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by fragie777
| 2018-05-19 07:26
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5月18日(金) 旧暦4月4日
矢川緑地の胡桃の木。 すでに実をつけはじめている。 5月もすでに半ばを過ぎた。 聖5月と呼ばれる5月もうかうかとしていたらどんどんと去って行ってしまう。 青葉風をたっぷり吸って、身体の細胞のひとつひとつを活性化させたいものであるが、わたしの日常のほとんどはパソコンの前で過ごすものである。 第33回詩歌文学館賞を受賞した岩淵喜代子句集『穀象』の再版が出来上がってくる。 お待ちくださった皆さま、 お待たせしました。 みしみしと夕顔の花ひらきけり 竿灯の押し上げてゐる夜空かな くらやみのごとき猟夫とすれちがふ 蝌蚪の水掬へば蝌蚪のごぼれけり 夏からはじまって春でおわる句集である。 午前中にお客さまがひとり見えられた。 俳人の朝吹英和さんである。 ふらんす堂のシリーズ「現代俳句文庫」にご参加くださるための原稿をもってご来社下さったのである。 朝吹さんは、第1句集『青きサーベル』、第2句集『光の槍』、第3句集『夏の鏃』、の3冊をふらんす堂から刊行しておられる。この度はその3冊より精選された作品と『夏の鏃』以後の作品を収録する。また、師は磯貝碧蹄館であるが、文章は「磯貝碧蹄館について」のものと「中村草田男」についてのものを収録して師系に触れ、自身のアイデンティティをつまびらかにしようというものである。 朝吹英和さん。 お会いするたびに思うのだが、ジェントルマンという言葉がぴったりの方である。 クラッシック音楽を聴くことが趣味であり(もう趣味の域を超えているかも)、またそれについて書かれた文章も多く、「モーツァルト協会」に所属されている。 クラッシックに興味がなかった師の磯貝碧蹄館氏を、マーラーの交響曲2番の演奏会にお連れして、すっかり魅了させてしまったということである。 フランス文学者でエッセイストであった朝吹登水子さんとはご親戚関係にあたる。 さて、 今日は花の金曜日である。 スタッフたちはどんどん帰っていく。 わたしも今日はできるだけ早く帰って明日の準備をしよう。 これから明日の結婚式のご挨拶の練習をするのね、 スタッフや友人たちにくれぐれも言われているのは、 「ご挨拶の紙をぜったいに忘れたり無くしたりしないように!」ということ。 もう何人からも言われている。 なんだかドキドキしてきた。 新幹線に乗るから寝坊はできないぞ。。。。 #
by fragie777
| 2018-05-18 19:05
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5月17日(木) 旧暦4月3日
ご近所ではなく、矢川緑地のちかくに咲いていた薔薇。 昨夕は仕事をすこし早めに切り上げて、顔に魔法をかけに行った。 どんな魔法かって。。。 たわいもない魔法よ。 で、 魔法は効果があったかって。 それは、 もう、 ほとんどない。 ふらんす堂スタッフたちが、「ああ…よく見れば」というくらい。 実はわたしも昨夜から何遍も鏡を見てるのだけど、よくわかんないのよ。 だから、どんな魔法か教えない。 わたしを知っている人が会っても絶対わかんないと思うよ。 実は、今週末にとても大事な人の結婚式があって、参列してふらんす堂を代表してご挨拶をするのである。(いまからドキドキ。) で、少しでも女前をあげておこうと、 ちょっと魔法をかけて見たのだけど、 いやはや、悪あがきに過ぎなかったみたい。。。。(きわめて無念!) 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装。164ページ。 著者の菊地正弘(きくち・まさひろ)さんは、昭和19年(1944)仙台市生まれで、仙台市在住である。お家は明治4年創業の石材店で、それを引き継いでおられる。俳句は平成14年(2002)に鈴木明主宰の「実の会」に入会し、平成15年(2003)に「野の会」に入会、現在は「野の会」の同人で、現代俳句協会会員である。本句集は平成14年(2002)より平成26年(2014)までの作品を収録した第1句集である。序文は「野の会」主宰の鈴木明主宰が寄せている。 初鞴老いた石工の赤き貌 掲句の「初鞴」、「赤き貌」は永年勤続された老石工と理解していたが、作者より後便にて、人物は菊平(菊地石材店)の従業員であり、「小生の中学時代、一月六日が仕事始めで、鞴の脇壁の神棚を礼拝しお神酒を頂き鞴をおこして、鑿を加工しその後新年会となりますが、石工たちは必ず腕自慢を始め、最後は取っ組み合いになるのが常でした。」この一便により、氏の仕事と家族史を想い、改めて気持ちの良い思いがした。 序文を紹介したが、この「初鞴」の一句は、俳句をはじめて僅か1年で鈴木主宰の特選となったもので、この度の句集名となった一句である。著者にとっては、自身の生活から生まれてきた一句でもある故に忘れられないものである。このことを菊地正弘さんは、「あとがき」に次のように書いておられる。 題名の「初鞴」は、勧められて生まれて初めて作った句「初鞴老いた石工の赤き貌」から選びました。小生は、創業明治四年の石材店に生まれました。昭和三五~六年頃までは従業員数は住み込みの弟子達を含めて二十人ほど居りました。掲句は当時を思い出して作った句ですが、思いがけなく平成十四年の新年句会で特選を頂きました。これで俳句の世界から抜け出すことが出来なくなりました。以来十六年、毎月の出句締め切りに恐々としながらも、楽しんでまいりました。これも鈴木明主宰と野の会の諸先輩方の御指導の賜物と感謝の気持ちで一杯です。 ふたたび序文より抜粋して紹介したい。 また次の句は、現代のいま現在も日本の郷村に残る、村民による私的制裁、仲間はずし「村八分」である。 青葉闇現在に繫がる村八分 私がよく口にする故鈴木六林男のことば「憂鬱な時代には憂鬱を、不安な時代には不安を書かない作家は信用できない」。句集『初鞴』に本当の意味での言葉を、私の希望することばをこれらの句によって得ることができたのは最たる至福といえる。時代の社会的事象を俳句にする力は、著者の勇気と知性、その見識の高さである。 最後に序を飾るにふさわしい秀句を置く。 もう一歩踏み出しかねつ蛍沢 わが城はわれ立つ処青嵐 藤袴をとこは香気放つべし 桔梗の角帯きりっと締めにけり 躁のまま夜の新樹となりにけり 初山河此の地に骨を埋むべし ご出版を心よりお祝い申し上げます。 本句集の担当はPさん。 Pさんの好きな句を紹介させていただく。 秋旻や晩節というつらい坂 啓蟄やみなそれぞれの死の歩幅 幻に牙むく犬や罌粟の花 風歇みぬ金木犀にある死臭 とまれともあれ収支合わせむ除夜の鐘 手庇の二の腕眩し薄暑光 抜け道の空高々と花常山木 去年今年綻び繕う鼻眼鏡 御籤売る巫女の手に見る淑気かな 口下手で一徹でいかつくて鬼蕨 葱洗指先白く透けるまで 藤袴をとこは香気放つべし Pさんが選んだ一句より。この句は鈴木明主宰もあげておられたが、わたしもチェックした一句。こんな男に会ってみたいものだわ。この「香気」は、辞書をひけば「よいにおい。香り」とあるだけだけど、これはもっと精神性のようなものが加味された存在が放つ「香気」とでも呼ぶような、なかなか芳しい選ばれた人間のみが放つ香りである。菊地さんは、「放つべし」と言って、自身がその香気を手に入れたとは言っていない。そのようなでありたいという精神の方向付けをしているのだ。とても良いではないですか。しかも「藤袴」の季語が効果的である。秋の七草のひとつで、なんども渋い紫の色の花。「袴」という語が「袴」をつけた男の姿勢のよろしさを思わせて,シャンと背筋のとおった男から香気が放たれる。ぐっと来ちゃうわ。波郷の「桔梗や男も汚れてはならず」を連想する人が多いかもしれない。 烏瓜男点前の黒茶碗 これもPさんの好きな一句である。句集の3句目におかれている。男のダンディズムたっぷりの一句だ。隙のないしまった一句である。本句集はこの句やさきほどの「藤袴」の句のように、かなり「男性(おとこせい)」というものが意識されている句集である。「老いていく男の我」を自己対象化しながら、その感慨を俳句の定型に籠めている。 放埒の日々遥かなり秋刀魚焼く 冬座敷一人言葉を探しおり 花栗や良くも悪くも昭和の男 青空の奥に鬱あり今日我鬼忌 口下手で一徹でいかつくて鬼蕨 でで虫やなんで彼奴が俺の前 秋思とは墓まで持ちてゆく秘密 袱紗さばく男に釣瓶落としかな 極月や斜めにかぶるソフト帽 鴉にも鬱はあるらし木の実降る 日向ぼこ程よく塩気抜けにけり 身の底に燻る種火月凍てる 鏡の彼奴に指鉄砲撃つ初鏡 絹マフラー七十の腰伸ばさねば 七十歳を区切りに句集をという気持ちは前から有り、主宰からも勧めて頂きながら、なかなか踏ん切りがつかず延び延びになっておりました。拙く青臭い句も多々ありますが、笑いとばしていただければ幸いです。 「あとがき」の言葉である。 装丁は君嶋真理子さん。 句集名の赤メタル箔が印象的な仕上がりとなった。 黒メタル箔のものと赤メタル箔のものを提案したのだが、赤メタル箔のものを選ばれたのだった。 表紙のクロスは、素鼠(すねず)色ともいうべき、渋いグレー。 表紙の箔も赤メタル箔。 見返しはグレーの石の感触を思わせるもの。 花布は赤。 栞紐は赤。 扉。 赤とグレーの二色にして石と火を連想させる。 美意識のある菊地正弘さんの心にかなった一冊となったであろうか。 週末には仙台市にて、句集『初鞴』のお祝いの会が行われる。 担当のPさんがお招きをいただいており出席の予定である。 菊地正弘さま。 第1句集のご上梓、おめでとうございます。 仙台の青葉はきっと美しいことでしょう。 ますますのご健吟をお祈り申しあげます。 蕨餅食うて市井の隅に生き 句集の掉尾におかれた一句である。 午後にお客さまが見えられた。 はじめての句集を上梓されたいという方である。 岡部隆志さん。 岡部さんは、現在大学で教鞭をとっておられる。 いただいた「略歴」には、「日本古代文学、近現代文学、民俗学を専門とするが、1997年から中国雲南省の招集民俗文化調査に赴く。他に現代短歌評論も手がける」とあり、かなりの著書をお持ちである。主に文学論、短歌論などを中心に「中国雲南省」に関わる書物もある。 俳句はまったくお一人で作って来られたということ。 すでに、本のイメージや組方なども決められていて、担当の文己さんにその旨をきっちり伝えておられた。 岡部隆志さん。 調布市入間町という仙川のすぐおとなりの町に住んでおられる。 「ふらんす堂をどうしてお知りになったのですか?」と伺うと、 「もと同僚だった西山春文さんを知ってるんです。彼から句集『銀』を送ってもらって、この出版社はどこだろうと思ったら、すぐ近くだったので」と。 「まあ、そうなんですか。それではご近所のよしみで、良きご本にさせていただきます」 とわたしはお答えしたのだった。 #
by fragie777
| 2018-05-17 19:49
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5月16日(水) 旧暦4月2日
矢川緑地の湿原に咲いていた狐のぼたん。 別名コンペイトウグサとも呼ばれるという。 今日は真夏の暑さとなった。 と言っても、わたしが外に出たのはお昼を買いにほんの10数分ほどのこと。 お昼はクイーンズ伊勢丹のパンコーナーで、パストラミビーフ&ポテトサラダの小さなサンドイッチとベーコンとオニオンのキッシュでしめて583円、それと家から持ってきた大地の会で購入した有機野菜のジュース。 ここんとこ体重がいい感じで減っていてちょっと気をよくしているyamaokaである。 ここで油断してはならぬ。のだ。 いまちょっと悩ましいのは、頂き物のおいしいシラスがあること。それを炊きたてのご飯にたんまりのせてその上に青紫蘇の千切りをかけ焼きのりで巻いて食べるの、それはもう最高の美味さである。 一口食べるたびにわたしは、「うま~い!」と叫ぶ。 シラスが甘いのだ。 ついご飯をたべすぎちゃうのよ。 ここんとこ、その欲望との闘いである。 今日は午前中と午後にお客さまがお見えになった。 午前中にご来社くださったのは、東久留米市にお住まいの松本裕子さん。 詩の原稿をもってのご来社である。 松本裕子さんは、もの心ついた時から言葉が好きで、詩を書きはじめていたということである。 かつて福武書店が文芸に力をいれていたときに、文芸雑誌「海燕」で何回かにわたり詩の作品が取り上げられ掲載された経験をもつ方である。 その時松本さんは、まだ高校生だったということ。 今回はいままで書きためた作品を編集してはじめての詩集を上梓すべくご相談に見えられたのだった。 松本裕子さん。 お電話でお話していた時に、東久留米市にお住まいと聞いて、「ああ、九州ではふらんす堂にいらっしゃるのはご無理ですねえ」と申しあげたところ、「いえいえ、東久留米市は、東京ですよ。よく久留米市と間違えられるんですけど」と、おっしゃってご来社下さったのだった。 「ずっと詩を書きつづけてきて、どうしようかなあと思いながらようやく詩集にすることを思い立ちました」と松本裕子さん。 ふらんす堂を選ばれて理由は、「ホームページを見ると、本づくりに力を注いでいることが伝わってきたので。わたしも本づくりにとても興味があります」と。 お姉さまがグラフィックデザインをされるということで、今回の詩集にもお姉さまもの作品をお入れになりたいということだった。 詩集のおおよそのイメージはおありで、判型と造本はすでに決めておられたのだった。 いろいろな本の見本をご覧になりながら、担当の文己さんとじっくりと相談をして 「ああ、今日はとても楽しかったです。」と言ってお帰りになられたのだった。 午後は、俳人の佐怒賀正美さん。 佐怒賀さんは、俳誌「秋」の主宰者である。 第7句集のご相談に見えられたのだった。 おおよその原稿は整っておられて、「あと少しつめたい」ということ。 句集名は、「無二」。 クータバインディング製本をお選びなられた。 20代の前半で詩人・三好達治に興味を持ったがきっかけで、三好達治の研究者でもあった俳人の石原八束に出会う。石原八束に師事した年月はおよそ20年になるという。 石原八束という俳人はわたしにとってなつかしい方である。 石原八束さんとはかつて勤めていた出版社の編集者時代にいろいろと原稿をいただいた。 一番印象的だったのは、「俳句とエッセイ」という総合誌で「西脇順三郎」について特集のようなものをやったときに、西脇順三郎の研究者であった鍵谷幸信と石原八束の対談をやったことである。この時は鍵谷幸信氏の熱意にひっぱられて石原氏をその場に呼び出した、そんな対談であったかもしれない。俳人からみた「西脇順三郎」ということだったか。 佐怒賀正美さん。 「いい色に日灼けしておられますね」と申しあげたところ、 「実は先日マブソン青眼さんが住む長野の上田市に行ってきたんです。その日、すごく暑い日ですっかり日灼けしてしまいました。」 「マブソンさんが、力をつくされた「昭和俳句弾圧の記念碑の会」による「檻の俳句館」に是非に行ってみたかったんです。「俳句弾圧不忘の碑」は金子兜太さん揮毫によるもので、兜太さんの最後の揮毫となるものですね」 「マブソンさんは、わたしたち日本人がやらなくてはいけないことをされたんですよね。すばらしいと思います」と佐怒賀正美さん。 #
by fragie777
| 2018-05-16 19:56
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5月15日(火) 竹笋生(たけのこしょうず) 京都葵祭
国立・矢川緑地。 藺の花(別名燈心草)。 今日は午前中と午後と出かけて、仕事場に戻ったのは夕方となってしまった。 午前中は、俳人の高橋悦男氏にお目にかかる。 いますすめている句集の赤字ゲラをいただくために、下高井戸までおもむく。 下高井戸は高橋悦男氏が学生の頃より住んでおられた街ということで、お目にかかると懐かしさもあってか、学生時代のたいへん面白い思い出話を聞かせてくださる。 そこからさらに、伊豆の下田出身の氏は、幼少から高校までを戦時下の下田で過ごされたのだが、色あせぬ記憶をたどって語られる少年時代の話は今の日本ではおよそ考えられないようなことばかり。 すこし時代はさかのぼるが、まるで井上靖の「しろばんば」のような牧歌的な大らかな世界だ。 ゲラを受け取って、急いで昼をすまして、今度は国立に向かう。 鍵和田秞子氏にお目にかかるためだ。 3年ほどかけて「鍵和田秞子俳句集成」を刊行されるご予定があり、ふらんす堂でお手伝いをさせていただくことになった。 そのまず最初の打ち合わせを、国立駅のすぐそばのマンションの一室で行う。 このマンションの部屋は鍵和田秞子氏の仕事場である。 「鍵和田秞子俳句集成」については一切の窓口となって、中心的に関わってくださるのが、同人の遠藤由樹子さんである。 今日は鍵和田秞子氏と遠藤由樹子さんにお目にかかって、今後のおおよその予定と判型、造本などを決めていただいた。 鍵和田先生は、とてもお元気のご様子で明るく気さくにいろいろとお話下さったのである。 おふたりの写真をと思いながら、打ち合わせが終わった後、ホッとしてしまったためか、写真を撮らせていただくことをすっかりと忘れてしまい、気づいたときには既に帰りの電車に乗っていた時だった。 「俳句集成」や全句集は、力仕事になる。 たっぷりの時間を頂ければ、たいへん有難い。 すこしづつ、すすめてゆくつもりである。 新刊紹介をしたい。 46判ハードカバー装。 230頁。 著者のなかでみちこさんは、昭和8年(1933)石川県生まれ、東京都世田谷区在住。昭和58年(1983)に俳誌「鶴」に入会し、平成元年(1989)「鶴」同人、石塚友二、星野麦丘人、鈴木しげをに師事。本句集は昭和58年(1983)から平成29年(2017)までの34年間の作品を収録した第1句集である。序文を鈴木しげを主宰が寄せている。 この句集『手鑑』の著者なかでみちこさんとは毎月の「鶴」の東京例会、渋谷冬蝶会、世田谷句会と句座を共にしている。著者の俳句との出会いは昭和五十八年にさかのぼる。以来現在に至る三十五年の歳月を「鶴」一筋に励んで来られた。石田波郷のいう「鶴でやると決めたら真向ひた押しに鶴でやりたまへ」をまさに実践している作者である。 著者が「鶴」に投じた昭和五十八年は石田波郷は既に亡く、後を継いだ石塚友二主宰の晩年ということになる。短い間ながら冬蝶会の句座に直接来て指導してくださっていた友二先生に接し得たことはかけがえのない時間であったろう。そしてその後、星野麥丘人主宰によってなかでみちこの俳句は花開くことになる。 鈴木しげを主宰の序文を紹介した。 まさに「鶴ひとすじにやってきた」著者である。 著者は今で言うところのキャリアウーマンの走りではないかと思う。お父上が亡くなったとき「自立しなければ」とブティックをはじめられ、長い間にわたってそのお店を営んでこられたようである。 珈琲の愉しき刻や小鳥来る モード誌の膝に重たき夜寒かな 八ッ手咲き今年の仕入れ終りけり 短日やマネキンに着す赤い服 商ひの二十三年葛湯吹く 今ここに挙げた句を読むと一人の働く女性の生きる姿が見えてきて俳句のもつ力強さや奥深さを改めて感じるのである。 珈琲の愉しき刻も膝に重たいモード誌もブティックを生業として明日のために懸命であるからこそ生まれた諸句なのである。この句集の一特長を示すものといっていいのではないか。 寒ざらひ墨たつぷりと磨りにけり 貫之の歌そらんじる吉書かな 紙ばかり買うてゐるなり養花天 手鑑の紀貫之を筆はじめ 重陽の紙屋に紙を選びけり みちこさんは俳句と同じ重さで書道に力を注いでいる。かな文字であろうか紀貫之となれば「古今集」の撰者。書家としても名高い。みちこさんの貫之の筆跡を臨書する姿勢が清々しい。ぼくは句集名を「手鑑」がいいのではないかと著者に呈示した次第。とくに紀貫之にこだわるものではない。俳句という文芸は先師の精神を受け継ぐものと思う故にぼくは「手鑑」がなかでみちこの俳句に適うと思ったのである。 序文を抜粋して紹介した。 ブティック経営をなさりながら俳句をつくり、書道を学ぶ。 充実した人生であると思う。 本句集の担当は文己さん。 文己さんの好きな句を紹介したい。 啓蟄の鼠ころころ走りけり 豆柿や朝を歩いて坂の町ほうたるを見に行く電車混みにけり コスモスは頷く花や人寄せて 一日に佳きことひとつ髪洗ふ 衣被酒は手酌と決めてをり 紙ばかり買うてゐるなり養花天 この句が一番好きであるということ。鬼灯を鳴らしたことはわたしもかつて少女時代にあるが、大人になってからはやったことがない。鳴らしたことのある人はわかると思うけど、下唇をすこし前に突きだして鬼灯を軽くのせ、上の歯で下唇にのせた鬼灯をしごくようにゆっくりとやさしく押すと、ヴーってなる。その時顔が前にしぼんだようになり誰でもやや不細工になる。少女時代はそんなことはおかまいなしに得意そうになって友だち同士で鳴らしあったけれど、大人になってからはどうしたって自意識というものが芽生えて、その顔を意識することになる。「あら、わたし鳴らせるわよ」なんて言って、鳴らそうと顔をゆがめたとき、周囲の人間の目が自分の顔に集中することになって、(あらヤバイ)なんてふっと思ったそのことを一句にしたのだ。ってわたしの説明長くない?この一句、そんな心情などどこにも詠んでいないが、その人間の心理を十全に語っている。やはり、俳句は端的である。 本句集は、「鶴」でみっちり学んで来られた人らしく、けり、かなの切れ字が効果的である俳句が多いと思った。 百日紅古き女と云はれけり 花冷えの眉描き足して出でにけり 濁流のぶつかり合ひし木の芽かな 花種を蒔いて一日籠りけり 波郷忌の京の外れを歩きけり 虞美人草われに恋の句なかりけり 天牛の外湯へ闇の深きかな 『手鑑』は、私の初めての句集です。 昭和五十八年から平成二十九年迄の三十四年間の「鶴」掲載作品を集約しました。私の半生の記録です。 俳句を始めましたのは、父が逝き、自立しなければと思い、目黒区に小さなブティックを開店したのがきっかけです。その店がなんとか軌道に乗り、気持ちも落ち着きました頃、何か趣味を持ちたくなり、試行錯誤を繰り返しておりましたが、若い頃に従兄弟に俳句を勧められたことを思い出し、俳句だったら店でも出来るのではと、始めました。勧められる儘に「鶴」誌を読み、中目黒にありました「冬蝶会」へ。そこで石塚友二先生のご指導を受けました。当時は和室で、友二先生に膝詰の教えを仰ぐことが出来ました。貴重な時間でした。 友二先生ご逝去のあと、星野麥丘人先生には長期に亘り御指導いただきました。各地への吟行、鍛錬会にも出席し、連衆とも触れ合い、俳句の楽しさも知りました。現在は、鈴木しげを先生の下で俳句に励んでおります。伝統ある「鶴」俳句会で、お三人の師の教えを受けられましたことは、この上もなき幸せでした。『手鑑』は、周りの方の後押しもありまして、何時の間にか上梓する運びとなりました。後押しをして下さいました方々に御礼を申し上げます。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 句集名の「手鑑」は序文にもあるように〈手鑑の紀貫之を筆はじめ〉による。「手鑑」とは、お手本のこと。 本句集の装丁は、君嶋真理子さん。 ご本人のご希望は、どちらかというとやや古風に、そして紫を基調としてということであった。 赤紫をベースにした明るめの華やかなな一冊である。 用紙は和紙風のもの。 タイトルは金箔押し。 クロスも落ち着いた赤紫。 見返しは淡い紫に白の斑が飛んだもの。 扉。 花布は金色、栞紐は白。 帯の紫がなんとも深い色である。 華やぎと格調のある一冊となった。 春めけりカナリアに遣るカスティーラ カステラを詠んだ句はたくさんあるが、この「カスティーラ」が印象をあたらしくする。エキゾティシズムの香りがする。カ行とラ行が響き合って、春のまったりとした長閑さを感じさせて好きな一句である。 青空に通草の裂けてゐたりけり この句もけり止めの句であるが、シンプルでいい句だと思う。多くを語らないこういうシンプルな句の力強さは、やはりけり、かな、の切れ字を信頼する韻文精神が生み出すものなのではないだろうか。 すっかり遅くなってしまった。 これからメールをチェックして、返事を書いて、それから帰る予定。 #
by fragie777
| 2018-05-15 21:11
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