9月27日(火)
写真は数日前にみかけた蜘蛛と蜘蛛の巣。いろんなところに蜘蛛の巣が張られていて、ああ、蜘蛛の巣ってこんなにきれいなものかと感心する。なかなかの仕上がりだと思いません? この糸の細さって何デニールなのかしらん?
今日は雨降り、朝出かけるときは降っておらず、少ししおれかけた鉢物に気づき自転車から降りて一所懸命水やりをしてから出社したのであるが、午後よりこんな雨降りになるなんて思いもしなかった。わたしはあまり天気予報とかを聞いたり見たりすることがなくてどういわけかテレビでやっていても頭に入って来ず、だから洗濯物を干しっぱなしにして濡らしたり、傘をもたずに出かけて雨に降られたりそんなことは日常茶飯事、携帯用傘なんて持ってないもの。すべては風まかせの行き当たりばったりの人生でございます。というわけで今日は午前中より人形町に用事があり傘などもちろん持たず出かけ、それをすませてから新宿でも用事がひとつあり、もうその時は雨はずいぶん降っていたけれど都心というところは何とか傘なしでも地下鉄、地下道つながりでやっていけるのである、が、問題は仙川からふらんす堂まで。雨のふりそそぐなかを小走りで飛びだして、途中「西友」を突っ切って道をかせぎ、ふたたび走り出し、知り合いの洋服屋の店先で30秒ほどやすみあとは一気に仕事場へはしり込んでとうとう傘無しで済ませた。どんなもんよ!! (自慢できることといったらこのくらいなのでちょっと自慢させてくださいまし……。)
さて、昨日このブログでふれた日経新聞の坪内稔典氏の詩歌時評であるがタイトルは「現代俳句の両極を示す2つの句集」。その2つの句集とはひとつが小社刊の仁藤さくらさんの『光の伽藍』でもう一冊が最近句集を刊行された長谷川櫂さんの第7句集『初雁』。それぞれの作品を引用しながら「異端の雰囲気があって、この世や秩序を逸れそうなさくらの言葉。やや古風であるが、典雅に充足した櫂の言葉。この二人の俳句の言葉が、現代俳句の言葉の両極を示している。」と書かれている。ふーん、現代俳句の両極……。
昨日は「増殖する歳時記」に詩人の清水哲男さんによって、小社刊行の秋山夢さんの句集『水茎』の作品が紹介された。「この句全体から立ちのぼってくるのは、こしゃくな人知を越えた自然界がおのずと発する山彦のごとき秋気であろう」と解説が付されて次の一句が紹介されている。
山彦に遡るなり秋の魚 秋山 夢