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8月4日(火)
わたしたちが「お母さん」と呼んでいる野良猫。 このあたりの猫に人望ならぬ猫望があり、多くの猫を育てている。 しかし、わたしたちには決してこころを許さない。 眼の色が淡い緑でとりわけ美しい。 新刊句集を紹介しなくてはならない。 鈴木智子(ちえこ)さんの第一句集『春筍』。鈴木さんは、俳誌「一葦(いちい)」(島谷征良主宰)の同人である。高校の先生となって赴任した学校に島谷さんがいて、その御縁で俳句をつくるようになったという。まだ、20代半ばのことである。序文を書かれている島谷さんに言わせると「国語の教師ほど俳句に向いてゐない人種はないのではないかと」思うくらい、国語の先生は俳句の何たるかわからずに句会から遠ざかる人が多いという。そういうなかで「智さんは数少ない例外の一人である」と。島谷さんも、跋文を寄せている中根美保さんも、鈴木さんが句集を出すにいたるこれまでの24年間を見守り指導しともに俳句をつくってきた人たちだ。序文にも跋文にもそのおふたりのあたたかなまなざしがあり、ゆったりとした環境で俳句をつづけて来られたということがよくわかる。 乙訓の春筍の土ぬぐふ 集名となった作品。ご夫君のふるさとの京都から季節になるとお義母さまが筍を送ってくださるという。 鈴木さんは、「一途」な目をした美しい方だ。日々、若いエネルギーに向き合っている(高校生のエネルギーなんてハンパじゃない…)わけだが、その彼らの若さを制圧するような不思議な静けさとひたむきさがある。この人の前に出たらちょっと負けるな、って生徒に思わせてしまうそんな存在感のある人だ。 立春や指名の生徒ついと立つ 我容るる夜の深さや白障子 子のあとを這へば大きな夏座敷 初雪や熱きふぐりをもて生まる 水虫痒し男に伍して働けば 子にまだ勝たせぬ相撲春隣 ぎしぎしと春雪を踏みバス来たり 数へ日のエスカレータ駆け上がる 子供の日まづ一升の米を炊ぐ ここには、そのきりっとしたハンサムウーマンの鈴木さんを感じさせる俳句を紹介してみた。 しかし、島谷さんや中根さんが書くように「あたたかく」「みずみずしい詩情」にあふれた作品も多いと思う。 月の座のひとつ逝きたる人のもの 今日の讀賣新聞では、大峯あきら自選句集『星雲』が紹介されている。「傘寿迎え自選句集」という題で、大峯氏の写真もある。「住職の家に生まれ、14歳のとき肺を病み、『俳句は健康にいい』と勧められたという。」哲学を学ぶことを決心したのは旧制中学のときであると。「満天の星空を見るうち、自分が宇宙に浮く感じがした。哲学を通し、星空と自分の関係を知りたくなった」とあり、その体験が50年後に次の俳句となって結実した。 虫の夜の星空に浮く地球かな ひとつの作品がうまれるための50年、素晴らしい月日の長さだ……そのことばの旅をわたしは思う。 今日の「増殖する歳時記」は、小枝美恵子さんの句集『ベイサイド』より。 蟻を見るみるみる小さくなる大人 鑑賞は土肥あき子さん。きっとこういう句を土肥さんは好きだろうなあって思った。画家の熊谷守一について語り、「彼こそ『みるみる小さくなる大人』だったに違いない」と書いているが、きっと土肥さんも土にしゃがんでじっとアリンコを見る人なんじゃないかって私は思っている。もちろん、著者の小枝美恵子さんも…。 (わたしの弟は小さい頃蟻の殺戮者であった。庭じゅうのアリンコを殺しまくっていた。子供はえてして残酷なものだ。わたしも実はアリンコを見ると踏みつけたくなってできるだけその場を離れることにしている…)
by fragie777
| 2009-08-04 19:47
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