ふらんす堂の編集日記と最新ニュースなど。 By YAMAOKA Kimiko
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# by fragie777 | 2017-03-14 20:30 | Comments(0)

孤高の軌跡

3月13日(月)  旧暦2月16日

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矢川湿原へに向かう雑木林にある椿。

毎年、必ずといってよいほど見る椿であるが、わたしはここの椿が一番好き。
木々のなかに埋もれるように咲いていて直射日光があまりあたらない故なのか、花びらに透明感があるのだ。


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蕾もなんとなくしとやかである。


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赤の色も優しい。


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緑と赤のコントラストがきれいで、しばらくはそばにいたいと思わせるような椿である。







新聞記事を紹介したい。

今日の朝日新聞の「風信」には、田島健一句集『ただならぬぽ』が紹介されている。

 二十日鼠のまなざしを継ぎ億の雪   田島健一

第1句集。言葉の独特な組み合わせや反復が非日常へと誘うよう。





共同通信発の中岡毅雄さんによる「時評」を紹介したい。俳人協会賞についての記事である。

このたび、第56回俳人協会賞に山尾玉藻「一人の香」(角川文化振興団)、第40回俳人協会新人賞には櫛部天思「天心」(同)と鎌田俊「山羊の角」(恵曇舎)が決まった。
山尾の詠みぶりはスタンダード。ナチュラルな視点から眺めた日常生活や自然に対するポエジーを感じさせる。
〈雛の日の日ざしに零れ松の塵〉〈闇鍋の膝をくづさず終はりけり〉〈かはせみの失せたる杭も初景色〉。
一句目、「雛の日」に零れる松の塵は、きらめきを伝えてくる。季語の「雛の日」が、景に彩りを与えている。二句目、本来、趣向を楽しむべき闇鍋であるが、詠み手は最後まで、礼儀正しく振る舞っていた。闇鍋の季語のイメージを逆転させたところが面白い。
三句目は、この句集の白眉であろう。詠まれているのは、「杭」であるが、読者の心には青い翡翠(かわせみ)の姿がありありと残る。その視覚的な残像が、新鮮な初景色を際立たせている。
なお、この句集には、夫を亡くした作がある。前書き「夫逝く」のある〈?声にのこりし夫の尿袋〉の一句。感情を抑えてはいるが、心に染みわたるような蝉の声が、悲哀の思いを伝えてくる。
一方、新人賞受賞の櫛部の作品には、平易にして、かすかな諧謔がある。
〈女の香閉ぢこめ梅雨の昇降機〉〈星殖えにけり蓑虫が貌出して〉。
一句目は、香水の匂いだろうか。居心地の悪さが面白い。二句目は、夜空に貌を出している蓑虫のユーモラスな様を描き出している。そのような作の中、〈妻とゐる寧けさに吸ふ葡萄かな〉は、葡萄を食べるという行為を通して、しみじみとした夫婦の情愛を表現している。
鎌田の佳句は、〈丹頂の光のなかに凍てにけり〉〈藁塚に乳房のぬくみありにけり〉など。特に、「丹頂」の句は、凍鶴の端然とした容姿が表されている。
なお、この新人賞の選考過程には、疑問の余地が残った。先の時評でも取り上げた高柳克弘の『寒林』(ふらんす堂)が受賞を逸したことである。理由は、無季の句が、ごく少数入っていたとのこと。有季であれ無季であれ、佳句は佳句。今回の候補作の中で、この句集は傑出していた。悔恨の念を残す結果だった。


この最後の『寒林』に対する一文は、髙柳克弘さんにとって大いなる励みになるに違いないと思う。





先週の朝日新聞の5日付けの「うたをよむ」の竹中宏さんの月評を紹介したい。
一週間おいたのは、どうしても全文を紹介したいからである。
タイトルは「永末恵子氏没後一年」。


昨年二月十九日、永末恵子氏が六十二歳で急逝した。俳歴は三十年に満たなかったが、孤高の軌跡が鮮やかに残った。

 火の後ろふいに二月の蓮畑
 青葦原あまりのことに生まれけり
 松風を刺身と思う女かな
 つつがなく白紙にもどる冬の猫
 つらゆきを枕に枯れてゆくのだな

四冊の句集『発色』『留守』『借景』『ゆらのとを』、それに句集以後の作から一句ずつ抜いた。どれも、語から語へゆっくり曲線を描くように、しかし凝滞することなく表現が流れてゆく。読後、ふと、透明な空気の波動のような気配だけが手元に残され、それ以上の何を読んだのでもなかったと思わされる。作者の求めるものも、それだったのだろう。句集単位で受ける印象も同様である。確かな何かを手づかみしようとする大方の俳句と異なる志向といえる。
結局のところ精神対肉体の明確な二元論に足場をすえて、氏は裸の肉体の真実などというものを信じないし、裸の肉体の真実にまつわる浮世のにごりを拒絶する。だから、逆にその作品が浮世に濁りとして残ることをも潔しとしなかった。
とはいえ、浮世の濁りを払拭しきれぬ日本語なる素材を、俳句のためにどう昇華させるか。氏の作句は、いわゆる「俗語を正す」べく、不断の試行と格闘の現場でもあったはずだ。そういえば、氏は「行きて帰る心」を俳句の要諦としてよく口にした。これも『三冊子』中に伝わる芭蕉の語である。当然ながら、創作は永遠の静止状態から生じはしない。


永末恵子さんが亡くなってもう一年が経ってしまったのかと、愕然とした。
それほど慌ただしく時間を過ごしてきたのだと改めて思う。

永末恵子という俳人、つかみきれぬ思いをいだきながらもどうにかその永末恵子なるものを捉えたいという思いがこころのどこかにずっとあった。

この竹中宏さんの永末恵子評を読んで、その胸のつかえが取り去られたような思いがした。

「どれも、語から語へゆっくり曲線を描くように、しかし凝滞することなく表現が流れてゆく。読後、ふと、透明な空気の波動のような気配だけが手元に残され、それ以上の何を読んだのでもなかったと思わされる。」

ああ、そうだったのか。。。


ふらんす堂からは、最後の句集となった『ゆらのとを』を刊行させてもらった。

「永末恵子氏没後一年」は、短い文章ながら永末恵子という俳人を的確に言い表したすぐれた批評である。

永末恵子が俳句と格闘しながら求めつづけたもの、それは極めて孤独な営みだったと思うけれど、そのまさに「孤高の軌跡」が、この竹中宏さんの一文によってわたしたちの心に鮮やかに刻まれつつあること思ったのだった。

「創作は永遠の静止状態から生じはしない。」という竹中さんの言葉、それはまた、『ゆらのとを』に書かれた「あとがき」を呼び起こす。

「白山が見え玉乗りを忘れめや」(橋間石)という句があるが、俳句はまさに玉乗りに他ならない。止まらないこと、つねにバランスをとりながら足を動かし続けること。それが私をこの先どこに連れていってくれるのか、そんなことは考えても仕方がない。瞬間瞬間の足を踏み変えつつ、私自身の身体を行き来する言葉を感じているだけなのだ。


 水仙やしいんとじんるいを悼み     永末恵子










 












# by fragie777 | 2017-03-13 19:35 | Comments(0)