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9月28日(木) 蟄虫培戸(むしかくれてとをふさぐ) 待宵 旧暦8月14日
夕暮れにやすらぐ鴨。 たいてい二羽でいる。 今日の七十二候は、「蟄虫培戸(むしかくれてとをふさぐ)」である。 「自然界は人間の世界よりも季節の時計が進んでいるのか、虫たちは十月に入ると早くも冬ごもりの支度に入ります。蟷螂や蟋蟀は卵を産んで次の年に新しい命をつなぎ、紋白蝶や揚羽蝶の幼虫はさなぎになって寒さに備えます。天道虫や鍬形は成虫のまま木の根元や土の下に潜って、啓蟄までの半年近く、静かに春を待つのです。」(『くらしのこよみ』より) そして、今日は「待宵(まつよい)」である。 いよいよ秋も深まっていくのであるが、ふらんす堂ではクーラーをつけて仕事をしている。 虫たちはすでに寒さを体感しているのだろうか、それとも地球の温暖化ゆえに勝手がくるっているのだろうか。 虫たちにその心を聞いてみたい昨今である。 待宵の水のゆらぎに鯉の口 野澤節子 待宵は、「小望月」とも言う。 小望月やなぎ畑をてらしたる 京極杞陽 杞陽はこの年の待宵の月を豊岡の町外れの堀川橋のたもとで見た。橋は架け替え中で仮橋がかかっていた。流れる雲を脱いでいく月が手すりを照らしていく。仮橋を 渡ると杞柳畑だった。杞柳の月影をかぶるようにあるきながら、 〈見渡して月の友垣ならぬなし 虚子〉 という句を思い浮かべ、周りの人を友垣のように感じたと書いている。 豊岡名産の柳行李で知られた杞柳細工は奈良時代から続き正倉院にも御物として残されている。杞陽の俳号もこの杞柳から来ているのだろう。 (昭和三十五年作) (山田佳乃著『京極杞陽の百句』より) まだこのブログでは紹介をしていないのだが、新刊の南十二国句集『日々未来』の再版が決まった。 おおいに待たれた句集だけに、反響がすばらしい。 残部はまだすこしあるので、初版本の欲しいかたは、いまのうちに。 「鷹」の栗原修二さんが、小川軽舟主宰の序文について、「まるで恋文(ラブレター)のよう」ってツィートしてらしたのが、印象的だった。 #
by fragie777
| 2023-09-28 18:29
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9月27日(水) 社日 旧暦8月13日
小雨ふるなかを秋蝶がさかんに飛び交っていた。 もう一羽もやってきた。 秋の蝶ってどことなく人懐っこい。 仕事の夕べ、スタッフたちとおしゃべりをしていたら、もう6時を過ぎてしまった。 「じゃ、お先に。。」って帰っていく。 あらら、 わたし、これからブログを書くんだった。 今日はどんなことをしても7時まえには仕事場を発ちたい。 新聞記事を紹介したい。 今日の讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、瀧澤和治著『福田甲子雄の百句』より。 落鮎のたどり着きたる月の海 福田甲子雄 「秋、水が冷たくなると鮎は次々に川を下りはじめる。これが落ち鮎。錆鮎(寂鮎)ともいう」と長谷川さん。「月の海」に銀色の鮎、美しい景だ。 22日付けの中日新聞では、松平盟子著『与謝野晶子の百首』が大きく写真入りで紹介されている。 抜粋して紹介をしたい。タイトルは「晶子 成熟の中年期」 「『晶子像を刷新したかった』と、あまり読まれてこなかった中年期に紙幅を割き、作品世界全体の入門書にもなるように仕立てた」と。 「晶子は20冊超の歌集や詩歌集を刊行しているが、松平さんは『読者がもつイメージが『みだれ髪』や最晩年など一部の有名作品に偏っている』と残念に感じてきた。発表当時に鮮烈な反応を呼んだ作品が多いだけに、歌人としての評価も、これらの作品の印象で語られがちだという。 中年期は、鉄幹が創刊し晶子をスターにした雑誌「明星」が一時廃刊になって生活苦に陥った時期で、晶子は失意の夫を励ましながら自身の文筆活動で一家を支えた。松平さんは、人生の深みに連動するように詩歌に陰影が差した『中年期こそ晶子の実りの時期」と語る。選集には、中年期に差しかかる不安が見える〈若き日は尽きんとぞする平らなる野のにはかにも海に入るごと〉や、夫への思いの変質を歌う〈若き日の火中にたちて相とひしその極熱のさかひにあらず〉などを収録した。(略)晶子の歌は難しいものが多いといい『中年期の歌は特に分からないので敬遠されがちだが、成熟した女性のまなざしが感じられる」と魅力を語る。 今日は、今進めているわたしの仕事で、大事なゲラ紛失事件(!?)がおこった。 いくら捜してもない。 あるはずなのに。 もうあっちこっち捜し、でもわたしのこういう状況は珍しいことではないので、スタッフは呆れながらも一緒に捜してくれている。 校正者さんも騒がせた。 ほぼ諦めかけた。 しかし、 もし見つからなくても、 スタッフが赤字ゲラはちゃんとPDFにしてくれているし、大事には至らない。 けれど、あるべきものがない、というのはなんとも気持が落ち着かない。 そして、 もう諦めて、ほかのことをしようとある抽斗をのぞいたら、 あら、まあ、 あるじゃない、 こんなところに。、 「あった!あった!ぜったい出て来ると思ったんだ!」って大喜びするわたしにスタッフは呆れ顔である。 思うに、わたし以外のスタッフはみなちゃんとしているのだ。 わたしはダメ、机の上の乱雑さ、きちんとメモをとらない、それでいてすぐ忘れる。 今朝のミーティングで、スタッフたちが「ゲラはPDFにして残す」と言っていたので、 「あら-、そんなこと必要ないじゃない」って言っていたのだが、 たちまちその必要性が認識された。 わたしこそ、ちゃんとPDF対応を考えなくてはいけないんだということ。 つくづくと思ったのね、 なにかが失くなったって騒ぐのは、ふらんす堂ではyamaokaひとりのみだっていうこと。 すこし反省をした。。。 反省してもすぐわすれちゃうけどさ。 でもいつもスタッフが助けてくれる。 ここだけの話。 おお! 7時になるまえに書き上げたぞ。 #
by fragie777
| 2023-09-27 18:48
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9月26日(火) 彼岸明け 旧暦8月12日
出勤途中、小学校の前でポニーに会った。 小さな車から下ろされた二頭のポニー。 ポニーの目にわたしが映っている。。。 ゆっくりとこっちを向いた。 もう一頭は、恥ずかしがり屋さん。 「こっち向いて」っていったら、さらに向こうをむいてしまった。 それでも、ほんのすこしこっちを見てくれたのだった。 小学校の児童たちが、このポニーに乗るのかしら。 なにゆえに二頭のポニーがここにいるのかは、分からなかった。 今日のわたしは、袖のふくらんだレースづかいのビーズのついた白いブラウスを着ていたのだけれど、 気づいてくれたかな、、 ポニーたちは。。。 新刊紹介をしたい。 A5判ペーパーバックスタイル 72頁 4句組 第1句集シリーズⅡ 著者の千鳥由貴(ちどり・ゆき)さんは、昭和55年(1980)年、奈良県生まれ、現在は兵庫県西宮市在住。平成26年(2014)「狩」に入会し、鷹羽狩行、片山由美子に師事、平成27年(2015)毎日俳壇賞受賞、平成28年(2016)「狩座賞(新人賞)」受賞、「狩」同人、平成31年(2019)「狩」終刊後、「香雨」入会。現在「香雨」同人、俳人協会会員。本句集に、片山由美子主宰が序文をよせている。後半の部分を抜粋して紹介したい。 『巣立鳥』を通して読むと、由貴さんの俳句は、対象を客観的に鋭く深く見ることから出発しているのが分かる。 一人立つ一人の影や秋の暮 重詰を地図のごとくに見渡しぬ 伴奏の教師を包む卒業歌 葛餅の影見当らぬ皿の上 餡パンに暗き空洞冬に入る 対象を見つめることは、やがて自分自身の内部にまで及んでくる。「秋の暮」や「餡パン」の句は、心の空洞に至るような孤独感を漂わせている。 俳句を始めたばかりの頃には見えなかったものが、いつの間にか見えてくる。それが俳句が分かるということだと思うが、すでに由貴さんの目は独自のものをとらえている。これからさらに感覚を磨き、さまざまなものが見えてくるのを楽しんでほしい。 片山由美子主宰は、この若き俳人におしまぬエールを送っている。 本句集の担当は、Pさん。 好きな句をあげてもらった。 大寒や犬のまなこの濡れてをり 春愁や銀紙まとふチョコレート 胎の子へ出したき暑中見舞かな 土間灯るごとし白靴置かれゐて 食みをれば鳥のこころにさくらんぼ おほぞらを平らに載せて蓮浮葉 春愁や銀紙まとふチョコレート チョコレートって、たいてい銀紙に包まれている。この句「まとふ」が春愁の気持を暗示している。「まとう」を辞書でひけば、『巻きつくようにする」「巻つかせる」「からみつかせる」などの意味がまず第一に出て来る。春愁の状態にいる作者にとって、目の前の甘いとろけるチョコレートも銀紙をピッタリとまとって作者を拒絶するかのようにそこにおかれてあるものなのだ。チョコレートをピシッと包み込んでいるこの銀紙、しばらくこの句を見ていると、その鏡のような銀紙に作者の春愁(の顔)が映っているかのように思えてくるのである。 魚よりもその影あらは秋の水 これはわたしの好きな一句である。俳句の骨法をよく踏まえたスキのない一句だ。秋水という季語のありようを具体的な魚の影をとおして詠んだ一句であると思う。動詞を使わず、無駄のない叙法は巧みだ。上五中七で一気に詠み下して、下五の「秋の水」という具象の季語でいいとめた。澄んだ秋の水が目のまえにまざと立ち上がる。 寒月や死のことを子に尋ねられ この一句は、著者の千鳥由貴さんが、自選十句のうちに選んでいるものだ。本句集は、身辺の生活に取材したものが多く、そこには子育ての句も少なからず収録されている。日々成長していく命と向き合う充実した時間だ。そんなときにはからずも子どもから「死」について尋ねられたのだ。その意味すらも十分に理解していない子どもから尋ねられた「死」のこと。身体を一瞬つめたいものがはしる。凍てつく大気のなかで、月の鋭いひかりに突き刺されたかのように、答えにつまる作者がみえてくる。〈秋蟬や子にも遠くに死のありて〉という句もあって、生をみつめることは、いやがおうにも死を見つめることになるんだと知らされる。 一人立つ一人の影や秋の暮 この句は、片山由美子さんが序文でも引いておられた一句である。「心の空洞に至るような孤独感を漂わせている」と書かれている。わたしも好きな句だ。「一人立つ一人の影や」とあえて一人をくり返すことによって、確かに孤独感を思わせる一句である。ただ、これはわたしの読み込みすぎかもしれないが、この上五中七の措辞にわたしは、「一人であること」をそのさびしさとともに引き受けていこうとする作者のひそかな決意のようなものも感じるのだ。「や」の切れ字にわたしはその心意気を感じるのだ。これが「一人の影を」だったらどうだろう。俄然ぐっと淋しくなる。「秋の暮」という季語によって「秋思」を思わせ、人間は本来的にひとりである、という理(ことわり)にしみじみと思いを深める、そのように思う作者がいる。この句、「や」の切れ字によって、この一句がまだ十分に若い作者によって詠まれたものであることを思わせる。そして、若くないわたしが好きな一句。 さつぱりと老いたる伯母や葛桜 素敵な伯母さまってまず思った。「葛桜」の季語が美しく老いておられる伯母さまを思わせる。老いに「葛桜」を配するなんて、上等だ。きっとこの句は、葛桜を召し上がっている伯母さまをみたときの実景なのかもしれないが、そうでなくても良い句だ。人間「さつぱりと老いる」って案外むずかしい。わたしもこんな風に葛桜が似合う老婦人になれたらいいなってつくづくと思った。だれよ、お前には到底むりっていうヤツは。まあ、いまからじゃ遅いか。。。 校正スタッフのみおさんは、〈食みをれば鳥のこころにさくらんぼ〉が好きであるということ。「鳥のこころにという視点の優しさに惹かれます」と。 おなじく校正スタッフの幸香さんは、〈秋冷や尾をもつものは皆垂らし〉が好きな一句ということである。 『巣立鳥』は、平成二十三年から令和四年の十二年間に発表した句のうち二一八句を収録した、私の第一句集です。句集名は片山由美子先生がつけてくださいました。 それぞれの章は発表年代順に並べています。前半の章の句を詠んでいた頃には妊娠と出産を経験し、後半の章の頃には感染症の大きな流行に対処する日々を過ごしました。〔略) 皆様からのご恩を深く胸に刻みつつ、これからも俳句の道を歩んでいこうと思います。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本句集の装釘は和兎さん。 しばらくは巣を眺めをり巣立鳥 几帳面で何事にも正確さを追求しているように見える由貴さんだが、年齢を重ねるとともにゆとりをもち、つぎの世界に進んでいくことだろう。いっそうの活躍が楽しみである。(片山由美子/序) 本句集上梓のお気持ちをうかがってみた。 (1)本が出来上がってお手元に届いたときのお気持ちはいかがでしたか? 作句や句の発表、句集を編む作業など、自分のずっとやってきたことが、突然こんなにも具体的で手にとれる形となったことに、ちょっとびっくりしました(笑)。一方で、この句集が私の新しい出発点になるのだという確かな実感もありました。 (2)初めての句集に籠めたお気持ちがあればお聞かせ下さい 『巣立鳥』のそれぞれの章は、句の発表年代順に並べてあります。前半の章では初期の作ならではの自由な発想、後半の章では今の私らしい作風をお楽しみ頂ければ幸いです。 (3)句集を上梓されて、今後の句作への思いなどございましたらお聞かせ下さい。 誰にでも、その人にしか詠めない境地というものがあるのではないでしょうか。私もそんな境地をどんどん追求していきたいです。句を読んだ人が、そこに描かれた自然の美しさにはっとして、一瞬なりとも世の中のつらいことを全部忘れてしまう、そういう句が詠めたらいいなと願っています。 羽ばたきをためらふなかれ巣立鳥 由美子 本句集に片山由美子主宰が贈られた一句である。 #
by fragie777
| 2023-09-26 19:16
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9月25日(月) 旧暦8月11日
自転車を押しながら、しばらく曼珠沙華沿って行く。 厳しい残暑の日々であったけれど、確実に秋の風景である。 新記事を紹介しておきたい。 23日付けの讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は林昭太郎句集『花曇』から。 海鳴りを過ぎゆく夏の音と聴く 林昭太郎 「日本は海に散らばる島々である。耳を澄ませば日本列島の島々に晩夏の海鳴りが響きわたる。」と長谷川さん 「海鳴り」って意識して聴いたことないかも。だいたい、海の近くに暮らしたこともないから、どんな音なんだかわからない。 「海鳴り」、それだけで詩情がある言葉である。 おなじく讀賣新聞の今日の長谷川櫂さんによる「四季」は池田澄子著『三橋敏雄の百句』より 人類憐愍令(あわれみのれい)あれ天の川 三橋敏雄 「異常気象も戦争も人類の所業であることを思えば、いよいよ実感を増すのではないか。こんな愚かな人類はやはり憐れむしかないか」と。 * * * 以下は、スタッフPさんのレポートより。 2023年9月23日に、荻窪にある屋根裏バル 鱗kokeraで、吉田さんが研鑽を積んでいる若手句会・マンハッタン句会の皆様が主催された吉田哲二句集『髪刈る椅子』出版記念パーティーに伺いました。 屋根裏バル 鱗kokeraは「俳句を中心に短歌・詩・本・映画・絵画・音楽など気楽に文化交流できるバル」で、パーティーは18時からでしたが、その前は皆さんで句会をされていたそうです。 句会をはじめとする俳句の催しも沢山開催され、何より美味しいお酒とご飯が嬉しいバルです。 お近くの方はぜひ。 https://tabelog.com/tokyo/A1319/A131906/13274402/ twitter:@kokera07839729 マンハッタン句会のお仲間から花束をもらう吉田哲二さん ●吉田哲二さんご挨拶 今日はお忙しい中、皆様にお集まり頂きありがとうございます。 僕は結社に所属しているんですが、結社が家だとしたら若手句会とかマンハッタン句会は学校かなと思いました。それぞれみんな生まれ育った家があって、そして学校があると。家庭で育てられた経験をもとに、学校で切磋琢磨して磨き合うというのもいいなと思いました。 学校といいましたが、この若手句会やマンハッタン句会で、今後ともご交誼いただいて、修業をさせてたいただく場になればなと思っています。 ぜひ今後ともよろしくお願い致します。 21時を過ぎても吉田さんをお祝いする方々が後をたたず、とても賑やかで明るいパーティーでした。 吉田さんの句集『髪刈る椅子』の担当は文己さんですが、どうしても外せない予定がありピンチヒッターでPの参加でしたが、Pが担当して句集を作らせて頂いた方々にもたくさんお目にかかれてとても楽しい一夜でした。 吉田哲二さん、おめでとうございました!! * * * 「お料理がおいしかった!」って、今日なんべんも言っていたPさんだった。 こんな方やあんな方にもお会いして楽しかった、とPさん、 今日はすこし興奮していた。 昨日はひさしぶりにご近所の武者小路実篤公園に行った。 おそるべき秋の蚊の襲来で、ながくはいられなかったけど。 なんせ、人の姿はわたしぐらい。 鯉の池にちかづいたら、こんな風に口をぱくぱくさせて鯉たちがやってきた。 「ごめん、あなたたちにあげる餌は持ってないのよ」と詫びたのだが、なかなか去ろうとしなかった。 ベンチに坐ってすこしゆっくりしたかったのだが、蚊が、ねー。。。。 #
by fragie777
| 2023-09-25 18:54
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9月24日(日) 旧暦8月10日
ままこのしりぬぐい。(継子の尻拭) 実際はこんな小さな秋草だ。 最近、俳人の石田郷子さんからいただいた『季語の花図鑑』(山川出版社刊)によると、 「茎に鋭い棘が無数にあり、継子いじめにちょうどいいというのが名の由来。初秋、小枝の先に淡虹色の小さな五弁の花を頭状に密集させる。『蓼の花』の傍題とする歳時記もある。」 と解説にある。 よく似た秋草に「秋の鰻掴み(あきのうなぎつかみ)」というのがあって、いつも見分けられない。 写真などで比較のために食い入るように見ると、葉の形状がややちがうようだ。 専門家はすぐ見分けられるんだろうけど。 同じところに咲いていたのが、金水引。 この花も一目をひく。 いまごろの季節、花野をあるいていくと、それはもうたくさんの秋草が咲いている。 立ち止まっては、新しい草の名を覚えたりするのも楽しい。 返事して立つやままこのしりぬぐひ 石田郷子 今日は山西雅子著『花の一句』より、今日の日付のもの。 故里や打てば炎えたつしびと花 河原枇杷男 彼岸花には別名が多く死人花もその一つ。右に引いた兜太の句(曼殊沙華どれも腹出し秩父の子)に見られた明るくおおらかなかイメージとは打って変わって、枇杷男のこの句は何代にも渡りその地に生きて死んだ人々の暗い情念を幻視した。死人花の名は墓地の周りに咲くことなどからこれを忌んだものであろう。捨子花、狐花、幽霊花、地獄花などおどろおどろしい別名が幾つも数えられる。(『流灌頂』)季語=死人花(秋) 大分涼しくなった。 雑貨店で、屑籠を買った。 二階の部屋の屑籠が何十年とつかっていよいよ壊れてきたので、買い替えることにしたのだが、あまり屑籠らしいのは避けたいと思って買ったのが、これ。 直径25センチくらいのもの。 店の女主人が棚からおろしながら、 「これは丈夫でいいですよ。マレーシア産のものです。ここのものは長持ちします」と。 外国産であるとは思っていなかったので、その意外性が気にいったのと、とても軽いのがいい。 値段は、2420円(税込) 即購入。 その籠をそのまま持ってクィーンズ伊勢丹のレジにいったところ、レジの女性から「すごくいい籠、すてきです」と言われてすっかり気をよくしたのだった。 帰りは、自転車の籠にそのままいれて、クィーンズで買ったものを放り込んで帰ってきたのだった。 こんな風に。。。 #
by fragie777
| 2023-09-24 20:39
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