|
カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
外部リンク
画像一覧
|
6月13日(土) 旧暦4月28日
靑葦の空。 ほんとうにひさしぶりに神代水生植物園に行く。 靑蘆の世界となっていた。 反対側には片白草(半夏生草)。 涼しいいい風がくる。 風にふかれてしばらくぼおーっとする。 ざうざうという風の音とおおきくゆらぐ靑蘆。 ああ、とっても いい時間。。。。 俳誌「一葦(いちゐ)」が送られてくる。 「島谷征良主宰追悼号」とある。 追悼アルバムの頁を懐かしく、開く、 島谷征良さんとは、出版社勤務時代に、第二句執『鵬程』を編集担当したときにはじめてお目にかかって親しくお話をさせてもらった。 彼も若く、わたしも若かった。 『鵬程』は、田中裕明さんも大木あまりさんも参加された精鋭俳句シリーズの一冊として刊行された。 わたしは、参加した12人の俳人の方達が持ち回りでやる吟行会にもおつきあいをして楽しい交流をさせてもらった思い出がある。 島谷征良さんは、一見美青年という言葉がふさわしい色白の華奢な方であったけれど、話をするとゆったりとした鷹揚な人柄でたいへんな物知りであった。 そして、美しい字を書かれた。 精鋭俳句シリーズの全巻の刊行をいわう祝賀会をひらいたときは、会場にかかがげる文字を島谷さんにお願いしたのだった。 ふらんす堂をはじめてより、島谷さんをはじめ「一葦」の皆さまには、いろいろとたくさんのご縁をいただいた。 そしていまもなおそのご縁はつづいている。 平成26年(2014)に脳梗塞で倒れられたときは、お見舞いにうかがって車椅子の島谷さんにお目にかかった。 いとまを告げるわたしたちをにっこりとした笑顔で見送ってくださった。 「一葦」の中根美保さんにはお会いするたびにご様子をうかがっていたが、亡くなられるとは思いもよらなかった。 森岡正作さんの俳誌「出航」のお祝いの会に、車椅子で奥さまといらっしゃったのであるが、わたしはその会には都合があって出られずにお会いすることがかなわなかった。 あとで細谷喨々さんからその時の写真をみせていただいたのだった。 それが最後の姿となった。 お元気になられることを心から望んでいたけれど、本当に残念である。 島谷征良さま。 ご生前にいろいろとお心にかけていただきましたこと、言葉につくせないくらい感謝しております。 ありがとうございました。 ご冥福をお祈りもうしあげております。 水仙に蒼き未明の來てゐたり 島谷征良 #
by fragie777
| 2026-06-13 19:22
|
Comments(0)
6月12日(金) 旧暦4月27日
未央柳(ビヨウヤナギ) という花であることをつい最近知った。 華やかな目立つ花であるが、あまり意識をせずにきた。 「なんていう花?」って聞いたら、友人が 「ビヨウヤナギよ。少し前のふらんす堂の「短歌日記」で梅内美華子さんが、詠んでたでしょ」と。 あらら、そうだったっけ。 「これがあのビヨウヤナギっていうのね」とすまし顔のわたし。 昨日の6月11日は、俳人・鍵和田秞子(1932~2020)の忌日であった。 亡くなられて、もう6年も経つのか。。 藤田直子著『鍵和田秞子の百句』より、作品と鑑賞を紹介したい。 アネモネや神々の世もなまぐさし 『未来図』 昭和50年 「神々の世」とは神話の世界である。『古事記』にしてもギリシア神話にしても、その魅力は神々たちの、人間臭いほどに生々しい逸話である。 ギリシア神話の中に、冥府の女王ペルセポネと、美と愛の女神アプロディテの両方が愛して取り合った美少年アドニスがいた。彼が狩で死んだとき、流れた血から咲いたのがアネモネだった。濃い色のアネモネは愛情が溢れて縺れ合う神話を象徴するのにふさわしい花である。 大らかな神話に親しみを感じて、「なまぐさし」と断定したところが独特で、そこが魅力。秞子の大らかな人柄から生まれた句である。 欄干が身を堰きにけり蛍川 『風月』 平成8年 福岡で草間時彦氏や伊藤通明氏と共に蛍狩をした折の句である。緑が豊かな川の近く、蛍が盛んに舞っていたという。同時発表の句に〈蛍火の海となりたる現世(うつつ)かな〉〈蛍川ゆくへの森は妣のくに〉〈筑紫なる枕の下の蛍川〉がある。 蛍は古来、恋にも魂にも喩えられてきた。その光と飛翔は見る者を幽玄の世界に誘う。秞子も魂が現世を離れて行くような感覚になり、蛍の川を遡ると妣の国に着くのではないかと思った。掲句ではその危うい心を堰き止めているのが欄干だと言っている。欄干に身一つを委ねているが、心はすでに幽冥界を漂っている。 十五年ほど前、或るインタビューに応じて、秞子は自分の根本は無常観であると言い、「ものに対して執着心がないですね。何かひとつ、ふうっと風が吹き過ぎるときがある。それがうまく俳句に出てくれたらいいんだけれど……」と語った。 いまその境地に達して、何ものにも囚われず自在に言葉を紡いでいる。 いささかの雲踏むここち更衣 一位の実ふふみ一縷の歌ごころ 巻末の解説「鍵和田秞子の俳句」より。 午後にお客さまが二人いらっしゃった。 俳誌「河」編集長の鎌田俊さんと、「河」に所属されている俳人・浜岡和代さんである。 浜岡和代さんが、句集を上梓されるにあたってその打合せにいらしてくださったのだ。 浜岡さんは、愛媛県・松山からはるばるのご来社。 句歴は長く、松山のカルチュア教室で俳句をはじめられ、「河」に入ってより本格的に俳句にとりくむようになられた。 今日伺えば、ふらんす堂より2021年に句集『凍蝶の石』を上梓された片山一行さんとは同級生であるということ。 片山一行さんも松山の人であった。 「片山さん、お元気ですか? よろしくおっしゃってください。」と。 「河」にはいられてもう10年以上がたつ。 はじめての句集である。 10月25日26日には、「河」の大会があり、それに間に合わせるようにとのこと。 担当はPさん。 いろいろな本の見本をご覧になられて、フランス装カバー掛けを選ばれたのだった。 浜岡和代さん。 「日曜日まで東京で遊んでいく予定です」って楽しそうにおっしゃってお帰りになったのだった。 浜岡和代さま、遠いところからはるばるありがとうございました。 鎌田俊編集長さま、エスコートをありがとうございました。 #
by fragie777
| 2026-06-12 18:28
|
Comments(4)
6月11日(木) 腐草為蛍(くされたるくさほたるとなる) 旧暦4月26日
靑胡桃(あおぐるみ) 青年がふたり、「お先に失礼します」と礼儀ただしく言って、わたしたちを追い越していった。 今日の七十二候は、「腐草為蛍(くされたるくさほたるとなる)」である。 どういうこっちゃ、というと 清らかな水辺に蛍が飛び交う頃、昔の人は、水辺の腐った草が蛍に生まれ変わると信じていたようです。成虫の寿命の短さを思うと、その光がより美しく感じられます。」(『季節の兆しカレンダー 石田郷子監修』 より) 胡桃の木からすこし離れて歩いてゆくと、 「車前草(おおばこ)の一種よ」って指さされた。 たしかに車前草のようだけど、すこし違う。 車前草より、華やかなおもむき。 しらべたところ、「イギリスオオバコ」別名「ヘラオオバコ」 あたらしく草の名前を知っても、わたしの頭に定着することはほぼない。 すっかり忘れ去る。 そしてまた新鮮にその名をきいて、やがてまた忘れる。 今日はお客さまが、長野県諏訪市からいらっしゃった。 矢沢六平さん。 句集のご相談である。 矢沢六平さんは、俳誌「夏潮」(本井英主宰)に所属しておられる。 うかがえば、中学生のときから俳句をつくりはじめられたという。 髙田風人子が俳誌「惜春」を昭和63年に創刊をされたときには参加されていたとのこと。 慶応・中等部で本井英氏に俳句を学び、それ以降ずっと俳句をつくりつづけてこられたという。 「最初のころは、「惜春」に投句はしていましたが、ただ投句するだけっていう感じでした。 しかし、伺えば俳句歴は50年以上である。 そして、この度の句集は第一句集となる。 「これまで句集をつくろうってお思いにならなかったのですか」と伺ってみたところ、 「なかったです」と。 「定年退職をしたのをきっかけに、すこし自分の句を整理してみたんです。そしたら、ふっと句集を作ろうって思い立ったのです」 矢沢六平さん。 俳誌「夏潮」を胸に。 本号に「夏潮三賞名句鑑賞」を執筆しておられる。 本井英氏が尽力されている「日盛句会」の立ち上げの時は、長野にお住まいということで、助っ人のお一人として頑張られた様子である。 「日盛句会」ということですが、「夜盛句会」というのもあって、お酒を飲みながらいろいろな俳人の方と楽しく交流をさせてもらいました」とにっこりされた矢沢六平さんであった。 今日ちょうどそのご案内をいただいたところである。 句稿はこれから頂く予定。 どういう編集方針でいかれるか、検討してご入稿の予定である。 #
by fragie777
| 2026-06-11 18:24
|
Comments(0)
6月10日(水) 時の記念日 旧暦4月25日
「あれっ、浜木綿(ハマユウ)かしら」 友人が指さした。 「百合ともちがうし、浜木綿よね」 なんていう会話を友人とかわしたが、 すこし浜木綿ともちがう気がしてしらべてみた。 浜木綿の一種ではあるらしい。 「ハマユウ」なんて、名前のひびきもやさしくていい。 楚々としたきれいな花である。 「ハマユウのような人」なんて言われてみたいが、金輪際、ないな。。。 言われてみたいなんて書いたけど、いまふっと思っただけで、まあ、どうでもいいことだわ。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装 164頁 一句組 著者の田中信爾(たなか・しんじ)さんは、1947年、京都福知山市生まれ、神戸市在住。現在「古志」同人、「街」会員。これまでに詩集2冊、句集⑵冊、写真詩集1冊、詩画集を一冊、上梓されている。今回は三冊めの句集出版である。 此度、句集『春遊』を上梓することとしました。三十五歳の頃から句作を始めましたが、定年退職後その面白さを実感するようになりました。本句集は二〇二一年以後俳誌「古志」、 二〇二四年以後俳誌「街」に入選したものを中心に編集したものです。 「あとがき」を紹介した。 本著は一句組である。 句集名の「春遊(しゅんゆう)」は、調べてみたところ、「春、花をもとめて山野を歩いたり、花のそばで宴を張ったりして楽しむ遊び」とある。 本句集も春の句からはじまっている。 担当は優子さん。 好きな句をあげてもらった。 冬の雨つきて旅客機疾走す 小漁港春潮みちて波立てり 金物の町を流れて秋の川 デッサンや冬の林檎に影入るる 朝食のコーヒー淹れて春ここに 帰宅せし妻のこゑして夏の暮 ものの芽を巻き込みにけり牛の舌 青大将通り切るまで立ち尽す 冬蝶に別の冬蝶近くゐて 金物の町を流れて秋の川 秋の句である。「金物の町」とは、「金物」をたくさん作っている町のことである。金物とは「金属製の器具」のことであり、むかしは「金物屋」さんと呼ばれる専門の店があったりしたけれど、いまはなかなか金物屋さんは見当たらない。この町は、金物をつくるばかりではなく、きっとそれを売っている「金物屋」さんが何軒も軒をつらねていそうな気配がある。そのたくさんの店舗に平行するように川が流れている。秋の季節はとりわけ空気が澄んではりつめている。金物のひとつをたたいたら、キーンと澄み切った音がしそう。川は四季をとおして金物の町をながれているが、とりわけ秋の季節の澄んだ川の水は金物を美しく見せる。その秋の川に作者の心は止まったのである。 デッサンや冬の林檎に影入るる デッサンをしているのだろうか。それともデッサンをしている人を見ているのだろうか。なんのデッサンかといえば、林檎を描いているのである。そしてその林檎は「冬林檎」なのである。「冬の」とあることによって、空気が引き締まった感がある。デッサンをしながらいれる影もシャープな陰影が想像される。モノクロの景に林檎の赤が際立ってくる。 ものの芽を巻き込みにけり牛の舌 この句はわたしも好きな一句である。景がよくみえる。春の長閑さもある。なんといっても牛の舌がこうぐうっと伸びて、芽吹きの芽をくるっと巻き込んで食べてしまったのである。その一瞬を一句にした。なんともうららかな一日。 地には鳩手ぶらの吾に冬日あり おもしろい一句である。好きな句でもある。鳩も吾もあたたかな冬日の恩恵をうけているのである。鳩はといえば、地面をぐるぐると歩き回っており、われは鳩に対して垂直に立っている。そして手には何ももたず。地という平面をうごめく鳩とその地にむけて腕をたらして立っている吾、平面と垂直という構図がみえてくる。そして恩寵のようにふりそそぐ冬日。癒やされる一句である。 桔梗さく数学問答して二人 これはわたしが面白いとおもった一句。ふたりの人間が、数学について語りあっている。日常的にそう目にする光景ではない。数学にめっぽう弱かったもんで、数学について語っていると聞いただけで尊敬をしてしまう。しかも問答をしているのである。高尚な空気がただよう。そんな問答をしているふたりのかたわらに「桔梗」が咲いているのだろう。桔梗がいい。桔梗って庶民的な花ではない。品格があって毅然としている。色も奥ゆかしい紫か白。濁世とは無縁そうなお二人にはなかなか似合うんじゃないって思う。 校正スタッフのみおさんは、〈星形の枯葉があまた木に残る〉の句が好きです。「星形」というだけで、枯れ葉が風に鳴る音も、少し特別に感じられます。 本句集の装丁は、君嶋真理子さん。 シンプルにという著者のご意向を反映させながら、春らしい駘蕩とした趣のある一冊となった。 句集上梓のご感想をいただいた。 1 本が出来上がった時の気持 内容に自信はありませんが、全体として良い仕上がりだと思いました。 2 句集に籠めた気持ち 最近句会で時々入選するようになり、一大決心をしました。 さらに影響をうけた俳人としては俳人の今井聖さんと同じく俳人の森田峠さんです。自分としてはその時が来たのだと個人的には思っています。 3 今後の句作への思い もう少しやることが残っていると思っています。 田中信爾さん。 田中信爾さま 句集のご上梓おめでとうございます。 更なるご健吟をお祈りもうしあげております。 浜木綿とおなじ畑に植えられていたズッキーニ。 すごいとおもいません? #
by fragie777
| 2026-06-10 18:47
|
Comments(0)
6月9日(火) 旧暦4月24日
朝、仕事場にむかう途中で目にとまった。 なんというか、 おお! スゲーって。 蘇鉄(ソテツ)。 まぶしいまでの緑。 蘇鉄の花は、夏の季語であるが、花はまだ咲いていないようす。 仕事場について気づいた。 あれっ、わたしリュックを忘れてきたみたい。 お財布やら、水やら、まあ大事なものが入っている。 「リュック背負ってない! わたし」って言ったらスタッフたちに笑われた。 背中が軽かったのに気づかなかったのかしら。 が、iPhoneもカメラもカードなどは、小物バッグにいれてきたのでまあ、なんとか大丈夫である。 お昼にとりに帰る、 その途中の風景。 紫陽花が咲いていた。 梅雨らしい景色。 紫陽花らしい紫陽花である。 梅雨の季節は、葉の緑が塗れていて美しい。 新聞掲載記事を紹介しておきたい。 6月6日付けの読売新聞の森賀まりさんによる「俳句とことば」に、西宮舞句集『白雲』がとりあげられている。 抜粋して紹介したい。 夫を看取り、自身も大病を患った年の作品から始まる。〈凍蝶や為さるるままに術後の身〉〈ぽつかりと明るき庭や冬座敷〉その明るさには、どこか放心の気配が漂う。句集名のもととなった〈白雲の縁のかがやき神の旅〉は、その後の作。「小さな中断」を経て、作者は少しずつ自分を取り戻してきた。(略)その穏やかな回復は、たどたどしくもあり、深く心に沁みる。〈どこまでも祇園囃子は昂らず〉〈落鮎の腹子もろとも焼かれけり〉。いずれも声高ではなく胸を打つ。 ほかに、山尾玉藻句集『くれぐれと』(角川書店)〈寒卵濁世と言うて他知らず〉ただ一度の生を丸ごと引き受けながらも、どこか飄逸である。 依光陽子句集『ふ、は鳥に』(左右社)俳句を始めた1992年以降の作品を、まるで腑分けするように並列している点が特異である。〈手の甲をつめたく流れ梨の皮〉 6月7日付けの毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、後藤比奈夫句集『あんこーる』より。 青蛙ペンキ塗られし覚えなし 後藤比奈夫 「芥川龍之介の名句「青蛙おのれもペンキぬりたてか」を踏まえ」た句である。「でも、やっぱりペンキを塗ったばかりの鮮やかな色だ、と作者は感じている」と。「この句は100歳で出した句集『あんこーる」にあり99歳の作。彼は2020年に103歳で他界、ユーモアに富む俳人だった。」 6月9日付けのおなじく毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、『季語別鈴木しげを句集』より。 大浦のマリアと雨のかたつむり 鈴木しげを 「(略)この取りあわせから何を読み取るかは読者の自由だ。ボクは対話するマリア像とカタツムリを連想する。両者は実にゆったりと向き合っているのではないか。」と坪内さん。かたつむりもマリア像も雨でびしょ濡れ、そんな感じがわたしにはする。 今日は、いま句集制作をすすめている中本真人さんが、ご来社くださった。 装丁について、ブックデザイナーの山根佐保さんと打合せをするために山根さんにもご来社願った。 打合せ中の中本真人さんと山根佐保さん。 良き一冊となりそうである。 新潟からいらしてくださった中本真人さま。 そして山根佐保さま。 今日はありがとうございました。 ある日のエスカレーター。 意味も無く。。。 #
by fragie777
| 2026-06-09 19:08
|
Comments(0)
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||
ファン申請 |
||