10月3日(火)
写真は数日前にみた臭木の花。歳時記によると枝や葉を傷つけると悪臭がするが、若葉は食べられる、とある。花は顔を近づけてみるとよい香りがした。
いまは夜の10時過ぎ、仕事場でこのブログを書いている。麻布十番まででかけ、いま戻ったところである。麻布十番には、俳人の行方克巳さんと西村和子さんのお二人が主宰する俳誌「知音」の事務所があり、そこに仕事の打ち合わせのために夕方でかけたのである。二時間ほど打ち合わせをして、そのあとは「梁山泊」というイカシタ名前の中華屋さんでおいしい餃子などを食べながら、ビールやら紹興酒で乾杯をしたのであった。思えば西村和子さんとのご縁は、25年以上も前からで、わたしが当時つとめていた出版社で彼女の第一句集『夏帽子』を編集したことによる。西村さんも子育て真っ最中、わたしも子供を産んで職場に復帰してまもないころで、句集のシリーズなどを積極的にこなしていたころのこと、仕事は面白くそうかといって「俳句」という文芸の素晴しさがわかっていたわけでもなく、それでもいろんな俳人の方々を知ることのできる面白さに夢中だった頃のことである。わたしが担当したその西村さんの句集『夏帽子』はその年の俳人協会新人賞を受賞したわけであるが、わたしは別に優れた編集者でもなく、俳句の優れた読み手であったわけでもなく、ご縁によってその句集を担当したということであるのだが、西村さんという俳人の手応えはその頃から十分感じていた。若干あちらが年上でもあるがほぼ同世代であり、生活者としての視点には共通するものがあったりして、たとえば『夏帽子』のなかの作品〈熱燗の夫(つま)にも捨てし夢あらむ〉という句などはゲラを読んでいく過程で妙に心に残ったりしたのであった。それから二十数年という月日は過ぎた…。内面的には相変わらず代わり映えのしない自分がいるわけであるが、(そりゃ外側は十分歳をとりましたが)少し変わったこといえば、「俳句」という文芸のもつ凄さの一端が見えてきたかもしれない、ということであろうか。
しばらくは臭木の香とも知らざりき 星野立子