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10月22日(水)
紫式部の実。 ふらんす堂の装丁はほとんど、君嶋真理子さんの手による。 ふらんす堂をはじめて2年ほどしたときに、武蔵野美術大学に、「装丁を手伝ってくれる人募集」(それまでは、自分でやっていた…)という求人広告をお願いしたところ、数日後自宅にたずねてきたおかっぱの若々しい女子学生さんがいた。それが君嶋さんだった。そのことが機縁となって今日にいたる。その君嶋さんも今では、ブックデザイナーとして、忙しい毎日だ。このところ、ちょっと手が回らなくなってきた。そんな時、おもわぬ助っ人さんが現れた。現代詩を書いている女性で、ある大学の大学院で勉強をしている人だ。本名は内緒。「装丁をやってみたい…」ということで、「それでは」とさっそくにお願いした。まだまだ、未経験のことばかりの様子で、君嶋さんに手ほどきをお願いしたり、スタッフのカトさんの大いなる助けやら担当の愛さんの懇切なアドバイスがあったりで、一冊の句集があたらしい装丁さんのもとで出来上がりつつある。そんな涙ぐましいみんなの助けもあって、なかなかいいものになりそうだ。実はさっきまで、その彼女はふらんす堂にいて、つぎのあたらしい句集のための装丁をしていた。 装丁者としての名前は山田朝子(やまだあさこ)さん。 「地味な名前ですよねえ…変えようかな…」と言う。 「ああ、でも俳句的で(山の田圃の朝なんて)いいんじゃない…」とこれまた短絡的発想のわたし。 「画数的にはすごくいい名前なんですよ」 「じゃ、いいじゃん、きっといい仕事をするようになるよ」って、結構その場ののりで片付けるわたし。うーん、でもすっきりとして、ものほしそうじゃなくていいと思うよ。山田朝子さん。 これからふらんす堂の句集の奥付には、この「山田朝子」という名前が登場することになる。 乞うご期待!! 今日の船団ホームページは、高野美智子さんの句集『水無月祓』より。 手の届くあたりの霧の荒ぶかな 「霧の荒ぶ」ってどういうことだろう?と思ったのだが、ふけとしこさんの鑑賞を読んで得心した。「霧に包まれてしまって、幻想的を通り越して、恐れを抱きはじめている作者がいる。」と。 つまり手の届くところまで来るような霧は、もう先が見えなくなってこわくなり、荒々しい様相を呈しているっていうことなのか……、と書いてなんとわたしは冗漫な解釈をしてるんだろうって、やはり俳句の短さは凄いな、って思う。
by fragie777
| 2008-10-22 19:53
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Comments(2)
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