12月15日(金)
写真は「カメレオン」という薔薇。実は昨日の誕生日のお祝いにいただいたもの。わたしの誕生日にはいつもこうして何十本もの薔薇が届くことになっていますの、オーホホホホッ。すんごいでしょう!!
とは、まったくの嘘、こんなふうに誇らしく自慢したいところであるが、わが人生のなかでたったの二度目よ、こうして薔薇を貰ったのは。誕生日はもう何十回といやになるほど迎えましたが。ものすごく感激しちゃって、こうして仕事のブログにまで自慢げにアップしてしているとうオバカなわたし。貰い慣れない人間の常として自慢する嫌みなわたしを許して下さいまし。名前がふるっている。「カメレオン」ですって。「カメレオン」のようにいろんな色を持つ薔薇という意味らしい。わ、わたしもいろんな色をもつ女でありたい!?(って、よく言ってる意味が自分でもわかりませんが…)
今日は池田實氏の詩集『もう 誰も問わない』が出来上がってくる。装丁は詩人の手塚敦史さん。彼のはじめての装丁となる。と言っても、ラフをいろいろと考えて貰い、それを版下にして、イメージを具体化したのはこちらの仕事ではあったが、もともとの意匠はまぎれもなく手塚敦史さんが考えたものであり、それがとても素敵なものであったのだ。だからこの装丁はほかの誰かがかんがえたものではなく、手塚さんから発したものとしてある。大胆な幾何学模様を型押しにした面白いものとなった。君嶋真理子さんがこれを見て「こういう発想って、ぜったい私からは生まれないなあ」と言ったのが印象的だった。これを機会に少しずつ装丁を勉強していってもらえるといいなあと思っている。池田實氏も大変に気に入って下さったことが嬉しい。
もう亡くなってしまったが詩人の吉岡實氏は装丁家としても素晴しい装丁をされた。わたしはかつて自分の仕事のなかで吉岡さんの装丁を真似したことが何回かあるほど、そのセンスが好きである。吉岡さんの装丁で辻井喬氏の詩集『たとえて、雪月花』という集名だったと思うが、そこに使われている花模様の用紙があまりにもエレガントで、それがどこで手にはいるのか知りたいとおもいいろいろと調べて貰った結果、日本のものでなくて洋紙であったということの驚き。なかなか手に入りにくいものをさらっと使うセンスの良さ。心憎いばかりであった。昨年思潮社から刊行された野木京子さんの詩集『ヒムル、割れた野原』は詩集としても優れたものであったけれど、装丁もまた素晴しかった。詩人の稲川方人氏によるものだったと思う。手にしたときにひとつの世界がひろがっていく。そんな思いにさせる詩集の装丁だった。
なかなか集中できなかった『桂信子全句集』の三校ゲラを宇多喜代子氏にやっと送ることができた。宇多さんに連絡すると「やっとこちらも少し手が空いたので、これから本格的に解題、年譜にとりかかり年内にはなんとかしたい」と言われる。いよいよ全句集刊行へと動きはじめたという手ごたえを感じる。明日は桂信子氏の命日となる。