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10月1日(月) 旧暦8月22日
今日から10月である。 昨夜の台風は怖かった。 二階に寝られず階下で猫たちとビビっていた。 台風で「仙川駅」の表示板が飛んでしまった。 仙川商店街の野良猫たちは無事だろうか。 行ってみるとなんとも長閑である。 先客の女性にさかんに撫でられたいた。 ご無事でなによりでした。 昨日の朝日新聞の青木亮人さんによる「俳句時評」は、「読み、詠む」と題して何冊かの句集がとりあげられている。 抜粋となるが紹介したい。 短夜の銀色となる駐輪場 キム・チャンヒ『少年期』(マルコボ・コム刊)。子どもたちに楽しく読んでほしいとの思い(「あとがき」)で編んだ句集だ。 座布団は全裸に狭しほととぎす 山田耕司『不純』(左右社)洗練されたズレが世界に対する驚きやユーモアを醸成する。このナンセンスに近い急展開を興がる認識は俳句の独壇場であろう。 子猫洗ふ尻尾の雫絞りつつ ほかに岸本尚毅・夏井いつき共著『「型」で学ぶはじめての俳句ドリル」(祥伝社刊)が、「具体的な説明が頼りになる」入門書として紹介されている。 新刊紹介をしたい。 四六判ペーパーバックスタイル 208頁 著者の山田牧(やまだ・ぼく)さんは、昭和47年(1972)東京生まれ、現在は東京・杉並区に在住。「宵待屋珈琲店」を経営しておられ、平成22年(2010)にお客さまのすすめで俳句を始める。平成24年(2012)に俳誌「未来図」入会、平成26年(2014)「未来図新人賞」受賞、平成27年(2015)未来図同人、俳人協会会員である。本句集は、平成22年(2010)から平成29年(2017)までの341句を収録した第1句集であり、鍵和田秞子主宰が序文を、角谷昌子さんが跋文を寄せている。 オクラ切るこちら流星製作所 この句、現実の生活体験から生まれている。牧さんはじっさいにオクラを刻んでいるのだ。切り口が星型になるオクラを薄く切り、多くの星を生んでいる。まさに星の製作所だ。今までにこれほど斬新な感性の句があったろうか。しかも俳味もあって、広い宇宙への夢まで伴う句である。 鍵和田秞子主宰の序文を抜粋して紹介した。 この句は、句集名となった一句である。 次は角谷昌子さんの跋文より紹介したい。 角谷昌子さんは、山田牧さんに親身にあれこれとアドバイスをなさり、懇切な跋文を寄せて下さった。 一歩づつ透きとほるなり大枯野 「しばらくは自分のかたちコート吊る」「ハンモック自分のかたち置き忘れ」など、己にこだわって詠むのも、自己表現の方法として俳句を選んだ理由であろう。「大枯野」は、芭蕉の辞世の句を意識していよう。万象枯れ尽くした野を歩めば、冬日に身体が透けていくようだ。枯野を歩む自分のいのちの相を身体感覚で捉えて実感があり、存在を凝視する実存精神が息づく。(略)次の句は、対象の圧倒的な存在感が心に残る。 秋天の端に大仏置かれけり 本句集の担当は文己さん。 あめ玉のセロハン透かせ春を待つ 三日月のとんがる方へ踏み出せり しばらくは自分のかたちコート吊る 春月を取りにゆかむと長梯子せり 霾や指名手配の貌となり 平成の埃重なる扇風機 飲み干して赤きストロー夏惜しむ 白鳩を五羽飼つてゐる冬帽子 陽の当たる列を選びて初詣 船長の堅き敬礼風光る 先端は上向くアスパラガスの束 しづかなる鰻と月と大盥 買初のきれいなお辞儀受けにけり あめ玉のセロハン透かせ春を待つ この一句はわたしも好きな句である。山田牧さんは、鍵和田主宰や角谷昌子さんが書かれているように「天体」や「宇宙」を詠んだ句が多いが、日常身辺の句を詠んだ句にも良い句がたくさんあると思った。ごくさり気ない物をとおして季節を詠むことが上手い作者である。この一句もあめ玉をなめようとセロハンを剥いたとき、ふっとそのセロハンを透かしみた。あめ玉のセロハンであるからきれいな明るいものなのだろう、そのセロハンを通過していく光のまぶしさ、ああ、もうすぐ春なんだなあと飴の甘さを味わいつつ思ったのである。ただ事実だけを述べているのだが、春を待つよろこびの心象が見えてくる一句だ。 しばらくは自分のかたちコート吊る この句もいいなあ。脱いだばかりのコートって自分の身体の癖など、たとえば猫背であったり反り身であったり、その癖がまだそのまま残っている。吊してみて、あららわたしのかたちってこんな風よねって思って、おかしくなったり愛おしくなったり。しかし、つり下げられたコートはその重みもあってか段々とわたしのかたちから解放されて他人様のようになってやがてはスマシテしまう。「しばらくは」がわたしとコートとの宿命である。 「あとがき」はとても生き生きとした文章なので全部を紹介したいところだが、抜粋する。 まだ軌道の定まらない自分をのびのびと泳がせて下さる。「未来図」の、俳句の懐は、大きな大きな宇宙であった。 そして俳句を続ける中で、どこか切羽詰まらない自分をしっかりと一点に立たせる、という人生の課題に出会ってしまった。それは自分を信じ時に自分を疑う、という延々と続く作業なのだと気付かされた。こりゃ大変だ。大き過ぎる、広過ぎる世界だ。何てこった。 そんな中でも句集を出せる運びとなった。やはり私は運がいい。常々、宵待屋珈琲店に加えてもう一店舗を展開してみたいと考えていたのだが、到底現実的に無理である。そこへ「星屑珈琲店」の出版である。二店舗目を叶えられた様で嬉しい。自分など宇宙の組成のひとつにも為り得ないが、それでも、確かにここにいる、そんな思いを句集に込めた。 ほかに、 みのむしやいもうとのうそ知らぬふり 黒板に明日の約束しぐれけり おもむろに触れたる造花冴返る メロンに刃入れて白昼満たしをり 麦わら帽去年の風に会ひに行く 林檎捥ぐ新しき語を知るやうに 西暦で記す履歴書神の留守 冬灯玻璃に張り付く闇一枚 石鹼玉淋しき人に近づくか 冬の月東京タワー手折らむか 血のうすき一日なりけりダリヤの緋 秒針とB 5 ノートと秋灯 霾ぐもり海を指したるホープの矢 汗垂るるヘルメットみな訛りあり 片かげり自分の影を逃れたる 本句集の装丁は、君嶋さんのラフ案にデザイナーである山田牧さんのご夫君が手を入れて、牧さんの好み通りのものにされたのだった。 ご夫君の愛情が芸のこまかさとなって生まれた一冊である。 平成の埃重なる扇風機 投票や左右に首振る扇風機 ともに「扇風機」を詠んだ句である。さきほども書いたが、山田牧さんは日常の卑近なものを詠んでも巧い俳人だと思う。一句目、平成も間もなく終わろうとしている。牧さんが経営する珈琲店の片隅にある扇風機かもしれない。店内はすでにクーラーを設置して扇風機は単なるインテリアの一環かもしれぬ。そんなうっすらと埃がたまった扇風機、そんな風にして平成の世にありつづけた扇風機であるのだから、その埃はまさに平成の埃だろう。二句目の「扇風機」も投票所などではよく見かける。小学校の体育館などを利用して投票場などにしている場合が多い。会場は外に向かって開け放たれているから、クーラーを利かせることもできずそういう場合は扇風機が活躍する。わたしの投票所もそうだ。左右に首を振っている扇風機の存在は有難い。景がよくみえてくる一句だ。 そうそう、山田牧さんが経営されている「宵待屋珈琲店」は杉並区荻窪にあります。 お近くにいらした方は是非にお寄り下さい。 牧さんが美味しい珈琲を煎れて下さいます。 是非に!! 今日は午後6時より、ザ・キャピタルホテル東急「鳳凰」の間にて、株式会社角川春樹事務所 創立22周年記念祝賀会 及び 第10回角川春樹小説賞の授賞式が行われる。 スタッフのPさんが、お招きをいただき伺う。 さきほどラインにて実況中継があったのだが、「すごい!、こういう会ははじめて」などなど興奮した報告があった。 俳句や短歌のお祝いの会とは全然ちがうらしい。 広告業界の人たちやジャーナリズム関係の人たちがたくさんきて、それこそ華やかなビジネスの社交場(?)となるのだ。 ふらんす堂はこの度角川春樹主宰の句集『源義の日』を刊行させていただいたので、担当スタッフのPさんがお招きをいただいたのだが、はじめての経験で大変驚いているようだ。 わたしは皆目見当がつかず、「あら、まあ、そうなの」と言うばかり。 ともかくこの日のために句集『源義の日』をお間に合わせてできてホッとしている。 今日入らした方々にお持ち帰りいただくようだ。 この句集については、また日を改めて紹介したい。 #
by fragie777
| 2018-10-01 20:03
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9月30日(日) 旧暦8月21日
国立・谷保天神裏の雨に濡れた梅林。 雨宿りをする鶏。 (わたしのお気に入りの鶏) 群のなかには決して入らずいつも一羽でいる。 観察したところによると人間は嫌いじゃないらしい。 あるいは自分のことを人間だと思っているのかもしれない。 台風接近で緊張がたかまるそんな日々である。 今日は新刊の『福田甲子雄全句集』より、「自句自解100句」より二句(秋の句)を紹介したい。 牛の眼が人を疑ふ露の中 家から二キロメートルほど西に入ると白根三山の前山となる。この中腹に築山という集落がある。かつては、築山村として一村を構えていたが、現在は二軒の家に人が住んでいるだけ。白根町の中心地からでは、標高が一〇〇メートルも高い。かなりの急坂を登らなければ築山に入ることはできない。この不便さが人々を山腹の村落から麓に移動させることになった。 仲秋のある日、この築山に足をのばした。あたりの秋草は露の重さで垂れさがって、朝日にきらめいていた。まったく無人となってしまったような静かさが身をつつんだ。三十戸あまりの家が、今では一戸の寺と一戸の農家が住んでいるだけで廃墟を思わせる。その一戸の農家が牛を飼っていた。近づくと牛が不審そうに白眼で私をみつめた。疑いをもった眼であった。かつて見た、露のきらめく澄んだ日の牛の白眼と同じであった。(昭34『藁火』) 満月の屋根に子の歯を祀りけり 長男に修二と命名した関係で、三男にも眞二と命名してしまった。次男は孝二で、いかにもそれらしい感じをうける。別に世をすねて子供の名前にまでおよんでいるわけではないが、何となく決まってしまった。 今宵は仲秋の名月。夕食を早く済ませて、満月を眺めようとしていたら八歳になる三男の眞二が、小さな白い歯を手にして、 「抜けた、下の方だよ」と言う。 下の歯が抜けた時は屋根の上になげ、上の歯が抜けたら床下になげ入れると、次に生えてくる歯が丈夫に育つ。そんな風習が私の地方にはあるので、抜けた小さな歯をつまんで外に出た。 丁度、十五夜の月が山の頂から出るところであった。屋根瓦は月光に濡れて輝いていた。思いきり屋根の棟を目がけて手にした歯をなげると、瓦をころげ落ちるかすかな音が満月光のなかにきこえてきた。 (昭40『藁火』) この『福田甲子雄全句集』についてはまたあらためて紹介したいと思うが、時をおなじくして『今井杏太郎全句集』が角川書店より刊行された。 「yamaokaさん。とうとう出来上がったよ」って石井隆司さんが嬉しそうにお電話をくださったのはすこし前のことだった。 「どうなったかなあって思ってたのよ、良かったですね」とわたしも申し上げたのだった。 今井杏太郎氏に関わる方々の思いと尽力によって実現した『今井杏太郎全句集』である。 ふらんす堂からも生前最後の句集『風の吹くころ』を刊行させていただいた。 全句集の完成をよろこびたいと思う。 #
by fragie777
| 2018-09-30 19:46
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9月29日(土) 更待月(ふけまちづき) 旧暦8月20日
昨日咲いていた白木槿。 朝、いつものように目覚めた。 起きて猫たちをしたがえて一階に降りていく。 床がつめたい。 今日は大事な会があることを思い出した。 わたしは爪をきれいに切りそろえてその会にのぞむことにしたのだった。 爪はいつも清潔でなくてはいけない。 わたしが今日丹念に爪を切りそろえたことなど、今日会う人の誰が知るだろうか。 しかし、わたしは今日出会う人ひとりひとりをリスペクトするために爪を切る。 (エヘ、ちょっとカッコいいでしょ) でもないか、、、 今日は12時半からホテルサンルート高田馬場のレストランで、「ににん」の会の祝賀会がある。 岩淵喜代子さんが句集『穀象』で、第33回詩歌文学館賞と第11回一行詩大賞を受賞されたお祝いの会と、「ににん」に所属する方4人の方が句集を上梓されたのをお祝いする会である。 ふらんす堂からも同前悠久子さんが、句集『枝垂れの桜』を上梓されている。 いつも遅れがちでyamaokaであるので、遅れないように早めに家を出た。 で、わたしは12時半からを12時からと勘違いして大分早くついたのだった。 今日の会は「ににん」の会の皆さまと句集上梓に関わった来賓の方々がたくさんいらっしゃって、和気藹々とした楽しい会となった。 皆さんのご挨拶は全員紹介できないけど、写真ですこしご紹介したい。 ご受賞の岩淵喜代子さん。 去年の11月の終わりにこの本を出しまして、3月に受賞しましたよとお知らせをいただいて、5月には授賞式がありまして、なにかそんな風にしてここんとこまたヶ月後くらいに作品の話があったり落ち着かない一年でした。これでやっと静かになるのかなと思います。これからまた普通に一から俳句をやっていくつもりでおりますのでよろしくお願いいたします。 淡々とご挨拶をされた。 句集『枝垂れの桜』を上梓された同前悠久子さん。 (逆光で暗くなってしまってごめんなさいませ) わたしはインターネットを通して俳句をはじめこの「ににん」を知りました。「ににん」に関わるようになってから自分の作品の作り方に対する姿勢もも変わったと思いますし、いろいろお世話になったと思います。「ににん」に入れていただいたことはわたしにとってラッキーなことだったと思います。一昨年、実は主人が亡くなりまして落ち込んでおりましたんですけど本を出しませんかとお誘いをいただきまして、大変だなあと思いましたが『枝垂れの桜』が出来上がって第一句集が生まれました。岩淵先生、本当にありがとうございました。「ににん」の皆さまにお目にかかるのは始めてなんですけど、とても感動しております。これからもよろしくお願いいたします。 実はわたしも今日はじめてお目にかかったのだった。 第2句集『ぴあにしも』(猫舌堂刊)を上梓された川村研治さん。 もの静かなお方である。 第1句集『美しい夜』(現代俳句協会刊)を上梓された浜岡紀子さん。 明るい笑顔でご挨拶をされた。 第2句集『るん』(アトラス刊)を上梓された辻村麻乃さん。 お父さまは詩人の岡田隆彦、お母さまは俳人の岡田史乃である。 林誠司さんがあたらしく立ち上げた出版社「俳句アトラス」より華やかに刊行。 詩人の正津勉さん。 「ににん」に所属され、岩淵喜代子さんとの交流は長い。 「わたしの良き理解者で、頼りにしています」と岩淵さん。 皺のよったシャツとジーンズ姿がカッコいいなあ。 俳人で、「俳句アトラス」の社主である林誠司さん。 (写真がちょっとボケてしまってごめんなさい) ひさしぶりにお目にかかったのだが、とてもすっきりといい顔をされていた。 浅沼璞さん。 句集『穀象』に栞を寄せられた。 筑紫磐井さん。 句集『るん』に序文を寄せられた。 歌人であり俳人である藤原龍一郎さん。 (すみません、写真がボケてしまって) 岩淵喜代子さんとのご縁は深く、ふらんす堂より刊行されている現代俳句文庫『岩淵喜代子句集』の解説を書いていただいている。 鎌田俊さん。 俳誌「河」の編集長であり、一行詩大賞のご縁で今日は出席。 詩人の田中庸介さん。 句集『穀象』に栞を寄せられた。 「ににん」に所属しておられ、「ににん」で連載した「茂吉ノート」が完結。 現代詩に新しい風を吹き込むべく詩人として斎藤茂吉に取り組まれた。 今日はできたてのほやほやの同人誌「妃(きさき)」を持ってご挨拶。 今日集われたなかで一番お若い俳人だ。 (ネクタイ姿ははじめて拝見しました)
岩淵喜代子論に取り組まれたことについて語られたのだった。 会場風景 荒井八雪さん。 ひさしぶりにお目にかかった。 同前悠久子さんをかこんで。 「ににん」の方たちと。 右はご子息の同前仁史さん。 花束を手に句集を刊行された方々の記念撮影。 句集を刊行された皆さま、 おめでとうございます。 心よりお祝いを申し上げます。 ますますのご健吟を!! 楽しい会をありがとうございました。 写真もピンぼけのものも多く、本当はもっともっと詳しく紹介したいところなのだが、ごめんなさい。 #
by fragie777
| 2018-09-29 20:43
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9月28日(金) 蟄虫培戸(むしかくれてとをふさぐ) 臥待月(ふしまちづき) 旧暦8月19日
今日は空が青かった。 桐朋学園沿いに木槿の花が咲いていた。 今日の72候は第47候の「蟄虫培戸(むしかくれてとをふさぐ)」。 その意味は、 自然界は人間の世界よりも季節の時計が進んでいるのか、虫たちは十月に入ると早くも冬ごもりの支度に入ります。蟷螂や蟋蟀は卵を産んで次の年に新しい命をつなぎ、紋白蝶や揚羽蝶の幼虫はさなぎになって寒さに備えます。天道虫や鍬形は成虫のまま木の根元や土の下に潜って、啓蟄までの半年近く、静かに春を待つのです。 「くらしのこよみ」より ということはそろそろ虫の声も聞こえなくなるのだな。。。。 月をみるために戸をあけると、昨夜などかすかに虫の声がしていたが、かなり弱かったかもしれない。 人間にも冬眠という期間があったなら、世界はもう少し穏やかになっていたかもしれない、なんて思った。 (いまからでも遅くはない、みんなで冬眠しよう) さて、新刊紹介をしたい。 詩集である。 46判ペーパーバックスタイル 92頁 詩人・小松宏佳(こまつ・ひろか)さんの第一詩集である。 栞に詩人の福間健二氏と舞踏家の笠井叡氏が言葉を寄せている。小松宏佳さんは詩を書きはじめるまえに笠井叡氏のもとで「オイリュトミー」を学んでいるのだ。オイリュトミー(Eurythmy)とは、オーストリアの神秘思想家、教育家であるルドルフ・シュタイナーによって新しく創造された運動を主体とする芸術である。ある種の舞踊ないし総合芸術、パフォーミング・アーツであるとも言われる。とウィキペディアにあるように言葉ではなく肉体をもちいる芸術表現である。 自分の好みを言うだけのことにしたくないが、いま読みたい詩の条件をひとつ言うと、明るさである。元気、陽気ということではない。(略)意識の濁りがなく、しかし整いすぎているわけでもなく、意外性にみちている。そういう明るさを、小松宏佳の作品も書きだしから遠慮なしに放っている。 どこだろう と思う 初めての駅を出て 日本、だろうここは たとえば作品「空があくところ」は、こんなふうにはじまる。初めての駅に降りて、もしかしたらカフカ的迷路に踏み込もうとしているかもしれないのに、この言い方の明るさ。ユーモラスな強さがある。ここから「空があくところ/わたしが飛んでいる」という結びまでの、観察力と抜けのよさの見事な併走ぶり。目の前のものをよく見ていると同時に、なにか、とんでもなく自由なのである。 福間健二さんの栞はこんな書きだしではじまる。 「とんでもなく自由」というのはよくわかる。 詩を紹介したい。 十五夜 月のことだけで、どこへ着くのか知らなかった 九人乗りのバンに五人が乗った 街なかの揺れに眠くなり 高速道路のゆるいつまりに目覚めたりして 「トイレ休憩をしましょうか」 赤い電車が見えた気がする いきなり海だ、三浦海岸という 浜におりて立ってみると わたしは、はるかにひとりだった、おぼつかない独り 潮風は太陽のめまいを拡散できるし 白波は月のなやみを練っている 足元の乾いた藻が まるく走りだし わたしもつい追って走る それはハマヒルガオの葉にかくれて止まった 流されてきたものたちの旅のはなし 貝殻のサーフボード 胡桃の殻の舟 砂、極小の粒たちのまばたき つかまれてはらわれて散るこの、 砂になったものは何か こんな手ざわりのいい性格になって 風紋の手伝いをしたりするのだ 秋の日のぬくい砂 夜 カチャカチャするポケットから 貝殻や砂、海藻や、鳶の羽をだして 宿のテレビの横に、並べて置いた 波は月の光と踊りつづけ わたしは、十五夜にながされていく 私は洗練された詩とか、プロフェッショナルな詩とか、余りにも詩人であることに慣れきったカラダから出てくる言葉に感動したことがほとんどない。それほど貪欲でもなく、軽食をするように言葉を食べてそれを消化し、それが血液の熱を通して体表から薄っすらと空気の中に広がって行こうとする、カラダとコトバの「あわい」の中では、深く柔らかに息つくことができる。 空の中に町並がつづく なんだろう 風ばかり集まってくる 街路樹は大きく旋回し 浮かされ歩く足は斜めにながれ 頭は軽さに傾く 髪の毛は重力を忘れ 空があくところ わたしが飛んでいる 町並みと空気とコトバと髪の毛と、すべてのものが溶け合いながら外に広がっていく、カラダが常に呼吸している、それが小松宏佳にとっては重要なのだ。そこでは時間が空間化され、空間が時間化され、周囲の人間に親しい犬や猫や、花鳥風月が首飾りの糸となって、どちらが彼女であるか見分けがつかないほどに自由な時空が、出現している。 笠井叡さんの栞より。 やはりここでも「自由な」時空が語られている。 「わたしが飛んでいる」とあってもそれはまったく奇異ではなく自然体だ。だから「十五夜にながされていく」こともできる。 今、言葉は人間にとって情報伝達の手段として扱われていますが、オイリュトミーは、言葉がもつ内的なエネルギーがわたしたちの人体に大きく関わっていることを教えてくれます。 発声する力のなかにあるもの、それは動きつづけ、思考や感情や意志にはたらきかけます。それはまた外へながれて空間を形成します。 詩の会に参加したとき、作者の詩が作者の声で語られる、その現場に立ち会える、そのことがわたしにとってなにより感動的でした。詩についての意見交換も貴重でしたが、多くの生きた声に出会えたのは喜びです。 「あとがき」の一部を紹介した。 オイリュトミーを通して言葉へとむかった詩人のことばとして新鮮である。 本句集の装丁は和兎さんであるが、装画は小松宏佳さんの描かれたものである。 タイトルの文字は青メタル箔である。 小松宏佳さんは、この青のメタル箔にこだわられた。 すっきりとした一冊となった。 もう一編、詩を紹介したい。(好きな詩はたくさんある……) キャサリンの瞳 ひとりでジンジャーエールを飲んでいると カウンター席から キャサリンが近づいてきた。 「あんたね、お酒飲まなきゃだめだよ」 「たばこも吸わなきゃだめ」 「あんた、なんか悩みがあんだろ」 前髪で左目しか見えないが 瞳は何を見ているのだろう。 「話、聞いてやるから何でも言いな」 アイラインだけがわたしを見ている。 せたからだの骨の芯から噴き上がる声がつよい。 長い髪をかきあげたその手でわたしの腕を掴み 「あたしよりひどいね、こんなにやせてちゃだめだ」 未知の人間と熱風でかかわろうとする激しさに わたしはきっと歓喜したのだろう 「わたし、マーガレットって名のるから、 『キャサリンとマーガレット』ってコンビで漫才したいな」 と言ったら、あっさり「あほか」 キャサリンの頭は揺れている。 頭の中で何かがころがっている。 「次元はいっぱいあんだよ、 この世は三次元だけどね、物理学者が言ってるの、これホント」 彼女が十九歳のときに、 わずか一歳半で亡くなった娘さんの話をして 「宇宙はね、十次元あんだよ」 日中は配達のしごと 日が暮れてから義母や夫の夕食の支度 そこへ日本酒が理由を見つけてやってくる。 アイラインは雄弁にわたしに向かってきたが 瞳はふらりと出かけていく。 追憶をはおり ビー玉で遊ぶ娘の星を 探しにいく。 小松宏佳さんの詩は、読んでいて気持ちがいい。 わたしは好きだな。。。。 身体のなかにいい空気がはいってくるような、身体が軽くなるような感じと言ったら良いのだろうか。 詩人の小笠原鳥類さんが、この詩集についてメールをくださった。 「忘れないうちに。/と言って/猫が写真をおいていった。/ありがとう。/この橋の上で/砂糖をよけて/わたしたちは生えてきた。/ そのうち靴もだ。」(「約束」) この「わたしたち」がどういう人たちなのか謎で、愉快です。 砂糖をよけているのでアリではないのだろうと思いました。 「靴」もどういうものなのかわからないです。楽しい謎が多いです。 「小さなモリイさんを見かけた/モリイさんは花なのに歩いていた」 「だからさ/明日から/豆になるんだ」(「節分までは花」) 何がどうなっているのか、説明の不足が、軽いリズムになるのだと思いました。 体を動かす人の詩集なのだと思いました。私も最近は毎朝散歩をしています。 今日はお二人のお客さまがあった。 俳人の石寒太氏と山崎彩(あや)さん。 石寒太氏が主宰する「炎環」に所属する山崎彩さんがこの度句集を上梓されることになった。 そのご相談に見えられたのだ。 「炎環」で俳句を学ばれてすでに15年、昨年はご主人を亡くされた。 「寒太先生が出しなさいっておっしゃってくださったので、ここで一区切りとして出してみようかなって思いました」と山崎彩さん。 石寒太主宰(左)と山崎彩さん。 句集名は、「ペリドット」。 「ペリドットってなんですか?」思わず尋ねると、 「わたしは天体とか宇宙が好きで興味があるんですね。ペリドットというのは、いろんな隕石が太陽にぶつかって燃焼してしまうのですが、なかには燃焼しきれずに雫のようになって落ちてくるものがあるのです。それが美しい緑色の石となって地球に落ちてくるのです。その美しい緑色の石がペリドットというのです。」と夢見るようにスラスラとおっしゃった。 さっそくインターネットで「ペリドット」を調べてみる。 たしかに、美しい石があらわれた。 「宝石の一つで、夜間照明の下でも昼間と変わらない鮮やかな緑色を維持したため、ローマ人からは「夜会のエメラルド」と呼ばれている」という。そんな宝石があったとはちっとも知らなかった。 「ペリドット」という名前の句集。 さてどういう本にするか。 考えるだけで楽しい。 いろんな本をご覧になって担当のPさんと打ち合わせをされ、造本を決めてお帰りになられたのだった。 #
by fragie777
| 2018-09-28 19:06
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9月27日(木) 居待月 旧暦8月18日
蔵王に落とした影。 帽子の影は鷹羽狩行先生かもしれない。。。。 岡本眸先生が亡くなられた。 享年90。 心よりご冥福をお祈り申しあげます。 ご生前最後の句集『午後の椅子』をお作りしたときは、何度もお会いした。 そこでいろいろなことをお話くださったことを思い出す。 岡本眸さんには、身辺座臥の間にある不思議なものに驚き、その微妙なものを捉える感覚の冴えがある。明治の国木田独歩も「驚きたい」と言ったが、岡本さんは常凡な俳人の見過ごす日常にはっと驚き、その驚きをモチーフにしているようだ。(略) 秋深むひと日ひと日を飯炊いて という句があるが、人生は「ひと日ひと日を飯炊いて」いる中にあるに相違ない。秋も深まり一日一日と衰えてゆく季節の哀感をひしと身に感じながら、毎日毎日同じように飯を炊き老いてゆく自分を顧みている。人間の深い「あわれ」が、自然の哀感と一体化している句だ。 ふらんす堂文庫の岡本眸自選句集『自愛』によせた井本農一氏の栞より抜粋した。 日常の些事に心をとめ、それを大事な宝石のように掬い上げ俳句にする。かつてお目にかかったときに、 「yamaokaさん、俳句をつくるのは苦しいんですのよ、それこそ畳の目をかぞえるようにしてのたうち回って作るのよ」 とおっしゃっていたことを岡本先生とともに思い出す。 秋深き音生むために歩き出す 明日より昨日は遠し芒穂に 膝抱いて顔もてあます秋の暮 あやまちか否かわが生鵙たける 秋澄むはさみしからむを水すまし 花野来て夜は純白の夜具の中 柿照るや母系に享けて肥り肉 水澄めり酔へばかなしき軍歌(いくさうた) 繕ひつ使ふ身一つそぞろ寒 秋風や柱拭くとき柱見て 晩年へ踏み込んでゐる菌山 句集『自愛』より秋の句を選んでいくつか紹介した。 日向ぼこあの世さみしきかも知れぬ そんなことは決してありませぬように。 岡本眸先生。。。 新刊句集を紹介したい。 著者の志摩角美(しま・かくみ)さんは、大正7年(1918)2月のお生まれである。今年100歳となられた。現在は所沢にお住まいで、奥さまを亡くされひとり暮らしをされている。ふらんす堂へも2度ほどご来社くださったが、まことにお元気で矍鑠としておられとても100歳とは思えなかった。俳句をつくるようになられた経緯は「あとがき」に詳しく書かれておられるのでその部分を紹介したい。 私は昭和十六年の夏に召集解除となり、勤めていた外地銀行に復職するも、同年十二月八日の太平洋戦争勃発により同行を退職、郷里の北海道小樽市に帰り職を探しました。幸い東京に本社のある日本製粉株式会社に採用され、小樽工場勤務となりました。 これにより鉄道員の叔父の世話になっていた、母と父亡き我が弟妹、他に両親亡き従弟妹という大家族の生活にもゆとりができ、ほっとした思いがありました。 それから間もなく叔父の紹介により「小樽ホトトギス会」に入り、三ツ谷謡村氏の指導を受けたことが私の俳句人生の始まりでした。 ずいぶん若くして俳句をはじめられたのだが、戦後の復興期は会社の業務に専念しなくてはならず、俳句を断念することになる。戦後のめざましい経済復興の担い手として働きつづけて来られたのである。 転勤につぐ転勤を経て、ようやく所沢の地に落ち着くことができて、ふたたび俳句を始めるようになられたのである。 志摩さんは、現在は「ホトトギス」同人、「桑海」同人、日本伝統俳句協会会員、本句集は、昭和53年より平成28年までの作品を収録、深見けん二氏が序文を、稲畑廣太郎主宰が序句を寄せている。 深見けん二氏はたくさんの句をとりあげて丁寧な鑑賞をほどこされている。そのうちより、 初電車二つ乗継ぎ浅草へ 滝氷柱水音蔵し太りけり おのが音に憑かるるごとく囀れる 黄河沿ひ麦笛吹きし日の遠く 雨あとの一揺れもなき花菖蒲 一羽来て動き出したる浮寝鴨 嚏して踏ん切り一つつけにけり どの句も、季題が活き活きとした、ゆるぎない客観写生の句である。それだけに一読して情景が鮮明に読み手に伝わり、その中に、作者の心が読みとれ、愛誦すべき、平明にして余韻ある句である。 百年の花守として寿(いのちなが) 稲畑廣太郎 稲畑廣太郎主宰の序句である。 本句集の担当は文己さん。 文己さんが、好きな句を書いて志摩さんに送ったところ、 「アンタはセンスがある。是非ホトトギスに入りなさい」と「志摩さんに勧誘されてしまいました」と文己さん。 その文己さんが選んだ句は、 芝に敷くハンカチ二人に小さくも 浮く落葉沈む落葉と影重ね 流れ来るものの影にも水温む 動くもの風ばかりなる麦の秋 向日葵のこぞりこち向く怖さかな 鶯や障子開けるをためらはれ おのが音に憑かるるごとく囀れる 降るにつけ晴るるにつけて梅雨の愚痴 明日山を目指す星空バンガロー 老象の足踏むリズム春めける 浮く落葉沈む落葉と影重ね この句わたしも選んでた、良かった! 写生の目が効いた句である。〈影重ね〉でぐっと焦点がしぼられる。つぎの〈流れ来るものの影にも水温む〉も影を詠んでいる。冬から春になった影である。ただそれだけを詠んでいるのだけれど、物の気配が濃厚でその影の違いもよく見えてくる。深見けん二氏は序文でこの句をとりあげて、「池の岸近いところの実景であろうが、心象も深くこもっている。」と。 向日葵のこぞりこち向く怖さかな この句、わたしも面白いとおもった。向日葵って集団で立っていると、威圧感がありしかもちょっと気味が悪い時がある。絶対ひとりではみたくない花である。「こぞりこち向く」という叙法がとても向日葵らしい。無表情の顔がそろってこちらを向いているのである。それはやはりコワイわ。 昨年春、私が白寿になったことにつき、一人息子である長男が亡母には油彩の画集を贈ったので、私には句集との話になり上梓の運びとなった次第であります。 句集名は〈臥す妻に見せたき秩父芝桜〉よりとりました。 「あとがき」の言葉である。 ほかに、 就職に旅立つ吾子の弥生かな 初めての転勤にして出水とは 職を辞す梅雨の机も拭き終へて 白服の皺に馴染みて退職す 芝に敷くハンカチ二人に小さくも 愚痴言へず本音を言へずただ暑し 明日知らず今日ひたすらの猫の恋 老妻と言葉の要らぬ月見かな 本句集の装丁は君嶋真理子さん。 タイトルの「芝桜」を図案化したものを配した。 表紙は落ち着いた淡緑色。 扉。 花布は、芝桜とおなじ淡桃色。 栞紐は、白。 健やかに耳のみ遠く年明くる 仏徒とし聖夜を祝ふ暮しかな 角美さんは、今も一人暮しで、廣太郎主宰の句会には、お仲間が一緒といえ、歩いて、電車に乗り出掛けておられる。知らぬ人は、誰も百歳とは思わない姿である。 よく口にされる「俳句で頭と体を鍛えて来た思い」には、敬意を表するのみである。 序文の深見けん二氏の言葉である。 ご本が出来上がって、志摩角美さんは日頃かよっておられる体操教室のお仲間にも本を差し上げた。 「手でもって運ぶんだよ」って文己さんにお話しされたという。 「今日は9冊持っていくんだ」ということなので、「重くありませんか、大丈夫ですか」心配したところ、 「大丈夫、わけて持っていくから」とお元気に言われたということ。 本当にお元気な志摩角美さんである。 虫の音に夕べの米を研ぎにけり 今日もまたきっと虫の声を聞きながらひとりのためのご飯を炊いておられると思う。 本句集はご子息の志摩哲生さんがお仕事の合間をぬって父親の元に通い、膨大な句稿を整理しながらパソコンに句を打ち込んで出来上がったものである。 百歳の第一句集は、一人息子さんからの志摩さんへ心からのプレゼントである。 4月19日にご来社くださったときの志摩角美さん(右)と哲生さん。 志摩角美さま、第一句集のご上梓おめでとうございます。 ますますのご健吟をお祈りもうしあげます。 #
by fragie777
| 2018-09-27 20:04
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