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6月11日(金)
箱根空木。 今日も夜は用事があるので、早めにブログを書いてしまおう。 スタッフたちとのおしゃべり。 少女時代に読んだなつかしい本の話になった。 それはやっぱり『赤毛のアン』や『若草物語』だったりする。 「ああ、『赤毛のアン』はやっぱりいいわねえ。」とわたしが言うと、つかさず愛さんが、 「いいですねえ、特にギルバートととの仲直りのシーンがいいですよねえ」 「いいわねえ、ギルバート・ブライス! はしばみ色の髪の色をした男の子、もうそれっからわたしの理想の男性よ!」って、もちろん私。 「わたしは、途中で読めなくなっちゃったんですよ。『赤毛のアン』が……。名前にnをつけろって言うあたりから…」優明美さん。 「ああ、あたしも途中でやめちゃいました。アンより『長靴下のピッピ』なんかが面白かった」とPさん。 そうなのか……。 だれでも少女は『赤毛のアン』が好きとは限らないのか。 それから『若草物語』体験に話が発展し、『怪盗ルパン』の話となりきまって『ホームズ』へと進展し、わたしたちは少女へともどったかのごとく楽しいおしゃべりをしたのだった。 今日も新刊句集を紹介。 足立和信句集『初島』。 足立和信さんは、俳誌「杉」(森澄雄主宰)同人。この度の句集に森澄雄氏は題簽と「序にかえて」を寄せられている。題簽の「初島」という文字がいい。ご不自由な身体であるにもかかわらず足立さんのためにかかれたその字は、のびのびとおおらかで気持がいい。 あとがきによれば、この句集名となった「初島」は源実朝の歌「箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島になみの寄る見ゆ」であろうと言われているとあり、句集にはこの島を詠んだ句が二句収められている。 初島へ海の平や石蕗の花 初島へ海凪いでをり淑気かな 慌しい日常生活を離れ、海辺に宿をとり、静かに年を送った網代での句です。島の名のめでたさへの思いもあり集名としました。 と。足立さんのこの句集は「杉」入会以来の30年間の作品をおさめたものである。三人のお嬢さんの父親であるとうかがったが、第一句目に「長女」と前書きのある句からはじまり、次女、三女の誕生の句を詠まれている。 ふつくらと嬰の掌実南天 (長女) 朝昼を眠る乳飲子青田風 (次女) 万両の艶やかなりし吾子生まる (三女) 俳句を読むお父さんを持つとこういう特典があるのだ。わたしの経験しないものだ。 足立さんのこの度の句集をテーマで勝手に大きくわけると、「旅」「親子」そして「机」だ。足立さんはまことによく旅をされる。旅の句がこの句集の3分の2以上を占めていると言ってもいい。 円空のここに生まれし秋澄めり 灯籠にかくれクルスや葛の花 濤音の荒き夕べや鰤大根 飴色の牛の群れゐる草の花 (アルプス) 大年の伐折羅大将燭匂ひ 五句目はあの奈良の新薬師寺の十二神将のことではないだろうか。(十二神将はいろいろいるが新薬師寺のが好きなので勝手にそう思いたい)。 その次によく詠まれているのが、父母、子供、妻のことだ。 瓜食んで子どもら日照雨見てゐたり 死顔も百姓なりし父に冬 麦秋や子の繰返す逆上り 箱火鉢餅を焼きをる見重妻 夫亡くて木槿掃きをる母見ゆる 一句目、二句目は森澄雄氏が「序にかえて」で触れている。そのうちの一文を紹介する。 死顔も百姓なりし父に冬 作者の父は近年亡くなられたのであろう。その死顔も思い出もまざまざと残っている。生涯百姓であった父は死顔もまた土のしみこんだ百姓の顔であった。いわば冬のきびしさのような生涯を過ごした父であったが、そのきびしい冬が、仏になっている父に今年もやってきたのだ。切実な一句である。 この句集にはもひとつ「テーマ」がある。(とわたしは勝手に思っている) それは「机」だ。仕事から解放された著者がゆっくりとくつろぐ場所、それが「机」なのだ。そこから詠んだ風景が句集にひとつの顔をあたえている。 児のあとの机をつかふ朧かな 卓袱台におきて宿題法師蝉 机居の一日くるるや栗の飯 白絣夜を座れる文机 遠く見て眼を休まする笹子かな このほかにもお気に入りの机辺にいる著者の姿を彷彿とさせる句が多い。 しかし、句集最後に置かれたこの一句。 ふしぎな一句だ。 千両をまた万両を歩みをり あらゆるものから解き放たれた著者がいる。 さあ、もう出かけなくては……。 仙川駅前で、詩人の有働薫さんと待ち合わせをしている。詩人のご友人の中本道代さんがご一緒だ。 ブログを読み直す時間がない。 間違いがあったらまたあとで直します。 それでは行ってきまーす。
by fragie777
| 2010-06-11 18:50
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