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10月3日(木) 旧暦9月1日
ホシカメムシ 飯能メッツアで見つけたもの。 アカメガシワの葉が大好物ということである、が、これはどうかな。。。 昨夜の帰り道でのこと。 暗い夜道を車で走っているとすこし先を横切るものがある。 スピードをおとす。 大きさからいって小振りの野良猫か。。。 目をこらしてようく見ると、 タヌキであったようだ。 住宅の一角に入っていった。 久々湊盈子著『加藤克巳の百首』が出来上がってくる。 「生きていることの実感」と副題がつけられている。 歌人・久々湊盈子(くくみなと・えいこ)さんの情熱によってなった一冊である。 執筆者の久々湊盈子さんは、1976年に「個性」に入会、加藤克巳に師事、2004年に「個性」が終刊するまで運営委員をつとめてこられた。 巻末の解説「歌人加藤克巳の出立」によると、加藤克巳(かとう・かつみ)は、「大正四年六月三十日、京都府何鹿(いかるが)郡中筋村字安場(現・綾部市)に、父利平、母きょうの長男として出生。」とあり、1929年の生まれである。 本著より、数首とその鑑賞を紹介したい。 まつ白い腕が空からのびてくる抜かれゆく脳髄のけさの快感 『螺旋階段』 青い空から伸びて来た腕に脳髄が抜かれてゆくという思い切った想定である。うしろ頸の凝りがほぐされてゆくような快感。ダリのシュールな絵画を見るようだが、脳髄というおよそ短歌にはそぐわない語が、一首の核となって逆に説得力がある。ここで思い出すのは北原白秋の〈大きなる手があらはれて昼深し上から卵をつかみけるかも〉(『雲母集』)という一首である。いずれの場合も大空の上から手が伸びて下のものを摑むという発想は、雲間から真っすぐに太陽光線が降りている光景を見た時に得たものかもしれない。 石一つ叡知のごとくだまりたる雨のまつただ中にああ光るのみ 『エスプリの花』 埼玉県与野市(現・さいたま市)にある加藤邸の庭にあった池のほとりに、ソクラテスの首と名付けられた大きな石が据えられていた。克巳はたびたびこの石を詠み、石の歌人とまで言われた。叡知のごとく、とはソクラテスのことかと思うが「沈黙は金、雄弁は銀」という西洋のことわざも思われる。なにごとか心に鬱屈のあるとき、その大きな石の無言に真向かい思索に耽ったのだろう。青春の息吹であったかつての芸術派の精神がリアリズムの洗礼を受けてこの一巻にまとまったと後記にあるが、この一首あたりから克巳の歌は再び胎動を始めるのである。 不気味な夜の みえない空の断絶音 アメリカザリガニいま橋の上いそぐ 『球体』 アメリカザリガニは昭和になってから食用蛙の餌として日本に持ち込まれた。旧来のザリガニと比べて大きく、体色は赤や褐色でハサミを振り上げた姿は結構、威圧感がある。この頃、アメリカは旧ソ連と宇宙開発の技術を競っていたのだが、最初に人工衛星の打ち上げに成功したのは旧ソ連であった。後記に「あるとき、スプートニクの発する不思議な、あの遠い断絶音を(略)ラジオを通じ、現(うつつ)のこの耳でまさしくきいた」とある。一歩遅れをとったアメリカが宇宙開発に躍起になっているさまをザリガニの姿に喩えた、巧妙で少し愉快な歌である。 うもれんか雪に泉のかそかなる春あかつきの音のくぐもり 『心庭晩夏』 初句にまず「うもれんか」と強く言いだし、あとは春の雪の下を流れる水が泉にかすかな音をたてているさまを「音のくぐもり」と表現する。耳をそばだてないと聞こえないくらいの、かそかな音。克巳の多くの歌が抒情に流れることを警戒しながら作られていることを思うとこの歌と『球体』の中の︿春三月リトマス苔に雪ふって小鳥のまいた諷刺のいたみ﹀の二首だけは繊細な感性の発露であると思われて、個人的に好きである。そういえば二首ともに春の雪だから冷たさよりも柔らかさ、明るさが読み手の情感に訴えてくるのだろう。 ほそ首 かたむけたままにわとりのいっしゅん佇立(ちょりつ) 冬である 『心庭晩夏』 わたしが「個性」に入会したのは昭和五十一年六月。加藤克巳という歌人の作風も歌歴も何も知らずに、ただ同じ埼玉県に住み、歌会に行くのに近いからというだけで入ったのだが、その直後に「短歌」誌上でこの一首に出会った。二十三歳で結婚してから夫の父親(湊楊一郎)の俳誌の編集を任されていて俳句は毎月見ていたから、 瞬間、あ、これは俳句の「直観」に通じる歌だと思った。伊藤若冲えがくところの雄鶏の姿を思ってみようか。季節は冬でなければならない。佇立したいっしゅんの姿。 捨象という概念そのものの歌と言えよう。 核弾頭五万個秘めて藍色の天空に浮くわれらが地球 『ルドンのまなこ』 冷戦構造のまっただなかであったこの時代は、核の脅威が国家の威信を守るとして競って核兵器が作られた。 ボタンは一瞬いっさいの消滅へ、ボタンは人類 の見事な無へ、――ああ丸い丸いちっちゃなポツ かつて歌集『球体』において、このように偶発的な核爆発を怖れ危惧した作者であるが、ここでは自滅の基となる核弾頭を抱かされている地球への信愛、惻隠の情といったものさえ感じられる。藍色の天空に浮く地球というものを想像してみる。核廃絶を、といった語を使ってはないが、これは立派な核所有反対の言挙げである。 生前21冊の単行歌集を上梓し評論集・エッセイ集もおおく、精力的に仕事をした加藤克巳であったがその短歌は多様でつねに前衛的であったようだ。 久々湊さんの巻末の解説は伝記的に記されており、その一部を抜粋して紹介しておきたい。 克巳が終生目指した短歌はけっして特異なものではない。価値観の多様化した現代においては、その考え方も表現方法ももはや目新しいとは言えないだろう。しかし、長い伝統をもつ短歌形式にいかにして新鮮な感覚を持ち込むか、今に生きていることを実感できるような歌をいかにして生み出せるか、ということに心血を注いだ歌人として特筆するべき歌人であることは間違いない。 最後にさまざまな著作を通して克巳が提唱していた短歌への向き合い方の一端をまとめてみると、「現代に生きた言葉を使う。従来のままの詠嘆・抒情を避け、むしろ拒否する。批評精神を働かせて知的な鋭い感覚をこころがける。意志の力による短歌、意志の美を考える。私小説的な一人称の告白短歌を作らない。定型は大事だが、定型を所与のものとして疑問なく言葉を当てはめてゆくのではなく、そこに新しい内容、新しい自分のリズムを求めつづける。説明的贅肉を削ぎ、本質・本意を表現する」といったところになるだろうか。 歌人・加藤克巳には一度だけお会いしたことがある。 「個性」に所属する歌人吉崎敬子さんの歌集『玉かぎる』の刊行にあたって、帯文をいたくことになった。 1996年の秋ごろだったろうか。 電話があり、さいたま市にあるご自宅までとりに来て欲しいといういことだった。 仙川から遠かったかあるいはそれほどでもなかったかはすべて忘れてしまったが、居間に通されて原稿を渡された。 居間はダイニングへと通じていて、お昼に召し上がったのであろうか焼き魚の匂いがまだ残っており、気取りのない歌人のお人柄が感じられた。 そのあと、一度、俳句についての原稿を「ふらんす堂通信」にいただいたかもしれない。 が、わたしには歌人の暮らしている焼き魚の匂いのする明るい部屋と、そこにくつろいでいる加藤克巳という歌人がいつまでも鮮明に残っているのである。 最後にわたしの好きな短歌を一首紹介したい。 一樹はや雪にけぶりてぼうと立つぼうと命をこもらせて立つ 加藤克巳 飯能メッツアの赤蜻蛉。 この日、前をふさぐほど赤蜻蛉が群れ飛んでいた。 #
by fragie777
| 2024-10-03 19:38
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10月2日(水)水始涸(みずはじめてかるる) 旧暦8月30日
今日はいちばんお気に入りのスニーカーを履いていくことにした。 それがこれ。 スニーカーだけはいろいろと持っている。 なかでもこの黄色が気にいっていて、汚れを消しゴムでおとしながら履いている。 軽くて履き心地もよく、最高! 足元だけだととてもR女にはみえないでしょ。 でも、R女なんだ。。。 新刊紹介をしたい。 四六判仮フランス装カバー掛け 202頁 二句組 俳人石田郷子(いしだ・きょうこ)さんの第4句集である。前句集『草の王』 より9年ぶりの刊行となる。1958年東京生まれの石田郷子さんであるが、いまは埼玉・飯能市名栗(なぐり)の里山に暮らしている。鹿、猪、猿、時には熊も出没するところだ。そんな獣の気配を身近にしながら自然との豊かな呼応の日々を詠んだ句集である。都市生活者となった人間がすでに手放した暮らし振りであっても、詠まれた一句一句は読者のふところにやさしい親しさをもって飛び込んでくる、そのような俳句である。本句集をつらぬくものは、武装していない身体と自然との弾力ある呼応と言ってもいいかもしれない。 大瑠璃のこゑに縛されゆくごとし 板敷に寝ぬればまはり出す銀河 本句集を読んでいくとわれわれが身体の内奥に記憶としてやどすプリミティブなものが、呼び起こされるそのような喚起力を秘めていることに気づかされる。 そののちの日差うるはし牡丹雪 悲しみも春もにはかに来るらしき 冒頭の二句であるが、「そののちの日差うるはし」という作者固有の体験が、読み手自身の体験としてやわらかく降る春の雪とともに甦ってくる。二句目の「悲しみも」の「悲しみ」ももまた春の季節によびおこされる悲しみとして思い出される。「そののちの日差」の措辞が巧みである。 本句集は、頁をひらくごとに読者に微かな驚きをあたえてくれる一集である。 この句集の担当は、Pさん。 好きな句をたくさん選んでいるが、そのうちのいくつかを。 畝高く立ててあり春待つてをり 碧玉の一湖も秋に入りにけり 青葉よりこぼれて雀忙しき 朧より抜けきて座るからだかな 食べて寝て痩せてゆく猫草の秋 つゆけしや夕暮れの声捨てに出て 凍つる夜をみひらきしまま逝きにけり 相逢うてともに芒のやうな髪 葵さん 空のせてゐる家々や水温む 藪漕ぎの陽春の野に出でにけり 闇淡きところ蚊遣火置くところ 秋入日束の間稜線を溢れ 朧より抜けきて座るからだかな 「からだかな」がおもしろい。あえて「からだ」とおくことによって、身体を認識させているのであるが、「からだ」の平仮名表記が、朧をぬけてきたやはらかなやや水分をふくんだ身体をおもわせる。朧という物質ではない大気現象を抜けてきた「からだ」という物体によって「朧」を再認識し、読者にも再認識させるのである。 つゆけしや夕暮れの声捨てに出て 「声捨てに」が面白い。声を捨てるとはどういうことなのか。声を出す、あるいは声を発する、ことなら通常である。しかし、声を捨てるというのである。どういうことか。本句集にはほかにも「声」を詠んだ句がある。〈みそはぎや胸に棲むこゑひとつある〉ここでは、棲むものとしての「声」である。「言葉」にならないその以前の「こえ」なのである。言葉化できない呻き、口から出た音の響き、それはロゴス化されないもの、しかし、作者にとってはぬきさしならないものとしての「こえ」なのである。さらに言えば、鳥獣は言葉をもたないが声は持っている。ここに詠まれた「声」はあるいは生きものに共通する「声」であり、石田郷子という俳人は、その「声」を原点として立つ人間であるのかもしれない。ロゴス以前の肉体が発する音。〈雨に声こぼしゆきたる燕〉。この声も俳人石田郷子にとっては、切実な声として迫ってくるのだ。 死ぬふりの蜘蛛を見てをりあたたかし わたしの好きな一句である。蜘蛛をじいっと観察し写生しているという句ではない。この蜘蛛と作者とはすでに交流(?)があるのである。そうでなければ、「死ぬふりの蜘蛛」という措辞は出てこないだろう。あるいはこの蜘蛛との頻繁な交流はなくても、作者の身近にいる蜘蛛とは日常的に親しいのである。そんな蜘蛛を(あーあ、また死ぬふりなんかして…)と笑いながら見ている。蜘蛛の方は死んだふりをして、なんとか人間が立ち去ってくれないかと願っている。その必死な蜘蛛のありようをそれを笑いながら見ている我。そんな関係を暖かく思ったのだろう。「あたたかし」の季語によって、蜘蛛と作者のみの関係にとどまらず、人と蜘蛛とをおなじようにつつみこむ自然の恩寵としてのあたたかさが広がっていく。 邂逅の君踏むなそこ鹿の糞 これも好きな一句である。石田郷子さんの家に遊びに行くと庭に鹿の糞がころがっている。うかうかすると踏んでしまう。「邂逅の」と上五を漢語表現にして硬い音をおき、中七下五で勢いよく口語的にいい下す。巧みな叙法である。現場がよくみえてくる一句だ。「邂逅の君」という措辞で、久しぶり会った大切な人であることがわかる。お互い「久しぶり!」とか言って近づこうとおもったその矢先の中七下五である。俳句のことばに血脈が通っている一句だ。石田郷子さんにとって、俳句は生活のすみずみまで浸透しており、手垢のつかない弾力ある一句が生まれる。 藪漕ぎの陽春の野に出でにけり ふたたびPさんの好きな一句へ。野趣に富んだ一句だ。この一句はなんといっても「藪漕ぎ」の語彙である。道のない薮のはびこるところをかき分けて進む「藪漕ぎ」。わたしも時に経験するが、都市生活者にとっては、面白くもありやや不安もあり、なにより体力と気力がいる。経験して悪くはない。この語彙によって、山林の薮の間をぬうて懸命に登っていく人間の姿がみえる。「陽春の野に出でにけり」の中七下五で、陽春のあかるさがみなぎる世界がひらける。はたしてPさんは「藪漕ぎ」を経験したことがあるだろうか。 『万の枝』は、『草の王』以後九年間の作品を収めた第四句集である。 新型コロナウイルス感染症の世界的流行を経て、ようやく対面での句会が復活し、「椋」誌もこの秋には創刊二十周年を迎える。私も、この句集を一つの区切りとしたかった。 この句集の作品はすべて椋の句会の場で作ったものである。コロナ禍の長かった自粛期間も、会員同士知恵を合わせてすべての句会を続けて来られたことを誇りに思う。 「あとがき」にある言葉である。 本句集の装釘は、和兎さん。 できるだけシンプルさを心がけた。 あえて帯なしに。 表紙のいろはさわやかなグリーン系。 開きのとてもよい造本である。 この金色の箔押しは、木の実と思ってもらってもいい。 グリーンは、葉。 この木の実、20個ある。 20周年をむかえられる俳誌「椋」の1年ごとの実りの木の実である。 尾で応ふる猫よ十二月の窓よ 凍つるよをみひらきしまま逝きにけり 本句集は、死んだ愛猫の爲に編まれたものでもある。 「こゆきちゃん」は、名栗でくらしはじめたときからずっと、石田郷子さんのかたわらに寄り添っていた猫である。 わたしもよく知っているこゆきちゃんだった。 句集上梓にあたってのご感想をいただいている。 (1)本が出来上がってお手元に届いたときのお気持ちはいかがでしたか? もっと早くまとめるつもりでしたのに、10年ぶりですので、やっと約束を果たせたという安堵感がありました。装丁の柔らかさにも心が和みました。 (2)この句集に籠めたお気持ちがあればお聞かせ下さい 一緒に俳句を作って来た椋の人たちへの感謝、20年寄り添ってくれた猫への感謝、椋創刊20年という一つの区切りで自身の足取りを振り返り、この先のことを考えるよすがにしたい、そんなところでしょうか。 (3)「椋」が20周年となり、今後の思いがあればお聞かせください。 正直に言えば、次の30周年に向かおうという意気込みはないです。20周年を祝うという思いではなく、椋の運営を支えてくださっているみなさまに、お疲れさま、という気持ちに近いです。私たちにはまだ明日という日がくるでしょうから、今の椋の人たちと共に淡々と俳句を詠んでいきたいとは思います。そうしているうちに何か新しい道筋が見えてくる、そんな気がしています。 石田郷子さま。 句集のご上梓、そして御誌「椋」の20周年、おめでとうございます。 こころよりお祝いを申し上げます。 そして、愛猫の死、 どんなにさびしくなったことか、 俳句のお仲間や名栗の自然がきっと癒やしてくれることでしょう。 お仲間とのさらなるご健吟をお祈りもうしあげております。 北風へ出づ拳なら二つある 石田郷子 ロックな句集である。 名栗の石田郷子さんがすむ「山雀亭」の庭につくられつつある小さな部屋の窓。 書庫になるとか。。 #
by fragie777
| 2024-10-02 19:56
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10月1日(火) 後の衣替 旧暦8月29日
実篤公園にいく途中に芙蓉を咲かせている家があった。 今日も29日におこなわれた「田中裕明賞」の授賞式とお祝いの会の様子をほんのすこし紹介したい。 が、 その前に新聞記事を。 9月29日づけの読売新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、鈴木しげを句集『普段』 より。 柿一つ腹に納めてからのこと 鈴木しげを この句には「やれやれ」の気分が漂うと長谷川櫂さん。柿のなめらかな果肉が身体の真ん中をつつーっっておりて行ってひんやりとおさまった。これから落ち着いて判断するぞってすこし気合いがはいる。ほかの果物だとこうはいかないだろうなあ。 吟行会、授賞式、お祝いの会とすべて語られた言葉は、録音されて電子版「第15回田中裕明賞」に収録されるので、是非それをご購読いただきたい、です。 写真をほんのすこし。 ご挨拶をいただいた小川軽舟「鷹」主宰、西山睦「駒草」主宰との記念撮影。 よき笑顔の浅川芳直さん、南十二国さん。 会場風景。 そして記念撮影。 選考委員のお一人の関悦史さんは、当日までなんとか出席されるおつもりであったが、体調がどうしても整わずやむなく欠席となった。 句集の講評をスタッフが代読する。 お祝いの会は、生駒大祐さんの乾杯で。 スピーチは出席者の方全員にいただく。 高橋睦郎さん、奥坂まやさんからはじまって全員の方々である。 昨年受賞された岩田奎さんは、大阪でのお仕事でやむなく欠席。 お言葉をいただいて、ほかの欠席の蓬田紀枝子さん、池田澄子さん、千鳥由貴さん、とともに会の最後にスタッフが代読。 会がおわって。 森賀まりさんとともに、浅川芳直さんを囲んで。(南十二国さんは、帰りの電車に間に合うためにお帰りになった) 中西亮太さん、野名紅里さん、藤原暢子さん、桐山太志さん、会の終わり頃となってしまったが駆けつけてくださった吉田哲二さん。 今回、会場を借りられず自分たちでなんとか切り回したのであるが、あまりにも反省点が多く、やはり会場を借りなくては無理ということになった。 行き届かないことが多かったと思うし、失礼の段もあったかとおもう。 ただ、会場から、「ハードな会でいいですね」とか「批評の会となっている」といった声を聞くことができたのは、ささやかにもうれしい。 田中裕明賞の「お祝いの会」は、「批評の場」であることを当初から目指していた。 それはなかなかハードルが高いことである。「お祝いする気持ち」は大切であるが、「田中裕明賞」はあくまで「励ましの賞」であって、到達点ではない。若い将来性のある俳人たちが挑戦するつもりで応募されるのだと思う。であるから、受賞されたとしてもそれは出発点となるもので、応募者もしかり、これからの俳句をみすえていく起点ともなるものであるとわたしはおもう。だからこそ、目の前の句集は十全に語られなくてはならないのだとも。 参加者ひとりひとりからかならず一句講評をもらうということは、受賞句集をどう読んだかその「読み」が自身の作句姿勢に関わるものであるはずなのである。それにしては一人3分以内は短いかもしれないが、時間の問題でもないということもある。前回同様、今回も皆さん真剣に句集を読んできてくださり、評してくださった。 本当に至らないことだらけであったのだけど、 参加してくださった方たちのお言葉の真剣さで救われるような気持ちがしたのだった。 岸本尚毅さんが、田中裕明さんを「ロゴスの人」とかつて称したけれど、本当に「言葉」を大切にする人であったと思う。 そんなこともふっと胸をよぎったりしたのだった。 この会のためにお言葉をくださいました皆さま、ありがとうございます。 心より御礼を申し上げます。 ひきつづき「田中裕明賞」をよろしくお願いいたします。 ここでも大谷翔平選手は大活躍。 金子敦さんが、メールをくださって、そこに「田中裕明賞」について触れてくださった。 「和やかな雰囲気の会になり何よりです。本当によかったですね。」と。 で、わたしは、 「田中裕明賞」は、なかなかストイックにハードにやっておりますので、 終わったときは魂がぬけたように疲れてしまいます。」とお返事をしたのだった。 そして、さらに「そうは言っておられませんので、気合いをいれてふたたび頑張ろうと思います。」と。 #
by fragie777
| 2024-10-01 19:00
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9月30日(月) 旧暦8月28日
武者小路実篤公園に咲いていた熨斗蘭(のしらん)。 南十二国さんと「何の蘭かしら」と見ていると、南さんさっそくグーグル検索をして調べてくださった。 *藪蘭と記してしまいましたが、間違いです。南さんからもそのように教えていただきました。 吟行会は仙川駅前集合ということではじまった。 あまり説明なして写真で紹介。 受賞者の南十二国さんと小川軽舟さん。 うしろに髙柳克弘さん。 森賀まりさん、高橋睦郎さん。 高橋さんは誰よりも早く、わたしが行ったときにはすでにここにいらっしゃった。 髙田正子さん。 桐山太志さんも見えられた。 受賞者の浅川芳直さん(左)と第11回受賞者の生駒大祐さん。 渡辺誠一郎さん。 仙台からいらっしゃった。 野名紅里さんと中西亮太さん。 野名紅里さんは、山口県から。 藤原暢子さん、佐藤郁良さんが揃ったところで、記念撮影。 武者小路実篤公園をめざす。 実篤公園へ。 藪蚊がすさまじいというので、参加者の方々に虫除けスプレーをおかけ(?)する。 今日は武者小路実篤邸の公開日であるので、靴をぬいで部屋を観察。 そしてお庭へ。 庭は、二つに分かれていて、下の池と上の池があり、下の池には虹鱒、上の池には鯉がいる。 竹林をいく渡辺誠一郎さん。 浅川芳直さん、高橋睦郎さん。 「ヒカリモ」を見に中西亮太さん。 すでに「ヒカリモ」は光を失っていた。 残念。 森賀まりさん、髙田正子さん。 虹鱒の池で、野名紅里さん、南十二国さん、桐山大志さん。 暗くて顔がよくみえなかった。 (いい感じな雰囲気) 生駒大祐さん。 みなさんを記念館にご案内する。 「武者小路実篤の生涯」の15分ほどのビデオ鑑賞。 実篤の穴のあいた硯をみつめる小川軽舟さん。 手前は桐山太志さん。 佐藤郁良さん。 記念館の中庭。 中庭を見るお二人。 渡辺誠一郎さん。 本当はここでみなさんお一人お一人の写真を撮りたかったのであるが、、、、、 記念館から庭にいくトンネルを抜けて。 実篤邸をあとにして、句会場へむかう。 以下は句会風景。 「ぼくは吟行句会というものはほとんど経験がないのです」と語られる高橋睦郞さんだった 。 実篤庭園でひろった柿紅葉。 #
by fragie777
| 2024-09-30 18:56
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9月29日(日) 旧暦8月27日
武者小路実篤公園に咲いていた秋海棠。 2時間ほど前に「第15回田中裕明賞」の吟行会、授賞式、お祝いの会を無事に終えることができた。 良き会であったと思うが、行き届かない点が多く、いまは反省ばかりの気持ちである。 が、 疲れすぎて頭が朦朧としている。 吟行会風景、授賞式、お祝いの会の風景など紹介したいことろであるが、 また、あらためて紹介したいとおもう。 受賞者の浅川芳直さん、南十二国さん、 ご受賞おめでとうございました。 また、会にご出席くださった皆さま、 今日はありがとうございました。 お疲れさまでした。 行き届かないこ多々多々あったと思いますが、 ご寛恕くださいませ。 これからも田中裕明賞をお心にかけていただきたく、 お願い申し上げます。 記念撮影。 #
by fragie777
| 2024-09-29 23:24
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