カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
画像一覧
|
3月30日(月)
今朝会った野良猫。さっそうとわたしの前をよぎって行った。 仕事場への途中、「yamaokaさん!」って後ろから呼ばれる。ふりむくと自転車に乗った律子さんだ。 「あらあ、お帰んなさーい。どうでした?韓国は…」「とっても楽しかったです。帰ってきたくないくらい…」と、生き生きとした笑い顔がある。いやいや律子さんに帰ってきてもらわないとふらんす堂は機能しませんから…。二人で積もる話しをしながら仕事場へ向かう。 明日はスタッフへのお給料の支払い日である。慎太朗クンは休みの日であるが、お給料をとりにきたついでに働いて行ってくれるという。「あら、じゃあ、ぜったいにお給料忘れないようにしなくっちゃね。」と私は言い、「かつて一度すっかり忘れたことがあるのよお」って言うと、つかさず愛さんが「いいえっ、yamaokaさん!一度だけじゃありませんよ。少なくとも三度くらいは忘れました…アハハハ…」って、(えっ、わたしそんなに忘れたっけ…、)ちょっとカッコ悪いので書棚のかげに隠れると、そこへ優明美さんがついっとやってきて「あの、わたしもすっかり忘れられたことがあるんです。」って、(クウッ、そ、そっか…、わたしはぜんぜん記憶にないのだが、そんなにいい加減な経営者だったのか…)とますます身体をちぢめると、スタッフたちがいっせいに笑いながら、「ほらほらみんなトラウマになってますよう…」ってわたしを責める。 ヨシ、明日はぜったい忘れないからねっ。見てなさいよ! (威張ることか…) 山下一海著『白の詩人ー蕪村新論』が出来上がる。蕪村の「白の俳句」に言及しながら、子規の蕪村論、朔太郎の蕪村論を検証しつつあらたなる蕪村像に迫る、という意欲的な論考が収められている。また、蕪村はその俳句にこれほど、「白」を用いていたのかというほど、「白の俳句」が紹介されている。この書においてわたしがちょっと頑張ったことは、巻末に蕪村の引用句の季語別索引を付けたことである。たとえば、蕪村の最後の病床の句「しら梅に明る夜ばかりとなりにけり」が、どのページにどういう文脈で引用されているか、巻末の季語索引ですぐにわかるというかたちになっている。蕪村は菊は白菊を好んだようで、「白菊」の句が多い。 しらぎくやかかるめで度き色はなくて 白菊や花一輪といふべかり しら菊や清見が寺の庭の前 白菊の一もと寒し清見寺 しら菊や庭に余りて畠まで 「白菊が庭から畠にあふれるように、白への思いは、蕪村の胸の奥に発しながら、心の全体にあふれ、蕪村の歌声に輝きと潤いを添えているといっていいだろう。白にこだわりながらも厳格ではない。どこか寛容で余裕がある。白の詩人蕪村の肝要なものがそのあたりにありそうである」と。 朝とつぜんお電話があり、3時には大阪よりふらんす堂に来社されたのが渡辺善夫さん。おどろくべきフットワークのよさである。俳誌「七曜」(橋本美代子主宰)の同人で少し前まで編集長をされていた方だ。さっそうをあらわれ、あっという間に愛さんと句集の打ち合わせをされ、「これからもう一つ用事があります」とさっそうと帰っていかれた。愛さん曰く「10分ですべてが決まってしまったので、わたしはそのあとどうしたらいいか」。 前の第一句集を朝日新聞社で刊行され、「こんどは、ふらんす堂のさんの素朴な作りがいいと思って」とおっしゃるので、思わずわたしは笑いながら「いいえっ、素朴ではなくて瀟洒と言ってください!」と突っ込むと、「アハハハハ、そうでした。そう言うべきですね。」とこれまた磊落なお方で会った。 仙川ははじめてという大阪・吹田市にお住まいの渡辺善夫氏。
by fragie777
| 2009-03-30 18:39
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||