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9月26日(水) 旧暦8月17日
ななかまどの実。 昨夜のテレビでZOZOTOWNの代表・前澤雄作氏の密着取材を放映しており、興味ふかく見た。 彼は、昼ご飯を食べないのだそうだ。 眠くなってしまうから、というのがその理由。 昼ご飯をたっぷり食べて昼寝もしちゃうといのうがyamaokaである。 この違い。。。 どう思います? 新聞記事をいくつか紹介したい。 9月15日付けの東京新聞の夕刊では佐藤文香さんの「俳句展望台」で、ふらんす堂刊行の二冊の句集が紹介されている。 1976年生まれの池田は、あるエッセーで「地球を、見てみたい。それから、地球に帰って来たい」と語る。その句はまさに、久しぶりに地球に帰って来た宇宙飛行士のような視点で書かれている。 わがうちのみづきらめける良夜かな 池田瑠那 回転寿司レーン皿渋滞をなほす男 〃 一句目、自らの生を肯定する明るさ、そしてそれを表現するひらがなの眩(まぶし)さ。二句目、こういう人がいるが、この様子を俳句にした人はいないだろう。〈みる貝の伸びきるトロ箱対角線いつぱい〉〈迷路仕切のベニヤ匂ふや文化祭〉なども元気。跳ね回る五感を定型が抑えてまわっている。 句集の末尾に近づいたところに、「夫、輪禍に遭ひ、二日後に他界。二十二句」とある。〈飛びつきて迎へん新霊の君を〉〈我よりの賀状も君が遺品なる〉。思わず涙した。これらの作品を書き得たことが、作家を新たな局面に向かわせている。これから池田が生きて書く作品を、読みたいと強く思う。 対中は1956年生まれ。師である田中裕明を亡くしてから、その作品を語り研究する俳誌「静かな場所」を創刊、代表をつとめており、今回の句集も田中ゆずりの余裕とこまやかな叙情が行き届いている。句集名の「水瓶」は、大津に住む作者にとって身近な琵琶湖へのリスペクトから。水際の自然を詠んだ句も多い。 先白うさしかはしゐる余り苗 対中いずみ 水寂し雷が過ぎ雨が過ぎ 〃 やぶからしそれからへくそかづらの蔓 〃 一句目、ささやくようにサ行で始まることで、「余り苗」という存在のささやかさが描き出されている。二句目、空模様と呼応する地上の水の、穏やかな日の寂しさ。三句目、この句を読む体験自体が蔓のようだ。「それから」の接続が効いている。ほかに、〈子猫洗ふ尻尾の雫絞りつつ〉〈この家も犬のマークと夏菊と〉〈キーウイの葉を打つ雨よががんぼよ〉といったチャーミングな句も見逃せない。さらに自在な句境への展開が期待される。 読書の秋。俳句をつくる人もつくらない人も、句集をじっくり読んでみてはどうだろうか。 24日付けの朝日新聞の「風信」では、高橋悦男句集『月の兎』が紹介されている。 次の生(よ)は月の兎とならめやも 「海」主宰の第7句集。少年期のロマンと出身地・伊豆への郷愁を読む。 おなじく24日、讀賣新聞の「枝折」もまた、高橋悦男句集『月の兎』が紹介されている。 刈り終へて千の風吹く千枚田 「海」主宰の第7句集。2009年から14年までの363句を収録。17音に静ひつな叙情がこもる。 24日付け、毎日新聞の「新刊紹介」は、滝口滋子句集『ピアノの蓋』が紹介されている。 行く秋の忘れられたる誕生日 せつかちな父に天敵春深し 夏怒濤ピアノの蓋のあいてをり 第1句集。得たものよりもすでに失ったか、失いつつあるものに対する愛惜が印象的な一冊である。 毎日新聞のおなじ紙面では俳人の岩岡中正さんの「俳句月評」がある。「『戦後』虚子の目で」というタイトル。 筑紫磐井さんの著書『虚子は戦後をどう読んだか』をとりあげている。また後半に対中いずみ句集『水瓶』に触れているので抜粋して紹介したい。 筑紫磐井編『虚子は戦後俳句をどう読んだか』(深夜叢書)が、昭和・平成のいわば戦後の終わりの今年に出た意味は大きい。また、今年は戦後俳句の旗手金子兜太が逝き、来年は虚子没後六十年を迎える。(略) 本書によって私たちは第1に、ホトトギス中心から多極化していく戦後俳句史を、虚子の側から通観し補うことができるだろう。第2に、虚子による戦後俳句へのコメントを通して、一方での他者の作品への読解力や鑑賞力の低下と他方での過剰な思いこみ、安易な主観や評論先行など、今日の俳句が抱える課題が見えてくるだろう。 さらに第3に私たちは「アンチ虚子」や「虚子回帰」といった表面的な評言を超えて、虚子のコメントを通して、俳句の範囲、有季定型、季題、主観と客観、具象、省略、熟達など、俳句の根本問題や表現について考える機会が与えられるだろう。 何より楽しいのは、この座談会で若い深見けん二や清崎敏郎らが、俳壇の動向や評価を踏まえながら虚子に質問してコメントを引き出していく呼吸であって、彼らはこうして良き産婆役を果たしつつ学んでいたのである。(略) 対中いずみ『水瓶』(ふらんす堂)は、琵琶湖の水や風土とひとつになった句集。いのちの動と静の律動が瑞々しく心地良い。 魚そよぐやうに竹の葉降りきたり 水中に茎こみあへる雪解かな 星々に引きあふ力水温む みづうみの芯照りだして櫱ゆる 午後にお客さまがひとり見えられた。 國司(くにし)ちあきさん。 日本語とフランス語の対訳句集を考えておられる。 「知音」(行方克巳・西村和子代表)に所属しておられ、 すこしまえに西村和子代表の『20 Haiku de Kazuko Nishimura』(仏訳句集)を刊行したことがあったのだが、その仏訳のお手伝いをされたのが國司ちあきさんである。 フランスにかつて住んだこともあり、お仕事の関係でフランスには良く行かれたということで、ご自身の語学力をいかしての仏訳句集の刊行を予定されている。 今日はそのご相談に見えられたのである。 國司ちあきさん。 来年の5月には、西村和子代表とともに「知音」のみなさんとフランスに行かれる予定があるということ。 その時に持って行きたいということ。 「日本語の句集を先にと考えていたのであるが、それは少し時間がかかりそうなので、まずはこの仏訳句集を作る予定です」と國司さん。 「フランスの国は観光で行くよりも、しばらく住んでみてその良さがわかる、そういう国だと思うんです」と國司さん。 わたしはほとんど旅行でしか行ったことがないが、その通りだと思う。 かつての知り合いの女性で、日本での仕事をさっさとやめて、子どもが大きくなったのを機に夫と別れて若かりし頃に住んでいだパリに行ってしまった人がいる。 彼女曰く、「フランスは弱者にやさしい国よ」と。 わたし、 アパルトマンの一室を借りて住んでみたいのよねえ。 実は。 仕事もかねて毎年パリへ行く友人がいる。 彼女もパリに住むことが夢。 「ねえ、なんとかパリの一室を確保できない? そしたらわたし、遊びに行くから」とけしかけているのだが、 いやはや、 なかなか現実は困難である。 もう少し若かったら、一ヶ月くらい休みをとって部屋をかりて暮らしてみたいんだけど。 ああ、でも、 駄目だ、 愛猫のヤマトと日向子がいる。 彼女等にはわたしのいない一ヶ月なんてきっと考えられない。 ヤマトなんて確実に死んじゃうな。。。。 #
by fragie777
| 2018-09-26 19:27
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9月25日(火) 十六夜 旧暦8月16日
バスの中より見た山形平野の稲刈り風景。 こんなに広広とした稲田をみることはあまりない。 肌寒い一日となったと思ったが、どういうわけか仕事中は冷房をドライにしている。 さっき切ったところだが、寒くて冷えているのかそれとも蒸し暑いのか、よくわからない天候である。 身体を壊しやすいので気をつけましょう。 今日はまず、新刊紹介をしたい。 四六判クータ―バインディング製本帯有り 176頁 俳人・飯田晴の第3句集である。2010年から2018年までの300句を収録。 飯田晴さんは昭和29年(1964)千葉生まれ、現在は千葉県八千代市在住。ということは生粋の千葉県人か。集中に〈千葉平らことにも落花生つぶら〉とあって、ひょっとするとって思ったのだが、やっぱり。友人に千葉県人がいるが、千葉県がほこる落花生であるらしい。昭和63年(1988)に「雲雀」に入会して俳句をはじめ、平成9年(1997)「魚座」に入会し平成18年(2006)の終刊まで今井杏太郎に師事。平成19年(2007)に鳥居三朗主宰の「雲」創刊に参加。現在は「雲」主宰。本句集は『たんぽぽ生活』に次ぐものである。 噴水にゆめの変り目ありにけり 本句集のタイトルとなった一句である。 このことについて、著者はこう「あとがき」に書く。 今井杏太郎先生、鳥居三朗亡き風景を思うとき、この集のなかの一句に用いた「ゆめの変り目」にふと誘われる心地して、集名としました。出会いながら別れながら生きているあいだは、いつでもゆめの変り目なのかもしれません。 噴水に「ゆめの変わり目」をみるのである。噴水という実体から夢が変容していくその時がみえるように、では「ゆめ」とはなにか、それは現実ではなく現実にかぎりなく近く著者の心をとらえて離さないものか、著者の飯田晴さんは、虚と実の間(あわい)に、いや生と死の間と言った方がいいのか、そこに身をおきながら自身の生を刻んでいくように思える。 本句集の担当はPさん。 穀象に米のつながりあふ匂ひ 火の匂ふ鯛焼に銭使ひけり 蝉の死を一つと数へゐたりけり 冬青空猫はすとんと地に降りぬ 太陽の昼のふくらみ蚯蚓死す 音たてて歩けば人となる寒さ 炎天の白さとなつて歩きけり 秋風の野を脱ぎすてるやう逝けり 落葉掃くだけの頭になつてゐる 花ちつてしまへり猫を改名す 夏燕ひるがへるとき新しく 枯に手を置けばすみずみまで眠し 火の匂ふ鯛焼に銭使ひけり わたしも好きな一句である。「鯛焼に銭使ひけり」と鯛焼きを買うのではなく、「銭を使う」という一種卑俗な叙法であるが、上5の「火の匂う」という措辞によって、鯛焼きは形而上的な匂いをまとう。ゆえに「銭使う」が生きてくるのだ。つまり「火」とは太古からあるもので人間世界を照らしつづけてきた日常の時間を超えたもの、バシュラール言うところの物質の4大元素のひとつとしての「火」などまでは思わなくても著者にとっては「銭を使う」ことが惜しくないその「火」の匂いのする鯛焼きなのである。日常をよみながら、どこか日常の猥雑さから10ミリほど地上に浮いていることを感じさせる飯田晴さんだ。 音たてて歩けば人となる寒さ この句にもこころがとまった句。肉体という物質でありながら物質からはなれた遊離感があって、音を立てて歩くことによって、肉体が肉体であることを自覚していく、その自覚がきわまったところにある「寒さ」なのだ。だから寒さが肉体をいま制覇している。ああ、寒い。 〈炎天の白さとなつて歩きけり〉〈秋風の野を脱ぎすてるやう逝けり〉〈落葉掃くだけの頭になつてゐる〉〈枯に手を置けばすみずみまで眠し〉などなど、飯田晴さんにとっては、肉体はつねに変容可能であり、その肉体は自然の諸相にヴィヴィドに反応する。 蝉の死を一つと数へゐたりけり この句すごく好き。どうしてだろう。何も言っていない、当たり前のような気もするのだけど、蝉の死を悼んでいる作者の気持ちがみえてきて、そしてその気持ちが読み手にしんしんと伝わってきて、わたしの気持ちもすごく悲しくなる。不思議な一句だ。飯田晴さんが魔法をかけたのかな。「蝉の死」は一般的な概念としての蝉の死ではないのである。まさに目の前にいてすこし前までは生きていておおいに鳴いていたかもしれない蝉であり、もはや死んでいるこの眼前の「蝉の死」なのである。その死の重たさがずしりと読み手の心にのしかかってくるのだ。それは「一つと数へゐたりけり」という丁寧な念を押すような叙法によるのだろう。 ほかに、 みづうみの魚食うて夜の長きかな ふいに手の出て藤房をひとなです 睡蓮の水のつづきに坐りをり 守宮ゐて地下室のドアさざめきぬ あたたかや造本に詩の降りつもる 泣いてゐる鼻の奥まで麦の秋 玉虫のあれはたましひ曳く高さ 四方枯るる山を摑んで下りけり 夕影を道にひろげて春の人 けふの足使ひ果たすや赤のまま わたむしのみえてだんだん一人なる ねむりゐる鴨はつながりあふやうに はじまりの母コスモスの中に父 飯田晴さんの作品はどれも一枚のヴェールをまとったような優しい表情をしていて淡彩の色合いがある。 本句集の装丁は和兎さん。 色はできるだけ使わず、用紙の素材感を大切にしたものとなった。 帯を高くまいた。 カバーはあっさりと。 しかし、タイトルにはさりげなく箔押しをした。 カバーをとった表紙。 同じ用紙だが、カバーとは色違い。帯とおなじもの。 見かえしは表紙とおなじもの。 扉も。 すべて同じ用紙で統一し、装丁が饒舌にならないように心掛けた。 この句集のさりげない見せ場である。 背のクータ―を青で印刷。 これは、ご夫君の鳥居三朗氏を亡くされた飯田晴さんの喪心をと、青に。 この本の唯一の色である。 生者死者、水も石も人のほとりに棲む生きものも、思わぬ近さに感じながらの一集となったように思います。 「あとがき」である。 そうか、「思わぬ近さ」なのだ。 そう思ってこの不思議さを纏った句集を読むと、一句一句が心にすとんと入ってくる。 そしてその近さとは、愛おしい近さなんだと思った。 めし食うて少し年とる梅日和 好きだな、この句。。。 「梅日和」が最高だ。 年をとることも愛おしいものに思えてくる。。。 新聞の記事を紹介したいのだが、それは明日に。 #
by fragie777
| 2018-09-25 20:28
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9月24日(月) 十五夜 雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ) 旧暦8月15日
昨日のブログで白い花の名前がわからないと書いたが、さっそくふけとしこさんがメールをくださった。(実はすごく頼りにしているyamaokaである) 「ヤマハハコ」ではないかと。 さっそく調べたところどうやらそうらしい。 「山母子」と書き、山に咲く花だ。 「ヤマハハコはとても好きな花で、一度山の窪地で群生してしているのを見て以来、見てないです。残念です。」とふけとしこさん。 そして、赤い実はナナカマドとも。 さて、昨日の「狩」40周年記念大会は、山形国際ホテルにて午後四時より行われた。 わたしは、道に迷ってしまい、時間に遅れてしまった。 特別記念講演は、毎日新聞者編集委員の井上卓弥氏。 「私の見た21世紀の世界」 と題して、特派員記者時代の経験をたくさんの写真とともにお話くださった。2000年10月から4年間、ローマ特派員を務め、バチカン、パレスチナ紛争などを取材され、03年のイラク戦争では米海軍に従軍。紛争多発地域に寝起きをしながらの日々、米海軍の大型船に乗りこんでの日々、淡々とお話をされていたが、いやはや尋常でない体験談であった。 印象的だったのは、いまの世界はいつ大きな戦争がおきても不思議はないという緊張関係にあるということ。 まさに戦前という状況にわたしたちはいるのかもしれない。 しかしながら、危機意識が希薄であることを否定しえない。わたしは。。。 もうひとつ、井上氏は山形市の出身であられ、山形は齋藤茂吉のふるさとでもある。 「わたしは、世界各地の紛争の地でこうしてその現場を写真をとってきたのですが、せめて短歌や俳句をつくることを学んでいたら、写真のみならずそれを歌や俳句にとどめることができたのではないか、今となってそれが残念です」と。 井上卓弥氏(写真がピンぼけでごめんなさい) その後は、「狩」の方々による鷹羽狩行主宰へのインタビューである。 興味ふかいものであるので、すこし紹介したい。 司会は佐藤博美さん。(真ん中) まず伊藤トキノさんから。 伊藤トキノさんは、「氷海」時代からの同人である。 ー―88歳を迎えられたわけですが、ここまでの時間は長かったですか。 「長いようで短いようです。わたしはあまり自分の歳を気にしないでここまできました。還暦とか古稀とか喜寿とか言われてもピンと来なかったですね。しかし、この度米寿で88歳。こんなに歳をとったのかって思いました」 ――今まで大変だったことは。 「毎日が大変だった。「狩」を主宰し、編集もした。これは大変だった。しかし、編集を自分でやることによって、会員の力がわかる。結果良かったと思います。」 杉良介さんから。 ――「鷹羽狩行」という名前を山口誓子につけてもらったわけですが、その名前についてどう思いますか。 「一投句者が誓子先生に手紙をかいて、俳号をつけてほしいと頼んだわけですが、今思うとなんとも大変なことを頼んだものだと。そして「鷹羽狩行」という俳号をいただいた。これはもういままでのように「高橋行雄」というわけにはいかない。一句組というわけにはいかない。そこで頑張りました。 ――「よく鷹羽先生のことを、タカバさん、という方がおられますが」 「そういう人には返事をしないことにしております」(会場・笑) 鶴岡加苗さんから、 ――40年間で一番うれしかったことは。 「句会で点がはいることです。いい俳句が句会で高点をとること、いつだったか〈信玄か謙信側(がは)か威し銃〉という句が句会でたくさん点が入った、なんと句会の9割がこの句に点をいれた。信濃に吟行したときの句ですが。この時は嬉しかった。ほかには、句集が受賞したりしたことも嬉しいですが、やはり句会で点が入ること、が一番嬉しいですね。」(この〈信玄か〉の句は句集『十一面』に収録されている) 牛田修嗣さんから、 ――吟行で心掛けていることは。下調べとかされるのですか。 「します。下調べしてイメージが沸いてくる。下調べは当然です。吟行に行くまでに1.2句はできていなくてはいけないでしょう」 そして、「わたしは枕元に手帳をおいて夜中にできると書きつけておきます」とも語られたのだった。 記念大会のあとは、祝賀会。 そこで鷹羽狩行先生のご挨拶は、まずわたしたち来賓へのねぎらいと御礼の言葉があってその後は「狩」の皆さんに向けられたものだった。 「狩行の句」と題して1から10の番号がふられた句が10句印刷してある。読むと鷹羽先生の代表句10句というのでもないらしい。 その10句を紹介したい。 ①父とわかりて子の呼べる秋の暮 ②村々のその寺々の秋の暮 ③ゆく年のゆくさきのあるごとくゆく ④海からの風山からの風薫る ⑤一対か一対一か枯野人 ⑥昼は日を夜は月をあげ大花野 ⑦船よりも白き航跡夏はじまる ⑧枯淡などまつぴら色を変へぬ松 ⑨鶯のこゑ前方に後円に ⑩人の世に花を絶やさず返り花 これらの句をあげて、「わたしが俳句をつくる上でもっとも課題としたことは、古典と現代ということ、いかに古典を踏まえながら新しい句をつくっていくか」と語られて、この一句一句を詳細に解説しながらいかに作句に創意工夫を凝らしたか、を語られたのだった。 弟子に自身の志したものを句によって語り実証していくという、お祝いの会でありながら、そこには俳句をつくる一人の俳人としての前向きな姿勢のみをわたしは感じたのだった。お祝いだからといって鏡割りがあるわけでもなく、ひたすら作句姿勢について先生は語ったのだった。 来賓も極めて少なく、毎日新聞者の井上卓弥氏、酒井佐忠氏、角川書店の石井隆司氏、「俳句」の新しい編集長の立木成芳氏、そしてyamaokaである。わたし以外はみな立派なご挨拶をされた。わたしもしたけど、紙をみながらやっとこね。(鷹羽先生とのご縁は40年以上、先生が「氷海」同人時代からである) 主宰をかこんで、来賓の方々、「狩」の方々。 鷹羽狩行主宰、片山由美子副主宰、「狩」の皆さま、40周年まことにおめでとうございます。 心よりお祝いを申し上げます。 ここからは昨日のつづき。 これはお昼の食事。 山形の地の心づくしのものである。 右上のお皿にあるのは、アケビをあげてミソであえたもの。 こんな風にアケビを食したのははじめてでたいへん美味しかった。 レストランから見える風景。 食事をおえて外にでれば、コスモスが揺れている。 腹ごしらえをしていよいよ「お釜」へと出発。 わたしは蔵王ははじめてである。 すごく楽しみ。 バスはすばらしいスピードである。 草紅葉を過ぎ、 芒を過ぎ、 石ころを過ぎ、 「お釜」は宮城県と山形県の境目にある。 宮城県側から入る。 バスがとまった。 この向こうに「お釜」があるらしい。 見えた! グリーンの深い色である。 その日の天気や太陽光線によって色が変化するということ。 もっとそば迄行けるらしい。 お「釜」の右手は「五色岳」とある。 遠くからもよき眺め。 「お釜」を背に、 雲が近い。 「狩」の方々。 鷹羽狩行、片山由美子のお二人のツウショットを撮らせてもらう。 師と弟子。。。 火口湖は碧色をたたえてしずかだ。 雲がすばらしい。 絵画のようである。 角川書店の石井隆司さんが笑わせている。 石井さんの向こうに立木成芳さんもおられる。 石井隆司さんも鷹羽先生とのご縁は深い。 「お釜」を背に引き揚げる。 ずんずんと先頭を行く片山さん。 「若い者にはまけぬ」と鷹羽先生もずんずんと行く。 すこし遅れがちになった鷹羽先生としばらくご一緒して歩く。 「あなた、『狩』10月号読んだ?」 「ええ、見ました。びっくりして思わず閉じました」 実は、かつて「ふらんす堂通信」で掲載した「鷹羽狩行インタビュー」がそのまま再録されているのである。 鷹羽先生から再録をしたいと御電話があったとき「いいですよ」と気軽に応じたのである。 で、10月号は「40周年記念号」で、驚いたことには、わたしのインタビューがなんと恥じらいもなく目立つところにある!のである。 はじめてそれを開いた時、「いやあ、何よこれ」ってわたしは赤面して閉じた。 再録といっても、巻末におまけみたいにつくのかと思っていたのだ。 「深見先生が見ましたよ、ってさっそくお電話をくださいました。わたしは見ちゃったのですかあって申し上げてしまいました」 「実は評判がいいんだよ、面白いって」 それはそのはずである。(?!) だって、「先生、ほんとに句帳をもたないんですかあ」などとまるでよく知っているおじさまにインタビューをする、そんなノリなのだから。 そして気軽にいろいろなことにシャレを言いながら鷹羽先生は答えてくださっているのだ。 日頃はお目にかかれないラフな鷹羽狩行が見えてくると思う。 実はもっともっと面白かったのだが、かなりを削ったのである。 「先生、もっと面白いところがありましたよね。読みたかったという人が多かったんですよ」と申し上げると、 「いやあ、ボクの品位にかかわるからね」と笑っておっしゃる鷹羽先生。 そんなお話をしながら、わたしたちは集合場所に向かったのだった。 昨日はことのほか雲が印象的だった。 鱗雲である。 うつくしき世をとりもどすうろこ雲 鷹羽狩行 この句がふっと思い浮かんだのだった。 #
by fragie777
| 2018-09-24 17:15
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9月23日(日) 秋分の日 旧暦8月14日
山形市で開催された「狩」40周年記念大会2日目は、蔵王バスツアーである。 片山由美子さんの願いがかなって見事なほど晴れ渡った一日となった。 この赤い鳥居をくぐると蔵王への道がはじまります。とガイドさん。 これは通りすぎてから振り返って撮った一枚。 美しい稔田の牧歌的風景がつづく。 バスの窓からの風景であるが、本当に気持ちがよい。 山並みがみえてくる。 まずが蔵王山麓駅にむかう。 そこからロープウエイを乗り継いで、地蔵山頂駅に向かのである。 駅に着いた。 すでに紅葉がはじまっている。 ロープウエイの乗り込んで、 山形盆地を一望しながら、 赤い屋根の建物は、ホテル。 主にスキー客用であろう。 赤い実がところころに見えるのだがなんの実だろう。 ここでロープウエイを乗り換える。 われわれのロープウエイの影。 それにしても天気が良い。 これまでの景色とちがう風景が現れる。 木がことごとく枯れている。 害虫(蛾と聞いたような気がするが)にやられてしまったのだそうである。 これはこれで美しい色彩の風景ではあるが。 反対側はまったく異なる風景である。 地蔵山頂駅につく。 美しい実。 南天かしら。。 小高い山がある。 そこに登ることにした。 かなり急な斜面をゼイゼイと登っていく。 やっと頂上である。 もう「狩」の皆さんは先に制覇しておられる。 すばらしい眺めである。 大会第1日目は、毎日新聞社の学芸部編集委員の井上卓弥氏の記念講演があったのだが、井上氏は山形市のご出身。 指差してらいろいろとご説明くださった。 向うにみえるのは山形盆地である。 この白い花がところどころに咲いていた。 誰も名を知らないという。 下り始める。 足元にやってきた蠅をまたいで、 下山をすると目の前には枯木の山が。 下りたところにいらしたので、記念撮影。 鷹羽狩行先生ご夫妻、片山由美子さん、鷹羽先生のご息女の弓さん。 弓さんは、「狩」の裏方のお仕事をいろいろとこなされている。 「ちょっとこちら向いてくださーい」と言って、お撮りした一枚。 帰りのロープウエイに向かう。 雪が降るとあたりはすべて雪景色。 寒いときは樹氷もみえるという。 地上におりて、 バスに乗り込む。 これよりはお昼をたべて、有名な「お釜」へと向かったのだ。 今日はここまで。 明日は、大会第1日目とつづきを紹介します。 とても楽しいバスツアーだった。 片山由美子さんは一日は早く着て、今回の大会のためにいろいろとご尽力をされたようだ。 このバスツアーの企画もきっと片山さんの案かもしれないなあ。 #
by fragie777
| 2018-09-23 23:57
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by fragie777
| 2018-09-22 09:57
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