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6月1日(木) 衣替え 旧暦5月7日
新緑と運河が美しいデルフトの街。 今日から6月である。 鏡を見てわたしは、(髪を切らねばイカンな……)と思った。 土曜日もしくは日曜日は髪をカットしよう。 総合誌「短歌」6月号に大島史洋著『斎藤茂吉の百首』が紹介されている。紹介者は川本千栄さん。 大島史洋『斎藤茂吉の百首』は、見開きの右ページに茂吉の歌一首、左ページに大島の鑑賞が二百五十字で簡潔に記されている。また巻末の解説に「波乱に満ちた生涯」として、歌集を追う形で茂吉の人生がコンパクトにまとめられている。誠に親切な一巻というべきで、百首という単位も、教科書に載るような超有名歌から、すこし歌集を読み込まないと出会えないような歌までカバーしていて、程よい分量だ。 赤楝蛇(やまかがし)みづをわたれるときのまはものより逃げむさまならなくに …この歌の「ものより逃げむさまならなくに」は茂吉独特の表現である。あわただしく逃げていくようには見えないと表現することによって、水の上をなめらかに伸び伸びと渡ってゆく蛇の姿が目に浮かんでくる… 著者は限られた語数内で歌の背景、歌意、さらに茂吉の描写の味わいをまとめているようため、歌の意味だけでなく、どういうところが優れているかが良く分る。これから茂吉を読んでみようという人に勧める一冊である。 この「短歌」6月号に歌人の伊藤一彦さんと俳人の西村和子さんが対談をされている。タイトルは「31文字の扉ーー詩歌句の未来を考える」。このお二人は、目下ふらんす堂のホームページで毎日更新の「短歌日記」「俳句日記」を連載されている。この連載のお話なども飛び出して興味のつきない対談である。 今日もお客さまがひとりお見えになった。 姥澤愛水(うばさわ・あいみ)さん。 句集のご相談に見えられたのである。 姥澤さんは、俳誌「野の会」(鈴木明主宰)に所属されている。 すでに第1句集『半音階』(富士見書房)より刊行されており、第2句集のご相談である。 第1句集にもご自身の句の英訳を少し入れられたが、今回は全部の句に英訳を付すことを考えておられる姥澤さんである。 訳者は、Ronald Cavaye (ロナルド・カヴァイエ)さん。日本文化に造詣の深い方で歌舞伎座と国立劇場の英語版イヤフォンガイド解説者として活躍されている方。本業はピアニスト。姥澤愛水さんとは、この本業つながりなのかもしれない。 姥澤愛水さんもピアニストである。 「英訳の方は、ロナルドさんにお忙しい仕事が入ってしまったので、もう少し時間がかかりそうです」と姥澤さん。 写真を撮らせてください、と申しあげたら、右側のお顔が前にくるように斜めにお立ちになられた。 ピアニストの方はこの角度で写真をいつも撮られるということ。なぜなら、反対の角度であるとピアノの蓋にぶつかってしまうのであるということ、お話を聴いて、「なあるほど」って担当のPさんと顔を見あわせたのだった。 まずは市庁舎を目指す。 今回の旅行はガイドさんがついてくれるわけではないので、すべて自力で辿り着かなくてはならない。 紙の地図以上にiPhoneのGoogle mapに助けられた旅となった。 市庁舎である。 市庁舎と新教会は向かい合うようにあり、その間で市場が開かれている。 わたしたちはしばらくこの市場をひやかした。 値段をみて驚いた、何もかも破格に安いのである。 向かい側にある新教会の建物。 わたしたちは、あとでこの教会の鐘楼に登ることになる。 高さ108.75メートル、376段ある階段を登ると、デルフトの街が一望できるのである。 まずは市庁舎より旧教会へと足を運ぶことにする。 旧教会は13世紀から15世紀にかけて建てられたもの。ステンドグラスがことさら美しい。内部にはたくさんの墓があり、フェルメールもここで眠っている。 再び運河へ出る。 マロニエの花盛りである。 運河沿いはさまざなな店が並び、賑やかだ。 友人のS君はここ歩きながら、タマネギのたっぷりかかった生鰊のサンドイッチを美味そうに食べていた。 「生鰊」はオランダの名物だ。 旧教会内部。 教会の床はたくさんの人が眠る墓となっている。 わたしたちは墓を踏まずには前にすすめない。 この中からフェルメールの墓をどうして見つけだすのだ。 横文字のパンフレットと首っ引きになって捜す。 「あらこの辺よ。」とウロウロしていたら、 I君が「ここだ!」って見つけた。 「われ参上!」ってふざけたら、I君も同じようにして写真を撮っていた。 この後は、新教会の鐘楼を目指すのみ。 新教会。 367段をひたすら登った。 鐘楼を一周する。 この鐘楼に登ったのかと、再び仰ぎ見たのだった。 デルフトの街での昼飯は、イタリアンピッツアとは。。。。 ふたたび、フェルメールのデルフト眺望。 なおマウリッツハイス美術館で本作を観覧した20世紀フランス文学を代表する作家マルセル・プルーストは、後に「あの絵画を見て、私は世界で最も美しい絵画を見たのだと悟った」と語り、自身の傑作『失われた時を求めて』に重要なモチーフとして登場させている。 とインターネットでこの絵について書かれていたが、なによりもわたしたちの友人でフランス文学者でありプルーストの研究者として目下「失われた時を求めて」の全訳に挑戦している高遠弘美さんの文章をここに引用したい。美しい文章である。 プルーストはかなり若い頃からフェルメールの魅力を発見し、作品にもさまざまに取り込んだ。プルーストを経由してフェルメールの宇宙に目を開かれた人びとは尠くないはずだ。かくいうぼくもそう。プルーストの世界が好きになればなるほど、フェルメールの存在は大きくなっていったし、フェルメールを見たいという願いは強烈になっていった。最初に見たフェルメールは東京。ドレスデン国立絵画展『窓辺で手紙を読む女』。以来、東京で、パリで、ロンドンで、アムステルダムで、もちろんデン・ハーグでフェルメールを見て、そのつどフェルメールを知ったことをわが人生の最大級の喜びと考えたけれど、そうした感慨を決定的にしたのが『デルフト眺望』だった。最初に見たのは、二度目のデン・ハーグ滞在の折(一度目は一時間閉館中だった)。このときはほとんど人のいないマウリッツハイスで、何日もこの絵の前で過ごした。ようやくデン・ハーグを去る決心がついたのは、自分の記憶のなかにこの絵がそっくりはいりこみ、いつでも思いだせるまでになったと思われたときだった。その後、『デルフトの眺望』はいつでもぼくのなかにあった。あったと思った。今度の展覧会で、ぼくは強烈な経験をした。いつでもぼくのなかにあったはずのこの絵が、まったく新しい相貌で瞳に迫ってくる。しかも、ぼくのなかからこの絵の記憶が消えたわけでは決してないので、その記憶と重なり合って、よりいっそう、細部の輝きと光を増して魂の奥底までとどくのだ。三回通った今回の展覧会でも、ぼくは何度この絵の前に立ったろう。離れれば離れるなりに、近づけば近づくほどに、この絵はその一瞬前とは異なった光と艶を放ってやまず、見るものは果てのない時間/無時間の感覚のうちにたゆたう。手前の岸に立つ数人の男女。土の凸凹と色の変化。杭。そして接岸する船。運河の水。水面に映る建物と空と雲。対岸の人物。対岸に繋がれた何艘もの船。船体にはねかえる光の粒子。水面に吹き寄せる風。建物の壁に反射する光の粒。プルーストが「囚われの女」に書きつけた「黄色の小さな壁」。蔭になった壁。窓。桟橋。いくつかの門。鐘楼。旧教会と新教会。光の当たった建物。建物の煙突。重なり合う無数の屋根。光の当たった新教会の鐘楼を吹き抜ける風。画面中央から右手にかけてもくもくとわきあがり、やがては町の上空を覆わんとする白い雲。それよりは上空にわだかまる暗い雲。雲間に見える青空。そして画面のあちらこちらで輝く光。瞬間にして永遠の時を刻む町。 ここには何ひとつ異常なものはなく、しかもすべてがあるわけではない。それにもかかわらず、ぼくらはつぶやくのだ。ここにはすべてが描かれていると。この世界のすべてはあるべくしてあり、あるだけでこれほどに美しいのだと。完璧という言葉が完全なる具現を遂げてここにあるのだと。そのような絵が見るものの生を根本から支える経験にはならないというようなことがありうるだろうか。 (高遠弘美著『乳いろの花の庭から』ふらんす堂刊より、「いつの日がフェルメールを見にどこかの町へ」から抜粋。) これほどの情熱を以てフェルメールを語った人は、わたしの知るところにはいない。
by fragie777
| 2017-06-01 21:41
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Comments(3)
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romitak at 2017-06-03 23:53
山岡様。今ごろのオランダは最高ですね。ご紹介、ありがたうございます。墓もさうですが、町並みもひときは懐かしく拝見しました。感謝してをります。
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fragie777 at 2017-06-04 01:02
高遠さま
デルフトの街はいい街でした。 すこしフェルメールについて読んで行ったのですが、やはりデルフト眺望は魅力ある作品でした。 杉山君と稲川君とわたしで行ったのですが、フェルメールを見るたびに高遠さんのことを思いました。 あらためて文章を拝読して、ふたたび「デルフト眺望」が心にしみてきました。
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romitak at 2017-06-05 17:10
すてきな時間になつたやうで何よりです。私も行きたいとつくづく思ひました。ありがたうございます。
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