎやまた使ひ出す古机 金柑の百万粒が寒の入り 避寒宿金魚大きくひるがへる 端午の日いね科たで科の花ゆらし ひろびろと昼の闇ひく雛かな 橋本シゲ子さんの句には透き通るような詩情がある。 それは「翠樹(すいじゅ)」と言う句集の響きに重なり合う。 春暁の月をはなるるそよぎかな 初蝶のひかりや海に砕け散り 新緑をぬけ湧水に別れけり いまは、俳誌「椋」(石田郷子代表)と山口昭男氏の「秋草」で学ぶ橋本シゲ子さんである。 ほうたるにゆるりとついてゆかれけり この句にふれたときに、田中裕明さんの姿が重なった。 そう、 ゆるりと蛍にみちびかれたまま田中さんはどこに行ってしまったのだろうか……。 お客さまがおひとり見えられる。 美しい婦人である。 森須蘭さん。 先にふらんす堂より句集『ナイトフライヤー』を刊行された高遠朱音さんのお母さまである。今度はご自身の句集を刊行されるために句稿をもって来社されたのだった。 今日は、まだ書かなくてはならないことがあるのだけど、それは明日にします。 どうしてかって…… もうお腹ぺこぺこ、ダメ……。 キイボードを打つ指に力が入らないんですってば。 家に無事にたどりつけるかどうか分かんない。 じゃ。
by fragie777
| 2010-07-01 20:45
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Comments(2)
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