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3月18日(月) 旧暦2月7日
柃(ひさかき)の花。 小さな渋い花である。 しかし、 見つけると嬉しい。 青木の花。 この花も渋い。 よく見るとかわいい花である。 春は、華やかな草花にどうしても目がいってしまうが、このようにひっそりとさいている花を見つけるのも楽しい。 新聞記事を紹介したい。 3月16日づけの讀賣新聞の長谷川櫂さんの「四季」は、千鳥由貴句集『巣立鳥』より。 ここからは真の山路や西行忌 千鳥由貴 「この句、山道をゆく西行に託して、ようやく人生の難所にかかろうとする自分を励ましているのだろう」と長谷川さん。 17日付けのおなじく讀賣新聞の長谷川櫂さんの「四季」は、箕輪カオル句集『旅人の木』より。 早春の小舟けたけた笑ふ波 箕輪カオル 「波に揺られて舟がけたけた笑う。小さなボートやヨットを操ったことのある人ならわかる。」と長谷川さん。 今日はこれから新宿・京王プラザホテルにて、俳人協会賞の授賞式があり、 これから行きます。 明日のブログで紹介します。 では、行ってきます。 春のあたたかさに満ちて。 #
by fragie777
| 2024-03-18 18:00
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3月17日(日) 旧暦2月8日
今日の大鷹、ミゲル(♀)。 今日は会えないかもしれないな、って思いながらブラブラしていた。 (ミゲル、姿見せてよ)って呟きながら。 すると鋭い鷹の鳴き声が。 ヒマラヤ杉のあたりだ。 大きなカメラをさげた男性がふたりすでにカメラを向けている。 わたしも急いで声のしたほうに行く。 いた、いた。 凜々しい姿。 ここから飛んで、先に紹介した写真の方へと行ったのだった。 「最近は大鷹にあわないんですか」って昨日お会いしたE子さんに尋ねられた。 このブログをみておられるらしい。 「そうなんです。この間行ったときは出かけてました。」とわたしは答えたのだが、 E子さん、いましたよ! 会えました! わがミゲル、です。 会えて、嬉しいな。。。 芽吹く大樹烏とまりて鷹となる 山口青邨 神代植物園は、白木蓮が花盛りだった。 いろいろと咲いていたが、なかでも この白木蓮が気に入った。 象牙色の花弁。 蕊のまわりのほのかなピンク色。 蕊に小さな虫がたかっている。 この花びらがほどけかけた形が造形的である。 じいっと見つめていたい。 今日の神代植物園はまあまあの賑わいだった。 コロナ下のときは、ほとんど人がいなくて貸し切り状態。 花も多くの人に見られて満足だろう。 白れむに夕日の金のしたたれり 臼田亞浪 わたしはこのブログを仕事場で書いているのだが、 どうやら寝てしまったらしい。 机につっぷしていた顔をあげると、 一瞬どこに自分がいて、どういう状況か分からなかった。 いったいどのくらい寝ていたのだろう。 時計をみるとすでに夜の7時を過ぎているではないか。。。。 もう帰らなくては。。。 今日の鵯。 #
by fragie777
| 2024-03-17 19:09
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3月16日(土) 旧暦2月7日
うららかな春の一日。 昼間は国立の谷保の里山で友人たちと春を満喫し、 夕方は上野・東天紅での現代俳句協会の懇親会に行く。 谷保天神裏の藪の道では藪椿が咲いていた。 椿では藪椿が好き。 花を大きく開かず、ややうつむいて咲く。 そして野趣がある。 鵯が出たり入ったり大忙しだった。 わたしの目の前に止まった鵯。 蜷と蜷の道だらけの池。 みんなで覗く。 畑仕事をするひとたち。 猫が現れた。 鈴をつけている。 必死で穴を掘りだした。 何をするんだろう。 用をお足しになったのだった。 春光に満ちた雑木林。 犬ふぐり、仏の座、ぺんぺん草であふれている。 友人たちが行ってしまったあと、 はこべの花を見つけた。 きっと誰も気づかなかったとおもう。 本当に可憐な花である。 しばらく見入る。 池のほとりで子どもたちが遊んでいる。 水に手をつっこんで楽しそうだ。 春なんだなあって思う。 そして、わたしは上野に向かう。 東天紅より不忍池をながめる。 夕焼けがビルを染め上げている。 現代俳句協会の今日の会は懇親会の前に新役員の発表があった。 懇親会では、元会長の中村和弘さんのご挨拶、そして新会長の高野ムツオさんのご挨拶があった。 いろいろな方にお目にかかった。 久しぶりにお会いする方もいらした。 池田澄子さんがわたしの格好をみて、「何よ、あなた、若者みたいね。」っておっしゃるので、 「すみません。顔がR女で」って申し上げて笑った。 池田澄子さんは、ちっともお変わりにならず、若々しい。 椿咲くたびに逢いたくなっちゃだめ 池田澄子 という句を今日の椿とともに思い出した。 林桂さんにお会いすると、やおら原稿を取り出して 「yamaokaさん、髙柳重信の百句、書きましたよ」っておっしゃる。 「ええっ、絶対まだだと思ってました」とわたし。 「あとは解説だけです。今日は百句の部分だけ読んでほしいと持ってきました」 ということで、全部には目を通せないけれど、はじめの部分を拝読する。 わたしの好きな重信の句が並んでいる。それがまず嬉しい。 いろんな資料に当たられていて、鑑賞に奥行がある。 この仕事にたくさんの時間を費やされたろうということが伝わってくる。 そして、鑑賞の字数がきっちりと守られていて見た目が美しい。 それも発見。 字数制限をしたのだけど、それについては執筆者にお任せしている。 いろいろと嬉しくなって、 おもわず、林さんとお原稿の写真をとらせてもらったのだった。 3月中には原稿をいただけるかもしれない。 #
by fragie777
| 2024-03-16 22:52
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3月15日(金) 菜虫化蝶(なむしちょうとなる) 旧暦2月6日
仙川のコガモの番い。 仲のよい鴨である。 こちらはヒドリガモのメス。 コガモもヒドリガモも、まもなく帰ってしまう。 この日、川鵜もいた。 ハンターの目をしている。 ジョウビタキ(♀)がいるとは珍しい。 うららかな春のはじまり。 自転車で仕事場へ。 今日の毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、小川軽舟句集『俳句日記2014 掌をかざす』より。 春蘭や岳父と丈母相寄れる 小川軽舟 「岳父は妻の父、丈母は妻の母。シュンランの花のようすから岳父、丈母という言葉が浮かんでこの句になったか」と坪内さん。 ところでこの句集『掌をかざす』は、2014年の刊行である。ということは、10年前! もうそんなに年月が経ったのか。。。そのことに驚いている。 もう一つ、新聞記事を紹介したい。 少し前になるが、2月23日付けの南海日日新聞の文化欄にて、築秋雄詩集『漂流詩人の唄』が書評にとりあげられている。 評者は詩人の仲川文子さん。 タイトルは「魂の叫びが聴こえる」。抜粋して紹介したい。 「打ちのめされた果てに残るものこそが自分にとっての詩とするならば、恐れずリングに向かうのみ。」 そして中原中也の言葉を引用した書きだし。 昨年11月に刊行された詩集『漂流詩人の唄」。著者は築秋雄氏。シンガー・ソングライターとして活躍中だが、初めての詩集だという。(略) 詩のジャンルの中でも築氏の詩の特徴は、シラブル(音節)が整えられ、すぐに曲をつけて歌えるような形式になっていること。 最後に詩人・築秋雄は、島唄の世界と融合する。これは必然なことだと言えるだろう。 『飛翔のテーマ」「アサバナロック」「今日ぬ誇らしゃ永遠にあほらしたぼれ」 これらに表現される独自のメッセージは、繊細な精神とは裏腹に、現実を乗り越えようとする力強さが感じられる。 生まれ育った奄美の常緑の山々や海。そして白い砂浜。いつ、どのような時も、無償の愛を注いでくれた家族。 今後の活動は、そのもろもろに歓喜の唄を届けることが望まれるだろう。 そのことが自身の喜びにつながることを信じて。 『漂流詩人の唄』 定価≠2500円+税 漂流詩人の唄 街を蹴け って 大空に舞い上がって 雲を吐いて カリオペにくちづけして ペンを持って 目を閉じて 風を待って 夢から夢へ彷徨(さまよ )うホメロスみたいに 生きるのさ! ラジオ消して 窓の埃ほこりを払って 道をつくって ミノタウロスを殺して ペンを持って 目を閉じて 波を待って 夢から夢へ彷徨うホメロスみたいに 唄うのさ! 人は俺を 漂流詩人と呼ぶ 人は俺を 哀れな負ル ーザーけ犬と呼ぶ だけど俺は ペンを持って 世界を砕いて 夢から夢へ彷徨うホメロスみたいに 叫び続けるのさ! 街を蹴って… 雲を吐いて… ラジオ消して… 道をつくって… 仙川にはもう菜の花が咲いていた。 #
by fragie777
| 2024-03-15 18:22
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3月14日(木) 旧暦2月5日
芽吹き。 この芽吹きの美しいみどりは一瞬である。 今日はあたたかな春の日となった。 革ジャンパーをはおって昼休みに仙川商店街をぶらぶら歩いていたのだが、すでに重たく脱ぎたくなった。 岸本尚毅さんが、今日の神奈川新聞の「俳壇時評」で、高橋睦郎句集『花や鳥』をとりあげて評しておられる。 抜粋して紹介をしておきたい。 「言葉の腕っぷし」と題して、「その言葉の腕っぷしの強さに驚く」という書きだしで、驚いた句を紹介している。 ここではそのうちのいくつかを。 「雨雲の割れてどくだみ浄土かな」はスケッチ風に書くなら「雨雲の割れてどくだみばかりかな」という程度か。しかしこの句にはそこはかとない荘厳さが漂う。それは、「浄土」の効果だ。「浄土」という言葉は句を抹香臭くする懸念があるが、そうならなかったのは、雲が割れる「来迎図」的な景が「浄土」感を素直に導出するから。十薬の花の一種由々しい感じも「浄土」に通じる。(略) 「閑(のどか)とは億兆の魔の黙(しじま)かな』にも驚いた。「長閑(のどか)」はのんびりした春の気分。ところがこの句は、この長閑さは、無数の魔が瞬時沈黙しているだけだという。あらゆる凶事の背後にある「魔」の領域を垣間見たような句だ。(略) 「婚さびし二人さみしと年賀状」は「さびし」と「さみし」を使い分けた。「さびし」が伏線となり、もっと情緒的な「さみし」という言葉が生きるのだ。ちなみに萩原朔太郎の「地面の底の病気の顔」という詩では「さみしい病人の顔」のあとに「さびしい病気の地面」が出てくる。 そして、「あとがき」に記されている文章をうけて、 我々俳人は未熟さゆえの難解さを脱した「平明な只事句」に安住しがちだ。だが、高みを求めるならば、高次元の難解さに立ち向かい続けなければならない。先達の叱咤激励である。 「言葉の腕っぷし」とは良きことばだなあ。。。 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装帯有り 128頁 平木たんま(ひらき・たんま)さんは、1939年埼玉県生まれ、さいたま市在住。俳誌「寒雷」(加藤楸邨主宰)、俳誌「海程」(金子兜太主宰)の元同人。詩誌「地球」(秋谷豊主宰)参加、個人誌「島」に参加。現在は詩誌「豆の木」「ここから」に所属。句集『漂鳥』、詩集『犀の角のように』を上梓しておられる。本詩集は第2詩集となる。 老いを重ねてを杖をつき言葉を探し歩き、手に入れたものを味わうのは良いものです。言葉の方も喜びや悲しみを体験した老人を歓迎してくれています。昔日の容色は衰えましたがそれなりの楽しみはあるものです。 と「あとがき」に記す平木たんまさんは、今年85歳になられる。 本詩集にも、年齢をかさねたゆえに生まれたことばたちがしずかに息をしている。 荒川(春) 急斜面を下りると川 若草に見え隠れして 川はふくらみ 折りあらば実力を見せたいと 太陽と手を繋ぎ 音もなく、ぐいぐい行く かすむ秩父の山々とおなじ色で なにくわぬ顔をして来る 何をして来たのだろう 川底の泥の感情 なにもかも無言で飲み込み底を見せない わたしはこの川の上流で生れた 貧しい子供と清らかな流れ 学び、手に入れ、老いて しなやかな肢体も水底の白い石も わたしの記憶に残るのみ 土手に登ると 鶯が鳴く、川風も登ってくる どすの利いた底の見えないたっぷりな水量 甘く豊かな泥の感情 行く手の新しい緑につき進んで行く この詩集の詩は、何度も読み返し不要と思われる言葉を除き、必要と思われる言葉を加え、自分以外の人も読んで頂けるようにと考えました。わたしはこれまで長い間この大切なことをしておりませんでした。詩になりそうなものを拾い上げることには努力しましたが、作品にするという意識に欠けておりました。ようやく詩に目覚めたのでしょう。そういう訳で以前より良い作品になったと思いましたが、いまはどうか分からなくなっております。曲がりなりにも手に入れた言葉たちをこうして纏められたのは嬉しいことです。 ふたたび「あとがき」より。 本詩集の担当は文己さん。 文己さんの好きな詩を一篇紹介したい。 半袖のブラウスで 若葉の季節 いま着いたばかりのように 自転車を傾け片脚を地につけていた しなやかな肢体 問いかけるように瞳を開き わたしを見つめていた あなたが通る筈のないところなので 待っていたと直感した 立ち止まることも近づくことも出来ない 明るく爽やかな緑 わたしは驚きと喜びでいっぱいになった キューピッドも天使も信じることが出来た 若いわたしが半袖のブラウスで 自転車に乗ると うぶ毛をくすぐる風が過ぎた 忘れたりしない 膨大な記憶を分けて行けば 宝石の原石のように見つかる こころの塊 本詩集の装釘は君嶋真理子さん。 平木たんまさんのご希望をできるだけ活かした装釘となった。 あたたかな黄色が印象的な一冊となった。 本詩集ができあがったときにいただいたメールは、 わが家の梅が咲いたので公園の梅林へ行き詩の材料を拾ってきました。 素直に読めるものを書いています。さりげないものだけれど書こうとしないと書けないです。 今日、本が届きました。 軽くて手ごろで親しみやすい大きさで気に入りました。 きっとこれからも平木たんまさんは、詩を書いていかれるでしょう。 この一冊の詩集からそんな想いが伝わってきます。 老をかさねてさらに耀く詩のことばを手にいれられますように。 もう一篇詩を紹介したい。 「『ゆらゆら』という作品に惹かれました。『ゆらゆら』というかわいらしいオノマトペとは裏腹に、ちょっとひんやりするような読後感が好きです。」と、校正スタッフのみおさん、 ゆらゆら 霧雨に濡れる蔓隠元の 巻きついた蔓が伸び 雫のついた頭を下げ 弓のように曲がる 起き上がる 上下に振る 風に触れたそぶりで 回転する ゆらゆら あちらに傾きこちらに傾く 探している 狙っている あの振り方 どこかで見たことがある そうだ、蛭だ 沼への道で出会った、飢えた小さな山蛭だ 落葉と同じ色をして小径に現われ 血の臭いに歓喜し 身を細くして立ちあがり 落葉の上で待ち伏せしていた ゆらゆら揺れていて 厚い靴下の上からでも忍び込み 血を吸い膨らんでころんとなった 決死の蛭だ 血がほしい 支えがほしい ゆらゆら #
by fragie777
| 2024-03-14 19:05
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