10月21日(火)
動物は一人で住んで蓼の花 川島 葵(あおい)
今日の
「増殖する歳時記」で、土肥あき子さんによって紹介された俳句だ。最近刊行された
句集『草に花』に収録されている。「一匹でもなく一頭でもなく『一人』と書かれることに違和感を覚えるむきもあるだろうが、作者はより人間に引きつけて思いを深くしているのだろう」と土肥さん。たしかにそういう言い方もあると思うのだが、わたしの友人でもある葵さんは、「人間にひきつけて」というより、「動物とおなじ位相で…」と言ったほうが良いくらいの、身の内に「野性」を棲まわせている人だ。石田郷子さんの序文でもそのことが語られている。
人間と大きく書いて夏負けす
煩雑な人間社会のなかで葵さんはぶちのめされながら、どれほど草花や動物や虫たちになぐさめられているだろうか、彼女のホームページ
「そして猫は行く」をのぞくとよくわかる。葵さんは長い時間をかけて武蔵野の自然をカメラで撮り続けてきた。そこには、虫や植物たちのがかがやいている顔がある。彼女にとってどれも等身大のものなのだ。いや宝石のように大切なひとつひとつであるはずだ。なんと美しい草や花、そして虫や鳥たち……。
エリック・ロメールやフェリーニ、そして成瀬巳喜男の映画を愛する葵さんは、千葉皓史さんが句集『草に花』によせた栞が語るように、その映画の嗜好においても「遅れてきた者」であるかもしれない…。新しい世界をもとめて躍起となるのではなく、ゆっくりと後戻りをしながら、あるいは、もうすでに失われつつある世界を堪能しているのだ。そう、それは千葉さんが指摘するように「失われつつある世界」ではなく「ある終わりを告げている世界」なのかもしれない。
句集『草に花』の世界の不思議な豊かさの所以がそこにある…。