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3月10日(火) 桃始笑(ももはじめてさく) 旧暦1月22日
神代植物園の翡翠。 この目、 この目にわたしはまいったのだ。 じいっとこっち見てる。 翡翠がいた水べり。 大鷹の交尾を目撃したあとである。 来る途中、仙川の翡翠にもあってきた。 例の交尾にたちあった翡翠である。 一羽しかいなかったが、元気そうだった。 がんばって子育てするのよって声をかけておいた。 森田純一郎著「森田峠の百句」を校了、下版にする。 森田峠に関しては、『森田峠全句集』の刊行・編集に関わり、そのときに作品にふれる機会があったのだが、なかなか作品をゆっくり味わうということもなく、作業をすすめたのだった。 今回、森田純一郎さんによる「百句」の鑑賞と解説をよんで、その味わいに触れ得たような気がしている。 改めて思ったのは師系ということである。 森田峠の作品を鑑賞をする森田純一郎さんは、峠の作品のむこうに峠の師である阿波野青畝の姿を見るのである。純一郎さんの師は、父・峠であるが、その父の師は阿波野青畝である。峠のまなざしの先にはいつも青畝がいる。峠の作品を鑑賞する純一郎さんのまなざしの先には峠がいて、そしてさらに青畝がいる。青畝から学んだ俳句観は峠の身体をながれると同時に純一郎さんの身体にも流れている、わたしは本著をよみながら師系が意味するものということを強くおもったのだった。 そして、青畝も峠も純一郎も遠まなざしをもって俳句に向き合っている。 表現者のなかにあるゆるぎなき「遠まなざし」。(それは師系にはかぎらないが…) それを持つということ。 表現者としてすごく大切なことのようにおもったのだった。 あらためて、そんなことを思わせられた「森田峠の百句」だった。 刊行は4月上旬を目指している。 これは翡翠のまなざし。 #
by fragie777
| 2026-03-10 18:22
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3月9日(月) 旧暦1月21日
いますこし前まで、わたしの机をスタッフたちが取り囲んで、わいわいやっていたのだった。 というのは、目下製作中の「デッサンモデル」についてのことなのである。 詩人の文月悠光さんからすばらしい帯文をいただいた。 さて、表4(裏側)をどうするかという話になった。 粗忽者のyamaokaは、帯文をいただいたので、もうそれで大満足して、装幀家の三橋光太郎さんにメールでおくりもうそのことは忘れていた。 すると、三橋さんから電話がはいった。 表4どうします? あら、そうよね。 ということになった。 で、訳者の木村文さんとも相談をして、本文から引用しようかということになり、あれこれと話しあった。 で、一応引用箇所をきめて三橋さんに送ったのだった。 送ったあと、なんか気持ちがすっきりせず、訳者の木村文さんの要約したものがなんともわかりやすいので、それを載せたほうがいいのではとも思い、その案も三橋さんに送った。 しかし、もう一つという思いがあった。 で、スタッフたちに話してみた。 みな、ゲラにはおおかた目を通している。 あれこれあれこれ、話した結果、木村さんの解説文をすこしそぎ落としたものでいこう、ということになったのである。 わたしの頭上を三人のスタッフの意見がとびかい、それなりの帯文におちついた。 「ありがとう!」担当スタッフであるわたしは皆にお礼をいった。 すると スタッフたちは帰り支度をはじめて、ささっと帰りはじめた。 「いいなあ、わたし、これからブログかくのよ。なに書こうかあ」と言ったら、スタッフのPさんが、 「昨日鳥の写真とったんじゃないですか。その鳥を紹介したらどうです」と、 「昨日、鷹の交尾を紹介しちゃった」と叫んだときには、スタッフ達の姿はもうなかった。 では、 昨日もう一つ見事だったのものを紹介します。 これなんだと思います? 桜? 違います。 白木蓮です。 凄いでしょ。 ![]() 吹雪くように咲いていた。 まわりには人だかりがあって、みな写真を撮っていた。 花はみなどれもあたらしく疵などない。 鵯もたくさん来ていた。 白木蓮はこんな風に咲いていたが、わたしの好きな辛夷はまだのようだった。 昨日「鷹の交尾」を目撃したので、ネット上でもうすこし調べようとして検索したところ、わたしのブログがすぐに出てきたので驚いてしまった。 わたしはこのブログを仕事上とはいえ個人的な記録のように思っているところもあるので、おもいもかけないところで自分のブログにであうとヒエ-ってあわてる。 ほんわずかな人にかたりかけているつもりでも、そうではないところがあるのがすこしこわいし、こころしなくはなならないこともある。 #
by fragie777
| 2026-03-09 19:22
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3月8日(日) 旧暦1月20日
神代植物園までひさしぶりに自転車で行く。 天気はいいけど風は冷たい。 革ジャンを着てきて正解だった。 春の彩りとなって、人も多い。 夕方ちかくなって、 鷹のするどい鳴き声が聞こえた。 なんとヒラヤマ杉の上方に二羽の鷹がいる。 ミゲル(♀)とヘブン(♂)である。(わたしが勝手に名付けたの…) ヘブンが飛び去って、ミゲルのみとなった。 盛んに啼いて雄を呼んでいる。 ヘブンはやってきたかとおもうと、 ミゲルの上に乗った。 交尾をはじめたのだ! おどろくまもなく、あっという間のこと。 交尾を終えてヘブンは飛び去る。 ふたたびやって来てすこし離れて隣り合う。 やがてまたヘブンは飛び去った。 しばらくすると、上空をカラスの鳴き声がする。 見上げると、カラスと鷹の小競り合いである。 鷹の身体は銀色に輝いていて美しい。 が、 カラスの方が、雄の鷹より大きいのである。 ただ、飛翔の姿が全然ちがう。 羽をばたばたさせるカラスに対して、羽をひろげたまま悠然とおよぐ。 風格っていうものがある。 うっとりと見入ってしまった。。 (この写真、やっととらえた2枚。なんせコンパクトカメラなので、姿を捉えるのも、ズームにもかぎりがあって、お許しを) やがて 二羽とも消えてしまった。 鷹が現れたとおもって撮ったのが、これ。 飛行機だった。。。 あはっ。 カラスとの小競り合いの一部始終をみていたミゲル。 なかなかの貫禄である。 実はこの交尾の写真を撮れたのはたまたまであって、わたしの他には誰もいなかった。 いつも大きな一眼レフをかかえたカメラマンさんがたくさんいるのだが、今日はいなかった。 写真に撮ったあとで、わたしがすこし興奮しているところにカメラをかかえた女性の方がやってきたので、おもわず「交尾してるとこ、撮れたんです」って見せてしまった。 「わあ、凄いですねー」って。 そう、とてもラッキー。 このあと、カメラマンの人がだいぶ集まってきたのだった。 すべてこの高いヒマラヤ杉の上方で行われたのだった。 ミゲルがいるんだけど、わかります? 新聞記事を紹介したい。 まず、3月2日付けの京都新聞の彌榮浩樹さんによる「詩歌の本棚」に、ふらんす堂刊行の句集が二冊紹介されている。抜粋して紹介したい。 枕辺をみしと歩かれ冬近し 網戸して青空頼りなき昼餉 生活者としての全身で〈この世の微妙な佇まい〉を感受した、そんな手応えが静謐な句に充ち渡っている。 お日様のやうな顔して毛糸編む 深海に眠るに似たりうすごろも 痩身の目玉が歩みくる炎暑 どきっとする斬新な見立てだが、〈世界・存在の本質〉を独特の角度から捉えた、蝉蜜で正確な描出なのだ。 さくらんぼ老いて歳の差なき姉妹 季語「さくらんぼ」が絶妙ー老嬢たちの可愛らしさが生き生きと立ち上がる。 昭和11年大阪生まれ、奈良市在住。「草樹」会員。 縄文の春を見ている観覧車 ホッチキス滝はどこまで綴じられる ごく即物的な言葉の、組み合わせの飛躍によって、〈超現実的な夢〉とでも称すべき情景が開示されている。 冬椿昨日の続きでもなくて 鉛筆の芯の不機嫌花明り 虫籠のはばたく音もときどきに こんなまじめな相貌の句群も、日常世界へのレポートでも幻想世界への飛翔でもない。作者ならではの〈融通無碍な俳諧世界〉の顕現なのだ。 人寰(じんかん)やクリアファイルに霧ばかり 外套を吊る北溟に鯤ありと 気高く可笑しく淋しい〈醍醐味〉に、深く酔わされた。 昭和28年高松市生まれ。東京都在住。「麦」会長。「天為」最高顧問。 3月7日付けの讀賣新聞夕刊には、森賀まりさんによる「俳句とことば」に有住洋子句集『夜は九夜 日は十日』が評されている。こちらも抜粋となるが紹介したい。 (略)詩片のような短文を章立てに挟み、色味を抑えた流れがある。〈月蝕のあひだを吊るさるる単衣〉では、布目を透り抜ける満月の光が赤銅色を経て戻るまでの、張りつめた湖面のような時間を思わせる。〈黒揚羽うすくらがりの先へ出る〉〈影のびて影とつながる涼み舟〉などは、昼にあってもその暗さには、沈黙がひしめいているかのようだ。(略) ほかに、毬矢まりえ句集『妖精に注意』(朔出版)〈いづれのおほんときか鶯の初音〉。「どこか天上へ向かって書かれたもののような、澄んだ明るさを感じさせる」 西生ゆかり句集『パブリック』(左右社)〈さくらさくらこれは覚えておく桜〉「鋭い視覚と比喩が印象に残る一冊」 今日の朝日新聞の「うたをよむ」は、大石雄鬼さんによって中村和弘句集『荊棘(おどろ)』が評されている。タイトルは「俳句は人生の暗喩」抜粋して紹介したい。 目ん玉の曇りを舐めて大守宮 その大守宮の姿は、蜥蜴などの爬虫類の特徴的なしぐさとして誰でも想像できるだろう。(略) 海底に白き蟹(かに)群れ良夜かな 人々にとっての良夜の下で不気味に白い蟹が群れている。背景に源平合戦の平家蟹を想起させるような句である。 自然界にみる人間社会。花鳥諷詠と言われる俳句は、もしかしたらそのものが人間社会の暗喩ではないだろうかと見えてくる。大守宮は支配者であり目ん玉の曇りを舐めている。曇りとは何か、良夜の下で群れている蟹とは。そこからはぞくっとする怖さが顔を出す。(略) まさに俳句そのものが「人間の影」かもしれない。(略) 私たちを取り囲む人間社会と私たちの人生。俳句はこの人間社会と人生の暗喩とも言える。句集のタイトルともなった、 人間の影こそ荊棘夜の秋 まさに俳句そのものが「人間の影」かもしれない。 すでに早咲きの桜が満開だった。 今年は翡翠の交尾にひきつづき、鷹の交尾を目撃するとは、いったい、、、 #
by fragie777
| 2026-03-08 19:21
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3月7日(土) 旧暦1月19日
翔び立とうとしている白鷺。 いつもあっという間に翔びたってしまうので、こんな風に写真にとれるのはなかなかない。 翔ぶ姿もなかなか美しい。 「週刊新潮」の小澤實さんによる「新々句歌歳時記」にとりあげられた句を紹介したい。 2月26日、3月5日合併号には、石田郷子句集『万の枝』より。 金縷梅に顔集まつて来たりけり 石田郷子 (略)早春の山を吟行していて、「金縷梅が咲いている」と声があがる。その声と花の元に仲間が集まってくるのだ。この句は「顔集まつて」と絞ったのが、巧み。顔々を花が照らす。ほかに「むささびの穴の下なる秋祭」作者は昭和三十三年生まれ。山田みづえに師事。「椋」代表。「星の木」所属。『万の枝』(令和六年・ふらんす堂) おなじく3月12日号は、津川絵理子句集『はじまりの樹』より。 教室の入口ふたつヒヤシンス 津川絵理子 (略)ヒヤシンスは鉢植えのものが、教卓に置かれているか。色は白か。みごとな単純化が、想像を広げさせる。他に「砂時計砂のももいろ春を待つ」。作者は昭和四十三年生まれ。鷲谷七菜子、山上樹実雄に師事。「南風」顧問。『はじまりの樹』(平成二十四年・ふらんす堂) 甘いものほどとりすぎるとすぐに飽きがくる。 そして胸がわるくなるほど見るのもいやになる。 これはシェイクスピアの『夏の夜の夢』のライサンダーのセリフであるが、甘いものにとりつかれているyamaokaにとっては、こんなセリフを吐いてみたいと思っている。 成城に「あんや」という和菓子屋さんがある。 甘味処もあって、成城にでたときはほぼ必ず立ち寄るお店である。 ここの「あんみつ」が最高に美味しいのである。 「あんみつ」には目がなくていろんなところのを食べてきたが、目下、この「あんや」以上のお店はみつからない。 今日のお昼はここで、「稲庭肉味噌うどん」と食べたあと、「あんみつ」を頼んだ。 うどんをたいらげて、「あんみつ」を待っていたところ、お隣に赤ちゃんをつれた若夫婦がやってきた。 そして、そくざに「和三盆の(アイス)クリームあんみつ」を二つ頼んでいた。 わたしのが先にきて、すぐそのあとに「和三盆」のがやってきた。 (ここのあんみつ、餡といい、黒蜜といい、寒天といい、もう最高だわ)と思いつつ、舌鼓をうっていたところ、おとなりの夫君が、 「ああ、やっぱり美味いね。寒天のやわらかさ、あんこのあまさetc.etc)と妻さんに言っている。 (そうなのよねー。異議なし)わたしは黙って心でふかくうなづきながら、とろりとした黒蜜を舌の上に載せたのだった。 ここは和菓子を買いにくる客が絶えることがない。 お店に入ったときは、桜餅のあまい香りがした。 「買いたい!」っておもったけど、こらえた。 夜には、ゴディバのアイスクリームが待っているのである。 もうヤバイわ。。 上のシェイクスピアのセリフは、恋人への辛辣な言葉で、恋心のうつろいやすさがこめられている言葉であるが。。。 あんみつの写真を撮ればよかったのだけど、わたしは食べ物の写真をまずとれない。 食い気が先行してしまい、撮ることをわすれてしまう。 おとなりの夫君はちゃんと撮っていた。 Instagramにあげるのかな。。。 #
by fragie777
| 2026-03-07 19:29
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3月6日(金) 蟄虫啓戸(すごもりむしとをひらく) 旧暦1月18日
椿。 藪椿である。 藪椿は可憐な感じがして好き。 今日は新刊紹介をしたい。 四六判仮フランス製本カバー装帯有り 202ページ 2句組 著者の藤澤恭子(ふじさわ・やすこ)さんは、1937年兵庫県西宮市生まれ。1997年「天為」入会、2006年「天為」同人。現在「天為」同人。俳人協会会員。本句集は第1句集となり、日原傳氏が序文を寄せている。 序文を抜粋して紹介したい。 「恭子さんの俳句の特徴としては、まず詠まれた素材の多彩さを挙げることが出来よう。」として、沢山の句をあげて鑑賞をしておられるが、そのうちのいくつかをここでは紹介したい。 後三年の駅舎に雪の限りなく 法螺猛る雪の鵜の瀬や送水会 實相寺宇宙桜の六花弁 また、「恭子さんの句には、絵画・陶芸・建築・音楽といった分野の芸術作品を詠み込んだ作も多い。」として、 春深しモランディの瓶一列に 黄落の真つ只中にゴッホ展 あさがほやルーシー・リーの白磁碗 鵙高音三川望む聴竹居 草屋根の「タンポポハウス」春を待つ 囀りのコロラトゥーラの山路かな この「コロラトゥーラ」の句は、帯文にもひかれ、 「山路を歩きながら耳にした鳥の囀りをコロラトゥーラだと感じ取った。普段から音楽に親しんでいなければ湧かない発想であろう。」と。 「コロラトゥーラ」で、わたしがすぐに思いうかべるのは、モオツァルトのオペラ「魔笛」の夜の女王のアリアである。これはあまりにも有名なのですぐに誰もがああ、あれねって思い浮かべるとおもう。あのアリアを聴いていると、やっぱいいんだわ。好きでときどき聞きたくなる。 本句集の担当は、Pさん。 百歳の声の明るき初電話 真ん中を川流れゆく野焼かな 抱卵の軍鶏の眼ひかる青葉闇 雨脚の弾みて弾む半夏生 朝顔市其一の紺青探しをり 若冲の鶏放たれて神の留守 霜降月手のやはらかき鍼灸師 朝顔市其一の紺青探しをり 朝顔市に作者はやってきた。ちょっと気合いが入っている。それは朝顔であればなんでも良いというわけにはいかないのである。こだわりがある。「其一の紺青」の色の朝顔を手に入れたいと思っているのだ。「其一の紺青」とは「朝顔図屏風」と題した鈴木其一によって描かれた朝顔の色のことなのだ。有名な絵なので其一の朝顔で、ああ、あれねって思い浮かべる人もいるとおもうが、金地にうねるようにたくさんの紺色の朝顔が描かれている。解説によるとというか見てもわかるのだが、紺と緑と白しか色をつかっていない。すばらしい屏風である。作者のその紺青は作者のこころを捉えてしまった。ゆえに実際の朝顔をみても、あの「紺青が」とこだわってしまう。藤澤さんは、その色の朝顔を見いだすことができたのだろうか。〈若冲の鶏放たれて神の留守〉という句によっても、日原傳さんが序文でも書かれているように、芸術への造詣が深い方であるようだ。 霜降月手のやはらかき鍼灸師 ふっくらとした鍼灸師の手をおもいうかべる。やわらかそうな手の先には、細くて鋭くつめたそうな針がひかる。たぶん作者は鍼灸の施術をうけているときに、ふっとその手をみてあらためて思ったのだろう。この一句、「霜降月」の季語が効果的だ。こういう季語はなかなか使いにくいと思うが、この季語によって中七下五の措辞の平凡さをが免れているように思う。字余りの上の句のイ音を効果的に響かせて一気に読みくだし、そして中七はゆったりと、下五によってふたたびイ音でしめる。この句「シ」ではじまり、「シ」でおわるというのも巧みであるが、意図せずに得たものだとも。 パイプオルガン雪の日のバッハかな 日原傳さんが序文であげておられ、作者も自選十二句にいれておられる一句である。雪が降る日にパイプオルガンを聴きに行かれたのか。バッハの宗教曲をどこかパイプオルガンがある教会へでも行かれたのか。雪の白さ、パイプオルガンの荘厳なひびき、そしてバッハの魂をふさぶるような音のひびき、ヒエ-、って思ってしまうぐらい決まりすぎだ。うらやましい、教会でパイプオルガンによるバッハを聴いたことはあったけれど、雪がなかった。この「雪の日」であることで、世界は全然違ってみえる。「パイプオルガン」「バッハ」「雪」の三つの要素を上手に並べて巧みな一句に仕上げたと思う。 うぐひすの貌見ゆるほど窓磨く これはおもわず笑ってしまった句。うぐいすは声をとどろかせるが、姿をみせることはすくない。というか、ましてやその顔をみることなんてなかなかない。図鑑などでみても地味な姿である。この句、鶯の声がきこえたのか、しかし、鳴き声を聞くだけでは満足しないので、その顔をみたいとおもった。窓をあければ鶯は音と気配で逃げてしまう。だから、窓を懸命に磨いているのだ。鶯は声を愛でるもの、そんなのでは満足せず顔をみるために窓を磨く。その必死さが面白い。 母若く逝きけり紫苑咲いてをり 好きな一句である。「母若く逝きけり」と「紫苑咲いてをり」が対句となっている。関係ないようであるが、作者のこころのなかでは紫苑を見ながら、若くして逝った母への思いがあふれているのである。ただ、ふたつの事実を除して対句のようにおくことで、押さえられた感情がその緊張感のなかでせめぎあっている。その作者の感情が読者に伝わってきて、切なくなる。丈高くすっくと咲く紫苑、そして老いることのない若き母、作者はきっと母の齢を超えてしまって、紫苑のまえに佇んでいる。 校正スタッフのみおさんは、〈夕虹や猫の足跡拭いてをり〉 「西日の射し込む縁台でしょうか。とても懐かしい気持ちになりました。」 おなじく校正スタッフの幸香さんは、〈またもとの蓮までもどり思ひ出す〉 「この句に特に惹かれました」 句集『田舟』は平成九年より令和七年までに詠んだ句のうち、故有馬朗人先生にご選句頂いた句を中心に三三三句を納めた私の第一句集です。 還暦の頃にはじめた俳句もいつしか米寿を迎えました。身心元気なうちに作品を纏めておきたいと思い、この度上梓することと致しました。 今は亡き有馬朗人先生、ひろこ先生には初学の頃よりご懇切なご指導を賜り、師の亡きあと日原傳先生、津久井紀代先生のご指導を頂き今日に至りました。 結婚を機に関西を離れ夫と国内外を転勤する生活が続きました。齢と共に懐かしい故郷に近い奈良、京都、近江など地歴の地へ自然と足が向き各地の神事、祭事などを訪ね歩きました。 俳句によってご縁を頂いた諸先輩の皆さまにお教え頂いたこと、またよき句友に恵れ、たくさんの刺激を受けられたことに心より感謝申し上げます。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本の装幀は、君嶋真理子さん。 句集名「田舟」は、〈田舟乗り八月大名来りけり〉による。 タイトルはつやありの金箔。 上品な藤色がテーマカラーである。 本句集を纏める過程で、恭子さんはご自身の俳句を見つめ直す時間を多く持たれたことであろう。そこで得たものを糧として、作句活動の新たなる一歩を踏み出されることを期待して筆を擱く。(日原傳/序) メールですこしご感想をいただいた。 拙句集上梓 感無量でございます。 装丁が好評で、私も図柄、色調に田舟の雰囲気を感じ金文字も映えて、装丁ご担当の君嶋真理子様にどうぞよろしく申し上げて下さいませ。 帯の表、日原先生の評も有難く思っております。 米寿に当たり生涯最良の記念となりました。 誠に有難うございました。 担当のPさんの弁。 最初装幀はお好きな青海波になる予定でしたが、今回の装幀がタイトルの「田舟」の「田」の字を表しているとご説明したらとても気に入られて決定となりました。 句にもたくさんの色彩が詠み込まれていますが、マチスの藍色といった綺麗な色を愛されていらっしゃるので、見返しの淡い色味にもこだわられました。 綺麗なご本に仕上がり喜んでいただけてよかったです。 これからの余生を、俳句を杖として歩んでまいりたいと希っております。 「あとがき」より。 少年のひたすら巣箱作る黙 藤澤恭子 #
by fragie777
| 2026-03-06 19:44
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