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6月23日(水)
いまみんなでいただきもののハウスミカンを食べながら、サッカー話に興じているところである。、 「ポルトガルのロナウドってさ、やっぱカッコいいよね!」 「ああ、イケメンですねえ」 「でもなんだか肩から首にかけてが妖怪っぽいっくていやだな…」 「ドイツのオジルってわたし好きだな……」 とこんな感じで誰もプレーのことなど金輪際話さず、男の美しさについての考察(?)となるところが女の職場である。 「ねえ、どこが優勝すると思う?」 「そりゃあ、アルゼンチンですよ。メッシがいいですねえ」と愛さん。 「イングランドかなあ……」と少し弱気な様子の優明美さん。 「わたしはスペインですね」とは、ことごとくサッカー中継の試合に付き合っているというPさん。 「緑さんは?」と聞けば、 「わたしはサッカーは見ないのです。もっぱら野球なもので」 そうなのだ、緑さんは熱心なヤクルトファンで時間があると神宮球場に足を運びまわりのおじさんたちと一緒に応援しているのだ。 「じゃ、野球は今年どこが優勝すると思う?」と聞けば、 「巨人じゃないですか……」と不本意そうである。 「yamaokaさんはサッカーはどこが優勝すると思いますか?」 「ウーン、そうだなあ……マラドーナ率いるアルゼンチンもすごいけど、希望と期待をこめて韓国!」とわたし。 東京新聞の俳句月評で千葉皓史さんが、「田中裕明賞」のことに触れ、高柳克弘句集『未踏』について論じている。 「平成十六年に逝った田中裕明の存在感は、死後いよいよ大きいものになっている」という書き出しではじまる。 田中裕明においては、謙虚であることと、潔癖であることとが両立していた。人物としての、裕明の魅力である。青年の無垢と老成との混淆(こんう)。彼は、答えを求め続けたが、答えを急ぐことはなかった。世界は分析しても分からない。その作品が、品格を失わなかった所以であろう。 ふらんす堂が「綾部仁喜の示唆を受け若手俳人の顕彰を目的とする「田中裕明賞」を創設し、話題となった」と賞について紹介し、第一回の受賞句集『未踏』について論じている。 裕明は未完の大器として逝った。その大器ぶりは、彼がむしろ未完でありつづけることによって保証されている。裕明賞の受賞者・高柳克弘もまた大器というほかないが、裕明とはいっそ対極的な性格がうかがえる。 と書き、高柳克弘のもつ「生活臭を厭わない強さ、したたかさ」を指摘し、「彼は通俗性を恐れない。未完の言葉こそが許せないのである」と書く。そして、その「通俗性」とは石田波郷と響きあうものであり、高柳克弘の俳句への姿勢にかつての波郷のそれをオーバーラップしてみせる。このへんのくだりは、これからの俳句を担う俳人としての高柳への千葉皓史の思いが力強くその筆にこめられていて、読み応えがある。 こう記す千葉皓史もまた波郷の詩脈に連なるものの一人なのだ。 すこし前になるが、「俳句研究」の夏号がとどく。 編集長の石井隆司氏が刊行の永続のため奮戦し、渾身の力をそそいで編集をしているものだ。 ふらんす堂刊行の句集三冊を藤本美和子さんが紹介して下さっている。 後藤比奈夫句集『初東雲』。 ヒップラインウエストライン竹夫人 敗荷に風右左前後ろ とんぶりに懸る電話は妻のもの 平易、平明な言葉。直截な表現。そして単純化され、洗練された一語一語には卒寿の息遣いが無理なく通いあう。俳句形式そのものにもまた、年齢の滋味が加わるのであろう。 永島靖子句集『袖のあはれ』 桔梗やしんじつは一行に書く 双塔の相寄るごとし水草生ふ 廃駅あり冬の落暉を見るために 写実、諧謔、想念。写実を核に季語に心象を託した作品。さまざまな思いをいったん我が身に深く沈潜させて、浮かび上がってきた一語一語にが季語と響き合う。言葉と言葉、言葉と季語、それらを紡ぐことで見えてくる世界。現実とはまた別の異次元での空間に自己表出を試みているのであろう。 岸本尚毅句集『感謝』。 ときじくのいかづち鳴つて冷やかに 日沈む方へ歩きて日短 そういへば吉良の茶会の日なりけり 作者の著書『俳句の力学』に収められていた「季題を演じる」という論の実践論ではなかろうか。歴史と伝統はもちろん、すでに情報量の多いひとつひとつの季題を現代の眼でいかに新しみを加えて詠むか、という命題に賭けている句である。「ときじく」という古語、「日沈む方へ歩く」という発想、「吉良の茶会」という措辞などに、「演じる」ということの意味が秘められている。 今週の「草のこゑ」は相子智恵さんだ。 テーマは桂信子における「鏡」だ。 読んでいて驚いた。相子さんは、全句集を読み通すことによって桂信子における「鏡」の句を発見しそれに言及しているのだ。「鏡」はもとより季語ではない。だからつぶさに目を凝らしてこの全句集を読んでいったのだと思う。相子さんがこの一文を書くために費やした多くの時間をわたしは思う。 その考察もするどくて面白い。 「鏡と桂信子」における貴重な資料となる一文である。
by fragie777
| 2010-06-23 19:29
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