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9月21日(金) 旧暦8月12日
枳殻(からたち)の実。 水が豊かに流れていた。 出かけていていま戻ったところである。 新刊の紹介をする予定だったが、今日はもう遅くなってしまって時間がとれない。 明日から明後日まで山形に行ってきます。 鷹羽狩行先生が主宰する「狩」40周年のお祝いの会が山形市で開催されるのである。 山形は鷹羽先生の出身の地、その待望の地での開催である。 ご案内に内輪の会とあるので、基本的には「狩」の皆さまを中心に、40周年のみならず鷹羽先生の米寿もお祝いをされるという。 メディア関係の方たちはお招きをいただいている様子である。 明日が大会とお祝いの会、そして明後日は蔵王へのバスツワー観光がある。 わたしも参加させて頂く予定。(ちょっと楽しみなんだ) 晴れているといいなあ。 副主宰である片山由美子さんに伺うと、片山さんは「晴れ女」であるが、鷹羽先生は「雨男」なんだそうである。 片山さんは、「鷹羽先生に晴れた蔵王をお見せしたい」と心から願っているご様子。 片山さんの願いがどうぞ叶いますように。。。。 いつもながら何にも用意していないyamaokaである。 さっき新幹線の切符を確認し、明日の出発時間を頭のなかにいれた。 これから家に帰って、準備をするのね。 片山由美子さんが、 「寒いからコートを忘れないように」と伝言をくださった。 新刊の紹介しなくてはならない本がたまってしまった。 帰って来ましたら、いたします。 さっ、 早く帰って仕度をしよう。 #
by fragie777
| 2018-09-21 20:13
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9月20日(木) 彼岸入り 旧暦8月11日
雨にぬれていっそう鮮やかな鶏頭。 今日は雨降りである。 午前中はひさしぶりに神野紗希さんがご来社くださった。 いますすめている現代俳句協会青年部による「新興俳句アンソロジー」のゲラの確認である。 大分遅れてしまい、待たれている方も多いのではないかと思う。 なかなか原稿がそろわず難儀しているようであるが、どうやら刊行の日の目がみえてきた。 二時間ほど作業をしてお帰りになったのだった。 (写真をとるの忘れてしまった、、、、) 母であり妻であり仕事人であり、たいそうお忙しいと思う。 「松山(ご実家)から帰ってきたばかりなんです」と溌剌とされていた紗希さんだった。 昨日、アルカディア市ヶ谷で行われた「第11回日本一行詩大賞」について報告したい。 ふらんす堂は昨年の第10回では、 中村光声句集『聲』が一行詩新人賞を受賞している。 ことしは、岩淵喜代子句集『穀象』が大賞を受賞した。 選者のお一人でありこの賞を創設された角川春樹氏のご挨拶からはじまった。 抜粋で恐縮であるが、皆さまのご挨拶を紹介したい。 一行詩大賞をたちあげて10周年になります。 そして今年はわたしの師である角川源義の生誕100年の年です。いま角川源義の100句鑑賞を執筆している最中なんですけど、師の処女句集『ロダンの首』に石田波郷が跋を書いています。 そこにこんな風な言葉があります。 俳句のかたちこそは何ものにも代えがたい魅力なのである。このかたちの中で自己表白するという魅力はいかなる文芸形式によっても果たされない。それは隠微であって揺曳し、寡黙であって無限に訴える。 「寡黙だけど無限に訴える」 そしてこのことを今回の大賞を受賞した岩淵喜代子さんの句集に感じました。 この「訴える」ということから、歌がはじまったのだと思います。 「一行詩大賞」の創設者で選者である福島泰樹氏 青空の名残のやうな桐の花 麦秋や祈るともなく膝を折る 十二月八日手袋嵌めにけり みちのくの闇は重たし牡丹焚く 刃物みな空を映して農具市 (句集『穀象』より) 読んでいて実にことばが重厚です。とりわけ「麦秋や祈るともなく膝を折る」。歴史、人生、あらゆるもの、挫折も、そのようなものをふくめたものが一句のなかに見事にある。驚いてしまう。「十二月八日手袋嵌めにけり」日米開戦をうたった句。「みちのくの闇は重たし牡丹焚く」「刃物みな空を映して農具市」農民の長い歴史があり、日常の風景のなかからこうしたものを見事に詠いあげ、大賞に匹敵する作品であると思いました。 選者の辻原登氏。 小説をかいている人間ですが、俳句ってなんだろうと門外漢として考えることが多い。どうしてこんなに長い間俳句が世界を豊かにしているのか。 角川源義氏は、俳句とは宗教以上のものであると言う。それは言葉によってもたらされる救いである。それは言霊でありすなわち祈りである。祈りは,ぎりぎりまできりつめた形式をもつ言葉、角川源義氏は、俳句は宗教以上のものと俳句のことを言った。宗教は教義や戒律など複雑な形式をもっているが、俳句は五七五と季語によってなりたつ。この短さと日本語の音の力が合わさると祈りになる。祈りというのは、万物との交感だと思います。今年の一行詩大賞のの岩淵喜代子さんの『穀象』はまさに角川源義氏の至言を達成したものであると思いました。 穀象に或る日母船のやうな影 全身が余韻の水母透きとほる 麦秋や祈るともなく膝を折る 秀逸な観察力、あざやかに切り取られた万物の感嘆、人は一所にとどまらず遠くまで深くまで届いて融通無碍と言っていいでしょう。一行詩大賞にふさわしい作品だとおもいました。 大賞を受賞された岩淵喜代子氏。 自分の俳句になかなか自信がもてないというか、輪郭がないというか、そういうものを日々のなかでいろんな方々に鑑賞していただいて、自分自身が確認していく、というかたちがありまして、さらに句集によってもう一度、とくにこういう場を得ることで自分の俳句に輪郭を与えてもらえるんだなあと今回しみじみとおもいました。 鑑賞者がいないと成り立たない文芸でかもしれないと思いました。 歌集『汀の時』で、新人賞を受賞された窪田政男氏。 半生はアルコール依存症との闘いでした。お酒をやめてから、自分の感情をおさえることに費やしました。喜怒哀楽をうまく表現できずそれが後悔のかたちをとって歌になってくる、負の連鎖のようなそれをしながら毎日を後退するように前に進んで行く、という歌を作っているような気がします。三千首のなかから歌集にするために歌を取捨選択したのですが、その作業をとおして歌を捨てるということが身についてきたように思えます上梓したとはいえ自分の歌もつまらなく思えてきた、この一年ですこし懐を深くして駄目だいうものをかかえていきたいそんな風に思っている時に時にこの受賞をいただきました。 句集『飛べない鶴』で新人賞を受賞された前原陶子氏。 俳句をはじめてまだ十五年経つか経たないかの文字通り新人です。角川主宰に書いていただいた魂をこめた跋文が私の何よりの宝でいただいた時は夜ホテルに帰って抱いて寝たものでございます。その「飛べない鶴に」また一つ新人賞というすばらしい賞をいただいて何よりの宝物になりました。ちょうど今年は先師・源義師の生誕100年にです。「河」の一員として「河」60周年にこのような賞をいただいたのもなにか特別な思いがいたします。『飛べない鶴』を刊行してちょうど一年となりますが、いろんな友人からさまざまな嬉しい言葉を貰いました。俳句を上梓した人ではなくては分からない喜びだと思います。 受賞者、選者、後援者とともに記念撮影。 ご受賞された皆さま、 おめでとうございます。 心よりお祝いを申し上げます。 実は目下角川春樹氏の新しい句集を編集中である。 角川春樹主宰の「河」は今年で60周年を迎えられる。 それを記念しての句集上梓である。 10月にはお祝いの会が催される。 それに間にあわすべく担当のPさんはねじり鉢巻きで頑張っている。 #
by fragie777
| 2018-09-20 19:50
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9月19日(水) 子規忌 旧暦8月10日
実むらさき。 従軍の居士を語りし子規忌かな 青木月斗 もろこしの食べ殻しんと子規忌なり 村越化石 子規の墓去り鶏頭の炎消ゆ 深見けん二 月祀るとは子規を問ひ虚子を問ひ 山田弘子 その母の無念やいかに獺祭忌 西村和子 蔓は実の重みに撓ひ獺祭忌 三森鉄治 ねそべりて手紙を開く子規忌かな 田中裕明 獺祭忌蟬殻ためて子の机 日原 傳 健啖のせつなき子規の忌なりけり 岸本尚毅 子規虚子といふ冷やかな師弟かな 稲畑廣太郎 夜通しの嵐のあとの子規忌かな 津川絵理子 今日は子規忌である。 わたしはこの日、子規を思って食するために昨夜スーパーマーケットで、柿を一個買った。 おおぶりで結構いい値段だった。 今朝食べてみた。 まずかった。。。 いままで食べたどの柿よりもまずかった。 渋くはないが、やけにかたく(歯が折れるのではないかと思ったほど)甘味がとおい。 半分頑張って食べたが、もう充分である。 本日の讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、伊藤一彦歌集『短歌日記2017 光の庭』より。 秋の夜にひとり酌みつつ恋ふるひと幾人(いくたり)かある筆頭は内緒 伊藤一彦 筆頭は誰々と、ここに具体的な名前があればずいぶん安手の歌になってしまう。内緒だからこそ読者はあの人か、奥さんかなどど想像をめぐらせる。これが内緒話の効用。世阿弥も「秘すれば花」といっている。歌集『光の庭』から。 今日は、夕方より九段のアルカディア市ヶ谷で、第11回日本一行詩大賞の授賞式がある。 日本一行詩大賞には、岩淵喜代子氏の句集『穀象』が受賞。 本句集は第33回詩歌文学館賞とダブル受賞となる。 yamaokaがその授賞式にはこれから伺う予定である。 ほかの受賞は、 日本一行詩新人賞 窪田政男氏 歌集『汀の時』(月光の会) 日本一行詩新人賞 前原陶子氏 句集『飛べない鶴』(文學の森) 今日の会の模様は、明日以降に紹介します。 さあ、 そろそろ出かけなくては。。。。 それでは、 行ってまいります。 一日ただ子規忌に凭れゐたりけり 岩淵喜代子 #
by fragie777
| 2018-09-19 17:17
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9月18日(火) 玄鳥去(つばめさる) 旧暦8月9日
蓼の花。 地味な花でとおり過ぎてしまいそうになる。 こうして写真にとると、ああ、いいなあって思う。 新聞記事の紹介をしたい。 17日付けの讀賣新聞の「枝折」は、四ッ谷龍著『田中裕明の思い出』が紹介されている。 特異な才能をもった俳人の言語感覚や俳句観などについて、親愛の情を込めてつづる。 おなじく讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、 対中いずみ句集『水瓶』より。 烏瓜の花空中にあらはれし 対中いずみ 烏瓜はそろそろ赤く染まるころ。夏のころ、その花に気づいた人はいるだろうか。見ていても、あの烏瓜の花とは思わないかもしれない。白いレースを広げたような花なのだ。見えない手が綾取りをしているように。句集『水瓶』から。 18日付けの毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、津久井紀代句集『神のいたづら』より。 子規の忌のすこし厚めの麺麭とジャム 津久井紀代 句集「神のいたづら」(ふらんす堂)から。作者は東京都武蔵野市に住む。正岡子規は健啖家だったので、彼にならってパンを厚めに、ジャムを多めにしたのが今日の句。ちなみに子規の好んだ飲料は「牛乳一合ココア入り」。子規忌の前後、わが家の朝の飲料はこれになる。もちろん、やはり子規が好んだあんパンも食べる。明日が子規忌。 そうなのか。明日は子規忌か。 わたしも子規を思ってパンの厚切りを食べようか。 ああ、ダメ、パンは太る。 じゃ、「牛乳一合ココア入り」とするか。 いや、牛乳にココアというのもなかなかカロリーが高そうだなあ、ここ数年料理に用いる牛乳以外は牛乳なるものを飲んでいないような気がする。 じゃ、どうする。 あんパンか、 いや、それも。 おお、そうだ。 柿を食べよう。 すでに近所のスーパーには出回っていたな。 よし、 決めた。 明日の子規忌は、柿を食べる。 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装 178頁 著者の中村ひろ子(なかむら・ひろこ)さんは、昭和44年(1969)熊本県生まれ、現在は神奈川県・川崎市在住。平成5年(1993)に「熊本大学学生句会」で俳句をはじめる。平成9年(1997)「未来図」熊本支部入会、平成26年(2014)「未来図」杙の会参加、平成28年(2016)「未来図」新人賞受賞、平成29年(2017)「未来図」同人。「未来図」400号記念コンクール秀逸第一席。本句集は平成9年(1997)から平成30年(2018)までの作品を収録した第1句集である。序文を鍵和田秞子主宰が寄せている。 小さき手でドロップ缶振る火の用心 「カチカチ、火の用心」と通り過ぎるのに合わせて、幼い子どもがドロップ缶を振るその情景が鮮やかで楽しい。近年は吾子俳句も多いけれども、母親の愛情をこういう形で表現するのはまた、格別のよさがある。読者もまた楽しくなってくる。中村さんの吾子俳句の一つの形として、優れた作品ではないか。 ふくふくと太る実梅と次男坊 崩落の道を繫いで野焼かな 黄の菫こぼれ咲くなり阿蘇原野 ますらをとなりたし猪の肉を食ふ 風組は一列になり芋畠 冬ざれの実験室の骨の群 むき出しの地球の素肌潮干潟 寂光の揺れし先へと花見舟 中村さんの句は力強く、若々しい感性で自由な雰囲気を持っている。今後も大胆に一筋の道を進んで欲しい。将来への大きな期待を抱かせる作者である。 本句集の担当は、文己さん。 乳飲み子の喃語響きて夏の汽車 大風と大縄飛ぶ子賢治の忌 羽子板の少女横向く歳の市 そろそろと冬日を探る象の鼻 大寒やお国言葉とすれ違ふ 風の名の変はる節目の簾かな 改良の金魚ぬらりと生きてをり 黄金虫千切れし羽根の光り合ふ 出鱈目な歌高らかにプールの子 うららかや船客と手を振り合ひて 金魚愛づ逃げ道あらば遮りて 弁天の水馬をのけ銭洗ふ 通り雨まつすぐに受け稲の花 秋天やさて新しき靴を買ふ 破芭蕉旅は橋より始まりぬ 春泥を蹴散らし西へ西へ行く 文己さんが好きな一句で、わたしもおもしろいと思った句である。これは単に遊びや旅行で西の方向を目指しているのではなくて、もう少し大掛かりな、たとえばご主人の転勤(転勤がとても多かったと「あとがき」で書かれている)のために家族そろっての大移動をしているその渦中のことを詠んだのではないだろうか。春の季節である。「春泥を蹴散らし」という表現が、どこか挑戦的な覚悟を感じさせ、しかもユーモラスでもある。単なる地理上の狭い場所の移動であるのではない。生活を背負っての生活圏の移動である。「春泥を蹴散ら」しながら日本列島を西に向かって果敢に横断しているそんな感じか。頼もしい一家だ。 金魚愛づ逃げ道あらば遮りて こちらは文己さんが選んで、わたしがああこういう句もあったんだと面白がった一句。かわいがりながらどこにも行かせない、そんな愛し方か。文己さん曰く、「わたしもそういう気持ちわかります」と。おお、そうなんだ。ちょっとむかし、「お妾さんを囲う」っていう言い方があって、いまは「愛人を持つ」って言うのかな。「お妾さんを囲う」って要するに、中村ひろ子さんの「金魚の愛し方」に通ずるものがあって、自分のためだけの存在であって欲しいから、どこにも行かせない、ようするに自由をあたえない、っていう、今の時代だったらとてもそういう女性はいないと思うけど、中村さんはそういうやり方(?)を金魚にしている。そしてそれをよく自覚しているのだ。で、こうして一句にしちゃっている。なかなか面白い一句だ。 だが、そもそも思うに、これは愛される側と愛する側が圧倒的に力の差がある場合のことだ。相手にはイニシアチブがないのである。人間の場合は男性と女性が入れ替わることだってあり得る。女の方に圧倒的な力がある場合だってある。そういう力関係における愛し方というのは、ある残虐性や冷酷さをともなってしかもそこに秘かな喜びを見いだす、という人間の暗黒部分が剥き出しにされるということもある。おお、ちょっとゾクゾクしてきた。この一句、そんなことまで思わせて面白い。 私は阿蘇山の伏流水の流れる菊池という里で育ちました。祖父は鳥撃ちを嗜み、父は教職の傍ら蛍や兜虫を養殖する楽しい三世代同居の家でした。土地神を祀る農家が我が家のルーツでしたので村の行事で家は一年中賑やかでした。 俳句との出会いは熊本大学の学生句会です。「未来図」熊本支部の方々と合同でよく吟行に出かけました。熊本支部にも入れて頂き幸せなスタートを切ったのも束の間、その後ずいぶん長い間俳句を諦めなければならなくなりました。 (略) 今回の句集は東京で句会に参加し「未来図」への投句を再開した平成二六年以降の句を中心に選びました。第一章では平成九年から平成二五年に「未来図」へ投句した句も少し入れました。。句集名の「ドロップ缶」は熊本への里帰り中に出来た句 小さき手でドロップ缶振る火の用心 から採りました。菊池の地では今も大晦日の夜、寒柝の音が鳴り響きます。四苦八苦する子育てを優しく支えてくれた両親、元気に育ってくれた娘達、何より子育ての戦友である主人に感謝しております。 長い「あとがき」より抜粋して紹介した。 投句を中断しているときのことを、鍵和田秞子主宰も序文でこのように書かれている。 「私が特に感心しているのは、投句を中断していた時期も俳句を決して手放さなかった、中村さんの真摯な思いである。」 そうしてこの度の第1句集の刊行となったのである。 本句集の装丁は君嶋真理子さん。 グリーンが好き、という中村ひろ子さんのご希望をとりいれながらのブックデザインとなった。 見返しと表紙はおなじグリーンの紙を用いて。 扉。 透明な帯はご本人の希望。 娘さんの学校などへも寄贈されたとのこと。 装丁のカラフルな感じがとても気に入っていらっしゃいました。 と文己さん。 友人知人娘の学校関係者からは表紙の美しさを褒められています。子供達が表紙に興味を持ち句集を欲しがり次々とインスタにあげてくれたりと反響の大きさにびっくりしています。特に美大を目指す美術部顧問始め生徒達には大人気です。くれぐれもデザイナーの方によろしくお伝えください。 本当に長い間お付きありがとうございました。俳人としての第一歩を踏み出す事が出来ました。 とは、中村ひろ子さんからのメールである。 ありがちな女の名なり夏負けす 思わず笑ってしまった。ご自身のことを詠んでおられるのだと思うが、中村ひろ子さんは、なかなか自己対象化に秀でた方だ。さきほどの「金魚の愛し方」にしても自己分析がするどい。ありがちな女の名、というのは、ご自身のことだが「われの名」とか「わが名前」とか言わない。自身を距離をとって見つめている。この「ありがちな女の名」というのは、言いかえれば平凡な女なのよっていう自己意識でもある。夏負けの根拠にはなりえないところを、いささかのユーモアをこめて、トホホな自分の状態を詠んでおられる。こういう人好きだな。 以下は余談。 さきほどの「金魚の愛し方」から敷衍して「愛」とは何か、なんていろいろと想像することは楽しいし、面白い。 断っておきますが、想像のみです。 小説や映画などにみる、愛のいろいろ、を見るのは興味がつきない。 最近ぐっときたのは、カズオ・イシグロの「わたしを離さないで」だ。 ここにはあまりにも悲しく、息をすることが苦しくなるような「愛の物語」がある。 #
by fragie777
| 2018-09-18 20:05
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9月17日(月) 敬老の日 旧暦8月8日
稲の秋。 この日はあいにくの雨降りだった。 北行きの列車短し稲の花 山本洋子 「この列車は、北行きでっか」急いで乗りこんできた媼はそう聞いた。 「ええ、そうですよ」と応えながら、耳慣れない北行きという言葉が、この辺では当たり前につかわれていることに一寸びっくりしていた。列車が、ゆっくりと北に向かってはしりだすと稲の花の咲く匂いとまぶしい光が窓から入ってきた。 今日は昼より仕事場で仕事。 仕事をきりあげて帰ろうとしたところ、ブログを書いていないことを思い出した。 パソコンの電源をおとしてしまったのでもう一度立ち上げる。 眼鏡をかけなおして、あらためてパソコンに向き合う。 ふと外をみると雨が降っている。 イカン、 窓を全開にしてきてしまった。 雨は予測していなかった。 まずい、 帰らなくては。。。。 家には誰もいない。 愛猫のヤマト! あるいは、日向子! 硝子戸を閉めてちょうだい、 お願い!! #
by fragie777
| 2018-09-17 18:07
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