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1月31日(金) 旧暦1月6日
窓辺にカリンが置かれたレストランより名栗湖をのぞむ。 なんということなしに撮った一枚であるけれど、 なんだか和むなあ。。 季節外れの小さなサンタさんたちも、ちょっといびつなカリンも、 さりげなく並べてあって、 窓の外には湖がひろがって、 こんな窓辺に寄り添ってぼんやりしていたい。。。 冊子「ふらんす堂通信162号」が出来上がってきた。 手に取ったとたん、「厚いわねえ-」と叫ぶ。 その年の最初の号は、図書目録も兼ねているのでどうしても厚くなる。 226頁!! 小川軽舟さんと神野紗希さんの対談もなかなかの頁数である。 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装グラシン巻 194頁 著者の能城檀(のうじょう・まゆみ)さんは、昭和38年〔1963)東京生まれ、港区在住、平成4年(1992)「港」(大牧広主宰)入会、平成6年(1994)「船団」(坪内稔典代表)入会、「港」新人賞受賞、平成11年(1999)「港十周年記念コンクール」評論の部にて一位入選、「港」同人を経て、令和元年「港」終刊、「牧」(仲寒蝉代表)参加。現在「船団」会員、「牧」会員、現代俳句協会会員、メール句会「閑々亭(かんかんてい)」運営。 本句集は、平成2年から30年までの30年近い作品を精選収録した第1句集である。序文を仲寒蝉代表が寄せている。 「やっと」というか「満を持して」というか能城檀句集が世に出ることとなった。何しろ彼女の句歴は私よりも六年も長いのである。句稿を俯瞰してみて実に二十九年にわたる句作の成果であることをあらためて知った。 という書き出しで仲寒蝉氏の序ははじまる。題は「眠る狼、眠らぬ鷹」。 俳句仲間として長い交流のある仲さんは、能城さんの句についてあますことなくその魅力について触れているが、ここでは抜粋して紹介したい。 噴水やきらめく闇といふもあり 脱ぎ捨てし靴の放心秋の虹 目貼りして夜を怪鳥のごと眠る 脱ぎ始めてからが本気の枯木立 能城檀俳句の真骨頂は、あっと驚かされるような表現、予想外の飛び方(跳び方?)をする展開などにある。特別難しい語彙を駆使する訳ではないが、この対象にこういう形容があり得るのかという意外性がある。 葱多忙なれば団欒などといふ キャベツごろりとこの国は大丈夫か 世界中を敵に回して今は海胆 探偵は自転車で来る冬夕焼 桜蝦山盛り揚げて生きてやる さらにその絶妙の言い回しからえも言われぬ可笑しみが生ずることがある。 仲寒蝉氏は、能城檀さんの俳句について、都会生まれの能城さんに集名の「カフェにて」はふさわしいと記しながらも、「彼女は精神的には結構オジサンである。その意味では『カフェにて』というより『酒場にて』の方がいいのではないかと思ったりもする。」と書いている。なるほど、とわたしは少しにんまりとする。 「サイフォンコーヒー狼を眠らせて」「B A R いつもの席に鷹座す角瓶も」などの句をあげて、「珈琲店にいるのが狼で、バーにいるのが鷹、というのも彼女ならではの感性。」と書く。きっとその視点の面白さと感覚のユニークさから「眠る狼、眠らぬ鷹」という序文のタイトルとなったのだと思う。 本句集の担当は、Pさん。 そら豆の殻より出づる本音かな 湯ざめして肺の裏側まで孤独手で量る物の重さや花曇り 八月の水ごくごくと吾子になる サイフォンコーヒー狼を眠らせて 行水の息子鳥類かと思ふ 湯ざめして肺の裏側まで孤独 「湯ざめ」が季語、いったい「湯冷め」の季題によって「肺の裏側」を詠んだ俳人はこれまでいただろうか。しかも、その「肺の裏側」がどうであるかといえば、孤独であると。いや、正確に言えば、「肺の裏側まで孤独」と。この孤独感はわが身体においても体感できる孤独感である。考えてみれば心臓にも胃の腑にも肝臓にも「裏側」はある。しかし、「胃の裏側」あるいは、「肝臓の裏側」と言われても、「孤独感」はピンと来ない。だが、「肺の裏側」とあれば、お湯からでてしんしんと身体が冷めていくと同時に孤独感が胸の奥のさらに肺の裏側までひろがっていく、ああ、なんという孤独!!と、説得力をもって実感できるのだ。わたしも好きな一句というか驚いた一句である。 サイフォンコーヒー狼を眠らせて 仲寒蝉さんも序文で鑑賞し、その題名にまでなった一句だ。「狼」が季語。この狼はあるいは絵に描かれた狼かもしれないし、狼が登場する童話の本がその珈琲店におかれてあったのかもしれない。サイフォンコーヒーのコーヒーをたてるやわらかな気持ちの良い音が、その童話やあるいは絵に描かれた狼をわたしたちの目の前に呼び出して安らかな眠りに誘う、わたしたちは宮澤賢治の世界に迷い込んだような、不思議な世界を経験するのだ。 噴水やきらめく闇といふもあり この一句も面白い。噴水に「闇」を見つけたのは、能城さんならではだろう。噴水はきらめくものである。しかし、そこに潜む「闇」。そう言われれば、「噴水」がみせるときおりの翳りは、ああ、それはきっと「闇の世界」へと繋がっているものかもしれない、が、いやいやこんないい方は凡庸である。「闇」とあえて言い切ったところが発見だ。いや、しかも「きらめく闇」という逆説を含んだ闇であるからこそ、それは尋常でないきらめきであり、とくべつな闇でもあるのだ。今度噴水の前に立って、この「きらめく闇」に出会いたい、と切に思う。 桃色のハム厚く切る野分あと 一読すると、ハムの鮮やかな桃色と「野分」の季語がよびこむ草原が倒れ伏す荒涼とした野っぱらが浮かんでくる。きわめて映像的である。野分あとに食するために何を切ってもいいのだけど、「桃色のハム」をしかも厚く切るというのが、映画のワンシーンを浮かび上がらせるようで面白い。野分が去った後、すでにあまり若くない女がハムを切っている。台風でなく野分という語彙も、ハムを切る人間の単純ではない精神性を匂わせて興味深いのだ。 平成二年頃の習作から始め実に約三〇年近く俳句に親しんできたことになる。このたび、遅ればせの第一句集を編むこととなった。(略) 句集上梓の決心を喜んでくださった大牧主宰は、病臥されていたため、当初「選句は自分でね」とおっしゃっていたが、病床で選句をしてくださった。選句の際に部屋から出てこられて「びっくりした、宇宙的というか。句の世界観。薬のせいでぼーっとしていたけどすっかり目が覚めたよ」とおっしゃったとのことである。この上ない賛辞に、胸が一杯になった。 「あとがき」より抜粋して紹介した。 本句集の装幀は、和兎さんであるが、カバー表紙と扉に金子國義のエッチングの作品を装画として用いた。 これは長年、金子國義の作品を愛してきた能城檀さんの所有の絵を使ったものである。 まさに、「カフェ」 の場面である。 能城さんは、この刷り色にこだわられた。 巻かれているグラシンをはずしたところ。 カバーをはずしたところ。 見返しはマーブル模様のセピア系のもの。 このマーブル模様は金子國義の作品によく似合う。 扉。 ところてん人のたましひ海より来 なるべく多くの人が彼女の俳句の魅力に触れてくださることを切に願う。(仲寒蝉・序文) 切干や東京もまた故郷なる 能城さんは、東京生まれで港区にお住まいの東京人である。序文によると最寄りの駅は「麻布十番」というから、なんともオシャレである。この句、「切干」という季語がとてもいい。故郷・東京がぐっと身近で普段着の顔をみせている。東京生まれの人にとっては、東京はそういうものかもしれない。この一句、能城檀さんの、東京へのふかぶかとした愛情を感じる一句である。わたしは秩父生まれであるが、東京住まいが長く、東京は故郷と化しつつある。とても好きな一句。 以下はちょっと余談。 能城檀さんは金子國義のファンでその作品も少なからずお持ちであるらしい。 能城さんにはとうてい及ばないが、わたしも彼の作品のファンでいくつかの作品を持っている。生前何度かお目にかかる機会もあった。 かつて、木村聡雄句集『いばら姫』をお作りしたとき、著者の木村聡雄さんとスタッフのPさんと三人であこがれの品川にあるアトリエ兼住まいを訪ねたことがある。 洋館のステキなアトリエで、たっぷりと金子國義さんのお話を伺いならが、いまから思うと夢のような時間を過ごしたのだった。。 その洋館もいまはない。 2010年5月27日に金子國義氏をお訪ねしたその時の写真をふたたび紹介したい。 金子國義が愛した小物に囲まれて。 紫陽花は紫色がお好きだったようだ。 部屋に置かれたものはすべて金子國義にとっては大切なものだ。 作品に登場するものでもある。 金子國義(1936年7月23日 - 2015年3月16日)
by fragie777
| 2020-01-31 20:08
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