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6月28日(日)
小田急線のある駅ホームでみた広告。 いま結社誌が充実していると思う。 深見けん二氏が編集・発行人の「花鳥来」夏74号をことさら興味ふかく読んだ。 俳誌「屋根」(斎藤夏風主宰)と「花鳥来」の合同俳句講座が今年の1月31日に練馬区勤労福祉会館でおこなわれ、その時のふたつの講演がこの74号に再録されている。ひとつは、「晩年の虚子」と題して深見けん二氏が、もうひとつは、「若き日の青邨」と題して斎藤夏風氏がそれぞれその師について語っているのだ。 虚子についてその人物にふれ直接の俳句の教えを受けた俳人をわたしたちはいよいよ知ることがなくなりつつある。そういう意味からいってもこの「晩年の虚子」の講演は、虚子の俳句の指導の仕方、俳句の作り方、句会をどう考えていたかなどなど、つまり俳人虚子について具体的に虚子という人間が目の前にいるかのごとくいきいきと語られていて本当におもしろい。若かった深見けん二氏は虚子に質問をぶつける、虚子はそれに真っ向から答える、「孤立してしまいませんか?」と言う問いには、「孤立してしまっていいじゃないか」と答え、「俳句以前の人生観の論議では俳句のための論議ではなくなってしまうから」と深見氏が言えば、「あなたは踏ん切りが悪いと思います。立場というものは截然としないと脆弱になります。もっと勇気をもって臨む必要はないですか。ものの一方を極めるのが男らしい仕事ではありませんか。また新しいことを欲する人に、古い名になじまず、新しい詩を創造する勇気がほしいと思います」と虚子が答えるなど、師と弟子のあいだに迫真のやりとりがあったことなど、私はドキドキしながら読んだ。この講演は高濱虚子という俳人を知るための本当に貴重な資料であるとわたしは思う。 斎藤夏風氏の「若き日の青邨」もおもしろい。わたしは、青邨が二高の工科時代に野球部のキャプテンをやったという話がとくに面白かった。青邨の自慢話のひとつで、キャプテンで三塁手、「地を這うようなすごいゴロは取る」と威張っていた青邨であっても打撃は全然だめで打てなかったということなど、そういうことを正直に話すのが青邨の姿勢であったと夏風氏は尊敬と愛情をこめて語っている。 わたしはこのお二人の講演を読みながら、俳句の指導者としてこころか信頼する師をもつことができる幸せというものを思った。その著書を長い人生のなかで何度も何度も繰り返し読み、反芻し、ゆるぎない信頼を置く。それが師事する、ということなのだろう。 この二つの講演は、先生について語りながら師事するということはどういうことなのか、その師事することの至福というものをさりげなく語ったものではないかと思ったりもしたのだった。 長いブログになってしまったが、もう一冊は、昨日送られてきた俳誌「鷹」7月号。表紙をひらいたところにパッとある主宰小川軽舟さんのハンサムな写真もすてきだが、「俳句の場、あるいは結社の現在、そして未来」という取り組みがおもしろい。山下知津子、星野高士、さいばら天気の各氏をまねいての座談会、あるいは仁平勝さんによる結社についての考察「『座』のある場所」、とくにわたしが興味深かったのは、「若手作家に聞くみずからの「場」」について若い俳人の方たちが書いていること。そして、もうひとつは、「『型』の継承」というテーマで池田澄子さんと奥坂まやさんの対談、こちらは司会を編集長の高柳克弘さんがつとめている。 ずいぶん俳句の本質的なことを意欲的に取り組んでいて、「鷹」という結社の意識の高さがうかがえ、わたしは、ちょっとこの度の「鷹」誌の厚さに驚いている、とおもってもう一度「鷹」をみたら、あら、まあ、45周年記念号でいらしたのね。そっか、それでは力もはいりますよね。でも、「型」と「場」、いいんじゃないでしょうか…。 今日は日曜日なのに、ずいぶんと書きました。 疲れました。
by fragie777
| 2009-06-28 18:47
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