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12月8日(土) 大雪(たいせつ) 旧暦11月8日
夕暮に自転車で家にむかう。 ひさしぶりに仙川沿いを行く。 ハクセキレイ。 飛び立つのときの羽の白さがまぶしい鳥である。 ヒドリガモの番。 コガモ(♂) 身体は小さいが、エメラルドグリーンが綺麗である。 わたしの好きなオナガガモの番。 気品あふれる鴨である。 翡翠もいた。 小さいなあ。 この目。 さらに二羽の翡翠にあう。 枝の上に一羽。右のいちばん端の石の上に一羽。 枝の翡翠。 石の上の翡翠はとてもかわいい顔をしている。 まだ若い翡翠かもしれない。 固体によってさまざまだ。 仙川沿いは落葉、落葉であった。 昨日まで大分暖かかったのだが、 今日は冬らしい寒さとなった。 わたしは革ジャンでびったり身体をくるんで外出をしたのだった。 とても良い評である。 明日あらためて紹介をしたい。 今日は、奥坂まや著『鳥獣の一句』より、阿波野青畝の句より。 太き尻ざぶんと鴨の降りにけり 阿波野青畝 昔話の「鴨とりごんべえ」や諺の「鴨が葱を背負ってくる」からも分かるように、古来、鴨の肉は寒い冬の時期の脂の乗った美味として愛された。群れをなして渡ってくるので、大量に獲ることもできた。現在でも、狩猟解禁を心待ちにしている鴨撃ちは全国にたくさん居る。「ざぶん」というオノマトペから鴨の豊かな肉づきが感じられ、口の中に唾がわいてくる。(『旅塵を払ふ』)季語=鴨(冬) そうか、鴨の季節とは、鴨肉の季節でもあるのか。 仙川に渡って来た鴨たちも、鴨肉の持ち主(?)ではある。 しかしながら、食べることととても結びつかない。 というか、結びつけたくない。 彼らは食種の対象ではなく、のどかに仙川で過ごしてやがてまた帰っていく鴨たちである。 その一方食べられるための鴨たちもいるのだ。 そしてわたしも「鴨鍋」をおおいに楽しむ人間なのだ。 ごめん、仙川の鴨たち。 #
by fragie777
| 2024-12-07 20:36
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12月6日(金) 旧暦11月6日
今朝の空。 山茶花が咲きはじめている。 これから長い時間をかけて咲いていく。 山茶花のはなれ離れの咲きはじめ 斎藤夏風 「赤旗」に掲載されたということで、歌人の久々湊盈子さんが、記事を送ってくださった。 「歌人を知る百首」と題して、ふらんす堂の「歌人入門」シリーズのことが紹介されている。 「一人の歌人の変化や実りがわかりやすく解かれ、初心者の読む目を照らしてくれる」と。 執筆は歌人の鈴木英子さん。 抜粋して紹介をしたい。 まずは、最新刊の久々湊盈子著『加藤克巳の百首』についてである。 オートメーション 人間不在 コツン・コツン、カチン・カチン、コツン、ーカチン 一樹はや雪にけぶりてぼうと立つぼうと命をこもらせて立つ 現代の、人間が要らなくなりつつある店舗などの風景といって通用するような、無機質な表現の一首目。リフレインの力が樹(き)の実在を描き上げる二首目。百首それぞれにコンパクトな鑑賞、解説がつき、歌人の負った背景や、表現への葛藤、達成への苦心へと導かれる。 石川啄木、斎藤茂吉といった誰もが知る歌人から、加藤のような少し踏み込んで知る歌人まで、著者の選びを楽しみつつ独自の世界に出会えるシリーズだ。(略) 執筆者の鈴木英子さんは、「石の歌人」と呼ばれた加藤克巳の〈雪に埋もれたふかきねむりの石のなかのくらいしずかな力であるか〉をとりあげて紹介し、同じシリーズの藤島秀憲著『山崎方代の百首』の〈ふかぶかと雪をかむれば石すらもあたたかき声をあげんとぞする〉の短歌も紹介し、「同じ「石」を詠む二人の歌柄を比較して味わっても面白い。」と記し、そして、「一人の歌人を深く知ることは歌作りの刺激にもなるだろう。」と。 昨夜たまたま観ていたテレビで、「睡眠」をテーマにして睡眠学者(?)さんが、よく眠るためのノウハウを教えてくれるという番組をやっていた。それを何となく観ていたら、そこで「日本人は夜、電気を煌々と明るくしすぎる。もっと暗くして過ごしてもいいんじゃないか」ということが言われていた。ヨーロッパなどは間接照明を効果的につかっているとも。それを聞いて、わたしは部屋を見回したところ天上の蛍光灯を四箇所つけ、テーブルの上の電気をつけ、まあなんとも思いっきり明るい部屋で過ごしている。ためしにちょっと暗くしてみた。あら、案外落ち着くかも。そのままやや暗い部屋で過ごしてみたのだが、悪くない。で、明るさ、最高っていう自分のなかにあるモードを変えて、みることにした。 今夜もやや暗めにして過ごすつもり。 むかし吉祥寺の雑貨屋さんで買ったライト。 いろんなライトが売られていて高くなかったので、ほかに二つほど購入して人にあげたり。 この雑貨屋さんには面白いものがいろいろとあったのだが、 数年前にお店はなくなってしまった。 #
by fragie777
| 2024-12-06 18:58
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12月5日(木) 旧暦11月5日
「何か小さな虫がいるよ」って呼ばれた。 (なんだ?) 綿虫だった。 綿のような白いもしゃもしゃしたものがある。 俳人は綿虫が好きである。 綿虫をみるとぜったい俳句をつくる。 俳句をつくらない人間は綿虫のような小さな虫は気づかないことが多い。 でも、俳人たちはきっと見逃さない。 綿虫を追ふ目この世をはなれたる 山上樹実雄 髙柳克弘句集『涼しき無』が品切れとなり、電子書籍にて販売となった。 こちらより→ 髙柳克弘句集『涼しき無』 日向ぼこしてゐてちがふここじやない 髙柳克弘 お名前の「髙」が電子書籍だと、「高」となってしまう。 固有名詞なので、できれば「髙」で表記したいところであるが。。。 「ふらんす堂通信」で詩人の河津聖惠さんが、三島由紀夫の『豊穣の海』四部作をとりあげながら、三島における「詩論の試み」をテーマに連載をしてくださっている。 わたしは目下文庫本でこのシリーズを読み直しながら、この連載を楽しみにしているのだが、前回の『春の雪』についての詩論のところで、河津さんが実はかつてこの『豊穣の海』を読み進みながら、「夏の終わり」という連作詩を書かれたことが記されている。この「夏の終わり」の連作詩は、1998年にふらんす堂より詩集『夏の終わり』となって刊行されたのだった。その時の担当はyamaokaであるのだが、よもや、その詩集の背後に三島の『豊饒の海』があったとは知らなかった。河津さんのこの度の詩論を読んであらためて驚いたのだった。この詩集は、第9回歴程新鋭賞を受賞したすぐれた詩集である。「ふらんす堂通信182号」で河津さんは次のように書いている。 「当時病を得た故郷の父と母を案じ、鬱屈した感情に閉ざされがちだった評者に、『豊饒の海』は甘美で官能的な、そして普遍的な浮力をつけてくれたのだと思う。眼差しだけになり無人の時空を旅するという非日常的な詩世界を作り続けられたのは、この四部作のおかげである。」 詩集『夏の終わり』より、一篇のみ紹介をしてみたい。1から14まで番号のつけられれた作品から2のものを。 2 「私」を夜の光が遡る。 内蔵は静かに閃きを浴びている。 どこへゆくの わたしは不安な子供になってたずねる。 光は涯にあるかもしれない終わり、もしくは始まりを (その漆黒を) 繊い植物のようにもとめてゆくのだ 今度は老人になって答える。 眼底の空。 風のざわめきが鍍金され、またしても駅名があらわれた。 本当は言いたい言葉がある 言ってはいけないそれがある という駅名。 地唄のような、水蒸気のような、女の低い棒読みのような。 木札の根方に一瞬前の言葉が粉のようにばらかまれる。 到着のたび「私」は崩れ 俯く野苺や 無数の馬糞 輝かない古い草になり そしてまたざらざらした外にこすれる眼球になる アマクリン、ロドプシン また駅の名はいいまちがい 白い空に白い星が現れるほどおびえだす。 この名も死者たちと擦れちがいざま 負わせられた刀痕らしい。 (あの憑かれた広ごりに戻っていった者たち) (どんな破片をもちかくして) 夢の中で語れはしない。 ふいに空の一角にあの人の瞳があらわれ 怯える牛のそれのように みずからの死の閃きに懍きはじめた 誰が幕を下ろしてあげられよう そこで「終わり」は劇しく反復する。光は失禁、出口はなくて。 夢の中で口ごもる。なにもかも。だれもかも。 偏と旁を花弁のようにつけて、木札に駅名はあらわれ (ここはどこなのか) (あたは誰だったのか) 乳まじりの雨つぶがガラス窓に捩れだした。 これは、かつて呑み下した体液たちの荒らぶる気象。 廃棄された夏。 「何よりも小説であるからこそ詩に恋する言葉たちに、評者もまた詩への恋心を新鮮に触発された。書きたい世界が、言葉が、無限の海のようにたゆたい波立ち煌めき、俯く評者の眼差しを彼方に誘ってくれたのだ。『言葉の作家』が見つめたのと同じ水平線のほうへ。」と河津聖惠さん。 わたしは文庫本で『豊饒の海』をそろえあらためて読書チャレンジをしている。 目下、第2巻『奔馬』の三分の一のところまで読み進んだ。 夜寝るまえにベッドに横になりながら読んでいる。読書時間は30分ほどかな。。 やや捩子のゆるんだ頭は、レトリックの凄さに疲れ、描写に追いつけないときがある。 しかし、面白い。 ふらんす堂には三島ファンのスタッフが多い。 好きといってもそれぞれの好きがある。 それをたまにおしゃべりをしながら聞くのも楽しい。 わたしの目の前のお気に入りの文房具ッズたち。 いただいたものなどもあって、可愛くてながめていると癒やされる。 #
by fragie777
| 2024-12-05 18:40
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12月4日(水) 旧暦11月4日
榎の冬紅葉。 神代水生植物園の榎。 日頃親しんでいるが、この日は神々しい雰囲気があった。 この暗さも悪くない。 この木の下のベンチでくつろぐことが大好きである。 新刊紹介をしたい。 四六判ペーパーバックスタイル帯なし 238頁 俳人・宇井十間(うい・とげん)の初めての評論集である。巻末の略歴によると2006年「不可知について」で現代俳句評論賞、2009年「千年紀」により現代俳句新人賞、2010年第1句集『千年紀』刊行、『千年紀』により第12回宗左近賞受賞、2018年第20回山本健吉評論賞を受賞。現在は「小熊座」「大陸の会」等で活動。2018年にふらんす堂より岸本尚毅さんとの共著『相互批評の試み』 を上梓されている。 まず「俳句以後の世界」というタイトルに、ドキッとし、こういう問題意識で俳句をあまり考えたことがないなとも思い、宇井さんにとっては「俳句以後の世界」ということが大いなる問題となるのか、では、「俳句以後の世界」っていったいどんな世界? ということで、この1冊を開くことによって宇井十間の遙かなる思索の旅へと導かれていくのである。 表紙に記されたに宇井さん自身による言葉をまず紹介しておきたい。 「俳句」とは偶発的な何かでしかないが、同時に一つのフォルムでもあるだろう。本書はこの偶発性とフォルムをめぐる種々の考察である。端的に言えば、本書はフォルムという可能性とその究極的な不可能性についての著作である。 「フォルムと語り」と題された「序にかえて」より抜粋した一文である。 この一文もなかなか読解力を要する一文である。 表紙の後ろ側に引用されている一文も紹介しておきたい。 俳句について考える事は俳句以後について考える事である。本書は決して俳句(という制度)を前提として書かれていない。俳句を前提としてそれを研究するのが俳句史の研究であるとすれば、俳句の存在そのものを疑うという俳句の研究もあるであろう。その意味で本書は(後者の正確な意味での)俳句の研究である。 「俳句の存在そのものを疑う」という意味において「俳句以後の世界」なのか。 本書は具体的に俳人をとりあげて言及している。高野素十、中村草田男、永田耕衣、阿部完市、能村登四郎など、彼らについては章立てをして論じている。このなかでわたしは高野素十についての論考を興味ふかく拝読した。 素十の俳句を例にとりながら、「写生」なるものを批判的に論考しつつ、綿密な思索が語られている。ほんの一部のみ紹介したい。(もちろん全文を読むことをおすすめするが) 翅わつててんたう虫の飛びいづる 雪片のつれ立ちてくる深空かな くもの糸一すぢよぎる百合の前 ひつぱれる糸まつすぐや甲虫 「翅わつて」の句など、どうして写生の句でありえようか。狙いすましたようにてんとう虫の飛びたつ様を捉えているに違いないが、この句の眼目は、そのような瞬間を的確に言語化してみせる卓抜な描写力のほうにあるはずである。「くもの糸」の句についても同様である。私は、これらの句は写生であるよりもむしろ言葉によって創作された世界であると考えるが、同時にそれがあたかも写生であるかのようなふりをして作られている事にも興味をひかれる。なるほど、この句は、(単なる空想の産物ではなく)あくまで写生句として流通しなければならなかったのである。見事な写生であると人々に思わせることによって一層、この句の言語表現が生きることになる。 前後の文脈を略して引用しているので、はなはだ乱暴な引用であると思う。 「写生」という概念は、捉えどころのない蜃気楼のようなもので、厳密にそれを考察してけばいくほど、その具体的な内容は曖昧となってしまう。素十はむしろ、その捉えどころのなさを巧妙に利用して俳句を書いているという印象を受ける。すべて承知の上で、彼はそのときどきに適合する写生概念を、実作のためにいわば選択している。一つの瞬間を大きく引き延ばして虫が飛びたつ動作を切り取ってみせる独特の時間感覚も、この上なく静かな田園風景の長回しも、どちらも素十が選択した「写生」の構図である。素十は、いってみれば、写生という行為そのものを、その都度適切な形態に創造し直しているといってもいいであろう。俳句によって俳句を換骨奪胎していたという点で、素十ほど批評的でありえた俳人は少ない。 (略) 「写生」という方法が有効に作用したとすれば、それは写生的な作句法を介してではないだろう。より本質的なのは、写生という支配概念が、俳句の短い言語表現の規範的な読み方、解釈の方法を与えたことである。しかも、そうした規範が明確に意識されることによって、多くの代表的な作品が生まれることになる。写生という概念は、いわばそのような歴史的な土壌を準備したのである。二十世紀前半において、俳句の言語表現があれほどの隆盛を見た一つの原因も、あるいはそのような規範性の確立に帰することができるであろう。 ふたたび高野素十の方法について考えてみると、たしかに素十は写生的な読解の習慣、読みの態度を最大限に利用して多くの代表作を残したのだが、実はその方法の背後にある精神性は意外なほど反写生的である。自らの言語操作によって強固な世界観を構成しようとする彼の試みは、むしろ一つの意志のあり様に近い。彼は、本質的には俳句の方法をあまり信じてはいないのである。つまり、素十の作品には、写生という方法に関するある冷めた視線が感じられる。素十は、決して写生的な精神の持ち主ではなかった。それ故、写生ないし俳句という方法によって、逆に俳句の外側に立つことができたのである。多くの評者は、素十におけるある種の批評性を見落としている。翻って、「俳句の終焉」という現代の病理において観察されるのは、実はそのような俳句に対する批評的な距離感の喪失であって、それはむしろ素十的なものとは相反する態度なのである。 「素十」の項を抜粋して紹介してみたが、この一節にふれることにおいて、宇井十間さんが「俳句以後」というものをどのように捉えているか、おぼろげながらすこし見えてきたような気がするが、どうだろう。 ともかくも本書を読んでいただきたいと思う。 この本が編まれたのは、日々の外出すらままならない、まるでこの世の終わりのような危機の時期であった。そして潜在的にはそれはまだ継続している。そういう緊迫した状況の中で俳句の終わりについての原稿を取り纏めたのも、何かの符合か縁なのかもしれない。そして、この未曾有の世界的事態が教える事の一つは、人間は人間自身を道具的に造りかえていく存在であるという事である。人間は未知の病原体に対しても、行動変容によって自らを造りかえて環境を造りなしていくのだが、日本という社会では人間が人間自身を造りかえるこの働きは概して弱いように思える。本書で追究してきたフォルムと語りの関係も、部分的にはこの人間と環境の道具的関係に似ている。 この危機の経験を通じて誰の目にも明らかとなったのは、この国の統治機構が様々な制度疲労を来している事(そしてその回復は容易ではない事)であろう。これらの疲弊した制度はしかし、「俳句は俳句である」という自同律の主張と何処かで通じている。つまり、俳句もまた、それらの制度の一つに他ならないのである。 「あとがき」より一部紹介した。 本書の装幀は和兎さん。 シンプルな1冊となった。 本書は当初二〇二〇年中に出版の予定で準備されたものであったが、後書きにも記した諸々の事情により刊行が大幅に遅れていた。収録した論考は(一部を除いて)二〇〇六年から二〇一〇年前後に書かれたものであり、また出版原稿そのものもその数年後までには実質ほとんど完成していたと記憶している。それ故当然の事ながら、一〇年余を経た現在では既に諸々の状況が変わってしまっている。しかし素材や環境の変化にもかかわらず、本書の枢要をなしている幾つかの考えは私の中で今でも全く変わっていない。(略) ユヴァル・ノア・ハラリは、我々サピエンスの言語的特徴は見えるものをそのまま写し取る能力では決してないと繰り返し語っている。そうではなく逆に、(彼によれば)見た事も触れた事もないものについて語る言語能力こそが我々を特徴づけている。仮にそのような人間の本性を前提とするならば、俳句というこの偶発性を現在あるその姿とは全く異なる様式で再定義する事は十分に可能なはずである。それをやはり想像力と呼んでもいいであろう。(宇井十間/刊行にあたり) 本書の担当はPさん。 「日本各地といわず、世界を行き来している著者の本でしたので、ゲラのやりとりはPDFが主でした。 『俳句以後の世界』もワールドワイドな視点で俳句を見つめ続けた著者の思考の片鱗だと思います。きっとまだまだ宇井さんの俳句への思索は進化しつづけていくことと思います。」とPさん。 宇井十間さん。 2018年12月ご来社のときに。 #
by fragie777
| 2024-12-04 19:09
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12月3日(火) 秩父夜祭 旧暦11月3日
いつ見てもかわいい鳥である。 今日は郷里の秩父の秩父夜祭りである。 寒風吹きすさぶ中の祭りという思い出があるが、 ずいぶんと暖冬である。 これだと祭りへの気合いもいま一つかもしれないな。。。。 今日の毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、福神規子句集『火のにほひ』より。 とは言へど淋しくなれば落葉蹴り 福神規子 この落葉を蹴る気持ちってよくわかる。この「とは言へど」の向こう側にみえる作者のこころが垣間見えるようだ。つまり、けっこう強気で頑張っているけれど、といった風な健気な気持ちがあるのだ、「あなた、お連れ合いを亡くしておつらくない?」となどと親しい人が心配してくれる。「ううん、大丈夫よ、俳句をつくったり忙しい毎日ですもの、寂しがってなんかいられないわよ」なんて、ちょっと強気に言ってみる。で、友人と別れてひとり歩いて公園にさしかかると落葉溜まりがある。ふっと、はりつめていた気持ちがゆるんで、寂しさがじわっとやってきた。(そうよ、淋しいときだってあるのよね)なんて心で呟きながら落葉を蹴ったりする。 などと、とわたしはぐたぐたと書いてしまったが、俳句はそのありようをたった五七五で詠んでしまうのだから、すごいや、、、やっぱ。 さきほど俳人の大石雄鬼さんがご来社されてしばらくおられた。 実はわたしが先日の俳誌「陸」50周年の祝賀会にわすれたものを届けてくださったのだ。 ちょうどお帰りに道すがらにあたるということで。 何をわすれたかって、手帖、ハンカチ、ボールペン、そしてお土産すべて。 イヤフォンは失くしたけれどすぐにあって、手許に戻った。 あとは、あまりにも恥ずかしく黙っていたら、大石さんがいろいろと調べてくださってyamaokaであるとわかり、届けてくださったのだ。 本当に有り難い。 ひさしぶりに大石雄鬼さんとはお話をする。 2012年に句集『だぶだぶの服』を上梓されて以来である。 いまは、俳誌「陸」の編集長で、現代俳句協会の事務局長をされている。 「陸」に入られてすでに40年が経つという。、 「第一句集を上梓されてもう大分年月が経ちますね」と申し上げると、 「そうなんです。もう次の句集を出さなければ……」と大石さん。 時間の経つことのあまりの速さにおどろくばかりである。 久しぶりお会いしていろいろとお話をされてお帰りになった大石雄鬼さんである。 吊革の短きをもち着ぶくれる 大石雄鬼 柿と言えば、いま「柿サラダ」に凝っている。 今年ふらんす堂では柿をたくさんいただいた。 わたしは主に最初は普通に剥いて食べていたのだけど、 ある日スタッフに聞いてみた。 「おいしい食べ方ってある?」 すると文己さんが、「蕪と柿のサラダはおいしいですよ」と。 柿を薄くスライスし、蕪もうすくスライスし、それをドレッシングであえて塩胡椒をして食すという。 さっそく家に帰ってやってみた。 抜群に美味い!! ということで、わたしはここ二週間ばかり「柿サラダ」を毎日食べている。 白ワインにも合うし、 このまま食べ続けていたい。 飽きることがない。 スーパスプラウトなどをほんのちょっとのせてもいいかな、、、 そうしたら先日会った友人もそうやって食べているという。 長い間生きて来て、知らなかったのはわたしだけかもしれない。 これから一生分食べてやるんだ。。。 #
by fragie777
| 2024-12-03 19:39
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