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11月11日(火) 旧暦9月22日
橿原神宮の回廊。 小雨ふるなかの橿原神宮。 ひろびろとした境内を神官が行く。 わたしは異教徒であるが、わたしの実家は神道である。 神道がもっている白への指向はきらいじゃない。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装帯有り 212頁 2句組 河瀬俊彦(かわせ・としひこ)さんの第2句集となるものである。第1句集『箱眼鏡』を2019年にふらんす堂より上梓されている。河瀬俊彦さんは、昭和18年(1943)香川県高松市生まれ。俳誌「遠嶺」(小澤克巳主宰)を経て、平成22年(2010)「爽樹」創立に編集委員として参加、平成31年(2018)「爽樹」幹事長、令和2年「爽樹」代表。令和6年(2024)「爽樹」名誉顧問、現在に至る。俳人協会会員。 本句集は令和元年(2019)から令和7年(2025)までの作品を収録。「あとがき」によると「この期間の多くは私が「爽樹」代表を務めていた時期であり、また世界中が新型コロナウイルスパンデミックに苦しんでいた時期でもありました。」とある。 本句集は、「爽樹」創刊15周年を記念として刊行されたものである。 師・小澤克巳亡きあと、志をおなじくする句友と「爽樹」を創刊し、「爽樹」をささえ充実させてきたその思いをこめてのこの度の上梓であると思う。 創刊してより15年という月日への、そして俳句をつくりつづけてきた自身への、万感の思いが込められた一冊となったのではないだろうか。 鳥わたる湖は地球のにはたづみ 七年間の作品を精選し、新たな思いで臨む珠玉の句群。自らの実感と言葉を織り交ぜ、言葉の「窯変」に挑む。 帯の言葉を紹介してみた。 本句集の担当はPさんである。 Pさんが好きな句より抜粋して以下に紹介。 竹秋の葉擦れ先師の声ならむ 春耕の鋤き込む海の光かな 遠嶺より道ひとすぢや初明り すぽすぽと春の空気を食ぶる鯉 霜柱立ちて地球を膨らます 湖よりの風をくぐらせ朴の花 日脚伸ぶ模範患者と褒められて 甚平や使はぬままの処世術 いわし雲ポプラのやうな人であれ とりどりの黄色が春を連れてくる 竹秋の葉擦れ先師の声ならむ 「竹秋」は春の季語。葉が黄ばんで風に落ち始める、その乾いた葉音に耳を澄ましているのだ。あたりは春の景色で華やかな明るさにみちているが、竹林は静けさにみちている。そしてかそけき葉音。そのかすかな葉音に師の声を聞いたのである。命がみちてゆく天地のなかにあって、ひそやかに死者の声をきく。その声はなんども反芻している耳になじんだ声なのである。「竹秋の葉擦れ」という措辞が、師の声の奥深さを語っているようだ。本句集は先師への思いが作品の背後を貫いている句集である。ほかに〈遠嶺より道ひとすぢや初明り〉〈吟遊の師のゆく影か梅雨の蝶〉など。 春耕の鋤き込む海の光かな 春のあかるい光にあふれた一句である。耕しのはじまったあかるい大地、きびきびと鋤をもって働く人、その背後に見えているのどかな海。大きな構図のなかに春の生活の風景をとらえた一句である。眼目は「鋤き込む」の働き。鋤で土をほりかえしている、その「鋤き込」みに海からの光もともに鋤き込まれているという。春の土のしめった黒土をみせつつ青い海を呼び寄せ、そしてそこに海からの光がなだれこむ。ダイナミックな措辞と、遠近感のある構図とそして、色彩。黒い土、青い海、黄色の光、一句のなかに大地と海と光が無理なくはいりこんで生活の風景として詠まれている。 すぽすぽと春の空気を食ぶる鯉 面白い一句である。この「すぽすぽ」がいい、「すぽすぽ」という擬音語がかろやかで春らしい。「すぽすぽ」で鯉の口元の様子も言い得ている。巧みであると思ったのは、鯉がたべるのが「春の空気」であるということ。ここに季語を持ってきたのか。という驚き。「寒鯉」として冬のあいだはじいと動かずにいた鯉も、春になってあらゆるものが緩みうごきだしたとき、まずは口をおおきくあけて空気を食べ出したのか。命がのどかに動き出したそんな感触のある一句だ。この鯉をみている人もゆったりと余裕ありそう。 湖よりの風をくぐらせ朴の花 「朴の花」の高さと大きさがみえてくる一句だ。湖の風に気持ちよさそうに揺れている白い朴の花。この一句では、「朴の花」が凜然たる風情である。「風をくぐらせ」の措辞で、風が通過していくこともその支配下にあるがごとくである。しかも単なる風ではない。はるか「湖よりの風」である。湖という平面からわき起こる風、その風が大きな花を咲かせている朴の木へと吹きつのってくる。平面の広さから高さへ、そして白い朴の花の存在感。海も風も従わせている堂々たる朴の花である。 いわし雲ポプラのやうな人であれ 「ポプラのやうな人」ってどんな人?って一瞬おもうけど、なんとなくわかる。これはご自身に言っているのかしら、それとも誰かに言いたいと思っているのか。それを詮索してもはじまらない。どっちでもいいこと。「いわし雲」との取り合わせはどうなんだろう、とも思ったが、きっと鰯雲の空をみていて、そこに雲にとどきそうなほどのポプラの木があって、そこから生まれた一句かしら、ともおもった。なんだかとても気持ちのいい句である。このココロ、わかるな。すらりとした背の高いポプラ、かたちだけでも、わたしなんかポプラのようになりたい。でもかたちだけじゃないんだとおもう。孤高っていうと言い過ぎで、もっとスマートに一個の人間として立っているということ、うまく言えないなあ、でもわかるでしょ。「いわし雲」という「鰯」のひらがな表記もこの句をありようとしてはいい。人間関係にぐちゃぐちゃに悩んでいるときに、こんな風におもうかも、きっと。 校正スタッフの幸香さんは、〈職退いて風のなき日の猫じやらし〉「責務から解放されて手持ち無沙汰な様子ですが、子供のころの自由を取り戻したようでもあり、惹かれた句です。」と。わたしもこの句は好き。ただ、必殺仕事人のyamaokaは、やや呆然とした一抹の寂しさをおもってしまった。これだからね、、あきれるでしょ。 「爽樹」は令和八年一月に創刊十五周年を迎えます。これを機に第二句集を出すことにしました。私の俳句歴がそのまま「爽樹」の歴史に重なると思っているからです。俳句を始めて間もなく「遠嶺」(小澤克己主宰)に入会しましたが、熱心に取り組むようになったのは、川口襄編集長(当時)から声をかけて頂き、「爽樹」創刊のための編集委員になったのが契機でした。(略) 句集名「櫓の音」は、「櫓を漕げば楽の生まるる良夜かな」によるもの。京都・大覚寺の大沢池で見た観月会の様子と少年時代によく伝馬船の櫓を漕いで釣りに出かけていた思い出が綯い交ぜになってできた作品です。 俳句は、詩的な言葉を使ったからといって作品に詩が宿るわけではないと考えています。ファンタジーには憧れますが、リアリティも大切にしたいとも思っています。 「あとがき」より抜粋して紹介した。 本句集の装丁は、第1句集『箱眼鏡』とおなじ君嶋真理子さん。 第1句集と響き合うように、というのが河瀬俊彦さんのご希望だった。 櫓を漕げば楽の生まるる良夜かな 自分の実感したことを、平凡な言葉の組み合わせで、言葉の「窯変」により非凡な句ができないかと願いつつ、平凡な句を詠み続けているのが現実です。しかし、これからもこの方向で愚直に精進を続けたいと思います。同時に「爽樹」のますますの発展のために、微力を尽くすつもりです。(「あとがき」より) ご上梓後のお気持ちをうかがった。 (1)本が出来上がってお手元に届いたときのお気持ちはいかがでしたか? 「よい句集ができた、ふらんす堂さんにお願いして良かった」と思いました。 第一句集もふらんす堂さんにお願いし、よい句集ができたので、第一句集のイメージと大きくは変わらず、しかも一味違うものになればと願っていましたが、願っていた通りの句集ができあがりました。表紙の上部は水のイメージ、帯の部分は櫓のイメージで、句集名にぴったりです。 (2)この句集に籠めたお気持ちがあればお聞かせ下さい 令和8年1月に爽樹は創刊十五周年を迎えます。私の俳句歴が爽樹の歴史とほぼ重なること、私が第3代代表を務めたことから、十五周年を記念して句集を出したいと思いました。 (3)句集を上梓されて、今後の句作への思いなどございましたらお聞かせ下さい。 私は退職後の64歳で俳句を始めた晩学の身ですので、大輪靖宏著『俳句の基本とその応用』の中にある次の文章を心の支えとして俳句と取り組んできました。今後も今までと同様、初心の気持ちで愚直に取り組んでいきたいと考えています。 「サラリーマンとして、立派に生きてきた人はそれなりに何かが身に備わっているわけで、そうした素養をもとにすれば、俳句だけに携わってきた人よりずっとよい俳句が作れるのだ。そして定年退職後の余暇を俳句に熱中できるというのは、人間としての生き方の上からも素晴らしいことだと思う」 河瀬俊彦さん。 河瀬俊彦さま そして「爽樹」の皆さま 第2句集のご上梓、そして創刊15周年、まことにおめでとうございます。 こころよりお祝いをもうしあげます。 「爽樹」と共にあゆまれた15年であったと思います。 さらにさらに空へとのびる一樹でありますように。 そう! ポプラのように。 うつし世の塵を浮かべて水澄めり 河瀬俊彦 飛鳥寺にて。 #
by fragie777
| 2025-11-11 20:22
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11月10日(月) 旧暦9月21日
奈良・二上山をのぞむ。 冬紅葉が青空に映えて。 のんびりした時間をすごした。 しかし、 で、 ある。 今日はスタッフをまきこんで疾風怒濤の一日となった。 詳しくはここでは記さないが、 目下、おすすめしている句集があった。 著者の方はホスピスにおられ、句集のできあがりを心待ちにしておられる。 この1、2ヶ月ほど、なんとしてもご本をお作りして手にとっていただきたいと祈るような気持ちで、すすめてきたものである。 校正スタッフさんにも協力をねがい、印刷、製本についても無理をお願いしてスケジュールに組み込んでもらい信じられないようなスピードですすめてもらっていた。 先週、校了下版、装丁もきまり色校正を著者の方に見ていただくことができ、あとはできあがりを待つだけとなった。 そして、奈良旅行の一日目、ご夫君より携帯にメールがはいった。 亡くなられたと。。。 なんとも。。。 返す言葉がない。 無念で悔しい。 せめて、表紙と扉の色校正を柩に入れてやりたいと。 納棺は、10日であるので10日の午前中までに届けてもらえないかとのご夫君の切なる願いをいただいた。 旅先ではどうすることもできず、10日の今日の午前中に最寄りの駅までお届けすることになった。 今日は朝早くに出かける用意をして午前中にお手渡しをする予定であった、、、 そうして滞りなく用意をして出かけたのだった。 しかし、 もうこれは、わたしの信じられないような恥ずべき粗忽さゆえに、約束の時間にはお渡しできず、 あきれられてしまうので、詳しいことは書かないが、 本当にどうしたらよいのか、泣きたかった。 お渡しできない、どうしよう。。。 スタッフたちを騒がせ、心配をさせ、 いろいろとできるかぎりのことをして、 どうにか、12時をすこしまわった時点で、お渡しすることはできたのだった。 お渡ししたあとは、しばし、茫然自失の状態であった。 本当にわたしという人間は。。。。 あきれ果てる。 いずれにしても、 今はあらためて 出来上がったご本を手にとっていただけなかったことが悔しい。 つくづくと 無念である。 ご冥福をこころよりお祈りもうしあげます。 この句集については、ご本が出来上がったときに、あらためて紹介をしたいと思う。 今日の雲。 怪獣が空を飛んでいる。 ぼんやりと思った。 10歳以上歳をとってしまったかのような気持ち。 #
by fragie777
| 2025-11-10 19:15
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11月9日(日) 旧暦9月20日
西の旅より、いま戻りました。 一日目は小春日和、二日目は冷たい冬の雨となりました。 楽しかったけれど、疲れてしまった。。。 ということで、 飛鳥大仏。(飛鳥寺) 止利仏師によって造られた日本最古の仏像ということ。 明日から忙しい日々がはじまります。 旅の話はおいおいに。 『細谷源二の百句』を紹介するのに、 「北方俳句」と書くべきところを「北方領土」と書いてしまった。 失礼をいたしました。 執筆者の五十嵐秀彦さま。 ごめんなさいませ。 訂正をいたしました。 #
by fragie777
| 2025-11-09 22:29
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11月8日(土) 山茶始開(つばきはじめてひらく) 旧暦9月18日
蓼の花。 おはようございます。 これから出かけます。 明日の夜もどります。 西の方に行く予定です。 それでは行ってまいります。 皆さまもよき休日をお過ごしくださいませ。 #
by fragie777
| 2025-11-09 22:28
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11月7日(金) 立冬 旧暦9月18日
黄鶲(キビタキ) 今日は立冬。 気持ちがひきしまる。 新刊紹介をしたい。 細谷源二というと、すぐに思い浮かべる俳句がある。〈地の涯に倖せありと来しが雪〉。 そしてほかの句は思い浮かばない。 俳人の人でさえ、あるいはそうなのではないだろうか。 この度、札幌市在住の執筆者である五十嵐秀彦さんの熱心な取り組みによって、細谷源二という俳人の全体像に迫ることになった。 読み通していくと、北海道という風土に殉じた気骨ある俳人像がうかびあがってくる。 この一冊を読み終えると、ある感動のようなものが胸にせまってくる。 寒さと貧困にあえぎながらも、俳句にかけた情熱のすさまじさが伝わってくる一書である。 とりあげられている百句のうち、いくつかを鑑賞をふくめて紹介をしておきたい。 夕焼に油まみれの手を洗う 『鉄』 初期の句であり、源二にとって大きな転機となった句。昭和一〇年ごろ、反ホトトギスの旗のもと多くの若い俳人が集まっていた水原秋櫻子の「馬醉木」の句会に源二が参加した。秋櫻子はこの句を取らなかった。なぜ取れないのかと源二は聞く。すると秋櫻子は「夕焼に」の「に」が説明的であり、これが「の」であれば取れたと言った。だがこの句は夕焼の句ではない。夕焼に照らされた油まみれの手が主題だ。秋櫻子の言は受け入れがたかった。源二は句会を中座する。そののちすぐに新興俳句誌「句と評論」に入会するのだった。 地の涯に倖せありと来しが雪 『砂金帯』 第三句集『砂金帯』の句であり、よく知られた源二の代表句だ。この句が、新興俳句俳人であった細谷源二が北海道で生まれ変わるきっかけとなった。『鉄』『塵中』の先立つ二作に躍動していた工場労働者の俳句からの決別と再出発の象徴的な作品となる。昭和二〇年三月の東京大空襲で焼け出され途方に暮れていた源二一家が見た、目黒署の開拓団募集の立て看板。「父ちゃん行こうよ」という妻の声。家族七人で見たこともない北海道に渡り、与えられた土地を見た時の絶望。その一連の時間と感情のすべてがこの一句に凝縮された。 農夫となりぬああたくたくと冬の汗 『砂金帯』 東京で旋盤工として汗を流していた日々を思い出す。とび職であった義父の養子となり、小学校を中退しメリヤス針工場に住み込みの工員としてはたらき、旋盤工となって三四歳のときに自分の工場を持った。農民になるとは夢にも思わなかったことだろう。開拓団の看板が彼の人生を変えた。いまさらその是非を考えてみても仕方のないことだ。果てなく続く伐採作業で氷点下の中、汗が「たくたく」と流れる。凍り付いた空気に自分の汗が湯気となって白く立ちのぼる。「ああ」と声を出す。 べらぼうに青く孤独なきりぎりす 『餐燈』 「べらぼう」は東京生まれ東京育ちの源二らしい下町言葉。それがつい口をついて出てきた。キリギリスの青がべらぼうに孤独な存在に見えた。周囲は源二にこうした句を期待していなかった。各地の労働組合を回り俳句指導をする源二に求められたのは社会性俳句であった。しかし源二は、自分への期待を感じながら、それは違うという強い思いがあった。なぜなら俳句は詩であり、文学でなければならないからだ。社会性俳句と距離を置こうと決めた源二に友人たちの目は厳しかったことだろう。べらぼうに孤独だと吐き捨てているのだ。 僕を解剖せよ冬虹もきっと出てくる 「瓦礫」 「僕を解剖せよ」という激しい呼びかけは、自分自身の内側を深く見つめることで本質を暴き出し、何か確かなものを掴もうとしている。その果てに浮かび上がるのが「冬虹」というイメージだ。ここで「虹」が単なる美しい自然現象ではなく、冬の寒さの中に現れる存在であることが重要。それは源二が見つめた人生の本質ともつながる。解剖することで生まれるものが虹であるならば、それは希望なのか、あるいは残された一瞬の輝きなのか。この句はまるで、自身の精神の奥底を切り開いて、その果てにあるものを詠む行為のように感じられる。 巻末の五十嵐秀彦さんの解説は、「細谷源二ー新興俳句から北方俳句への軌跡」と題し、細谷源二の俳人としての軌跡を追う。 「一」の「細谷源二とは何者か」という項の解説のみを紹介しておきたい。 細谷源二の名は、新興俳句弾圧事件の犠牲者として俳句史に刻まれている。俳誌「広場」の中心的作家であった源二は、昭和一五年に関西から始まった新興俳句弾圧事件が東京に及んだ昭和一六年に逮捕され、二年半の獄中生活を強いられた。弾圧事件に関する研究の中で、東京三(戦後の秋元不死男)、橋本夢道らとならび、源二の名も長期拘留者として挙げられている。しかし俳句史の中で彼の名を見るのはそこまでかもしれない。空襲で焼け出されて北海道に行ってしまった人、そして〈地の涯に倖せありと来しが雪〉という句があることを知っている人も少なくなった。 ところが細谷源二の作品を通して読んでいると、彼が独自の光を放ったのは北海道に渡ってからのことだった。中央から遠く離れ、またかつての俳友との交流も自分からはあまり求めなかったが、戦後の北海道でひとり新興俳句をどう発展させるかを課題として奮闘を続けた人であった。振り返ってみれば、高屋窓秋や渡辺白泉と同様に、戦後に俳人としてどう生きるか苦悩した作家のひとりだったと言えるだろう。 細谷源二の俳句は、無季俳句もおおく、季節も冬の句が圧倒的に多い。 冬の句が多いということも、北海道という土地であることからもうなずける。 本書をとおして、生活苦と闘いながら、俳句へのゆるぎない信念をもって生き抜いた孤高の俳人がいたということを、私たちは改めて知ることとなる。 一箇の冬日宙にあり卓上にりんごあり 細谷源二 #
by fragie777
| 2025-11-09 22:26
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