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5月19日(月) 旧暦4月22日
5月の薔薇。 神代植物園にて。 昨夜の映画「教皇選挙(コンクラーベ)」は、面白かった。 観てよかった映画である、 最後の最後まで話がどう展開していくのか、ハラハラドキドキとさせるサスペンス仕立てで観客をあきさせない。 大詰めのラストシーンでは、いやはやどうなるのか、どういう決断がなされるのか、 息をのんでみつめる。 そうかあ、そうくるのか!! ウーン やられたあ! そうして、 おもわされるのである。 これは、カソリック教会全体の問題としてよりも、わたしたちが生きているこの世の眼前の問題であり、 なによりもこのわたしが問われている、ということに。 ひさしく観なかった俳優のイザベラ・ロッセリーニが修道女役で登場し、相変わらず美しかった。 映像も、スピード感と緊張感のもとに美しく展開していく。 上映は府中の映画館なんて言ってしまったけれど、もっと近くの調布の映画館だった。 空席がけっこうあったのは、レイトショーだっただろうか。 もう一度観たらさらに背景のディテールが立ち上がってきて、面白さがますと思う。 昨日、仙台の「ホテル白萩」で開催された「小熊座」40周年記念会について、出席したスタッフPんさんのレポートで紹介をしたい。 * * * 2025年5月17日仙台にある「ホテル白萩」にて、「小熊座」40周年の記念祝賀会が開かれました。 40周年を記念した俳句大会も行われ、また高橋睦郎先生による「鬼房全句精読・百一句」と題された講演があり、高橋先生の選ばれた百一句鑑賞を聴くことができました。 生前、鬼房先生と親交を厚くされていた高橋睦郎先生ならではの鑑賞は贅沢の一言に尽きました。 高橋睦郎氏によって配られたもの。 百一句の直筆のコピー 講演される高橋睦郎氏。 40周年の記念に出された「小熊座四十周年記念合同句集」は表紙には「震災十年後」と題された、津波で被害を受けた石巻の整備された道路に立つ人の写真を用い、東北という土地にあり、震災を経験しても、また何度でも力強く歩む「小熊座」の皆さんの決意がよく表れています。 句帳の表紙は佐藤鬼房の直筆の俳句が印刷されている。 ご挨拶をされる高野ムツオ主宰。 抜粋して紹介をします。 「小熊座」でこういう祝賀会をやるのは15年ぶりでございます。 これまではやろうと思ったことないわけではないんですが、様々なこと、東日本大震災であるとか、コロナウィルスだとうか、災害や不良の出来事があってできずにおりました。 15年前に集まってくれた方の人数は、 100名ちょっとでございます。今日は 130数名ということで、数が増えとということを嬉しく思っています。 佐藤鬼房先生が亡くなられました、昭和60年の時に「小熊座」に集ってた人たちが、同人が 70名ぐらい、誌友が80名ぐらいにだったというふうに記憶しております。 今回の「小熊座」5月号を見ますと、同人が90名ぐらいし、それから誌友も同じように90名ぐらいということで、あまり変わってないんですが「俳句」の世界での零細企業が細々とここまでやってこれたというふうに思っております。零細企業と言いながらも、自慢しますけれども、どなたもみんな一騎当千でありまして、俳句の熟練の立つ、それから新人であっても意欲満々の人たちの塊でございます。 技を磨きながら、そして良い雑誌を作り上げた他に比類のない「小熊座」になったというふうに、自負しております。 佐藤鬼房が「小熊座」を作るときにも、「自分は何も教えるものは無い。皆さんに本当の基本を手ほどきするだけだ。でも、俳句というのは本来、自立するもの。自立の輝きということが最も大切だ」ということを話していました。今後もその精神でこれからも、それぞれの作者が個性を豊かに、競いありながら、そして楽しく、俳句の共演を繰り広げる、そういう場にしたいというふうに、考えております。 皆さん方で「小熊座」の今日を祝いながら、新しい俳句の世界を模索する、そういうふうな場にしていただければ嬉しいなと思います。 渡辺誠一郎氏によって配られた佐藤鬼房の直筆による俳句の絵葉書。 * * * 高野ムツオ主宰をはじめとして「小熊座」の皆さま、 創刊40周年 おめでとうございます。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 心よりお祝いを申し上げます。 皆さまの更なるご健吟をお祈り申し上げております。 スタッフのPさんから伺ったところによると、佐藤鬼房先生のご息女である山田美穂さんにPさんがご挨拶に行ったところ、 「母(鬼房先生の奥さま)が、『佐藤鬼房の百句』(渡辺誠一郎著)をとても喜んで、本ができあがった時にずっと本をにぎりしめてました。ありがとうございます」とおっしゃって喜ばれたということである。 佐藤鬼房夫人は、すでに100歳を超えられているがお元気でいらっしゃるとのこと。 そのことを伺えただけでもうれしいyamaokaである。 かつてのお祝いの会で車椅子の鬼房先生を静かに押しておられた夫人の姿がなつかしく思い出されたのだった。 ![]() #
by fragie777
| 2025-05-19 18:35
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5月18日(日) 旧暦4月21日
樗(おうち)の花にやってきたアオスジアゲハ。 久しぶりに神代植物園に行く。 大鷹の子育ても気になっている。 今日はなんといって樗の花が素晴らしかった。 遠くからみるとけぶるように咲いている。 葉のみどりとと花のうすむらさきが美しい。 ズームでみると細かい花がびっしりと咲いている。 遠目でみるのとはずいぶんちがう。 大木である。 そのお隣に朴の木があるのだが、かなりちいさく気づかないほど。 まだ咲いているだろうか。 おそるおそる見上げる。 みつけた花はすでに散りかけていた。 こちらばまだつぼみ。 朴はいつも見遅るる花遅れ見る 綾部仁喜 人はおおかた朴の木は素通りして、樗の花にたちどまる。 そしてその見事な花をしばし眺めやるのである。 花樗生死明るく照らさるる 大石悦子 大鷹の子育てであるが、どうやら雛がかえったらしい。 ただ、まだ何羽とかいう情報はさだかではない。 今日は巣にいる親の大鷹のすがたをどうにか見られた。 わかるかしら。 こうして時に姿をみせる。 今日聞いたところに寄ると、井の頭公園ではことし四羽の大鷹の雛が孵ったということである。 「今年は3羽くらいかえらないかな」といつも大鷹をとり続け見守りつづけているおじさまが言っていた。 今日はこれから府中の映画館で「教皇選挙(コンクラーベ)」を見る予定。 前々から見たいとおもっていたのだが、見そびれていた。 スタッフのPさんは封切りすぐに見て、面白かったと言っていた。 この度の実際の「コンクラーベ」で映画の「コンクラーベ」が話題になって、どの映画館でも満席ということを聞いていた。 府中の映画館のナイトショーでは見られるようだ。 ということで、8時半はじまりのナイトショーにこれから行ってきます。 帰りは多分真夜中近くになりそうである。 ひさしぶりである。 映画館で映画を観るのは。。。 では。 深大寺の狛犬あたまに乗っていた椿 #
by fragie777
| 2025-05-18 19:22
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5月17日(土) 旧暦4月20日
国立・谷保天神裏の池で飼われている鯉。 こんなに白い鯉は、ひときわ目立っていて、まるで神の使いのようだ。 たくさんの鯉が飼われている。 湧き水なのでとても澄んでいる。 雨の中。国立・谷保の里山をあるく。 天神裏の梅林。 落ちている青梅。 これなんだと思います? 「烏の豌豆」の実である。 名のとおり、黒い。 毛虫みたいでしょ。 しかし、食べられるという。 湯がいて食すると美味しいのですって。 と知って、たくさん摘んでいる友人の手。 今日はなんといっても、馬鈴薯の花だ。 じやがいもの花に言魂ねむりけり 佐藤鬼房 今日は宮城県仙台市のホテル白萩にて、「小熊座40周年のお祝いの会」あって、スタッフのPさんが出席している。 週明けにPさんのレポートを紹介したい。 Pさん、この会に出席される高橋睦郎氏よりお電話をいただき、この会で「佐藤鬼房」について講演をされるとうかがった。それで渡辺誠一郎著『佐藤鬼房の百句』を読んで会に向かったようである。 講演というか、「鬼房全句精読 百一句」という題で高橋睦郎さんが抽出した全句を解説されたということである。 講演を聴いたPさんからさきほどLINEがはいった。 「鬼房、初期がとても良かった」 「初期の鬼房、作品だけ見ていると超絶男前な人物像を思ってしまった。トキメキ」 「どんな句に、そう思った?」とわたし。 「青年へ愛なき冬木日曇る よみぶりがハードボイルドよね」 とか、 「呼び名欲し吾が前に立つ夜の娼婦、とかさあ」 「鬼房の句を擬人化するなら、三國連太郎」 などと勝手なことを言って、Pさん、佐藤鬼房の句を楽しんでいるみたいである。 佐藤鬼房先生、勝手なことをもうしあげてごめんなさいませ。 京王線の電車で出会った「天狗ちゃん」 #
by fragie777
| 2025-05-17 19:03
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5月16日(金) 旧暦4月19日
桐朋学園の今日の桐の花。 すでにおおかた散ってしまっていた。 もう少し早く見ておきたかった。。。 今日は新潟からお客さまがひとり見えられた。 俳人の中本真人さん。 今年句集の刊行の予定があって、今日はいろいろとご相談にみえらえたのである。 第2句集となる。 第1句集『庭燎』の上梓より14年ぶりとなる。 中本さんを目の前にして、わたしは、 「ねえ、おぼえてらっしゃる? 第1句集の句稿をもってふらんす堂にいらしたときに、今日みたいに桐の花がさいていてふたりで桐の花を見に行ったことを。」と申し上げると、 「はい、よく覚えております。2011年の5月11日でした。その日はぼくの誕生日で30歳になったのでした。」 「まあ、よく覚えていますね。あの時がはじめてだったかしら。ふらんす堂にいらしたのは。」 「いいえ、あのときが2回目でした。その年の1月にはじめて伺って、次があの日の5月。その間に東日本大震災があったんです」 「まあ、そうだったのですね」とわたしは1度目のご来社のことをすっかり忘れてしまって(忘れること大得意でしょ)、中本さんの記憶力におどろくばかり。 以下は、2011年にご来社したときのブログの日記。30歳になったばかりの若々しい中本真人さんがおられる。 この後、婚約者で俳句仲間でもあった福井咲久良さんをともなって2011年の12月にいらしてくださったのだ。その後結婚をされて新潟にいかれ、新潟大学で教諭としてお仕事をされている。お子さんのお嬢さんも今年で小学生になるという。 あまりも時ははやく過ぎて行く。。もういやになってしまうくらい、 わたしも本作りのおばさんからすっかりR女となってしまったわけだけれど、こうして中本真人さんを前にしていると、内側がちっとも変わっていない(成長していないというか、)自分がいて、お話をしていると14年まえのつづきのような感じがしてくる。 句集の担当はPさん。 句集については、Pさんと造本や装釘のことなど打ち合わせをする。 中本真人さんの師は俳誌「山茶花」主宰の三村純也さん。 目下、三村純也主宰に句の選をお願いしている。 三村さんは、新句集『高天』で蛇笏賞、稲畑汀子賞を受賞された。 急遽おいそがしくなられたようである。 また、中本さんは、御著『新潟大学の俳人教授たち』で今年度の俳人協会評論新人賞を受賞されたのだった。 「お祝いつづきですね。すばらしいですね、おめでとうございます」とわたしは申し上げたのだった。 本著は、虚子ももちろん登場し、秋櫻子の「ホトトギス」離脱のことなどにもおのずと触れてあり、そのあたりの詳細ないきさつなどもわかる資料性の高い好著である。 中本真人さんには、もうひとつ宿題をお願いしていた。 それは「中田みづほの百句」である。 『新潟大学の俳人教授たち』には、新潟医科大学の脳外科医であった中田みづほ、そして当然高野素十も登場する。 素十は中田みづほとは家族ぐるみの付き合いをしていたとも中本さんは書かれている。 中本さんが新潟に行っておどろいたことの一つに、中田みずほが医学者として新潟のひとたち特別に尊敬されているということだ。中田みづほ(瑞穂)は、日本脳外科の礎を築いたひとであるといこと。そして脳外科の発展につくし業績をのこした文化功労者としていまもなお新潟県人にとって称賛すべき人であるという。いかに敬愛されているかは、以下に。 そして、今年は中田みづほ没後50年になるという。 前々から、『中田みづほの百句』を刊行出来たらという思いがあったので、本著をいただいたときに中本真人さんに書いてもらおうと思ったのだった。 今年の俳人協会賞の授賞式で中本さんにお会いしてそのことをお話したところ、二つ返事で了解をいただいたのだった。 その原稿にも意欲的に取り組んでくださり、すでに70%くらいは形ができあがっていて、その原稿もご持参くださった。 中本真人さん 「新潟に行かれてからも、俳句を頑張ってつづけられましたね」と、申し上げると、 「いや、仕事がいそがしくなり子どもがうまれ家事は妻と平等に分担していましたから、俳句はやめることばかり考えていました。いつやめようか、いつやめようかと。」 「ええっ、そうなのですか。でもこうして俳句の評論賞をおとりなったりして、あらためて俳句への覚悟ができたのではないですか」 「いやあ、今でも今後つづけられるのだろうか、って思ってます。仕事はますます忙しくなるばかりで」とちょっと弱気なことをおっしゃる。そういえば、14年まえにもふらんす堂にいらしたとき、「俳句はつづけられるだろうか」っておっしゃていたな。 「そうおっしゃりながら、やめなかった理由は何?」 「やめる勇気がなかったんです」と中本さん。 そ、そんな。わたしは思わず笑ってしまった。 そうなのか。。。 「お仕事も大事、家庭も生活も大事、でもご自身のなかに俳句の領域を大切なものと残しておいてください。それがきっといつか中本さんを支えるものになるかもしれませんよ」って、わたしときたら偉そうに利いた風なことを言ってしまって。。。(なんなんだ、yamaokaは……)って思ったでしょ。 しかし、中本さんはジェントルマンなので、「はい、ありがとうございます」と礼儀ただしく。 そういえば、中田みづほの俳句についてとても興味ふかいことをお話されていたけれど、このことはきっと館賞か解説に書かれると思うので、楽しみに。 ひさしぶりにお目にかかってすごく楽しかった。 今日はこれから新潟に帰られるという。 中本真人さま、 今日はお疲れさまでした。 句稿と「中田みづほの百句」お待ちしておりますね。 #
by fragie777
| 2025-05-16 19:19
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5月15日(木) 竹笋生(たけのこしょうず) 京都葵祭 旧暦4月18日
気持ちの良い季節である。 と言ってもこれはすこし前の写真。 いまは、神代植物園にいく時間がない。 大鷹のこどもたちはどうなっているのだろうか。 今週末には会いにいきたいな。 今日は葵祭であるということ。 まだ、一度も見たことがない。 日本各地にはいろんなお祭があるが、今日これから紹介する新刊歌集は、長野県諏訪の自然とそこで行われる御柱祭をテーマにすえたものである。 四六判ソフトカバー装 172頁 3首組 著者の茅野信二(ちの・しんじ)さんの第5歌集にあたるものである。略歴は付してないので、「あとがき」をまず紹介しておきたい。 この集は、二〇一〇年秋から一七年秋に至る七年間に制作した短歌作品を収める。わたしの第五歌集で、年齢でいうと、五十九歳から六十六歳までの作ということになる。その後、六年余の作があるが、それは次に回すことにした。おむね発表順によるが、入れ替えたところもこの間(かん)の出来事として、二〇一五年三月に、諏訪に帰省してからの十余年に及ぶ会社勤めを辞めて、山梨県にアパートを借り私立高校の講師になったということがある。これは、高校はかわったものの今日まで続いていて、そのため、山梨の自然や文化に少なからず触れる機会を得た。とはいえ、諏訪の自然や御柱祭等の神事への関心は元よりつよく、自ずと本集の多くをそれらが占めている。歌集名を当初「諏訪」にしようと考えていたが、あまりに大き過ぎるため「建御柱」とした。本集に諏訪大社御柱祭の建御柱(前宮)がうたわれており、その粛粛と柱を建てる営みに惹かれるとともに、時節も風薫るころで、杜の樹樹の匂うような雰囲気が何とも好きなためである。 この「御柱祭」は、平安時代からつづく諏訪大社最大の神事であるということで、しかも毎年ではなく7年に一度おこなわれるという。 本歌集のタイトル「「建御柱(たておんばしら)」は、「諏訪大社の御柱祭のクライマックスで、社殿の四隅に巨木(御柱)を立てる神事です。住民総出で曳き山から運び込まれた御柱を、先端に氏子が乗り、車地(しゃち)を巻きながらゆっくりと立ち上げ、天に向かって垂直に立てる伝統的な光景です。」 御柱祭がおこなわれるのはちょうど今ごろの風薫るみどりの季節らしい。 本歌集の担当は文己さん。 水銀のやうな父かも芒穂のなかゆくときに天を見上ぐる 夜の九時に始まるピアノ演奏かしづけき湖の灯きらめく 月のぼり天空蒼しわれひとり樅の片へに佇ちて見てをり 裏庭に水仙の花並べるはそこより優しき波か生れまし 杜かげに立ち上がりゆく御柱樹樹の青葉の風香りくる 降らぬまましづけく暮れて夜となり潦には星ともり初む 「灯籠流しや湖上花火、湖のほとりの美術館で夜のピアノ演奏を聴く暮らしが素敵だと思いました。「御神渡り」いつか見に行ってみたいです。」と文己さん。 水銀のやうな父かも芒穂のなかゆくときに天を見上ぐる 「水銀のやうな父」という措辞にまずおどろく。そしてその父が「芒種」のなかを行くという、日常の手垢のついていない言葉の組み合わせによって父がある神性を帯びた存在と化している趣がある。水銀という金属の手触りと芒種という人の自然における人間の生産的な営み。その不思議なとりあわせの気配のなかで父はやがては天を仰ぐのである。あたかも万物と呼応しているかのような父という偉大な存在。「水銀のやうな父」が強烈ななにかを訴えてくる一首である。そして、立ちどまざるをえない魅力的な一首である。 月のぼり天空蒼しわれひとり樅の片へに佇ちて見てをり 皓々と月が照らす夜の森にたたずむ作者がいる。実はこの一首、この前後の歌もいいのである。前におかれた一首は〈木遣歌ふいにきこえつ樅の木のすくと立ちたる天あふぐとき〉後の一首は〈この世界眠りに落ちて樅の木の薙鎌ひかる神下りつつ〉とあり、樅の木をめぐる三首となっている。「木遣歌」が作者の聴覚を刺激し樅の木と出合う。作者は月に照らされつつ樅の木のかたわらに立ちて空の蒼さを見ている。やがて、万物が睡りにつくとき神の降臨を感じるというのである。この短歌を読む読者もこれらの歌をとおして、樅の木の香りや月のひかりや夜空の青さ、そして森の夜の神秘性などを感じとることができる。森のきれいな空気がながれくるようである。 裏庭に水仙の花並べるはそこより優しき波か生れまし 「水仙」を詠んだ一首である。裏の庭にひっそりと並べ植えられた水仙より、「優しき波」が生まれるようだと感じつつ、裏庭の水仙を愛おしんでいる。水仙だから「優しき波」が甘くならない。凜として媚びる姿をみせずに咲く水仙、その名前に「水」があることによって、それは波をむりなく連想させる。「すいせん」という言葉の音もささやくようで優しい響きである。裏庭にさく水仙へのささやかなオマージュである。 杜かげに立ち上がりゆく御柱樹樹の青葉の風香りくる 「建御柱」の模様を描写した一首である。「御柱祭」という神事は、全体としてはかなり激しい神事である。大きな木を伐りだして山から下ろすわけだが、力のある男たちが総勢で取り組む壮大な神事であり、死者もでると聞いている。本歌集の茅野信二さんは、その祭りのなかでもとくに「建御柱」に心を惹かれておられると「あとがき」にも書かれている。まさに青葉のころに厳粛なさまで御柱がたちあがるのだ。(見てみたい!)御柱となるべく木がたちあがるとき、まさに木は御柱となって神性をおびるのか。香り来るのは青葉の風のみならず、木々のよき香りもしていそうだ。そんな中にいると命ものびそうである。 降らぬまましづけく暮れて夜となり潦には星ともり初む この一首、わたしも好きな歌である。作者は、潦つまりは水たまりのなかに映った星にも詩心を呼びさまされるのである。空をあおぎ天をみつめ立ち上がる御柱に賛嘆し、樅の木の先を照らす月に感応し、仰ぎ見ることの多い作者であるが、目を下方にすえ足元の潦にきづいたときも歌心が生まれるのだ。「降らぬまましづけく暮れて夜となり」という時間の経過に心をそわせる作者がいる。そして水たまりのなかに星をみつけたときの喜び。作者をとりまくあらゆる万象が作者を歌心へと導いてゆく。 校正スタッフの幸香さんは、〈坂下の土にめり込み御柱停まるやわつと人押し寄する〉「熱気あふれる様子に圧倒されます。」と。 おなじくみおさんは、〈雪残る林の中は薄ぐらく座禅草の苞ふつふつと顕つ〉「とても惹かれた一首です。林の暗さに目が慣れて、座禅草が見えてきた瞬間、という感じがします。」と。 また、この間、歌誌「朝霧」に「玉城徹の方法」を連載しつつ、玉城徹から佐藤佐太郎へと関心が遡上して行ったこも、この集に影を落としている気がしているが、いかがであろうか。物を見るということ、事をうたうということの意味と本質について、また、折口信夫のいう「叙事詩的なもの」について改めて考えた時期でもあった。 「あとがき」をふたたび紹介した。 本歌集の装釘は、君嶋真理子さん。 実は、「あとがき」に書かれているのだが、茅野信二さんは、俳句もつくられ桂信子が俳句の師である。そして、桂信子のふらんす堂刊行の『草よ風よ』と『草影』の装釘がとくにお好きで、あのような感じにというご希望であった。 同じように緑をテーマカラーに。 用紙は材質感のあるもの。 表紙もおなじ用紙。 「あとがき」で、「叙事詩的」ということにちょっと触れておりますが、集中の、「諏訪幻想」や「峰の湛」、それに「奈良田今昔」などは、「叙事詩的」かどうかは別にして、抒情詩としての短歌の枠を少しでも打ち破りたいという思いがあった気もいたします。 担当の文己さんが、作者の茅野信二さんにうかがったお話である。 以下は、上梓後のお気持ちをうかがったものである。 ◆所感 ・本が出来上がってお手元に届いたときのお気持ちはいかがでしたか? 本を初めて手にして、その造本の趣にたいへん惹かれました。杜かげの建御柱をイメ-ジした装画の斬新さ、シンプルでありながら、強さと品位があり・・・、白い斑のある見返しを含めた緑の色合い、(野性的な)御柱にふさわしい、少しざらざらした紙の風合いと、予想をはるかに越える出来映えで、どこか、私の好きな2000年頃の句歌集を思い起こさせました。心より感謝申し上げます。ありがとうございました。 ・この歌集に籠めたお気持ちをお聞かせください。 「あとがき」に尽きる、とのことでした。 ・今後の創作への思いは? すでに第六歌集の原稿をまとめてありますので、その刊行と玉城徹についての論稿をまとめること、それに短編やエッセイ等の散文の創作等を予定しています。 「建御柱」が挙行される新緑に近い時期に歌集が出版されるのも、 嬉しい気がいたします。カバ-の「緑」の色合いが 時節にあっているのも、すばらしいですね。 というメールもいただいている。 せせらぎの音に浄まるごとくして御柱行く谷沿ひの道を 茅野信二 #
by fragie777
| 2025-05-15 20:01
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