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11月10日(金) 旧暦9月22日
夕方用事があって外出し、予想外に遅くなってしまった。 仕事場に戻ったときはすでに誰もおらず。。。。。。 さっ、早くブログを書いてしまおう。 今朝は歩いて出社。(ここんと頑張ってるでしょ) 鬼柚子がどっさり生っている家があった。 思わず写真を撮ってしまう。 カシャカシャやっていると、広広とした庭のむこう、母屋の硝子戸が開いて老婦人が姿を現した。 「すみませ~ん。写真を撮らせてください」と既にもう存分に写真を撮ったyamaokaであるが、改めてことわる。 「柚子、ほしいですかあ?」と老婦人。 「でも、食べられませんよお。お風呂にはいれらるようですが……」 「いえ、いえ結構です。失礼しました」と、いち早く退散したのだった。 いくらなんでも、これを持って仕事場にいくのはね、ちょっと。。。 新刊紹介をしたい。 46判ハードカバー装。 222頁。 著者の谷ゆう子(たに・ゆうこ)さんは、昭和20年(1945)高知県生まれ、大阪・茨木市在住。平成10年(1998)「鶴」入会、星野麦丘人、鈴木しげをに師事。平成28年「鶴賞」受賞。現在「鶴」同人。本句集は、平成13年から28年までの作品を収録した第1句集である。序文を鈴木しげを主宰、跋文を「谷ゆう子の俳句」と題した大石悦子氏の文章、これは「鶴賞」受賞時に寄せられたものであるが、本集に跋文として再録した。 薺爪づかづか古稀のきたりけり 帯ゆるく結んでをりぬ炉のなごり 夜寒さの白湯一椀を夫にかな 母の忌に咲かす花種浸しけり 手に軽し鳥獣戯画の夏茶碗 子規の忌の古白遺稿を閲しけり 縛りたるところがくぼみ萱の束 著者は平成二十八年度の鶴俳句賞を受賞された。一句一句にかける懸命の努力が実ったのである。これらは平成二十七年以降の作を思いつくまま挙げたがどの句にも作者の気息が通っている。ゆるやかに又するどく対象と向きあう。そうした芸と云えるものを確実に身につけつつある。句集の表題になった「樫の花」の句 俳縁の疎かならず樫の花 は来し方を顧みて著者と共に句作に励み、心をみがいてきた多くの俳句仲間への挨拶である。そして又、谷ゆう子の今後の俳句人生を暗示するものであろう。次なるステップを期してやまない。谷ゆう子さん句集出版おめでとうございます。 鈴木しげを主宰の序文より紹介した。鈴木主宰は、本句集のために選句をし、句集名をつけられた。「三千句にも及ぶ句稿の束が届いたのには正直おどろいた。私はそれらをつぶさに読み作者の体温をそこなわないように大鉈をふるった。」と序文にある。 跋文の大石悦子氏は、著者が初学時代より近くにいて指導された俳人である。「あとがき」で、著者の谷ゆう子さんは、大石悦子氏のことを「高みを目指される大石さんのすがすがしさは追って追えるものではありません。」と記しておられる。その大石悦子氏の「谷ゆう子の俳句」より。 鳥交る風の梢を離れては 杣山のきぎすに雨の上がりけり 夕つばめ田水溢れてゐたりけり 春筍の山に住むとふ翁かな 川漁師花の汀を戻りけり 座禅草母のうたた寝覚ますまじ 目白籠老人海を見てをりぬ 「目白籠」から抜いた。 早春から初夏にかけての、田園(多分母郷であろう)の生活がていねいに詠まれている。〈鳥交る〉の句は、中七以下に目が行き届いている。風の中での小鳥の交尾を、はらはらと見守っている作者の関心の様子が伝わる。〈春筍の〉の句は、山窩(さんか)の老人がモデルだろう。山窩とは一所に定住しないで、山奥や河原に小屋掛けをして、狩猟や竹細工などをなりわいに、漂泊の生活を送っている人たちのことで、高知の山奥にはまだそのような人たちがいるのだろう。季語〈春筍〉の斡旋が実にうまいと思う。〈川漁師〉の句、清流四万十川の花の頃の景であろう。朝の漁なら朝桜、夕方の漁なら夕桜だが、花の頃の気だるい気分が、桜の花から感じられる。表題となった〈目白籠〉の句は、老人が海を見ているというフレーズに既視感があるが、季語〈目白籠〉がそれ以上の世界を構築している。 全体を通して、一句の完成度やバランスの良さなど、同人になったばかりの人の作品とは思えない。新人恐るべしというのが率直な感想であった。 大石悦子氏に「新人恐るべし」という感想を抱かせたのである、谷ゆう子さんは。 さて、本句集の担当はスタッフの文己さん。文己さんが好きな句を紹介したい。 竹箒星もほたるも捕るつもり 川漁師花の汀を戻りけり風光る旧き校歌のとびとびに 夜濯ぎや山の上なる十日月 はらわたの豊かにありし秋刀魚焼く 春驟雨こどもの傘で凌ぎけり 春暁のはじめに犬が動き出し 月影や指のきつねを遊ばせて 蝶の昼見えぬ子午線渡りけり かなかなや老の支度をせよとてか 朝鴉梅雨の底ひに聴いてをり ふるさとはふるさと時間新茶汲む 雨音の磯となりけり栄螺壺 三槲の花喰ふ鹿の来るといふ 世の外にゐて秋蟬のしづけさよ 竹箒星もほたるも捕るつもり 竹箒を持ち出してきて、なんとまあ無茶苦茶なことって思ったし、蛍も星もとれっこないと思うのだが、不思議とこの竹箒がどこかメルヘンチックで、よく響いてくる。きっと小さな子どもだろう、竹箒をふりまわしているのは、それがそのまま童画になりそうな、そんな気配。「竹箒」がこよなく清潔だ。わたしも好きな一句である。 はらわたの豊かにありし秋刀魚焼く この句も好き。美味そうな秋刀魚である。はらわたのあま苦さまで口の中に広がってきそう。秋刀魚はできたらはらわたまで食べたい。でも新鮮でないと美味くない。はらわたのみならず脂ののった見事な秋刀魚を焼いたのだろう。 この句の隣に「鯛焼や子供も使ふ二枚舌」という句が並んでいて、「鯛焼」との取り合わせにちょっと笑ってしまった。子どもの二枚舌だったら、きっと許せるのだろう。だから「鯛焼」なんだって。 拙い句集を読んで下さり、ありがとうございます。俳句に扶けられた私の約二十年の足跡となりました。 俳句を知ったのは学生時代のゼミでのことですが、不思議な縁を感じます。 二十三歳の五月尼崎の中学校に着任し、夢中で働いた三十六年。結婚し、三人の子を授かりましたが、仕事中心で決していい家庭人ではなかった筈です。 明るく人のいい姑と全面的に私を信じてくれた舅と夫のお蔭で、子供達は曲がりなりにもそれぞれが自立できました。初句集はそのような父母と夫と子供達とその家族の支えの上に成り立っています。 心を耕すとはこのようなことでしょうか、身の丈に合った日々の有り様を受容できるようになったのは、まさに俳句のお蔭です。 「あとがき」より抜粋して紹介した。この文章のあとにお世話になった方々への感謝の言葉がつづくのであるが、なによりも句集名となった一句「俳縁の疎かならず樫の花」が著者・谷ゆう子さんのお気持ちを語っていると思った。 装釘は君嶋真理子さん。 「樫の花」という比較的かたいタイトルを女性らしい華やかな表情に仕上げた。 表紙は光沢のあるクロス。 ここでは白に見えるが、薄いピンク。桜のような色である。 見返し。 扉。 花布は金。 白、薄いピンク、濃いピンク、と階調が美しい。 樹木の持つ生命力を感じさせる一冊となった。 谷ゆう子さんはとても喜んでくださった。 目白籠老人海を見てをりぬ この一句にとりわけ引かれる。この句については、大石悦子氏が卓見を述べられていて、「老人が海を見ているというフレーズに既視感があるが、季語〈目白籠〉がそれ以上の世界を構築している。」とあり、まさに、と思った。老人と海と目白籠のこの三つ、すでに物語が始まりそうな予感がする。映画のワンシーンとしても様(さま)になる。ヘミングウェイに有名な「老人と海」という小説があるが、それはともかくとして「老人と海」は清潔な組み合わせだ。「老女と海」ではそうはいかない。老女の背後には世俗のあれこれがどっさりとついてきそうな感じがする。老人と海には、海との間にある距離感があって、その距離感が晴れ晴れとしてはるばるとしているのだ。「老女」であると海に引きずられそうな気配、わたしもいずれ老女となるのにそんなこと言っていいのかと思うが、致し方ない。「目白籠」によって、老人のさびしさも伝わってくる。そしてまた「目白籠」の具体性が老人と海の構図に打ちこまれた楔のように景にリアリティを与えている。 すっかり遅くなってしまった。 帰りはもう歩きたくないな。 やっぱ、バスに乗って帰ろう。。。。
by fragie777
| 2017-11-10 21:58
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