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2月1日(月)
これも芸大の卒業生の記念作品。 これは作品の一部でほかにもおもしろい鉛筆たちがあった。 題名がふるっている。 お昼休みのこと、Pさんにつきあって眼鏡屋さんに行く。 Pさんは視力はものすごくいいのであるが、眼科医から眼鏡をかけるように言われたのだ。 パソコンを見続けて目の筋肉疲労が頭痛をひきおこしてしまったのである。 ふらんす堂のちかくにあるスイス堂(?!)という眼鏡屋さんをわたしは御贔屓にしているのでそこを紹介した。 できあがった眼鏡を今日は受け取りにいったのだ。 そこでのこと、急にPさんがわたしを指差し大笑いをはじめた。 するといままで応対をしてくれていた若い眼鏡屋の次男坊さんが、クスッと笑って、 「すてきなアクセサリーをおつけですねえ」と言う。 (えっ、なにが……) わたし腑に落ちず身体を見まわしてみると、 (あら、いやだ……) こんなアクセサリーをいつのまに…… 仙川商店街をすましてあるいていた私だった。 思い出すと恥ずかしい… 昨日の毎日新聞で文芸ジャーナリストの酒井佐忠さんが、24日の四ツ谷龍さんの講演について書いている。 「『夜の形式』とは何か」という題がつけられている。 「…『夜の形式』について四ツ谷氏は、絵画と音楽、さらに現象学など幅広い観点から思考を巡らせた。絵画では昼の外光を描く印象派ではなく、パウル・クレーの絵のように内部から光が揺らめき出る『光の内発性』によったもの。音楽では曲想の変化が激しい現代音楽の源流となるショパンのノクターン。それらの非定型、非建築構造的、内発的なものを『夜の形式』としてあげた。」「そして、田中の句では、〈冬紅葉くらきばかりに鹿匂ふ〉〈おのづから人は向きあひ夜の長し〉〈くらければ空ふかきより落花かな〉などの句に、『夜の形式』を象徴する揺らめきの思考があると四ツ谷氏は指摘した。」「俳句形式について絵画や音楽など他の表現形式と同じ視点で論じたのも現代性があり、興味深かった」と。 そして今日の朝日新聞では、岡井隆氏についての記事があった。「歌人・岡井隆さん 詩集で高見順賞」と題し、「数ある現代詩の中でも格段に高い評価を誇るこの賞を、詩集を出すのは初めてではないものの、名のなる歌人が受賞するのは、やはり画期的なこと。短歌だけでなく、周辺ジャンルにも視野を広げ、作品世界を豊かにしてきた、岡井さんならではの快挙だと言える」とあり、「折しも年初から、句集中心の出版社ふらんす堂のホームページで『岡井隆の短歌日記』の連載が開始された」と、「短歌日記」が紹介されているではないか。 この「短歌日記」の岡井隆氏はまさに自在である。ご自身の俳句に短歌をつけてみたり、詩人の詩の一節に、あるいは虚子の俳句にと、原稿をいただくたびにわたしもどういう作品がくるが楽しみでならない。「短歌も現代詩も俳句も含めた広い意味での〈詩〉に携わる詩人(詩人に傍点)、岡井さん。その活動から当分目が離せそうにない」とある。 雨降る中をお客さまがおひとり見える。四ツ谷にお住まいの田中清香さんである。 お姉さまの大坂さく子さんとおふたりで句画集を刊行されたいと昨年お電話をいただいた。 田中さんが絵を書き、宮城県にお住まいのお姉さまが俳句を寄せられるという句画集である。 「どうしてふらんす堂をおこころにかけてくださったのですか?」と尋ねると、 「姉の夫の大坂十縫がもうだいぶ前にふらんす堂さんから句集をつくりましたので」というお答えだ。 大坂十縫さん! わたしはよく覚えている。もう20年くらいまえのことだ。 1992年に刊行された大坂十縫句集『草笛』。ふらんす堂にとって記念すべきと言ってもいい句集だ。 それはブックデザイナーの君嶋真理子さんのはじめての装丁の仕事となったものなのだ。 武蔵野美術大学の版画科の学生だった君嶋さんがこの『草笛』のために、版画の作品をもってきてくれた。 それを、わたしがレイアウトをしクロスを決め、色なども決めた。ふたりの共同作業だったかもしれないが、やはりこの句集は君嶋さんの版画の作品があってこそのものなのだ。 いまでもこの句集のもっている味わいがわたしは好きだ。 その句集のご縁でこうして20年後にふたたびその奥さまと妹さんの句画集を出版させていただくことになろうとは……。 しみじみとした感慨がある。 お身体の都合でタクシーで来られ、タクシーで帰られた田中清香さん。
by fragie777
| 2010-02-01 19:24
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