ふらんす堂の編集日記と最新ニュースなど。 By YAMAOKA Kimiko
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# by fragie777 | 2017-03-14 20:30 | Comments(0)

孤高の軌跡

3月13日(月)  旧暦2月16日

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矢川湿原へに向かう雑木林にある椿。

毎年、必ずといってよいほど見る椿であるが、わたしはここの椿が一番好き。
木々のなかに埋もれるように咲いていて直射日光があまりあたらない故なのか、花びらに透明感があるのだ。


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蕾もなんとなくしとやかである。


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赤の色も優しい。


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緑と赤のコントラストがきれいで、しばらくはそばにいたいと思わせるような椿である。







新聞記事を紹介したい。

今日の朝日新聞の「風信」には、田島健一句集『ただならぬぽ』が紹介されている。

 二十日鼠のまなざしを継ぎ億の雪   田島健一

第1句集。言葉の独特な組み合わせや反復が非日常へと誘うよう。





共同通信発の中岡毅雄さんによる「時評」を紹介したい。俳人協会賞についての記事である。

このたび、第56回俳人協会賞に山尾玉藻「一人の香」(角川文化振興団)、第40回俳人協会新人賞には櫛部天思「天心」(同)と鎌田俊「山羊の角」(恵曇舎)が決まった。
山尾の詠みぶりはスタンダード。ナチュラルな視点から眺めた日常生活や自然に対するポエジーを感じさせる。
〈雛の日の日ざしに零れ松の塵〉〈闇鍋の膝をくづさず終はりけり〉〈かはせみの失せたる杭も初景色〉。
一句目、「雛の日」に零れる松の塵は、きらめきを伝えてくる。季語の「雛の日」が、景に彩りを与えている。二句目、本来、趣向を楽しむべき闇鍋であるが、詠み手は最後まで、礼儀正しく振る舞っていた。闇鍋の季語のイメージを逆転させたところが面白い。
三句目は、この句集の白眉であろう。詠まれているのは、「杭」であるが、読者の心には青い翡翠(かわせみ)の姿がありありと残る。その視覚的な残像が、新鮮な初景色を際立たせている。
なお、この句集には、夫を亡くした作がある。前書き「夫逝く」のある〈?声にのこりし夫の尿袋〉の一句。感情を抑えてはいるが、心に染みわたるような蝉の声が、悲哀の思いを伝えてくる。
一方、新人賞受賞の櫛部の作品には、平易にして、かすかな諧謔がある。
〈女の香閉ぢこめ梅雨の昇降機〉〈星殖えにけり蓑虫が貌出して〉。
一句目は、香水の匂いだろうか。居心地の悪さが面白い。二句目は、夜空に貌を出している蓑虫のユーモラスな様を描き出している。そのような作の中、〈妻とゐる寧けさに吸ふ葡萄かな〉は、葡萄を食べるという行為を通して、しみじみとした夫婦の情愛を表現している。
鎌田の佳句は、〈丹頂の光のなかに凍てにけり〉〈藁塚に乳房のぬくみありにけり〉など。特に、「丹頂」の句は、凍鶴の端然とした容姿が表されている。
なお、この新人賞の選考過程には、疑問の余地が残った。先の時評でも取り上げた高柳克弘の『寒林』(ふらんす堂)が受賞を逸したことである。理由は、無季の句が、ごく少数入っていたとのこと。有季であれ無季であれ、佳句は佳句。今回の候補作の中で、この句集は傑出していた。悔恨の念を残す結果だった。


この最後の『寒林』に対する一文は、髙柳克弘さんにとって大いなる励みになるに違いないと思う。





先週の朝日新聞の5日付けの「うたをよむ」の竹中宏さんの月評を紹介したい。
一週間おいたのは、どうしても全文を紹介したいからである。
タイトルは「永末恵子氏没後一年」。


昨年二月十九日、永末恵子氏が六十二歳で急逝した。俳歴は三十年に満たなかったが、孤高の軌跡が鮮やかに残った。

 火の後ろふいに二月の蓮畑
 青葦原あまりのことに生まれけり
 松風を刺身と思う女かな
 つつがなく白紙にもどる冬の猫
 つらゆきを枕に枯れてゆくのだな

四冊の句集『発色』『留守』『借景』『ゆらのとを』、それに句集以後の作から一句ずつ抜いた。どれも、語から語へゆっくり曲線を描くように、しかし凝滞することなく表現が流れてゆく。読後、ふと、透明な空気の波動のような気配だけが手元に残され、それ以上の何を読んだのでもなかったと思わされる。作者の求めるものも、それだったのだろう。句集単位で受ける印象も同様である。確かな何かを手づかみしようとする大方の俳句と異なる志向といえる。
結局のところ精神対肉体の明確な二元論に足場をすえて、氏は裸の肉体の真実などというものを信じないし、裸の肉体の真実にまつわる浮世のにごりを拒絶する。だから、逆にその作品が浮世に濁りとして残ることをも潔しとしなかった。
とはいえ、浮世の濁りを払拭しきれぬ日本語なる素材を、俳句のためにどう昇華させるか。氏の作句は、いわゆる「俗語を正す」べく、不断の試行と格闘の現場でもあったはずだ。そういえば、氏は「行きて帰る心」を俳句の要諦としてよく口にした。これも『三冊子』中に伝わる芭蕉の語である。当然ながら、創作は永遠の静止状態から生じはしない。


永末恵子さんが亡くなってもう一年が経ってしまったのかと、愕然とした。
それほど慌ただしく時間を過ごしてきたのだと改めて思う。

永末恵子という俳人、つかみきれぬ思いをいだきながらもどうにかその永末恵子なるものを捉えたいという思いがこころのどこかにずっとあった。

この竹中宏さんの永末恵子評を読んで、その胸のつかえが取り去られたような思いがした。

「どれも、語から語へゆっくり曲線を描くように、しかし凝滞することなく表現が流れてゆく。読後、ふと、透明な空気の波動のような気配だけが手元に残され、それ以上の何を読んだのでもなかったと思わされる。」

ああ、そうだったのか。。。


ふらんす堂からは、最後の句集となった『ゆらのとを』を刊行させてもらった。

「永末恵子氏没後一年」は、短い文章ながら永末恵子という俳人を的確に言い表したすぐれた批評である。

永末恵子が俳句と格闘しながら求めつづけたもの、それは極めて孤独な営みだったと思うけれど、そのまさに「孤高の軌跡」が、この竹中宏さんの一文によってわたしたちの心に鮮やかに刻まれつつあること思ったのだった。

「創作は永遠の静止状態から生じはしない。」という竹中さんの言葉、それはまた、『ゆらのとを』に書かれた「あとがき」を呼び起こす。

「白山が見え玉乗りを忘れめや」(橋間石)という句があるが、俳句はまさに玉乗りに他ならない。止まらないこと、つねにバランスをとりながら足を動かし続けること。それが私をこの先どこに連れていってくれるのか、そんなことは考えても仕方がない。瞬間瞬間の足を踏み変えつつ、私自身の身体を行き来する言葉を感じているだけなのだ。


 水仙やしいんとじんるいを悼み     永末恵子










 












# by fragie777 | 2017-03-13 19:35 | Comments(0)

五冊の詩集のお祝いの会

3月12日(月) 旧暦2月15日

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沈丁花。
良い香りのする花である。

今日のわたしはクローゼットから桃色の麻シルクのスカーフをとりだし、首にふわっと巻くのではなく、ふわっとかけた。
もうこれで春の人である。









今日は横浜で、詩集の出版のお祝いの会があり、いま仕事場にもどったところである。

稲川方人、吉田文憲両詩人が指導をされている「横浜詩の講座」に学ぶ詩人の方々が詩集を刊行された。

鈴木正枝詩集『そこに月があったということに』(書肆子午線)
福島直哉詩集『わたしとあなたで世界をやめてしまったこと』(書肆子午線)
赤木祐子詩集『チランジア』(港の人)
木戸光詩集『花は黙って待っている』(七月堂)

全部の五冊の詩集のお祝いの会となった。
そこにつどう全員の人が一言ずつそれぞれ全部の詩集に言葉を寄せて、あたたかな雰囲気のとてもいい会だった。
ふらんす堂からも西村勝さんの詩集を刊行させていただいたご縁をいただき、出版のお祝いの会に参加させてもらった。


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第2詩集『そこに月があったということに』の著者鈴木正枝さん。

時分の詩を朗読して貰ったのは初めてで感激しました。第1詩集で満足していたのですが、第2詩集をつくるとなって欲がでてきました。整理されないままの作品でいったい詩集ができるのだろうかと最初は危ぶんだのですが、詩集という本の形になった時は喜びが湧いてきて詩集を出すことを決めて良かったと思っています。




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第1詩集『わたしとあなたで世界をやめてしまったこと』の著者福島直哉さん。

2012年の四月にこの教室で現代詩を学んで書いたものが一冊となりました。詩の講座では書いたものについて、両先生から一言二言を貰うだけなんですが、その言葉について考えてその半年後とかに言われてことがわかってくるんです。そういうことを必死に考えたことだけでも良かったと思っています。詩集を出すにあたって、詩集を出すということはどういうことかひとりで考えたんですが、やはりここにいる皆さんから受け取ったものがいろいろと在るんじゃないかということを感じられたことが良かったと思います。



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第1詩集『シチリアの少女』の著者西村勝さん。


小さい頃から吃音で、話すことが苦手です。その結果書き言葉の方に自分の気持が注がれていったんだと思います。自分が書いたものを誰かに読んでもらう、そしていいよ、とか良かったよ、こうした方が良いんじゃないか、いろいろと言ってもらう。話し言葉でどもりますと、誤解を生じるんですね。自分の書いているものを人とのコミュニケーションの窓として、大事にしていこうとこと、それが自分が生きてきた中心にある問題です。今回船を降りてからも船の仲間と時々あってます。そうすると朗読がはじまるんです。わたしの詩だったり、中也の詩だったり。今後のことなんですが、いまイタリア語を習ってます。何年か後にシチリアの少女ともう1回会って、イタリア語でその少女や友だちとイタリア語で詩を読みたいと思ってます。




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第1詩集『チランジア』の著者赤木祐子さん。

いまレコーダからご挨拶を起こしていたのだが、なんということか、西村勝さんのご挨拶の最後のほうで、録音がプチッと切れてしまったのだ。
わたしは青ざめ固まった。
(またか。。。先日は少しも録音されず、今回は切れてしまうなんて)念の為レコーダを別のものにして持ってきたのに。
お二人の詩人のかたには大変申し訳ありません。
メモもとっておらず、お恥ずかしい次第です。記憶の底から、、、


現代詩を書き、それを詩集にするということがどういうことか、この一冊を出して分かったような気がします。

赤木さんの詩集については、ご挨拶をされた何人かの方が、衝撃を受けたと語られていた。




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第1詩集『花は黙っている』の著者木戸光さん。

学校につとめておりまして、関係のある方々にお送りしたところ、いろんな方から感想をいただいたのが嬉しかったです。思いもかけない方もいらして、詩集を出して良かったと思います。




赤木さま、木戸さま、
きちんとご挨拶を紹介できずお許しくださいませ。
本当に本当にごめんなさいませ。




このわたしの粗忽者かげん、いったいいつになったら卒業できるのでしょうか。


もうバカバカと自分の胸をうちたたきたいところです。(いや実際叩きました)



デジカメも、ちゃんと充電したはずなのに、撮ろうとしたらバッテリー切れと表示。
しかし、こちらはiPhoneがあったのでなんとか大丈夫だったが、なんとも間抜けで、こんなことじゃもう誰も相手にしてくれないかもしれないな。。。。
わたしは訳がわからんのです。
なんでレコーダが切れちゃうのか、なんで充電したはずのカメラがバッテリー切れなのか。
誰かわたしに怨みでもあるの!
いったいだれの陰謀だ!

いかん、いかん、自身の脇の甘さをすり替えたりしたら。

地獄に落ちろって言われないようにしなっくっちゃ。




出版のお祝いの会は、とても素敵な会でございました。072.gif072.gif072.gif072.gif072.gif



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集合写真。






# by fragie777 | 2017-03-12 22:54 | Comments(0)

辛夷

3月11日(土)  旧暦2月14日

休日なので歩いて仕事場に行くことにした。
風はやや強いが、春らしい陽光に溢れている。
家の近くにある辛夷も気になっていた。

辛夷をきれいに咲かせている家があるのだ。
辛夷は白木蓮などより野趣に富んでいて高木で仰ぎみることが多い。
この家の辛夷は、手をのばせば花びらに触れそうなくらいの高さなのがいい。
毎年一度は見ておきたい辛夷なのだ。

今年はどうかな?


咲いていた!


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まさに今が盛りである。


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空の青さによく映えている。

わたしは満足してこの場を離れたのだった。












「ふらんす堂通信」に「BL俳句」を連載されている関悦史さんの第2句集『花咲く機械状独身者たちの活造り』(港の人)が刊行された。
タイトルがながいと話題になっているらしく、通称「花独活(はなうど)」と呼ばれていると関さんがツイートしておられた。(うまいことを考えるものだ)
関悦史さんは、第1句集『六十億本の回転する曲がつた棒』で、第三回田中裕明賞を受賞されている。
待ち望まれた第2句集となる。
2011年末から2016年冬までの作品1402句が収録されている、ということでかなりの句数である。
編年体でなく、「内容・傾向」に大別という編集になっているから読みやすいのでは。
いやいや、頁をひらくと豊饒なる言葉の海に溺れそうになる。どんな事柄も一句に仕立てる見せる貪欲さ、博覧強記の関悦史の面目躍如というところなのだが、やがてわたしには関悦史という人間がさまざまに発光してみせる澄み切った透明体のように思えてくるのだ。不思議である。
ふらんす堂通信で連載中の「BL俳句」も収録されている。
BL俳句だけを読んでも関さん、巧いなあと思う。






# by fragie777 | 2017-03-11 16:22 | Comments(0)

輝くものとして。

3月10日(金) 桃始笑(ももはじめてさく) 旧暦2月13日

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これは桃の花ではなくて、ふらんす堂ご近所の桐朋学園の寒緋桜。
今日は桐朋学園は卒業式のようだった。







新刊句集を紹介したい。


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46判ソフトカバー装。218頁。


著者の藤井啓子さんは、昭和29年(1954)神戸市生まれ、神戸市在住。俳句は昭和54年(1979)「九年母」入会、昭和60年(1985)「ホトトギス」野分会に入会、平成12年(2009)に「ホトトギス」同人。平成22年(2010)「円虹」入会して現在に至る。この間、朝日俳壇年間賞(2回)や日本伝統俳句協会新人賞などを受賞されている。
本句集は、昭和54年(1979)から現在までの38年間の作品を収録した第1句集で、序句を稲畑汀子氏、序文を稲畑廣太郎主宰が寄せている。藤井啓子さんは、この平成28年の3月を以て高校の教員生活を退職された。俳句を始められたのと教員生活を始めれたのがほぼ重なるという藤井啓子さんである。「退職を一つの区切りとして句集をまとめようと一大決心をしました。」と「あとがき」にある。本句集を読み進めば、一人の働く女性の生活がみえてくる。ご自身の子どもを育て、また教師としておおくの子どもに接する日々である。平成7年(1995)1月17日の阪神淡路大震災の被災経験もおありだ。それでもこの38年間、俳句を止めることなく詠み続けてこられた藤井啓子さんである。そのご自身の半生がつまった第1句集となった。
稲畑廣太郎主宰の序文のタイトルは「永遠の輝き」。

 古語辞典手になじむ頃卒業す
 私語多きバレンタインの日の授業
 教職にありて毛皮をつつしめり
 校門の白木蓮に着任す
 夏休残り三日が勝負の子
 秋暑くとも手を抜けぬ授業あり
 居残りの子の教室に今日の月
 教員の机上乱雑獺祭忌

啓子さんといえば、後書きにもあるように、昭和五十三年から平成二十六年までの長きにわたる教員としての生活がこの句集の中心のひとつであることは明らかである。掲句はもちろんほんの一部であるが、教師としての視点はもちろん、作品からは、生徒の側に立った視点も感じられ、「古語辞典」「私語多き」「夏休」「居残りの」などは正に私も経験した記憶があり、何か学生時代の懐かしさを感じるのである。

 わが生家わが母校いま炎上中
 教へ子の名のあるズック火事の跡
 生きてゐるそれだけで良し息白し
 春立ちぬ春立ちぬああ生きてをり
 
平成七年一月十七日に勃発した阪神・淡路大震災は、神戸にお住まいの啓子さんにとって未曾有の大きな試練であった。家族はもちろん教え子達の安否も確かめなければならなかった。第二章「地の章」は、この震災の句から始まる。「ああ生きてをり」と題されたこれらの三十句の作品は、社団法人日本伝統俳句協会の協会賞に応募され、見事その年の新人賞に輝かれたが、この重たい題材をここまで極楽の文学として昇華された手腕は驚嘆に値すると言わざるを得ないであろう。

 退職はスタートなりし日記買ふ

この句集『輝く子』は、三十九年間続けてこられた教員生活にピリオドを打たれたのを区切りとして上梓されたということだ。題名も啓子さんの言葉を借りると「今まで『輝く子たち』に囲まれて過ごした教員生活の思い出として」付けられた。
これからは、いやもちろんこれまでもそうであるが、もっと「輝いて」ゆく啓子さんの俳句生活のひとつの区切りとして、この句集が多くの方々に読まれ、そして正に「退職はスタート」として、第二句集、第三句集と末永く俳句作家として邁進されることを願って私の拙い一文をお贈りさせて頂きたく思う。


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 先生も輝いてをり去年今年   汀子

稲畑汀子氏の序句である。

 



 白靴の先に坂あり港あり

詞書きもなく、街の風景を詠んだ句であるが、この景はきっと神戸の街の風景だろう。簡潔な表現に神戸という街がもつ洗練された雰囲気がつたわってくる。それはひとえに「白靴」の季語の力だ。「白靴」というハイカラ(古い表現だねえ)な靴がもっとも生き生きと呼吸できるのは神戸ではないだろうか。わたしのまったく勝手な思い込みであるが、白靴はきっと神戸で一番先に履かれたのではなくて。そんな風に思いたくなるほど白靴と神戸は似合う。そして神戸は坂の多い街だ。「白靴の先」という措辞によって、遠近法が生きて坂のある神戸の街が立体的に浮かび上がってくる。白靴の先には海の青さと水平線も見える。夏らしい爽やかな色彩をも感じさせる。白靴を履いてその神戸の街を歩きだそうとしている著者がいる。

本句集の担当はPさん。
Pさんの好きな句を紹介したい。

 拾はれて山の香失せてゆく木の実
 みどり児の目はまだ見えず秋灯下
 添へられし手紙も柚子の匂ひけり
 指先に風の重さや凧揚ぐる
 道変へてみても目まとひ同じこと
 四肢長くして競泳の少女たり
 セーターを着て日曜の顔となる
 朝寝してまた身長の伸びたる子
 さみどりは先駆けの色若菜摘む
 何一つ捨てきれぬ身に西行忌
 何もせぬことが避暑地の過しかた
 風五月こぼるるものはみな光り
 橋ひとつ渡ると別の島の秋


この度、退職を一つの区切りとして句集をまとめようと一大決心をしました。句を見直していると、その時その時の思い出が蘇ってきます。学校の風景、子育て、地震、両親を見送ったこと、あちこちへの吟行、楽しかったこと、辛かったことを思い出します。一句一句の後ろにその時の情景や思いがあり、あらためて三十年余りという時の重みを感じました。あの時昼寝をしていた長女は母となり、次女ももうすぐ母となります。
今、こうして句集が出来上がりますと、つくづく俳句を詠み続けて良かったなと思います。
退職し、第二の人生はまた違う景色が拓けてくることでしょう。これからも俳句を通して新たな風景や人々との出会いを重ねてゆきたいと思っています。
句集の題名「輝く子」は「夏休近づくほどに輝く子」からとりました。
今まで「輝く子たち」に囲まれて過ごした教員生活の思い出として名付けました。

「あとがき」を抜粋して紹介した。
「輝く子」は、藤井さんのまわりをとりまく子どもたちであり、また俳句をまなぶ藤井さんご自身のことでもあるのではないだろうか。


ほかに、

 成人の子らかがやかし風の中
 若者に花の虚子忌を伝へねば
 泣くために行く文楽や春時雨
 虚子を追ふわが白靴に疲れなし
 帯高く締め暑いことあらしまへん
 黒板に四月八日の一句書く
 遠泳のしんがりたりし教師かな
 波音が十一月を運び来る
 竜の玉少女は秘密持ちたがる
 十勝野の大きな秋に人小さく
 教員の机上乱雑獺祭忌
 時雨るるや我もなにはの一過客




本句集の装釘は君嶋真理子さん。

キラキラと輝くような一冊となった。

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タイトルと罫のみが金箔押し。
シンプルなデザインである。


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見返しの黄色がカバーの色と響きあっている。


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表紙。

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扉。


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背文字も金箔。


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カバーの表紙も光沢があるが。
しかし、品格がある輝きだ。

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見返しの黄色がきき色である。


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句集『輝く子』には、たくさんの輝きが息づいている。


 水仙に今日のことのみ考へる

好きな一句である。
震災詠のひとつとして詠まれた句であるが、そうでない状況でもわかる句だ。
水仙の花を前にしたとき、わたしたちはひとつの人格として向き合う、そんな思いを起こさせる花である。
すこし背筋をのばして、やや心がシャンとするような、そんな気配を水仙は持っている。
ちょっとオーバーに言えば、一個の精神として立ち向かうに水仙は十分な花である。
人間の想念の重さに耐える花でもあるとも。
シンプルな一句であるが、水仙という季題が鮮やかに詠まれた一句だと思う。


余談であるが、水仙がナルキッソスの化身であると思えば、あるいはその自己愛を罰せられた花の厳しさがおのずと伝わってくるような。。。。










これはおまけ。

今日いただいた絵はがきの写真である。



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和みません?



















 

# by fragie777 | 2017-03-10 20:03 | Comments(0)

夢のある仕事。

3月9日(木)  旧暦2月12日

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春の川。



先ほどまで、「鷹羽狩行俳句集成」の初句索引の読み合わせをしていた。
今日で三日目になるが、まだ終わらない。
あと一日か一日半は必要かもしれない。

「初句索引」が終われば、「季語索引」の読み合わせが、待っている。
こちらはもっと時間がかかることになると思う。

こういう全句集的な集成は、思った以上に時間がかかってしまう。
「狩」35周年を記念しての刊行の予定であったが、とてもとても間にあわず来年の「40周年」を目の前にしての刊行となりそうである。
鷹羽先生も、時間のかかることは了解してくださっている。
先日、束見本やら栞のゲラなどをお送りしたら、
「だんだんを足音が近づいてきました。」と嬉しそうにおっしゃっていた。
全句集や集成は、体力と集中力のいる力仕事であるが、やりがいのある仕事だ。






新聞記事をひとつ。

毎日新聞の5日に坪内稔典さんによる「季語刻々」に井田美知代句集『遠き木』が取り上げられている。

 十代の尖りてゐたる蕗の薹    井田美知代

蕗みそでも食べていて、その早春らしい苦みから10代の尖っていた日々を思い出したのだろう。私なども10代はひどく尖っており、フキノトウなどには関心がなかった。やや円くなったころ、フキノトウががぜん美味にあった。句集『遠い木』(ふらんす堂)から引いたが、次が表題作だ。「遠い木のやうに子のゐる弥生かな」



わたしも尖っていたかもよ。「桜なんてくそっ食らえ」ってわざとヨレヨレにしたコートを羽織って、肩で風切って歩いていた。女であることが疎ましくって全世界に対して文句をいいたい気分だった。フキノトウ? 田舎の子なのに全然知らなかったし、興味もなかった。もっちろん、今では美味しく食べるけど。この間友人に教えて貰ったフキノトウのオリーブオイル和え、みごとに失敗した。緑色に美しく仕上がる筈だったんだけど、茶色になってバサバサしてんの。頭に来て全部捨てちゃった。友人に言ったら「あらら、もったいない」って笑っていた。その後ふたび挑戦したんだけど、やっぱりダメ。フキノトウを軽視してきたから、フキノトウの逆襲にあっているんだ。きっと。









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これって、本づくりのための用紙の見本帖のセットである。
春になったら新しい紙見本のセットが届いた。
というか、熱心な印刷屋さんの営業マンであるKさんが届けてくれたのだった。
紙はここ数年でずいぶん内容が変わってきている。
廃版になってしまった紙も少なくない。

わたしはこの紙の見本を見るのが大好き。

「へえーっ、こんな用紙が新しくできたんだあ」などと言いながら、この紙をこれからつくる本のどこに使うか考えたりする。
実は、本づくりをしていて、一番楽しいのがこれである。
装丁家さんと相談しながら、新しい用紙をどんな風に使ったら面白い本ができるだろうか、などなど。
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今使っている紙見本は、このように抽出に収められている。









# by fragie777 | 2017-03-09 20:41 | Comments(1)

俳人協会賞授賞式

3月8日(水)  旧暦2月11日

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この間の日曜日に見上げた桜。
すでに満開の状態だった。

いつもこの場所に咲くのであるが、なんという桜なのか、誰も分からない。

(後日、俳人の奥坂まやさんより、「陽光桜」と教えていただいた。里桜の天城吉野と寒緋桜との交配とのこと)







さて、昨日の俳人協会賞の授賞式を紹介したい、とレコーダに取り込んだ受賞者の方々のご挨拶を起こすべくパソコンにデータを移そうとしたところ、な、なんと! データがない。
泣きべそ状態でデータをさがすyamaokaにみかねたスタッフがやってきて、いろいろと見てくれたのであるが、

「どうやら記録されていないようです」と冷ややかに言う。

「そ、そんな!!!」わたしは泣きそうである。

しばらく呆然として、どうしようかと思い、俳人協会発行の「俳句文学館」に掲載されたご挨拶を抜粋いして紹介させていただくことにした。
せつに、お許しを。




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句集『人の香』(角川文化振興財団)で第56回俳人協会賞を受賞された山尾玉藻氏。

両親岡本圭岳・差知子の許で幼い頃より俳句に慣れ親しんで参りましたが、真の俳句が如何なるものか、どう取り組むべきものなのかを、十分に理解せぬまま、随分無駄な時間を費やし、多いに悔やんで参りました。漸く俳句に対する姿勢を改め始め20数年が経ちましたが、その間は迷い悩みつつ、進むべき道を見失わぬよう、懸命に作句し続けて参りました。
そして今、真の俳句の姿を理解し、とるべき道もはっきり定まり、遅まきながら俳人としての自信も少しは身にそなわったように思います。(略)
本賞は私の力で戴いたのではなく、何にも替えがたい俳縁の賜と、有り難く思うばかりです。





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句集『山羊の角』(恵曇舎)で第40回俳人協会新人賞を受賞された鎌田俊氏。


俳句を始めた学生の時分、今日まで続けていようとは思ってもいなかったろうし、まして句集を出してなにかしらの俎上に載ることなど現実的なこととして想定していなかったと思う。これまで俳句を続けてこられたのは、ひとえに定例の句会(と懇親会)が僕を飽きさせなかったことが大きい。作句について自由な「河」の気風も、僕の居どころをゆるしてくれたように思う。(略)
これからのこととしては、いっそう好き勝手に、思うところを句に詠んでいけたらいい。その中に見るべきものがあれば幸いである。まずは僕を応援して下さった句会の皆さんとこの度の受賞を分かちあいたいと思う。



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句集『天心』(角川文化振興財団)で第40回俳人協会新人賞を受賞された櫛部天思氏。


吉報を頂戴したときは文芸部の活動の最中であった。鍛錬句会の合評を行っていた終盤である。初めは信じられない思いがして我が耳を疑った。まさに晴天の霹靂という他はなかった。その夜、江崎紀和子主宰から喜びの声が届き、徐々に実感が湧いてきた。(略)
坂本(謙二)先生のお導きと、江崎主宰を始め「櫟」の皆様のお力添えの賜物である。「写実を軸とし、日本語を大切に人間を詠う」「師系を尊ぶ」心を継承しながら、今後とも精進に励みたい。



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この度のご受賞、おめでとうございました。
こころよりお祝いを申し上げます。






まず、相子智恵さんによる「月曜日の一句」は、


 紅梅や死化粧薄き棺を閉づ  石原日月

句集『翔ぶ母』(2017.03 ふらんす堂)より

〈死化粧薄き〉によって、納棺された人は女性だということが想像される。その化粧の薄さの中に、哀しみが静かに表現されている。

納棺の句では〈ある程の菊投げ入れよ棺の中 夏目漱石〉という句が有名だが、漱石の号泣が聞こえてきそうな句に比べて、掲句の〈棺を閉づ〉の哀しみは何と静かなことだろう。

つづきを読む→「月曜日の一句」






そして関悦史さんの「水曜日の一句」は、

 流灯の介護ベッドに流れ着く  石原日月


介護ベッドはいうまでもなくまだ存命中の者を世話するために使う。そこに死者の魂を弔うための流灯が流れ着くというのが衝撃的である。

介護している側から見ての句と思われるが、介護の果てには当然死別がある。それは誰にでもわかっているはずなのだが、時間的順序も空間的制約もとびこえて闖入する流灯は、頭では理解しているつもりでも、腹から得心がいっているわけではない現実を、いきなりつきつけてくるのである。

つづきを読む→「水曜日の一句」








今日は珍しいお客さまがいらしてくださった。

2005年にふらんす堂から句集『知足』を上梓された村地八千穂さんである。

村地さんは、大正13年のお生まれであるから今年93歳になられる。
句集を上梓されたのは12年前の81歳のときのこと。
「その頃は81歳はずいぶん年寄りに思われたんですが、いまでは81歳はそれほどの年寄りではありませんね」と明るくおっしゃる。
俳誌「知音」(行方克巳、西村和子代表)でいまも俳句を続けておられるのである。

「『知足』を出して本当に良かったです。あのあとすぐ大病をして手術をしたり、いまでは元気になりましたが」とおっしゃりながら、句集『知足』と一緒に、行方、西村それぞれの代表にいただいたお手紙や序文を、「わたしの大事な宝です」と言って取り出されたのだった。

句集をつくったことがこれほど人を支えるのかと、わたしは目が開かれるような思いがした。
そうして句集を刊行するお手伝いをさせていただいたことを改めて嬉しく思ったのだった。
この『知足』という句集の装丁がとても素敵なのである。

「あなた、忙しいでしょ、だから15分だけお話してそれを伝えたかったの」

「せめてお写真を」と申し上げると、

「いいえ、それはダメ」と言いながら、ご自身のガラ系携帯を取り出して、

「これであなたとの記念写真を」と言って、それは通常天地がひっくり返ってもお断りするのであるが、yamaokaもうどうしたことか、スタッフが撮るガラ系携帯写真に村地さんとツウショットでおさまったのだった。


20数分ほどいらっしゃって、「西村和子先生の「俳句日記」、毎日見てるんです。見るのはふらんす堂さんのホームページのみ」とにっこり。

お一人でいらっしゃってあっという間に帰っていかれたのだった。

恐るべき93歳である。


 さよならと踵かへせば花疲    村地八千穂






村地八千穂さま、

10年以上の時を経てふたたびお目にかかれたこと、本当に嬉しかったです。

どうぞ、お元気で俳句をつづけてくださいませ。





















# by fragie777 | 2017-03-08 19:16 | Comments(4)

春の蝿

3月7日(火)  旧暦2月10日


今日は京王プラザにて俳人協会賞の授賞式があり、いま戻ったところである。

まだ仕事場よ。

わたしくらいの年齢のマダム(?)であれば、こんな遅くにしこしことひとりで仕事場に戻ってパソコンのキイを叩いているなんて、なんと可哀想な人生なんだろうって、思ってくれる人もいるかと思うけど、わたしはそんなこと思うわけないじゃん。
へっちゃらよ。
仕事好きだからさ。

しかし、いろんな方にお目にかかって少し疲れたので今日は早く書いてしまって家にもどることにしたい。

式の模様は明日、改めて紹介したいと思う。

受賞パーティには、スタッフの文己さんと二人で出席した。
Pさんは、ふらんす堂句会の髙柳克弘句会があってそちらに向かう。


大勢の俳人の方々に若いスタッフの文己さんをご紹介できたのは良かったと思う。

「いいこと、名刺をたくさん持ってくるのよ。そしてわたしの傍を離れないでねっ」と文己さんに言った。

もうわたしはバリバリのヤリテババア(遣り手婆)である。

「yamaokaさん、凄いですねえ。どんどんいろんな方にご挨拶をして」と文己さんが目を丸くしている。

「あはははは、凄いっしょ」と胸をはってみせたyamaokaであった。





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矢川湿原の隠れ蓑の葉に止まっていた小さな春の蝿。

なぜか、この写真を見ていると、心地良い。

いまのわたしの疲れた心を慰めてくれる。。。。


可愛いなあ。。。。。





 









# by fragie777 | 2017-03-07 22:45 | Comments(0)

心は歳をとるのだろうか。

3月6日(月)  旧暦2月10日

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矢川緑地に咲いていた寒緋桜(カンヒザクラ)。


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この赤さが人目をひく。


深見けん二先生は昨日の5日で95歳を迎えられた。
まことに目出度いことである。

深見けん二先生、おめでとうございます。
心よりお祝いを申し上げます。

先生のお誕生日は、ふらんす堂のお誕生日と2日違い。
ということもちょっと嬉しい。





春風とともにあたらしい洗濯機がやってきた。

控え目な大きさがわが家によくあっていて、初めてまみえたときにはなんだかもうずっと前からそこにあってたいへん馴染み深い存在のように思えた。

蓋をとって最初の洗濯物をうやうやしく放り込み、眼鏡をかけてどうやるのかちょっとドキドキしながら案内表示をみた。
(普通の人は放り込む前に見るんだけど、わたしは違うのね)
えらく簡単じゃん。。。
で、洗剤をいれて蓋をしめた。
上の蓋が透明になっていて選択状況がわかるというのもいい。
洗濯物がくるくると静かに回りはじめた。
しばらくじいっと見ていた。(こういうのって嫌いじゃない)
いつまでも洗濯物が回っている。
なんだかおかしい。
あまりにも中の洗濯物の回り方が軽やかすぎるのだ。
新しい洗濯機とはいえ、こんなんで洗えているのかなあ。
数分が経った。
やっぱりおかしい、、、
ああ、水が出ていなかった。
つまり水道の蛇口が硬く閉められたままだったのね。
(なあ~んだ)とわたしは思いっきり蛇口をまわして水を景気よく出した。
洗濯物も水を喜びながら回りだし、洗濯機の音も、
(洗濯してまっせ!)という重さをもった音に変わったのだった。
安心してわたしはようやく洗濯機を離れることができたのだった。






新刊紹介をしたい。


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四六判ハードカバー装。196頁

著者の松田雄姿さんは、昭和9年(1934)熊本・水俣市生まれ、現在千葉・柏市在住。昭和49年(1974)に「濱」に入会し、大野林火に師事、林火亡きあと松崎鉄之介に師事、平成6年(1994)に俳誌「百鳥」(大串章主宰)に創刊同人として参加、以後同人会長を平成27年(2015)まで務める。本句集は平成15年から平成27年までの12年間の作品をおさめた第4句集である。著者の松田雄姿さんは、今年で83歳を迎えられた。「老い」をどう生きるか、本句集を読んでいると、そのことに向き合っている著者の姿がおのずと現れてくる。

 朝夕のこころを異に牡丹見る
 物言はぬ一日黴びてゐるごとし
 行く秋の己励ます旅に出る
 開戦日一年生が七十に
 老馬にも千里の志あり雲の峰
 日焼して余生に恃むこと多し
 風邪よりも十日歩かぬこと恐る
 逃げ水や夢追ひ続け七十五
 毛皮着て老人会に加はらず
 友来る啓蟄のごと家を出て
 喜寿迎ふ炎ゆる日輪力とし
 甚平や齢に従ひ又抗し
 この秋思齢の重さかも知れず
 氷面鏡他人のごとく老いてをり
 暑に負けじ己の影を踏みて歩く
 これよりの未知の八十路や初山河
 白眉白髯涼しく雛を語りけり
 夏燕切り結ぶもの我も欲し
 鷹翔る一心後は振向かず

本句集は70代を中心に80代前半までの作品である。畢竟老いに真向かうことになる。しかし、今の世、70代はまだまだ若いと言わねばならないほど長生きの時代である。私は思うに、肉体は老いていくが精神はなかなか老いないものである。だから肉体の物理的な衰えや病いによって人間は老いをいやおうなく感じるが、精神そのものは、老いるというよりも死が物理的に近づきつつある、ということで「老いていく我」を認識するのだ。しかし、感じたり考えたりする心(精神)は、老いることから無縁のように思えるのだが、どうだろう。著者の松田雄姿さんは、その「老い」というものを自身なかで対象化し、その上で自身のありようを捉え直しているのだ。いっぽう、同じ年代の女性はもう少し即自的に生きているような気がする。すこし分かりやすくいえば、松田さんの場合、まず年齢があって自身がある。83歳なら83歳の我がまずあるのだ。そうでない場合はまず自身があって、年齢はあとづけされるか、もしくはあまり意識されない。たとえば、卑近な例でいえば、このyamaoka、わたしにとって物を見たり考えたりするとき、まず年齢はどっかへ行っている。ときには15歳の少女になんかなっちゃっていることもある。
本句集は、著者が「老い」というテーゼを意識化し、どう取り組んでいるかを俳句につぶさに詠んだもの、という句集であるということもできる。

大野林火先生は、還暦を迎えるに当たり、如何に老いるかを命題とし、七十代には、如何に死ぬかを命題にされたという。私の場合は命題というほどではないが、この間、齢を大事に明日への夢を失わず、日日を生きようという思いが強かった。これが延いては、如何に老いるかに繫がるのではないかと思う。
しかし、本集を纏めて、それが具現されているかどうか、心もとない気がしないでもない。
(略)
「これよりの未知の八十路や初山河」を念頭に、これから迎える未知の日日を励みたいと念じている。

「あとがき」の言葉である。この「あとがき」を読んでいっそうわたしは先ほどの思いを強くしたのである。
松田雄姿さんは、とても真面目な方でいらっしゃるのだ。
句集のタイトルは「歳月」。
まさに著者の生きてきた時間が意識されているのである。
本句集の担当は文己さん。20歳前半の文己さんの選んだ句はいかがなものだろうか。

 流れ星天の剝落夜もすがら
 賀状書く二つの名前使ひ分け
 白鳥来銀河を発ちて来しごとく
 夜神楽の帰りの道の怖ろしき
 寒林に言葉失くしし如く座す
 鮭のぼる川の底まで夕焼けて
 月蝕の終始の冷えをまとひけり
 帰化の人祖国語らずふぐと汁
 生命線は掌中にあり極暑来る
 鷹翔る一心後は振向かず 

やはり、文己さんの選んだ句には年齢が消えている。
老いを見つめそれを詠む俳句の中に、このような句が鏤められているのである、それが本句集の魅力である。
ほかに、

 山茶花散る散る慶びのありて散る
 やんまの眼眼鏡を掛けて見たりけり
 河と川つなぐ運河や初つばめ
 唄ふ埴輪踊る埴輪や月を待つ
 馬の耳木下の涼を楽しめり
 烏瓜怒りの後の淋しさに
 狐火に埴輪の眼燃えにけり
 古事記にもその昔あり浦島草
 巫女舞の鈴より木の芽動き出す
 日日みどり濃くなる言葉湧くやうに
 管絃祭ぐんぐん潮の差し来たる


本句集の装釘は、君嶋真理子さん。

松田雄姿さんのご希望は、雪山をバックにしかし白っぽいものにならず落ちついた仕上がりに、というものだった。
君嶋真理子さんは、著者の希望をクリアされたであろうか。



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タイトルは金箔押しである。

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用紙は雪山の感じだすために「岩肌」という紙を使った。


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帯をとったところ。

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表紙は濃紺。


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材質感のある布に平面はカラ押し。


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見返しはグレー。(この用紙はわたしの好きなもの)


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扉。


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花布は、紺と白のツートンカラー。


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栞紐は紺色。


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落ちついた荘重感があり、松田雄姿さんのお気持ちに叶うものとなったことを喜びたい。

  遠山の暮れてゆくなり冷奴

わたしはこの一句を選んでみた。
理由は「冷奴」がとても美味しそうだったから。俳句で「遠山」を使うことは案外難しいのではないだろうか。虚子の「遠山」の句が鉄壁のごとく立ちはだかってくる。しかし、この遠山は、冬の遠山ではなくきっと美しい青嶺だ。白い豆腐も映えるというものである。涼しい夕方にゆったりと、どうしてゆったりとかと言うと、それは虚子の句がすでにわたしたちの心にある悠揚な思いを呼び起こすのである、「遠山」と聞いただけでも。そんな夕べに冷奴を食する。美味いだろうなあ。ってわたしは思ったのである。







# by fragie777 | 2017-03-06 20:07 | Comments(0)