2月2日(金)
世界俳句協会より「世界俳句No.3」と「吟遊33号」(夏石番矢代表)を送っていただく。「吟遊」を手にするのもこれがはじめて。ましては「世界俳句」においておや。「世界俳句」は200ページの雑誌であるが、半分が日本語版、もう半分が英語版となっている。日本人の俳句もあるが、まさにいろんな国の人が俳句を寄せている。メキシコ、ブルガリア、モロッコ、クロアチア、ナイジェリア、ゼルビア、ニュージーランド、インド、モンゴルなどなど。「俳句」というものが日本人だけのものでなく、言葉をもつ人間は誰でも詠んでいいんだと発信しているようだ。日本の山野のなかで遊んでいた俳人たちのところに、まわりをかこっていた柵がばさっとはずれていろんな国の人がはいりこんで来たような、そんな感じかしら。わたしは日々目先5ミリのことに追われ世界的視野などとはほどとおいところであくせくと仕事をしているので、へえー、こんなにいろんな国の人が「俳句」を書くということを意識的にしているのか、と驚く。夏石番矢さんあたりから「遅い!」って怒られそうであるが…。「俳句性」とは何かということを論じていくと、いろんな見解の相違が浮上しそうであるが、ともかくもわたしはこの雑誌を手にしているのである。
満田春日さんより「はるもにあ」5号をいただく。ここには、師・田中裕明を静かに深く顕彰していこうとする満田さんの思いがあふれている。満田春日さんは、「田中裕明全句集」の刊行委員のおひとりで、忙しい時間をさいて校正などその労力を惜しまずに関わって下さっている。師事した時間はそう長くなかったはずであるが、師弟関係というのは時間の長さではないのだとつくづくと思う。田中裕明という俳人はなんとわたしたちに多くのものをあたえなげかけて逝ってしまったんだろう。
今日の午後2時、わたしとスタッフの加藤は赤坂見附をめざして、どうにかたどりつく。俳誌「銀化」主宰の中原道夫氏と同人の峰尾文世さんにお会いするためである。「銀化」は来年で10周年を迎えられるという。それを記念して「銀化」の方々の歳時記を刊行しようということである。その製作・刊行をふらんす堂でということになったのである。ひさしぶりにお目にかかる中原さんはいっそう着物姿がいたについて、あいかわらずエネルッギシュで言葉がポンポンと飛びだしてきて、そのテンポのはやさに遅れじとわたしも加藤もかなり頑張った。ホントいい感じで大脳が刺激されました。峯尾さんはちょっとクールビューティなキャリアウーマンという雰囲気の方で、野武士を自認する女性スタッフたちが跋扈しているふらんす堂にはけっしていない都会派女性、素敵でございました。(ちなみにわたしは野武士の親分ということになって、とても不本意だけど仕方がない、親分です)
わたしたちが出かけている間に、いま句集をおつくりしている笙鼓七波氏が来社される。わたしは是非おめにかかりたかったのであるが、とても残念。ふらんす堂にもどって担当の中井に「どんな方だった?」と聞くと中井はウフフフって笑って「手塚治虫の漫画に出てくる○○博士のような方です!なんだかとても恥ずかしそうにされていました」とのこと。お会いしたかったです、笙鼓七波さま。