5月23日(水)
写真は昨日ブログに書いたブックデザイナー鈴木成一氏の手によるもの。最寄りの書店の店頭にならべてあったものを写真に撮らせてもらった。(写真がいまいちでごめんなさい、なにしろ店員さんに隠れてこそこそと撮ったものだから…)そういえば昨夜のそのテレビ番組で、鈴木成一はある装幀の賞を受賞したことによって運命が大きく開かれたということであり、その鈴木の装幀を高く評価したのが、作家の村上龍氏であったということである。
昼休みのこと、バイトのヤマジマ君がなにかハンカチにつつまれているものをとりだした。(ウン?なんだろう…)と見ていると、それはそれは大きなおにぎりが二つ。どうやらおにぎり持参の昼食らしい。「あれえ、おっきいねえ…。どうしたの、自分でつくったの?」と聞けば「ええっ」と大きくうなづく。そうして見ているまに「ガブリ」とかぶりついている。大きな梅干しがはいって、海苔のいい匂いがこちらまでくる。「どう、おいしい?」って聞けば、「おいしい!」と答える。「手島とどっちがおいしい?」と聞けば、ニヤッとして「こっちです」と言う。実はふらんす堂から歩いて10秒くらいのところに素晴しくおいしいおにぎり専門店があり、かなり有名である。テレビでも紹介されたことがあるらしい。ふらんす堂のスタッフは全員「手島」のファンである。その手島よりおいしいおにぎりとは……? 「あはっ、分かった!手垢のぶんだけおいしんでしょ!」と笑いながらいえば、ふたたびニンヤリ、おおきくうなずいた。お昼を節約してどうやらヤマジマ君、お金をためる予定があるらしい。まあ、いいでしょう。それ以上追求するのは野暮というもの。
ふらんす堂のホームページの「俳句日記」の池田澄子さんについて、東京新聞に宗田安正さんが書かれているということ、この「俳句日記」にもふれているようだと、こちらは「短歌日記」をお願いしている東直子さんが教えてくださった。さっそく記事をとりよせてみると、「池田澄子の日常感覚」と題されたその「俳句月評」には、「某出版社のホームページで『俳句日記』を連載している」とあって、残念ながら「ふらんす堂」とはない。「あら、ふらんす堂って書いてくださってもいいのにね」と思わず言ってしまう。その池田さんが、「俳句日記」でいまアップしている燕の巣のわたしの写真を「よく撮れたわね!」ってほめて下さった。「わたしんとこも近くのマンションの入口にね、巣があるんだけど、写真に撮ろうとおもってもだめ、ぜったい人間がいると逃げちゃうの。不思議なことに子燕もシーンと静かに身をひそめちゃうのよ」と言う。(へえ、そうなんだ…)でもね、池田さん、わたしの写真の腕を軽くみちゃいけませんよ…腕ですよ、腕!とおおいに自慢したいところであるが、あの巣燕の写真は案外簡単にとれたのである。那須に遊びにいったときに、小さな湖ちかくのうどん屋さんの軒先に巣くっていたのをちょっとズームでとらせて貰ったのである。写真については、高柳克弘さんの「芭蕉の一句」の写真は芭蕉ゆかりの白河の関の風景であり、東直子さんの写真は伊豆の砂浜であそんでいるときにつけたわたしの靴あと。「靴あと」ってなんとなく短歌的でしょ。