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3月2日(火)
腰痛のため(?)かこのブログに書かなくてはいけないことをさぼってきたようだ。 まず、2月28日付の毎日新聞では、井上弘美さんが「俳句月評」で、俳人協会賞のことをとりあげている。ふらんす堂刊行の句集としては、榎本好宏句集『祭詩』、加藤かな文句集『家』、金原知典句集『白色』、森賀まり句集『瞬く』の四冊について紹介している。新人賞を受賞した三句集については、選考委員長の辻田克己氏が「俳句は上手くなければならないし、景が見えなければならない」として挙げた作品を紹介。 空蝉や光つて何も見えぬ水 加藤かな文 息白き元気な話見てをりぬ 〃 その裏にゐる螢や草の筋 金原知典 いかのぼり子供が空に落ちさうな 〃 我を見ず茨の花を見て笑ふ 森賀まり 初夢を語りださむとする子かな 〃 「どの句も切り取られた景が詩的で鮮明、清潔感がある」と井上弘美さん。 おなじ毎日新聞で、文芸ジャーナリストの酒井佐忠さんが「山下一海さんを悼む」として追悼文を寄せている。そこに昨年の春にふらんす堂で刊行した山下一海氏の著書『白の詩人ー蕪村新論』を紹介し、山下一海という俳文学者の旺盛な仕事ぶりのなかに一貫して流れていた「『詩の意思』『詩としての感銘』を抱える心映え」に言及する。「多くの著作にも、近世俳諧を近代文学をひいては現代の詩精神とつなげようとする意志があった」と語る。 この『白の詩人』の原稿をいただくために調布の喫茶店でお目にかかったのがつい昨日のことのようである。 昨日3月1日付の毎日新聞「季節のたより」は坪内稔典氏によって、高橋悦男句集『春の山』より。 三月やサラダに散らすアーモンド このアーモンドをサラダに加えるというメニューをわたしは最近になって知った。外食では食べていたのかもしれないが、自分の家ではアーモンドまで考えが及ばなかったのだ。クルミもそう。どっちも冷蔵庫に保管しておいて、ドレッシングにボリュームを加えたい時にいくつか取り出す。キッチンペーパーにつつんで、まな板の上に横たえて、その辺にあるものの詰まった瓶などを掴んで「このやロー」とアイツへの怒りをこめて振りおろす。それを2、3回繰り返していい感じに砕かれたそれらをサラダの上にあるいはドレッシングにまぜあわせる。 食べると、わたしの怒りの味がする。このアイツというのはその時にいろいろと変わる。 今日の「増殖する歳時記」は、土肥あき子さんによって遠藤千鶴羽句集『暁』より。 芽柳や声やはらかく遊びをり 「声がやわらかであるという、遠いとか小さいとかの距離でもなく音量でもない形容によって、声を持つ人間の存在を曖昧にさせ、より茫洋とした春の様子を浮かびあがらせているのだろう」と土肥あき子さん。 「芽柳」ということばが「やわらかく」ということばと結びついて、いまふっと「芽柳はサラダに散らせないんだろうかって」思ってしまったが、それはダメよね、サラダに散らしたら世の中から柳がなくなってしまって、あのきれいな緑がなくなってしまうわ……、なんでも食べ物に結びつけようとするのはイカン、イカン、ああ、でも「芽山椒」というのがあったわ、どうなんだろう…。って、山椒はもともと食べることができるものだったわ、柳は違うよね、あはっ。 そして、今日のねんてんの今日の一句は、藤川遊子句集『銀川』より。 紅梅の老樹と合せ鏡かな 「自分もまた1本の紅梅の老樹だ、というのだろう」と坪内さん。 この句集は、箱入の美しい出来上がりとなり著者の藤川游子さんが大変喜んで下さった。 中身もまた上方のたっぷりとした美意識に貫かれたものである。
by fragie777
| 2010-03-02 19:07
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