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4月18日(金) 旧暦3月21日
二輪草。 風にふかれてそよぐ姿が愛らしい。。 今年もちゃんと見つけることができたのが嬉しい。 今年度の「蛇笏賞」(角川文化振興財団主催)が発表となった。 メールにてご連絡をいただいた。 三村純也句集『高天(たかま)』(朔出版) 選考委員は、高野ムツオ、高橋睦郎、中村和弘、正木ゆう子の各氏。 最終候補作は、石田郷子『万の枝』(ふらんす堂)、谷口智行『海山』(邑書林)、坪内稔典『リスボンの窓』(ふらんす堂)、宮坂静生『鑑真』(本阿弥書店)。 選考委員選評は、角川「俳句」6月号に掲載予定 三村純也さま おめでとうございます。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 蛇笏賞、すばらしいです。 こころよりお祝いを申し上げます。 なお、三村純也さんには、「下村非文の百句」をお願いしている。 どんな「下村非文の百句」になるか、 いまからとても楽しみである。 新聞記事を紹介したい。 今日の毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、寺田良治句集『プランクトン』より。 春の水プランクトンがごっつんこ 寺田良治 「ごっつんこというオノマトペが絶妙」と坪内さん。作者の寺田良治さんは、坪内さんの鑑賞によるといまは俳句の活動を停止しておられるということ。加齢が原因であるけれど、そういうお仲間が「ボクには多くなった」とも書かれている。じつは、今日の鑑賞には句集については紹介されていなかったのだけれど、この句とお名前をみて、句集『プランクトン』を思い調べたところ、そしてやはりこの句集に収録されていたのだった。2001年刊行で20年以上のものであるけれど、わたしにはとても印象的な句集のひとつだった。寺田さんは1932年生まれでことし93歳になられるのか。 #
by fragie777
| 2025-04-18 19:16
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4月17日(木) 旧暦3月20日
神代水生植物園の山桜。 大きな山桜の木がある。 ソメイヨシノともちがって、独特の趣があり、 わたしはしばらくこの山桜の木をたのしんだ。 うすべにに葉はいちはやく萌えいでて咲かむとすなり山桜花 若山牧水 かなりの古木かもしれない。 枝ぶりがみごとである。 山ざくら霞の間よりほのかにも見てし人こそ恋しかりけれ 紀 貫之 山ざくら散りたる石に憩ひけり 山口青邨 人の世は命つぶてや山桜 森 澄雄 澄雄は思い出を抱いて、桜の咲く吉野を一人で訪ねた。句には「吉野にて─去年元気なりし妻はや今年亡し」という前書きがある。その頃、澄雄は毎年のようにアキ子夫人と吉野をはじめ各地の桜を見て歩いていた。 「つぶて」は「礫」で、小石を投げること、または小石そのものをいう。「命つぶて」は切ない実感のこもった造語だろう。妻の命が運命の神によって吉野の山に投げられて、その命は「つぶて」のように山中に深く吸い込まれてしまって、もう戻ってこない、という思いである。「命つぶて」に人の世の無常迅速の響きがある。(『餘日』平成元年) 山国の空に山ある山桜 三橋敏雄 山国、という処に作者が旅人として立っている、或いはその地に暮らしていたら、其処が尖った山そのものという体感はないだろう。山国とは山の多い処、山に囲まれた処。山が近くに見える処。即ち「空に山ある」処。人手の入っていない「山桜」が其処此処に見える、という景。他の桜とは違った静けさを思わせる「山桜」、間の煩さのない寂とした尊厳のある山の景が思われる。 「山」の字が三個、すっきりと縦線を見せながら、しっかりと着地し、「山」の字の上は開いていて空へ広がって見える。余計な言葉、余計な文字が皆無である。美しい文字の配置が静かな長閑な上品な景を定着させる。(『疊の上) 引っ越しはしたものの、まだまだ不完全で、積み上がった段ボールを見上げながら眠りにつく日々である。 今日は、長年つかっていたベッドの木枠を塗り直してもらったものが午前中にとどいた。 20年以上もつかった白木のベッドであったのだが、今回は部屋の床の色にあわせてこげ茶に塗り直してもらったのだ。 古いベッドなので猫たちが爪研ぎをしたあとがリアルに残っているのだが、わたしは塗り直すにあたって、爪あとをそのまま遺してもらうようにたのんだのだった。 そして、見事な(?!)くらい爪あとをそのまま遺して塗り直されてあがってきた。 愛猫のヤマトも日向子も爪研ぎをしたベッド。 それにふれて、猫たちと生活をした日々をなつかしむのである。 いまんとこ、猫はもう飼わないつもり。。。 まだ、家で作業をしている人たちがいる。 帰らなくっちゃ。。。 #
by fragie777
| 2025-04-17 18:28
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4月16日(水) 旧暦3月19日
木香薔薇。 郵便局からの帰りに。 もう、薔薇の季節がはじまるということ、 季節のめぐりのはやさにあわてている。 もう少しゆっくりと日々を過ごしたいんですけど。。。 新刊紹介をしたい。 A5判変形仮フランス装カバーなし ラベル貼り 86ページ 詩人・手塚敦史さんの新詩集である。前詩集『球体と落ち葉』(書肆子午線)より8年ぶりの詩集の刊行である。 7冊目の詩集となるのだろうか。 詩集名「気化」。その意味は、「物質が液体から気体に変わる現象。蒸発と沸騰とがある。また昇華を含めるともある」と。 この詩集がとどいたと、詩人の小笠原鳥類さんが、さっそくメールで感想をくださった。 まずは紹介をしておきたい。 国語辞典や、古語辞典、仏和辞典など、たぶん勉強ではなくて、 辞典を見ていることの喜びがあるなあ、 と思っていると、 手塚敦史さんから新しい詩集『気化』が。 この本でも、 〈手塚敦史語〉が、 うれしい辞典のように、集められて、並んでいると思うのでした。 いつでも、何を書いても、この人の言葉。 収録されている詩編は長いものがおおいので、ここでは、短い詩をまずは紹介してみよう。 雨と遅れ 赤錆びた金属フックに 指でもって 籠めた 古風な るりの嘆息が 茎のようにほそく 閉じようと こよりとなって 触目ひずませ 反りかえった昏冥の葉と ブールドネージュという菓子を 口へほうり入れた 対話者の 傷だらけになったレンジのそばで 疲弊しきった または くずし出された膝へ と かゆい目をこする (発話者は 幼年の ) 所作とかがり いま唇に 雨と濡らす 遅れを感覚する 用いられている言葉は日常のなかにある言葉であるのだが、それらが詩の言葉となってこのように書かれ音のひびきとなって耳に達すると不思議な、ある独特の磁場がひろがっていく。 視覚としてもそうであるが、音としても。 言葉の展開のありようが、小笠原鳥類さんいうところの「手塚言語」なるものか。 「あれが、けむりのみえる前の つやのある写し 」靴下の片方が、とり忘れられ 残っている 詩集の冒頭におかれた詩行である。 手塚敦史さんのばあい、たった一行の詩であっても立ち上がってくるものにどくとくの気配がある。 「キーノートキノノ時、─」と題した詩編の、最後の詩行を紹介してみたい。 好きな詩編である。 ひびきというもの チ ること うたい ちる 巻き毛 て づ か 君、 て づ か さん、 あっ ちゃん、 あ つ し 君、 あー 君、 て づ かッ ち、 て づ か。… て づー、 あ つ し さん︑ (こんなにも、… キーノートキノノ時、小石ヲ置イテ―。 (草は あの乾いた音のほうだよ… ) いさめることのほかに ひらく ひいらぐ (ひとびととひととび(書き記すものとなれ 不一 詩編はすべて声に出して読むといい。 その音のひびきを反芻しつつ、視覚で書かれた文字をみる 一字開け、行開け、カッコ、句読点、句点、リーダー、すべてがあるべきふうにおかれている。 最後の「不一」には笑ってしまったが。 手塚敦史さんは、日常にある周辺のものを言葉でとらえかえしてそれを詩の言葉として配していくのであるが、その言葉が読まれるとその言葉が音とともにたちあがり空気に溶けていく、そんな感じがある。 溶けていくものは、子どもの声であったり、ひかりであったり、輪郭であったり、あるいはものとものとの関係性であったり、 そう、気化していく。 本句集の装釘は、手塚敦史さんによる自装である。 詩のことばと同様にきわめて繊細な感覚でなされたブックデザインである。 淡いピンク色の表紙。 マーブル模様のラベルが貼られ、 この「みずいろのマーブル模様」という言葉は詩編に登場する。 みずいろのマーブル模様のけむりは 一隅の空気へ混ざって 瞬きする時の 火への愛着のように︑立ちのぼっている 虫くいがすすみ ページを捲ることすら もはや︑ままならずに 「気化」という黒文字のタイトルは、あえてラベルにすこしかかるようにというのが希望された。 タイトルと名前はマットの黒の箔押し。 見返しは「くち葉いろ」 扉は漆黒の用紙で、青インクで印刷。 この「青」は鮮明になるように一度白で印刷し、その上に青を載せている。 この扉には、じつはニスで集合写真のひとたちの輪郭のみが刷られている。 ほとんどわからずに読者はとおりすぎていってしまうが、ページをひらいたとき、光の加減でかすかに浮き上がるのである。 それも手塚敦史さんのつよいご希望だった。 余白をいかした美しい文字の配分。 すべてが、手塚敦史という詩人の美意識によって構築されたものである。 もう一篇、比較的短いものを紹介したい。 帰郷 ノード/ここから見える景色が 景色のなかに見える ふうけいが/ある 左目を手のひらで蔽う はるさき はるの さきに /みずを書く/と 毎日のように//磊落になる 手許の︑えんぴつに 体液はあふれ︑壁近くの/リラを 揺すったら 透けた 群青の 「こう頭の動き だけで… 」 流れていく /ものも ざわめき 物音が/つんざく / ふう/いろ//けい// には ひずみ、 みずひき / と さきに ながめた けむりが、 暮らした/台所の タイルの艶を / 遠ざかり、はるの素地を 込めた なきがらの/かるさも / つぶぎれとなった/ 右路へ // 葉陰を/たたせ 顔にかかった /しぶきが/ 話し声の/けはいと / どれだけ / どれだけ / ひとつずつに // 息を/ 通わせ て きても│ ノード/リラの/みずばねや こめかみ / 視線と/伝える はるのさきいろも/閉じ 沈黙をまだ知らない しずけさ と 方角の / 山々も/肌膚へ ふれだした / ふう/いろ//けい//︙ いたるところへ 隠す//用水路の みずの ね は も︙ 「四十九日… 」 / ノード/口吻にも /こゆび から 引き伸ばされている 群青の 詩集を上梓された手塚敦史さんに、上梓後のお気持ちをうかがってみた。 〇出来上がりの詩集を受け取ったときの思い 第1詩集を受け取った時と同じようなドキドキがありました。それと同時に第1詩集から20年以上の月日が経っていることを思っていました。第7詩集。43歳。時間というものに驚かされる感覚がありました。山岡さん、ありがとうございました。ふらんす堂のスタッフのみなさま、また印刷屋さん、製本屋さんにも、大変お世話になりました。ありがとうございました。私の周りの方々にも感謝です。ありがとうございました。 〇この詩集にこめた思い 音声言語と文字言語、そのあいだの記号へこだわっていました。現代詩は文字言語である前提を自覚しながら、文字言語からひろがる言外への作用を注意しながら書いていました。 〇今後の詩人としてのヴィジョン 「ふらんす堂通信」の詩のコーナーのご依頼をいただきましたので、全力で取り組んでいきたいです。連載に「詩の舟」という素敵なタイトルを与えていただきましたので、それに見合うものを発表し続けられるようにしたいです。太陽の塔がある万博記念公園へ休日はよく行くのですが、太陽の塔と同じ顔をして必ず帰ってこられるよう、「なんだ、これは!」と誰かに言わしめたいのです。 そうなのです。 「ふらんす堂通信184号」より、詩の連載がはじまります。 詩人としてどんな展開をみせてくださるか楽しみです。 第1詩集『詩日記』の原稿を持参してはじめてふらんす堂にいらしたときは、まだ美大の大学生だった手塚敦史さん。 もうあれから20年が経っているとは。。 余談であるが、引用した詩のことばに 「て づ かッ ち」というのがあって、スタッフたちと笑ってしまった。 「手塚さん、よそでも「てづかっち」ってよばれているのかしら」って。 実はふらんす堂スタッフたちはそう呼んでるんです。 親しみをこめて。 仙川駅より今日の富士山をのぞむ。 真白き富士だった。 #
by fragie777
| 2025-04-16 19:39
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4月15日(火) 旧暦3月18日
神代水生植物園。 ここは静かで人もすくなくていい。 この日はすばらしい春の一日だった。 うれしいお知らせがひとつ。 第24回俳句四季大賞が決まった。 第40回詩歌文学館賞、第17回小野市詩歌文学賞、とのトリプル受賞となった。 中村和弘氏は、本年度の現代俳句大賞も受賞され、俳人として俳句への貢献が顕彰されることとなった。 こころよりお祝いを申し上げたい。 なおこの俳句四季大賞については、「俳句四季」七月号に選評が掲載されるということであ。 今日は藤田湘子(1926~2005)の忌日である。 没後20年となる。 この20年の歳月のはやさをあらためて思う。 音楽を降らしめよ夥しき蝶に 藤田湘子 「春日紀行」の行程で大阪以西は湘子にとって初めて踏む土地。クライマックスに被爆地広島訪問があった。原爆ドームを詠み、太田川を詠み、街の人々を詠む。「市内に日雇婦多し」の前書のある。「春日鶴嘴重き原爆未亡人」など表現は未熟だが、いわゆる「社会性俳句」に向かう俳壇の気運を反映しているのだろう。 広島連作は「わが禱り」の前書のある最後のこの句を得て、にわかに湘子の作品になった。視覚と聴覚が渾然となった幻影、思いが堰を切ったような破調が、甘美なまでの祈りの詩となった。(『途上』) 夕ぐれのづかづかと来し春の家 藤田湘子 昭和五十八年二月四日立春から三年間に及んだ湘子の「一日十句」が始まる。一日も休まずに一日十句以上を作り、そのすべてを「鷹」に発表した多作修行である。句集『一個』『去来の花』『黒』は一日十句三部作。合わせて三、〇七一句を収める。 「づかづかと来し」という夕暮の擬人化は、春の駘蕩たる印象を裏切りながら、なお読者を納得させる勢いがある。夕日が深く差し込んだ床を泥靴が踏み鳴らす。そんな荒々しいイメージが春の家をかえってなつかしく見せる。多作の勢いの恩寵と言えるだろう。(『一個)) 田中裕明・森賀まり共著『癒しの一句』では、田中裕明さんが2月28日付けで藤田湘子の俳句を鑑賞している。 うすらひは深山にかへる花の如 藤田湘子 春先にうすうすと張る氷を薄氷(うすらい)という。また、張っている氷が少し解けて薄くなっている状態もいうようだ、万葉集にも見られる言葉である。ただ春の季語として用いられるようになったのは明治以降で、江戸時代までは冬の季題として用いられた。 単純に春の訪れを喜ぶというのだけの季語ではない。「眠りては時を失ふ薄氷 野見山朱鳥」「薄氷の消ゆるあたりのうすあかり 小林康治」など精神的な風景にも通じる。 藤田湘子は大正一五年(一九二六)小田原市生れ。水原秋櫻子に師事した。現代作家のなかでも覚悟の定まった人である。「愛されずして沖遠く泳ぐなり」「筍や雨粒ひとつふたつ百」などに俳句の醍醐味を十分に味わわせてくれる。 掲出句は「如し」という比喩の言葉が入っているが、通り一遍の比喩ではない。いま眼前の薄氷をこの世のものでない何か、例えば人間には手の届かない、自然美の象徴のようにとらえている。 昭和五三年作。句集『春祭』所収。(薄氷・春) #
by fragie777
| 2025-04-15 19:03
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4月14日(月) 虹始見(にじはじめてあらわる) 旧暦3月17日
![]() 写真は奈良・吉野である。 今の吉野ではなく、2015年4月11日12日と友人たちと吉野で遊んだときのもの。 今日の新刊紹介の本の作者に敬意を表して、ふたたび写真をすこし紹介してみたい。 すでにあれから10年が経っている。 吉野はその後、変わったのだろうか。 いや、大きくは変わってないはずとおもいたいのだが。 今日の山口素基句集『吉野百景(よしのひゃっけい)』の新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装帯有り 三句組み(総ルビ) 222ページ 著者の山口素基(やまぐち・そき)さんは、昭和24年(1949)奈良県吉野町に生まれる。俳誌「堅香子」「風」「万象」「りいの」を経て、現在は「運河」の同人。俳人協会会員。いろいろな俳句の賞を受賞しておられる。本句集は、前句集『山口素基の三百句』 につぐ六番目の句集である。帯文は「運河」の谷口智行主宰が寄せている。 本書は吉野讃歌でも名所案内でもない。絶妙の間合いで句文が織り成す物語絵巻である。「題箋(だいせん)」吉野百景――小文は「詞書(ことばがき)」、俳句は「絵巻」、帯は「巻尾(まきお)」といったところか。 お父様は熊野、お母様は吉野の人と聞いた。素基俳句の根源には、産土に対する懐かしさと有難さがある。 帯文がこのように語る「吉野百景」について、作者である山口素基さんは、本句集にどのような思いをこめたか、「あとがき」を紹介しておきたい。 本句集は、ふるさと吉野の名勝を百景にしぼってまとめ、俳句で綴る『吉野百景』といたしました。 吉野は、吉野町のみならず広く吉野郡部を「吉野」として捉え、編集いたしました。吉野郡は、日本列島のほぼ真ん中にあり、その臍のあたりが吉野であると言っても過言ではないと思います。 「吉野讃歌」ではないと、谷口智行さんは書いておられるが、作者・山口素基さんの根底にはふるさと・吉野へのこころから讃仰がある。その思いが「吉野百景」となって結実したのではないかと思う。 そしてそれがひとつの吉野の四季をめぐる「絵巻物」となってわたしたちの前に展開されていくのである。 「詞書」の小文と谷口さんが書かれているのは、吉野のそれぞれの名勝を紹介している短文のことである。 地名を配することによって、絵巻物はがぜん時空のたしかさを獲得するのである。俳句の背後に流れる時間のはるけさと、土地の匂いや音や色をかもしだす。 俳句はそのような時空を背負いながら、つぎからつぎへと展開していく。 詞書(名所の紹介)をもつページを俳句を抜粋して紹介したい。(以下俳句につけられたルビは省略させていただく) 西行庵/吉野山最奥の金峯神社のさらに奥の小さな台地にある。武士を捨てて法師となった西行が三年間ここで幽居していたという。近くに苔清水がある。 さへづりに口笛をもて加はりぬ 花の雲庵に白湯すする 日雀聞く西行庵の切株に 西行と夢路に逢はむ山紅葉 立冬や白湯かみしめかみしめつ 七曲坂/七曲坂は、吉野山の代表的な桜の名所。 ふるさとは花曼陀羅となりにけり 父が曳き母が荷を押す花の坂 終着の七曲り坂花月夜 葉桜や七曲りゆく郵便夫 斑鳩(いかる)群れ木々に雪舞ふ七曲り 故郷の吉野の地にたてば、なつかしい景が立ち現れてくる。過去の自分と今の自分は、ふるさと吉野の坩堝のなかで溶融されていく。そしてそこにただ懐かしいばかりでない新たな景として展開されていくのだ。まるで眼前のリアルのように。 「吉野」という地名が『古事記』や『日本書紀』に登場し、かつては離宮が置かれました。飛鳥時代の大海人皇子が近江の都から吉野に逃れ、その後飛鳥浄御原宮を置いて古代律令国家を築きました。また、役(えんの)小角(おづぬ)が大峰山を開き修句験道を創立した「吉野」はいつの時代にも度重なる災難に耐えて、その都度不死鳥のように蘇っています。 集中には一部を除いて平成元年から令和五年十二月までに作句したものの中から百景を独自に絞り、五百句を自選し収めることにいたしました。 配列はおおよそ年代順とし、「明滅(めいめつ)」「天地(あめつち)」「峰入(みねいり)」「鼓動(こどう)」の四つに分けて入集いたしました。なお、名勝には参考までに簡単な説明をいたしました。 ふたたび「あとがき」を抜粋して紹介した。 本句集の装釘は、君嶋真理子さん。 編集担当は、文己さん。 山口素基さんは、もちろん、吉野の景にこだわられた。 桜を感じさせる色合いで。 句集『吉野百景』をお読みいただき、一緒に「吉野」を愉しんでいただければこの上ない喜びです。(あとがき) 山口素基さんは、ひとえにこの思いにつきると思う。 担当の文己さんの好きな句のほかに数句紹介をしておきたい。 万緑の中や滝音近づきぬ 若竹の一本にして輝けり どんど焼まで隠しおく黴の餅 天然の鮎を嗅がせて吉野びと たましひのこぼれては浮く花筏 陀羅尼助呑んで又酌む花の酒 螢のこゑもたざれば明滅す そして、本句集におさめられた山桜の句をいくつか、かつての吉野の写真とともに、句を紹介したい。 見てゐても見てゐなくても桜咲く 花のころ花の吉野に泊まらんか みよしののどの径ゆくも山桜 遠山の白きはすべて山桜 みよしのの花寂光をまとひけり 山桜たつた一人のために咲く この一句はとりわけ好きな一句である。 この日、山桜はわたしのために咲いてくれていたのだった。 アマゴと呼ばれる吉野の魚。 #
by fragie777
| 2025-04-14 20:56
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