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12月10日(日) 納めの金平羅 旧暦10月23日
実篤公園の実南天。 午後より仕事場で昨日のつづきのゲラを読む。 「第八回田中裕明賞」の祝賀会のつづきである。 参加者の方々のご挨拶をあらためて活字でよむと、そうか、皆さんこんなことをお話していたのかとはじめて耳にするように新鮮である。どのお話も興味ふかかったが、鴇田智哉さんのご挨拶をここではちょっと紹介してみたい。 小津夜景さんの句集『フラワーズ・カンフー』の好きな一句についてである。 鴇田:(略)僕が好きな句を一つ挙げると、「さらばとは聞かで消えたるのどかさの(10)」です。この句を読むと、思うことがあります。たとえば、その日たまたま一緒に帰ることになった人がいて、ひととき同じ電車に乗って、やがて自分の駅が来たから別れる。そのとき相手に「それじゃ」とか言うでしょう。「さらば」って口語ではあまり使わないけど、この「それじゃ」みたいなタイミングの言葉だと思うんです。生きている中で、人との無数の出会い、別れがある。「さらば」ってその出会いと別れの残像のようなものだと思うんです。「さらば」の繰り返しの中で、たとえ実際にはそう言われなかった、聞かなかったとしても、その残像の予感の中に日々を生きている。「聞かで消えたる」はそういうことかと。今まで同じ電車に乗っていたあの人は、本当にいたのだろうか。本当に私と出会ったのだろうか……。それは寂しいけれど、きわめて普通のいつものこと。だから「のどかさ」なんだと思うんです。「のどかさの」の「の」には、そうした日々がなおも続いていくという気分が表れている。この気分というのは、ひとりでいるときでもそうなんです。部屋でぼんやりしているとき、あるいは喧噪の中にいるとき、ふと白日夢とか、幻を見るように、あ、今自分は誰と会っていたんだっけ、と思ったりする。その気分そのままに、「さらばとは聞かで消えたるのどかさの」と、ふっと口をついて出たような句だと思います。こういう調べって出てくるものではなく、夜景さんにもそもそも備わっている音感なんでしょう。(略) 読んでいてああ、いい鑑賞だなあって思いながら気持がふわふわしみじみしてきたのだった。 「さらば」ってその出会いと別れの残像のようなもの、というのが、いいなあ。 その残像の予感の中に日々を生きている。これも、いい。 「さらば」っていう言葉が断然素敵なものに見えてきた。 いつかどこかで言ってみたい。 突然言っても、にっこりとして同じように「さらば」って返してくれるような人に言ってみたい。 余談ながら、辞書をひくと「然らば」と書くらしい。 イエスの言葉の「求めよ、さらば与えられん」も「然らば」と同じように書くということを知る。 仙川でセレクトショップをやっている友人の山口さんのところにおしゃべりに立ち寄ったら、 「あらら、あなた上着うしろまえ反対に来てるわよ」って言われた。 「あら、いやだ。」 ということで、早々に修正。 まっ、よくあることです。 わたしには。
by fragie777
| 2017-12-10 18:09
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