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6月23日(火)
数日まえに見たカルガモの親子。3羽の子どもが懸命に親鴨のあとを追いかけていた。 今週はいろいろと本ができあがってくる予定である。 お客さまより「まだか、まだか」となんどもお問い合わせをいただいた高柳克弘さんの第一句集『未踏』がとうとう出来あがった。 実は今日にまにあわせるために、並木製本の高橋さんは、土、日を返上してこの句集の製本にうちこんでくださったのだ。装丁のこだわりのために、天金ならぬ天黒にしたために製本におもわぬ手間ひまがかかってしまった。 天をどうしても黒くしたかった版元のこだわりを汲んでいただけるだろうか…。 装丁は君嶋真理子さん。シャープなものに、というこちらの要望に応えてもらい著者の高柳さんも気にいってくださった。 ことごとく未踏なりけり冬の星 「未踏」と名付けられたこの句集は、まぶしい光にみちた一冊となった。高柳さんが編集長をつとめる俳誌「鷹」の主宰の小川軽舟さんが序文をよせているが、その序文がすばらしいのだ。 「高柳君のこの句集を、波郷の『鶴の眼』、湘子の『途上』に並び立つ青春俳句の達成と位置づけてもけっして過褒にはなるまい。私は率直にそう思う」 「すぐれた青春俳句には、措辞の完成が人生の成熟に先行することによってもたらされるある種の静けさがある。生身の青くささはその静けさに抑えられ、かわりに普遍的な詩情が立ちのぼる。とりわけ文語表現にはそれを可能にする力がある。波郷、湘子、克弘の青春詠は、そのまますぐれた抒情詩の系譜でもある」 「やがて高柳君は、波郷や湘子がそうしたように、青春の時代を遠い故郷として捨て去り、見晴るかす荒地に足を踏み出すだろう。しかし、高柳君の目には、そこに私たちには見えない俳句の沃野が広がっているのだと信じたい。彼自身が選んだ『未踏』の句集名が何よりも彼の決意をしめしている」 序文のなかからいくつかの文章を引用してみた。このような序文を書く小川軽舟という主宰の下で俳句を学ぶ高柳さんはとても幸せであるとわたしは思う。また、このような序文を書かせる高柳さんの俳人としての力をもまた思うのだ。句集『未踏』には、たくさんのいい作品がある。すでによく知られた作品もたくさんある。 わたしは、ここでは、(おっ、やっぱ若さがまぶしいなあ)とか(まあキャッ…)という作品(そういうキラキラした青春俳句)を特に選んで紹介したい。 卒業は明日シャンプーを泡立たす ゆふざくら膝をくづしてくれぬひと 大欅夏まぎれなくわが胸に わが部屋の晩夏の空気君を欲る 木犀や同棲二年目の畳 うみどりのみなましろなる帰省かな マフラーのわれの十代捨てにけり 冬青空翼もつものみなつぶて どの樹にも告げずきさらぎ婚約す 若草にきれいに坐るつまらなし 蕪煮てあした逢ふひといまはるか 「『未踏』というタイトルも気負い過ぎた感があるが、形式の可能性を攻め続けることが形式への最大の礼儀と信じる自分の正直な思いがこもっているために動かしがたかった。」とはあとがきの言葉である。 「二十代の墓碑として」の一集であるということだ。 俳句界に新しい星が力強くまたたきはじめた、そんな嬉しい手ごたえをこの一冊に誰もが持つのではないだろうか…。
by fragie777
| 2009-06-23 21:11
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