カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
画像一覧
|
10月8日(木)
台風襲来のため東京の今朝は雨風が激しかったらしい。らしい、というのは、わたしはあんまりそのことに気づくこともなく、ぼんやりと過ごしていたようだ。 スタッフのリエさんから携帯にもらったメールも気づくことなく、二回目のメールでやっと仕事場に来るのが難航していることを知る。 「どうしましょうか? このまま電車が動き出すまで、待機しましょうかあ。それと今日はお休みさせていただいてもよろしいですか?」 随分と時間が経ってからメールに気づき、結局今日はお休みをしてもらうことになった。 どうも天気というものについての認識がわたしは甘いような気がする。 こういう人間はきっといつか大雨で押し流されてしまうんだ…。濁流にのまれながら、(ああ、天気を甘くみたバチが当たったあ……)と嘆きながら呑み込まれてしまうんだ。 森賀まりさんの第一句集『ねむる手』につぐ第二句集『瞬く』が出来あがる。シリーズ精鋭俳句叢書Serie de la neigeの一冊として。ご夫君である田中裕明さんを亡くされたのちの森賀まりさんは、三人の娘さんを育てながらの激務の日々を送られている。ご自身の句集をまとめるという時間をとることさえ大変だったのではないかと思う。 「ずっと句集を編むつもりはなかったが、刻々忘れ続けるなかに、ふと前触れなくよみがえるものがある。そのたび遠い空にあるものがふいに身ほとりで輝くように思った。」その身ほとりで輝くものの「輝き」を「句集名とした」とあとがきに書く。 白きものみんなかもめや冬座敷 流れゐることまぶしかり冬の川 思ふより深くて春のにはたづみ 光さしくる白萩を抱へきし やはらかき指先なればこほらむか 川泳ぎ腕ゆるやかにみどりいろ いと小さく顔上げてゆく秋日かな 「この句集に流れている光は、けっして強いものではない」「それはほんとうに繊細な、かそけき光。しかし、そのようなかそけさだけが、季節の移ろいに寄り添うことができる。」と栞に奥坂まやさんは書く。「流れること、移ろうこと自体のまぶしさに、とりわけ作者は敏感なのだ」「『子ども』もまた、日に日に成長してゆく存在として、代表的な移ろうもののひとつだ。作者はこの光に満ちた存在から目を離さない。」と。わたしも森賀さんが詠む子どもの句はとりわけ好きだ。 七種を泣いてきし子に打たせけり けんかの子百合の莟のやうに立つ 天神のつつじを吸うてゐる子かな 水着の子滴りながら我へ来し 作品が収められた1996年から2008年という年月はおもえば大変な日々であったはずだが、その疾風怒涛とも呼ぶべき日々は詩人としての森賀まりの眼を曇らせることなく、より深いまなざしを与えたのだ。 俺といふ人来て座る箒草 何か思へと冬菊の影ありぬ かすかなる空耳なれどあたたかし 家中のしんとしてゐる桜かな 朧夜のマーマレードに深く匙 そして、 本を読む子の溜息や夏の蝶 わたしはこの句が好きだ。「溜息」はたくさんの夢を伴っていた。 「どうして、わたしの髪は金髪ではないの…」「わたしは四人姉妹の二番目として生まれたかったのに…」「洋服ダンスの奥には雪の公園があって街頭があるはずなのに、なぜそこへ行けないの?」「ほんとうは魔女の指輪をもらえるはずだったのに…」ああ、「溜息」につぐ「溜息」の連続だ。夏の蝶がもたらす甘美な溜息……。少女はいったいどれだけの「溜息」をしながら大きくなっていくのだろうか…。わたしにもかぞえられないくらいの「溜息」があって、そして、いまがあるっていうこと……。
by fragie777
| 2009-10-08 18:59
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||