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2月10日(火)
加藤楸邨が眠る浄真寺のちかくで会った猫。 ふらんす堂では、楸邨の猫だけの作品をあつめた句集『猫』を刊行しているが、楸邨には猫を詠んだいい句が多い。 恋猫の皿舐めてすぐ鳴きにゆく 死ににゆく猫に真青の薄原 満月やたたかふ猫はのびあがり 猫我を呼ぶなり枯れし野のひろがり 猫に名をあたへて我はしぐれをり 生あればかなしき糞す恋の猫 生れたる猫の子われの膝と逢ふ 猫はいま目となりきつて十三夜 百代の過客しんがりに猫の子も 猫が子を咥へてあるく豪雨かな 一句紹介しようと思って思わず書き連ねてしまったが、こう書いても書ききれないくらい好きな句がある。 ここにはペットとしてではない猫がいる。 ふらんす堂にあたらしい助っ人が現れた。 粗忽者なるyamaoka対策として昨年ホワイトボードを購入し、ずいぶんとわたしの役にたってくれているのだが、さらにyamaoka対策を最強にすべく、いままでのホワイトボードの5倍はあろうかというほどのものがわたしの正面にかかげられ、斜め左側にあるかつてのものと一致協力するかたちで、yamaokaのすることなすことを瞠っている。スタッフの愛さん言うところの、「色白の秘書たち」である。わたしはもう絶体絶命状態でミスやもの忘れは許されないのであるが、それでもふらんす堂を一歩でれば、有能な秘書たちからのがれられるので、本領発揮となる。今日も郵便局へ立ち寄って振り込みをしたのはいいのだが、大事な領収書を置き忘れたようで、夕方郵便局の人から電話があるまで気がつかないという能天気さ。 「ああ、とっといてくださーい」 と電話口でさけべば、「はい、わかりました!」と郵便局員さんも有能な秘書となってしまう。 仙川はまったくいい町である。 いつか仙川の町は有能な秘書だらけとなってしまうかもしれない。 わたしがパスネットを落とせば、すぐ後ろから有能な秘書が飛んできて 「はい、落としましたよ」って手渡してくれる。 お財布をわすれて飲み食いしても、 「はい、お忘れですよ」って、やはり有能な秘書がさっとお財布をだして払ってくれる。 ああ、はやくそうなるように頑張ろう……。 新刊詩集ができあがる。 担当は愛さんで、「ねえ、愛さん。新刊詩集の『怪獣よ」』をちょっと貸してくださらない」って言うと、「yamaokaさん!『怪獣よ』じゃありません!『恐竜よ』です!」って言われてしまった。 アハハ…まったく「怪獣」と「恐竜」では、えらい違いである。時間をはるか古代へとさかのぼって呼びかける「恐竜」には失われ滅びたものへの郷愁がもたらす詩情があるが、「怪獣」ではずっこける。少年少女にロマンをあたえる「怪獣」もまた愛すべき存在ではおおいにある。たとえばモーリス・センダックの『怪獣たちのいるところ』という童話に登場する怪獣など年食ったわたしも大好きである…。 さて、さてその詩集『恐竜よ』であるが、片桐英彦さんの第11詩集となる。片桐さんはふらんす堂からすでに詩集『ヒポクラテスの髭を剃る』『橋の下の獏』(私家版)、詩集『物のかたち』(第36回福岡市文学賞受賞)、詩集『青い壜』詩集『回転木馬の秋』と五冊の詩集を刊行されていてこの詩集がふらんす堂刊の六冊目となる。福岡にお住まいの医師である。この度の詩集『恐竜よ』もまた、日常をみつめるくらしのなかからこぼれるようにわき出た言葉を詩のことばとして書き留めた作品が多いのであるが、やはりそこにはお医者さんだからこその意識がひそんでいたりするからおもしろい。 「トム・シェークスピア」と題する詩より。 障害者とは 生の深みに 花を探す人である 歳をとると誰でも 障害者となる その逃れようのない流れを 彼は抜き手をきり そそり立つ偏見の岸辺に向かって さっそうと 泳ぐ 人類の歴史は、「恐竜の繁栄した中世代に比べればまだいかに浅い歴史しか辿っていないか、人類よおごるなかれという反省をこめたつもりです」とあとがきにある。
by fragie777
| 2009-02-10 20:26
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Comments(2)
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