4月3日(火)
なだめなだめつかっていた洗たく機がとうとう動かなくなってしまった。毎日のように洗たくをしている人間にとって洗たく機が動かなくなって洗濯をしないというのがどういうことかわかるだろうか…。今日は朝から雨が降っているし、それほど洗濯物がたまっているわけでもないし、わたしが今日洗たくをしないからと言って天下国家になにかさしさわりがあるけじゃない。地球はこれまでどおり快適に自転をつづけるだろうし、桜の花が散っていくことを止められるわけじゃない……。しかしわたしは宇宙のちっぽけな球体である地球という星の上にのっかって、毎日毎日あくせくと洗たくをして、天空へむけてそれらをほしつづけて来たのである。青空に白いシーツをなげかけるとき、ちょっとした充実というものを感じたりしません? 空の色をながめ風の流れを感じ、あらゆるものが被造物であることを思い、なにかを実感する…、この一瞬の充実が好きだなあ…。洗たくをしない日は、わたしの心の組織がすこしゆるんだまますべてをはじめることになるのだ。
すこし前にふらんす堂の昼休みにスタッフたちと「泣いた赤鬼」や「ゴンぎつね」のことで心をなごませた日、HPで「芭蕉の一句」を連載しておられる高柳克弘さんが、「新美南吉の『ゴンぎつね』いいですね。『てぶくろをかいに』」も好きです。」とメールを下さった。「芭蕉の一句」でいつも凛々しい文章で博識を披露されるお若いけどとても老成している高柳さんが『ゴンぎつね』を好きだなんて…、ウフフフ、なんとステキなことでしょう。わたしは嬉しくなって、すこしだけ知っている『てぶくろかいに』を本屋さんにみつけに行ったのである。なかなかこの本はなくて、今日やっと手にすることができた。これも狐のはなし。子狐がお母さんにいわれて人間のところに手袋を買いにいく、人間の手にしてもらったほうを出さないで間違って狐のままの手をだしてしまったのだけど、人間の店主はそうと知っていて手袋を売ってあげるという、こころあたたまる話。こんなふうに書いてしまうと味もそっけもないが、文体が素晴しいのである。こころをやさしくつつみこむようなリズムがあって文章がハンパじゃなくいい。となりにあった『泣いた赤鬼』(こちらは浜田広介)とともに思わず買ってきてしまったのである。『泣いた赤鬼』、これはスタッフの加藤が話してくれたよりももっと切ない話しであった。赤鬼と青鬼の(いまふうにいえば)最高に萌える話しなのだ。明日の昼休み、みんなに話してあげようっと……。