カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
画像一覧
|
4月1日(土) エイプリルフール 旧閏暦2月11日
さまざまな用事をなんとかすませて、夕方ご近所の丸池公園にいく。 ずいぶん久しぶりだ。 榠樝の花が咲いていた。 夕日のなかでその色を濃くしている。 可憐な花である。 豊かに水が湧き出る丸池公園。 親子連れがザリガニ採りをしていた。 仙川に沿って、大きなカメラをかかえた人たちが欄干に並んでいる。 翡翠ねらいである。 一羽の翡翠がいた。 さっと飛び立つと、「おおっ」って言ってみなゾゾっと翡翠の行く手にむかっていく。 それぞれ素晴らしい写真を撮っていて、情報交換などもされているらしい。 仙川沿いの桜は、染井吉野はおおかた散って、大島桜が満開だった。 そして何よりも壮観だったのは、川いちめんの花びらである。 落花が織りなすマーブル模様が美しい。 鴨が二羽やってくる。 鴨たちも桜の花びらをよろこんでいるかのよう。 日は沈みつつ、 わたしはベンチに腰掛けて夕日を楽しむ。。 春の夕暮れは気持ちが伸びやかになる。 (yamaokaはいつも気持ちが伸びきっているだろうって、 まあ、そういうこともありますが、いいじゃあないですか…) くつろぐわたしの足。 あはっ。 今年はここの桜は見られないかもしれないって思っていた。 さっ。 帰ろうっと。 わたしはすっかり満足して立ちあがる。 帰りに出会った翡翠の番。左がメス。 あたりにはもう誰もいない。 わたしは一羽に話しかける。 「ねえ、こっち向いて」 おお、ヤッタネ! かんばせに当り落花の音を立て 深見けん二 夕日にすきとおる桜が美しい。 #
by fragie777
| 2023-04-01 21:11
|
Comments(0)
3月31日(金) 雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす) 旧閏暦2月10日
今日はずいぶんあたたかだ。 わたしは自転車で仙川沿いを仕事場まで行くことにした。 ひさしぶりだ。 渡ってきた鴨たちはおおかたもう帰ってしまっただろう。 川は菜の花が咲き溢れ、桜は散りはじめている。 オナガカモはすでにさっさっと帰ってしまった。 他の鴨たちはどうかな。。。 覗いてみると、 あらら、いるいる。 桜の花びらのなかでみなのどかである。 真鴨のつがい。 ヒドリガモ。 コガモだ。 コガモは一番おそく帰っていく。 美しいヨシガモ。 この鴨は仙川に居着いてしまったのだ。 いつも一羽で、ほかの鴨たちに混じっている。 仙川の住人である軽鴨は大騒ぎをしていた。 ほかにハクセキレイ、キセキレイ、雀、椋鳥、四十雀など、鳥たちはのびやかに春を満喫していた。 わたしも鳥たちといっしょにわずかな時間の春を満喫。 たくさんの保育園児に出会った。 今日は税金等を支払う日。 郵便局のATMで並んで待っていたところ、ふとみるとわたしの前の前の人の足元に一円が落ちている。 よく目立つところだ。 多分そこにいる人たちは気づいているだろう。 でも誰も拾わない。 わたしは足元のそれを拾った。 用をすませて、窓口に「落ちてました」とわたして立ち去ろうとしたとき、声をかけられた。 「ケンリはどうしますか?」 えっ、一瞬なんのことか分からなかった。 ふりかえると、窓口の男性が 「ケンリはどうしますか。」ともう一度いう。そして、「放棄しますか?」って。 ああ!、そういうこと。 「放棄します」って言って、立ち去ったのだけど、 きっと落とし主は現れないだろうから、『放棄しません」って言って、あとでもらっても良かったかな、とも。 こういう時ってどうします? お客さまがおふたりみえる。 守屋明俊さんと寺田幸子さん。 寺田幸子さんの句集刊行のご相談にみえられたのだ。 寺田幸子さんば、守屋明俊さんが代表つとめる俳誌「閏」の同人である。 かつて俳誌「未来図」に所属しておられ、現在は「閏」の同人。 はじめての句集を上梓されることになった。 担当はPさん。 たくさんの見本を御覧になって、造本をお決めになった。 ご本人にも、おおかたのイメージはおありだったようで、ご希望の造本の見本をご持参されたのだった。 守屋明俊代表と寺田幸子さん ふらんす堂に来られるのに道にすこし迷われたということ。 「そうでしたか。お電話をくださればお迎えにまいりましたのに」と申しあげると 「いえいえ、桜の季節ですから、桜を眺めながら道に迷うというのも悪くないですね」とにっこりされた守屋明俊さんだった。 俳誌「閏(うるう)」第14号。(隔月刊) 守屋明俊代表が、同人全員の句の鑑賞をされている。 お互いにじっくり学んでいこうという姿勢がみえる俳誌である。 #
by fragie777
| 2023-03-31 19:09
|
Comments(0)
3月30日(木) 旧閏暦2月9日
神代植物園の枝垂桜。 大きな桜の木である。 木曜のみ車で出勤するので、今日は仰山冬物を車につめこんだ。 クリーニングに出すためであり、すでに仕上がっているものを受け取るためでもある。 で、お昼休みに商店街にあるクリーニング屋さんに冬物をかかえて、「ちょっと行ってきます」と出かけていった。 そしたら、なんとお休みだった。。。。 わたしの気合いは一気にそがれ、ふたたび仰山の冬物を仕事場に持ち帰った次第である。 ヤレヤレ。。。。 新刊紹介をしたい。 四六判函入り上製本 290頁 二句組 写真でもわかるように枝垂桜を配した一冊である。ゆえに今日の写真はどうしても枝垂れ桜にしたかったのである。 そして、作者の山口一世(やまぐち・かずよ)さんは、もうこの世にはおられない。ご本をすすめていく過程で亡くなられたのだった。 本書は、ご長男で山口建氏(静岡県立静岡がんセンター総長)によって主にすすめられたものである。 山口一世さんは、昭和2年(1927)三重県生まれ、俳誌「天狼」(山口誓子主宰)、「狩」(鷹羽狩行主宰)を経て、「香雨」(片山由美子主宰)のそれぞれの同人として俳句をつくって来られた方だ。すでにふらんす堂より第1句集『雛の灯』(1998)、第2句集『色鳥』(2009)を私家版として上梓されている。本句集は、大きく二つにわかれ、前半は「明り窓」と題して、平成19年(2007)から令和4年(2029)の作品を収録、後半は「付 思い出」と題して昭和47年から平成20年までの作品とご自身が描かれた俳画を30点を収録している。これらの編集はすべて山口建氏をはじめとするお子さまがたの意向による編集である。山口建氏が「第三句集に寄せて」と題して、文章を書かれているので、抜粋して紹介したい。 山口氏は、第1句集、第2句集よりそれぞれ一句を紹介しながら、その背後にある母親の人生にふれ「こうした家族が共有する句は、単に「写生」にとどまらず、時空を飛び越えて、当時の情景やその後の人生までを、私たちの脳裏に鮮やかによみがえらせてくれます。」と語る。 そして、 平成二十一年に第二句集を刊行したのちも、母は小さな黒い俳句帳を常に持ち歩き積極的に作句を続けていました。九十歳を過ぎた頃、問われるがままに、「いろいろなことがわかって、やっと、少し納得できる句ができるようになった」と申します。そこで、母の俳句人生の集大成となる第三句集の刊行を強く勧めました。また、家族からの要望として、第三句集以前の昭和三十七年から平成二十年までの代表句や思い出の句を母に選んでもらい、描きためた俳画を添えて、「付 思い出」としてまとめました。 今、人生百年時代が現実のものとなりつつあります。人間の身体や体力は高齢になれば衰えます。しかし、幸い、心は衰えを知らぬ存在です。そして、知恵は、何歳になろうとも努力によって増え続けます。母にとって俳句との出会いは、若い心を保ち、知恵を伸ばし続けるよすがとなりました。また、十七文字の文学を介した見知らぬ人々との密な俳句界交流も母の楽しみの一つになっています。第三句集が俳人の皆様との新たな縁を結ぶきっかけになることを願っています。 この句集がどのような経緯によって、いや、母へのどのような思いによって形作られていったかを記されている。そこには医師として母の老いをみつめる視点も当然ながらあったと思う。また、素晴らしいと思うのは、九十歳をすぎ句歴60年以上となる山口一世さんが、「やっと納得できる句ができるようになった」とおっしゃっていたこと。そして、子どもたちもまた俳句に向き合う母を深く理解をしていたことである。 本句集の担当はPさん。時間をかけながら丁寧に作業はすすんでいった。 寄り添ひて強き火となる螢かな 蜜豆や青春引き寄せたき銀座 滅びゆくものは一気に牡丹散る 日の匂ひさせ野遊びの子が戻る 青芝に伸ばす手足の若さかな Pさんの好きな句をあげてもらった。 蜜豆や青春引き寄せたき銀座 そうなのか、山口一世さんにとって「青春」は「銀座」に結びつくのか。お医者さまご一家ということもあって、上品なご家庭であったのだと思う。山口建氏は、「薬剤師として忙し働いていた母」と書かれ、働く母のイメージもおありのようだが、青春時代はきっと銀座でお友達と「蜜豆」を食べてたのしいひとときを過ごされたんだと思う。作家の中村真一郎さんが、何かの本に「美人に会いたくなったら銀座に行く」って書いていたけれど、かつて(今もか)銀座は良き家の美しいお嬢さんたちが遊ぶ場所だったのかもしれない。わたしにとっては「銀座」はいまも「大人の街」というイメージである。敷居がやや高い。じゃ、青春の街って聞かれたら、やはり新宿だ。東京でもっとも好きな都会の街だ。なぜって、不敵な目をした黒衣の天使にすれ違いそうじゃない。どこか不穏、ちょっとワクワクする。って、そんなことはどうでもいいわよね。〈歌舞伎座を出て掛けらるる春ショール〉という句もあって、これもどこか優雅。 青芝に伸ばす手足の若さかな みずみずしい緑がまず立ち上がり、白く眩しい素肌の手足が見えてくる、そんな一句だ。梅雨の季節がおわったころに一気に芝は成長する。その勢いはさわると痛いくらいだ、だから、その生気に拮抗できるくらいの勢いをもった手足でなくてはいけない。となればこれは「若さ」しかない。この若さは小さな子どもではない。子どもの手足はまだやわらく、青芝には勝てない。青芝にこうぐっと伸ばすことのできる手足となればそれば、青春期真っ只中の手足だ。「若き手足かな」ではなく「手足の若さかな」と言い留めたことによって、下5に「ア行」の音がつづくことになり、句に解放感をもたらしている。「青芝」のア音ではじまり「ア行」で終わることも句を広やかなものとしているのではないだろうか。さらには「イ行」の音も効果的に働いているのでは。。。〈日の匂ひさせ野遊びの子が戻る〉も良い句だと思う。 羅を脱ぎ落したる疲れかな この一句、わたしはおもしろいと思った。「羅(うすもの)が季語。夏の単衣の着物のことで、「絽」や「紗」や「上布」などなどいろいろとある。夏の着物は見る人には涼感をあたえるが、着ているほうは結構暑い。しかし、いいわよねえ、暑い盛りに「羅」を着こなしている人を見るのは。しばし、見とれてしまう。それだけに着る方は気合いがいる。袷の着物をきたほうが意識としては楽だと思う。この句「脱ぎ落としたる」が巧みだと思う。単に「脱ぐ」ではなく「脱ぎ落とす」ことによって、軽やかなうすものがさらさらと身体から離れて行く様子が見えてくるし、一刻もはやく身体から去らせたい、そんな気持も見える。そして「疲れかな」という下5によってもうヤレヤレと疲れを味わうほどに感じ入っている作者がいる。そして作者の足元にもまた、疲れ切った様の羅が横たわっているのである。 秋風と共にとほされ写経の間 「秋風」がいい。お寺の広々とした空間がみえてくる。作者は「写経」をするために寺を訪ねたのである。風通しのよい寺の座敷で写経をするのだ。秋は写経をするのに抜群の季節じゃないかしら。春風だったら精神がなまる。北風はごめんこうむる。となれば、新涼の季節しかない。というのは言い過ぎかもしれないけれど。「秋風と共にとほされ」と詠む作者がいい。作者のまわりにいる人間たちの姿や話し声は消え、風をのみを感じてまっすぐに写経へとむかう、作者の涼しい心がみえてくる。 校正スタッフのみおさんは、〈長き夜のまた始めから電光板〉が好きということ。 「同じ文章が延々と繰り返し流される電光掲示板は、いかにも長き夜だなあと思います」 この度、第三句集を上梓致しました。 第一句集『雛の灯』は平成十年、第二句集『色鳥』は平成二十一年に上梓致しました。その後、第三句集との想いもありましたが、高齢となり体力、智力共に衰えを感じ、その思いを断ち切っていました。ところが長男に私の俳句人生を孫や曾孫に伝えるべきだと盛んにすすめられ、それに順う事と致しました。 私の俳句との出会いは昭和三十七年、「天狼」入会に始まり、「狩」、「香雨」に入会させていただき今日に至って居ります。山口誓子先生、鷹羽狩行先生、片山由美子先生の御三方を師と仰ぎました事は私の生涯御三方を師と仰ぎました事は私の生涯にとりまして無上の幸せでした。 第三句集の句集名「明り窓」は庭で舞う蝶を見て嘗て吟行で牛小屋を訪ねました時、牛の優勝額の側に明り窓がありました事が鮮明に思い浮び、早速、句と致しました。 この句集には、子どもたちの勧めもあり、私の俳句人生の「思い出」となる百七十四句を掲載しました。第一句集、第二句集を始め、様々な句会などでご評価いただいた作品をまとめたもので、子、孫、曾孫に目を通してもらいたい句を選びました。つたない句集ですが、お目通しいただければ幸いに存じます。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 旅立ちは急ぐなかれと庭の芽木 一世 という句が、最後におかれている。 本句集の装釘は、君嶋真理子さん。 函入りの本は久しぶりである。 山口一世さんの句集は第一,第二それぞれ函入りのもの。 句集名は金箔押し。 函をつくる業者がのきなみ減っている現在、美しく仕上がった函がうれしい。 背も決まっている。 グラシンにつつまれた句集をとりだす。 ひさしぶりの感触だ。 グラシンをはがすと布表紙があらわれる。 この緑は山口一世さんが、ご希望された色。 型押しされた表紙。 背は金箔押し。 扉。 本句集には、著者による俳画がたくさん挿入されている。 二点ほどを紹介。 紫陽花を剪るあぢさゐの中に入り 雛祭る雛と同じもの食べて 花布は桜色。 栞紐は、うす黄。 蝶来ては去る牛小屋の明り窓 タイトルとなった一句である。 担当のPさんは、 「句集製作をご依頼いただいた時はまだご存命だったのですが、途中で亡くなられてしまったのは本当に残念でした。 句集を間に合わせることはできなかったのですが、ご子息の山口建さまとやりとりを続けて、一世さまの思い出とご遺族の方の愛情が一冊に仕上がりました。 「付 思い出」の色紙の配置にとてもこだわられて、俳句と響き併せるのがなかなか大変でしたが、ご遺族の皆様が満足される御本をお作りできたことが嬉しいです。 山口一世さんから、上梓の感想をいただくことは叶わなかったが、ご家族によってお写真をいただいている。 山口一世さん。 願ふ死は花満開の散らぬ間に (病室から満開の河津桜を見て) 句集『明り窓』の最後におかれた一句である。 ご家族のおもいによって、満開の花の季節にうまれた第三句集となった。 山口一世さま 長いご縁をいただきましたこと、感謝申しあげます。 ご冥福をこころからお祈り申し上げます。 #
by fragie777
| 2023-03-30 19:47
|
Comments(0)
3月29日(水) 旧閏暦2月8日
「ふらんす堂さ~ん、ふらんす堂さ~ん」という遠くから聞こえる声ではっと目がさめた。 今日の銀行の窓口でのこと。 ソファに座ったらすっかり眠り込んでしまった。 春はどうしても眠くなるわね。 (yamaokaの場合は、ちがうだろ)っていう突っ込みがきこえて来る。 そ、そうなのよ、どこでも眠くなるのはわたしの特技。 でも、春は特別よ。 今日は花散る道をあるいて来た。 わかるかなあ、チラホラと桜が散っているんだけど。 左手は中学校。その桜が散っている。 桜の花びらを身体に感じながら、歩くというのも悪くない。 テニスボールが転がっていた。 思潮社の創設者である小田久郎さん、そして齋藤愼爾さんが亡くなった。 小田久郎氏について言えば、「現代詩手帖」の四月号に訃報が載っていたらしい(いま確認)のだが、気付かなかった。 今朝の朝日新聞にて知った。 その業績については言うまでもない。 詩人たちによって追悼されていくだろう。 何度かお話をしたことがあるが、一度だけ小田さん自ら電話を下さったことがあった。 まだふらんす堂をはじめて4,5年のことだったと思う。 詩人の方たちとの新しい交流のなかで、わたしはコワイ物知らずにも「新しく夢みる詩人叢書 Collection《Poètes qui rêvent à nouveau》」という詩集のシリーズを始めたのだった。 第一回目が、有働薫詩集『ウラン体操』 ペーパーバックスタイルのシンプルな造本であるが、すべての詩集に詩人・清水昶さんの推薦の言葉をもらい、その上に栞の言葉も詩人からいただくというもの。有働さんの詩集には新井豊美さんだった。 装画は当時気鋭の画家・牛尾篤さんのエッチングによるもので、わたしが一番心躍らせたのは、本の天に天金ならぬ天色、つまり色(青)付けるというものだった。 製本屋さんに無理を言っておねがいしたのだった。 このシリーズを刊行しはじめたとき、小田さんから電話をもらった。 「この本の表紙の紙は何を使ってるの?」と聞かれる。 実は表紙の用紙もあれこれと思案した果てのもの。「それともナイショ?」って言われて、「いいえ、そんなことはありません」と申しあげて答えたのだった。こだわりの用紙のチョイスであったこと、そこに思潮社の小田社長が目を留めた、ということが内心嬉しかった。本作りをしてきた方であるからこその気づきである。多くの人は気づかない一見普通の白の厚い用紙である。でも、わたしにはこの用紙でなくてはならいという思いがあった。共に本作りの現場にいるんだということが嬉しかった。 いまでもその電話のお声をはっきりと覚えている。 齋藤愼爾さんは、評論、出版、編集活動(「アート・オルガナイザー)」において優れた仕事をされ、また俳人としても先日その業績を評価されて「第23回現代俳句大賞」を受賞されたばかりである。授賞式にはお出にならなかったと伺っていた。 素晴らしい業績の方であるのに、その有り様はどこかいつも恥ずかしそうで可憐だった。 忘れられない思い出がある。 詳しくは語れないが、ある二人の女性俳人とわたしとで新宿で齋藤愼爾さんにお目にかかったことがあった。齋藤愼爾さんは、お二人の俳人の方とお話をされたかったのである。わたしはおまけのようなものだった。しかし、お会いして10分もしないうちに、ちょっと行き違いがあってお二人の俳人が席を立って帰ってしまわれたのだ。熱心に話をされていた齋藤愼爾さんは、一瞬鳩が豆鉄砲をくらったような顔をされ、それから俯いて、黙って、わたしがいることに気づいてふたたび話をはじめられたのだが、なんと言ったらいいか、(わたしだって帰りたい気分、でもここで帰ったら……)で、悲しい顔の愼爾さんのお話にひたすら頷くばかり。そのあとは予定どおり新宿のゴールデン街に行って、何をはなしたかは全然覚えておらず、ただただ齋藤愼爾さんの悲しみに向き合ったのだった。ああ、いま思い出しても悲しい。。。 その後、なんどかお会いすることはあったけれど、そのことを思い出してしまう。齋藤愼爾さん、覚えておられたのかなあ。できることなら忘れしまって欲しかったけれど。いつも悲しそうな横顔でしたね。 小田久郎さま 齋藤愼爾さま ご冥福をこころよりお祈り申し上げます。 春の沖汽船はとわによこむきに 齋藤愼爾 #
by fragie777
| 2023-03-29 19:04
|
Comments(0)
3月28日(火) 旧閏暦2月7日
花冷えの一日となった。 しかし、木々はまさに芽吹きの時だ。 わが家の狭い庭の木々も芽吹きはじめた。 芽吹きのいろってほんとうに綺麗だ。 令法(りょうぶ)の木の芽吹き。 こちらはえごの木。 雨にぬれていっそうかがやく。 数日でどんどん変わっていく。 ため息が出るような一瞬のいろ。 (夜の月明かりに見上げる芽吹きのいろもすてきだ) 朝、仕事をしているとなにやら、騒がしい。 みな、窓の外をながめている。 「なになに」って聞くと、どうやらふらんす堂のお向かいの餃子屋さんにテレビの取材が来ているらしい。 「お笑い芸人がいますよ」ってスタッフ。 ふらんす堂のスタッフはわたしをふくめてみないっぱしのミーハーなので、全員で窓辺からお向かいを覗き込む。 こんな感じのひとだかり。 お笑い芸人さんて、誰だと思います? わかるかしら? 「トムブラウン」ですって。(ふたりが入っていくのわかります?) スタッフの一人がツイッターでそのことをツイートすると、お笑い好きな友人たちから「いいなあー」という反応。 しかし、下りて見にいくスタッフもおらず、しばしお向かいを眺めていたのだった。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装帯有り 210頁 2句組 著者の頓所友枝(とんしょ・ともえ)さんは、昭和24年(1949)東京・町田市生まれ。現在は葛飾区在住。平成4年(1992)高校のPTA句会に参加したことにより俳句をはじめ、平成5年(1993)NHK学園にて能村研三に師事。平成6年(1994)俳誌「沖」入会。能村登四郎、林翔、両師に師事。平成25年(2013)「珊瑚賞」受賞。現在「沖」同人、俳人協会幹事。本句集は、第一句集『冬の金魚』に次ぐ第二句集となる。帯文を能村研三主宰が寄せている。 帯文を紹介したい。 来し方に返り点欲し黒海鼠 子の逝くや捲る頁を冬にして 初時雨ボク治りますかの文字消えず 交通事故に遭遇した息子さんは遷延性意識障がいとなり、長い闘病生活を送った後黄泉へ旅立たれた。来し方にあの日あの時が無かったらと返り点を求めた万感の叫びである。逆縁の悲しみを胸に秘めながらも、人間の温かみが滲み出るよう句作に励んでおられる。 帯文でも記されているように、著者の頓所友枝さんは長い10年以上の介護のはてにご子息を失われるという悲痛な経験を余儀なくされた方だ。本句集の二章「ボク治りますか」には、介護のはての別れとその後が中心的に詠まれている。ご子息を失ったというおおきな悲しみはやがて静かな悲しみとなってこの句集を貫いている。タイトルとなった「秋へ書く手紙」も、「ボク治りますか」と言い残して死んでいったご子息への手紙なのだろう、きっと。 本句集の担当は、文己さん。 嘘ひとつ子につき通すクリスマス あたたかやベンチひとつが吾が陣地 大寒が両の踵に来てをりぬ 水鉄砲母の帰りを待つてをり 冬晴や日本橋より歩き出す 大寒が両の踵に来てをりぬ この一句は、文己さんのみならず校正スタッフのみおさんも好きな一句としてあげている。「厳しい寒さの中で、痛いくらいに冷えている踵が思われます。」とみおさん。冬のもっとも厳しい寒さをいったいわたしたちはどこで感じるか。ひとそれぞれかもしれないが、たとえば鼻の先とか、指の先とか、耳朶とか、そのへんは想像の範囲である。ここで詠まれている「踵」はちょっと予想外だった。しかし、こう詠まれてみると、ひどく納得してしまう。鼻の先とか指の先とかは、言ってみれば大気の寒さである。「踵」は違う。大地の凍れる寒さが踵からじんじんと上ってきて、やがて、それが人体を制圧していく、そんな寒さだ。とくに身体の後ろ側が寒い、って感じません? 前だったら「おお寒い!」なんて言って、屈んだり前を抱きすくめたりできるけれど、人間の身体の後ろ側って無防備である。できることといったら踵にやってきた大寒を「寒い!寒い!」って飛び跳ねたりすることぐらいかしら。大寒に踵をつかまれたら、もう致命的かも。。。 あたたかやベンチひとつが吾が陣地 ベンチがおかれている場所って、冬や春先などはよく日の当たるところが多い。そしてベンチのあるところって、決まって木々が植えられているので、夏の暑い季節には木蔭ができて涼しいのである。また秋の季節は美しい紅葉を堪能するなど、つまり、人間が安らうように置かれていると、ベンチ派(なにもしないでベンチにぼおーっとすることが好きな人間、つまりわたしのことであるが)は思うのである。この作者もまた、ベンチに坐ってその温もりを味わっているのだ。ただ、作者にとってベンチは日々の戦いのための心身をやしなうところでもあるのだ、単にぼおーっとするのみにあらず、これから荒波にのぞんでいくためのひとときの陣地なのである。だからこそ、ベンチひとつの暖かさが嬉しくありがたい。「吾が陣地」の措辞なればこその「あたたかさ」なのである。わたしがふっと思いをめぐらしたのは、ご子息の看病に疲れてふっとすわった病院の庭のベンチ、その温もりに心身をやすませ、ふたたびそこから看病へとむかう。そのための「陣地」であるのではないかと。 煤逃げの十四・五人の映画館 これはわたしが好きな一句である。「煤逃げ」は年の瀬の季語である。「煤払い」を避けて外出することを言う。つまり、年末にしなくてはならない大掃除をさぼって、出かけてしまうのである、家中の者がそうする場合もあるだろうし、家族の冷たい視線を浴びながらトンヅラをしてしまうお父さんだったりもする。著者の頓所友枝さんも大掃除は放棄して、それでは何処へ行くかと考えて、そう遠くへもいけないので近場の映画館にやってきたのだろう。すると、映画館には、十四、五人の煤逃げの仲間がいたのである。この十四、五人がリアルだ。納得できる(?)数字だ。小さな映画館で、多くない座席にポツンポツンと坐って居る人間がみえてくる。事実だけを叙しているのだが、「煤逃げ」の季語が効いていて、十四、五人の人間の心境まで伝わってきそうである。子ども連れなどはぜったいにいなさそう。若者もおらず、多くは中年以降の人間か。。なんて思ってしまうのです。 梅一輪枝先に声集まり来 この句も景色がよく見えてくる一句だ。「枝先に声集まり来」が巧みであると思う。「声が集まる」という句は見ないわけでばないけれど、一輪だけさいた梅の木は枝先がよく見える。その枝先の梅の花をみあげて人々が春の到来をよろこんでいるのだ。一輪さいている梅もよくみえ、そのまわりに人が集まってきている様子もみえる。なんと言っているかもおよそ想像がつく。咲き始めの梅の季節の様子がよく見える。「人」ではなく「声」と詠んだことで、梅一輪の輪郭も際やかになった。シンプルに叙して上手い一句だ。 校正スタッフの幸香さんは、「〈蟇歩めば気力生まれけり〉の力強さに惹かれました。」とのこと。蟇に「気力」っておもしろい一句だと思う。 本句集には著者の頓所友枝さんによるやや長めの「あとがき」がある。失われたご子息に関するものである。全文を読んでいただきたいが、ここでは一部を紹介するに止めることをお許しいただきたいと思う。 第一句集『冬の金魚』を上梓してより、十年の月日が経過しました。 この十年の間に母や義兄、今の地に嫁してからの友人を見送り、そして平成十七年に交通事故に遭遇した息子を、二十八年に黄泉に見送ることになりました。病院療養を四年、在宅療養を八年近く過ごしたことになります。 「遷延性意識障がい」のご子息の看病を通して、回復の可能性にかけつつそこで学ばれたことなど詳細に記されている。その戦いの日々のなかで、俳句をつくり続けてこられた頓所友枝さんである。 元号が令和となり四年の今年は息子の七回忌となります。 先日、上野の不忍池の蓮が赤く色付いているのが目に入り、なぜか息子はもう転生をして、幸福な家族に迎えられているのではないだろうかと思いました。それ以来幼い子を見る度に、息子の生まれ変わりかと思い、誰もかれもいとおしい思いになります。 もう転生をせしか上野の蓮紅く 友枝 俳句という表現方法と巡り合って三十年、先師能村登四郎の句のように、俳句から人間の温かみが滲み出るような句を創りたいと願って続けてきましたが、まだまだ俳句は分からないことが沢山あります。医療関係者の方たちの諦めない精神に学び、もう少し俳句と向き合ってみようと思っています。 本句集の装釘は,君嶋真理子さん。 頓所さんの要望にお応えるかたちでの装丁となった。 タイトルにふさわしい色遣いの一冊である。 花布は赤。 スピンは、肌色。 初時雨ボク治りますかの文字消えず ブルーブラックインク秋へ書く手紙 著者の頓所友枝さんにご上梓後のお気持ちを伺ってみた。 「秋へ書く手紙」刊行後の雑感 今回の句集名となりました「秋へ書く手紙」は、「ブルーブラックインク秋へ書く手紙」の句から執りました。ブルーブラックインクを購入しその色を見たとき、なんて哀愁の籠った色なのだろうと思いました。青でもない、黒でもないその色に魅かれました。誰かに手紙を書きたいという衝動にかられました。 第一句集『冬の金魚』を上梓してより十年が経ちました。しかしこの先の十年はいささか不安がありますので、これが最後の機会と思い句集を纏めることに致しました。だいぶ前に息子のことを20句にまとめて作句しました際に、主宰から第二句集を勧めていただきましたのが、今になってしまいました。 多くの方から泣いてしまったという声を聴き、読後に重いものが残るのでは、と危惧しておりましたが、ある方が読後は爽やかだ、と言って頂き今胸を撫でおろしております。 今日頂いたお手紙に、あとがきの転生の句で、気持ちが軽くなったと書かれてありました。 皆さんを重い気分にしてしまうのではと、気になっておりましたが先日句会で春風の季語で私の句集を祝って頂きました。私がとても救われた思いがいたしました。 あと、皆さん装丁を褒めてくださいます。最初に素敵な句集と言ってくださいます。これもみな、ふらんす堂様のお力添えです。本当にありがとうございました。 頓所友枝さん。 遺されし者の祈りや冬の星 第二句集を上梓されたことによって、あたらしい歩みの日々となられますようにお祈りをもうしあげております。 また、介護の学びとご経験が、同じ苦しみをもつ人たちへの助けとなりますように。 ゆっくりとお話をする機会がありませんでしたが、いつかそのお話も伺いたく思っております。 今朝の道ばたの白菫。 #
by fragie777
| 2023-03-28 20:32
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||