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8月21日(月) 旧暦6月30日
谷保天神の裏手に咲いていた秋海棠。 雨が降ったあとらしく一段とあざやかだった。 夕方FAXにて悲しいお知らせをいただいた。 俳人の斎藤夏風(さいとう・かふう)氏が亡くなられた。 8月21日午前4時30分関東中央病院にてご逝去。享年86。 ふらんす堂からは第6句集『辻俳諧』(第50回俳人協会賞本賞受賞)と、現代俳句文庫24『斎藤夏風句集』を刊行させていただいた。 昭和6年(1929)6月2日、東京生まれ。昭和28年(1953)「夏草」入会。山口青邨に師事。昭和61年(1986)「屋根」を創刊主宰、今年の3月号(通巻331号)を以て終刊。「現場」に立つということを大切にし、「季題は現場そのものである」と。 寒鯉の背鰭の水はぬめりけり 蒲団干すそこに兎を追ひし山 藍を着て素足の勢ひ青邨忌 夏風君は東京っ子。しかも若い、ナイーブで敏感で繊細で知的である。みんな詩を作るものには大切な要素である。しかし作品はとかく胞弱になりがちである。萬華鏡だけでは空しい。「感覚でけで描いてはいけない」ーーこれはボナールの言葉だ。俳句も同じだ。 私は夏風君にデッサンをしっかりしなければ駄目だ、作品がよろよろ、形が崩れる、描写も不充分、腰を強く、構成の骨組をしっかりしなければと口癖のやうに言った。(現代俳句文庫『斎藤夏風句集』収録 句集『埋立地』 山口青邨 序より) 写生俳句では、自分の言葉であるかどうかも大切なことの一つだ。対象が作家の心とひびき合って自然に言葉となって出てくる。こう書くのは簡単だが、作品にするのは大変だ。言葉だってすらすら出てはこない。作り続けること、多くのものを知ることによって対象がこなれ、周囲と共に存在そのものが見えはじめ、そこで自己の蓄積した語彙がひらかれ、言葉が流れる、多作多捨だ。言葉はあくまで自己の問題である。だから推敲も大切だ。素朴でもよい。自分の言葉だと確認してゆくことだ。(現代俳句文庫『斎藤夏風句集』収録 「屋根」・「句会縦横」より) 夏風先生には、「山口青邨精選句集」をお願いしていたが、果たしていただかないまま逝かれてしまった。それがとても残念である。 夏風先生のご逝去をこころよりお悔やみ申し上げます。 新聞の紹介記事を記しておきたい。 今日の讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、黒澤麻生子句集『金魚玉』より。 青年になりかけてゐる日焼かな 黒澤麻生子 少年少女たちが大人になってゆく。その変化は当の本人たちより、大人の目によく見える。これもそうした大人の目で見た少年の姿。まだ子どものようでいながら、どことなく青年の気配が漂いはじめているのだ。句集『金魚玉』から。 おなじく今日の毎日新聞の「新刊」では、二つの句集が紹介されている。 もて余すほどでなけれど日の永し 後藤比奈夫 第15句集。前句集『白寿』のあとがきに最後の句集と記したが、アンコールなら許されるだろうとの集名が楽しい。自由な発想と表現は百歳のエンターティナーの面目躍如である。 手花火を魔法の杖のごとく持つ 黒澤麻生子 25歳で俳句を始めた著者が20年間の作品をまとめた。初学時代の初々しい感覚がそのまま個性となっている。 おなじく毎日新聞の櫂未知子さんによる「俳句月評」は、ふらんす堂刊行の句集二冊である。 抜粋して紹介したい。タイトルは「『原点』を問う二冊」 まずは、金田咲子句集『平面』をとりあげ、かつて若手のホープとして登場されていた著者が30余年ぶりに第2句集を刊行したことについて触れ、「これは、凄い」せっかちな人にはなかなかできることではない。と言い 小学校にいろいろな草小正月 水底に光が届きお元日 暮れ早し山見て食器揃へたる もしかすると、長野県飯田市に生まれ、現在もそこに住みながらこつこつ作句をしているからこそ、できたことなのかもしらない。性急に結果を求めたがる近年の若い人たちには、真似のできない姿勢である。 もう一冊は、阿部菁女句集『素足』。この作家が俳歴50年であるにもかかわらず「ここ15年ほどのもの」に作品をしぼって、ある時期より前の作品をすべて捨てたことに言及し、 実作者はみな自作に愛着を持ち、けなされても評価が低くても、「この作品はなかったことにする」とはなかなか言えないからである。 たたまれれて残り香のなき蛇の衣 繭を組むつもりキャベツを嚼みながら 苗市の真中に磯の荷をほどく 三年か五年に一冊は句集を出し続ける人がいる一方で、こういった静かな出版の仕方もいいものだ。多くつくり、多く捨てるという、俳句の原点を見たような気がする。自分の作品をゆっくりと世に問うよろしさを教えて貰った二冊だった。 こう記す櫂未知子さんも、先日上梓された句集『カムイ』もなんと17年ぶりの句集となったのである。 待ち望まれた句集であった。 今日は珍しいお客さまがいらっしゃった。 ひさしぶりにお目にかかったので多いに話しが弾んだのはいいけれど、写真を撮らせていただくのを忘れてしまった。 お客さまは、宇井十間(うい・とげん)さん。 目下、往復書簡集「相互批評の試み」を編集中であり、今日はその初校ゲラをとりにいらしたのだ。 この往復書簡集は、岸本尚毅と宇井十間との間で交わされたもので、すこし前に総合誌「俳句」に連載されたものをこの度一冊にされる予定なのである。 宇井さんは、哲学を専攻する研究者であり現在はアメリカのカリフォルニアにおられるということだが、定住ではなく、必要によっていろいろと住まいの変更を余儀なくされているらしい。アメリカをあっちこっちと移動されるのだ。 日本にいまは帰られているが、ほどなくアメリカに帰国、こんど戻られるのはお正月になるということ。 アメリカでは研究ひとすじの日々であるが、日本に帰られたときには句会にもいろいろと参加されている様子である。 この往復書簡集「相互批評の試み」は、十月もしくは十一月には刊行させていただく予定である。
by fragie777
| 2017-08-21 20:20
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