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5月28日(日) 旧暦5月3日
今日は、俳誌「河内野(かわちの)」50周年の記念祝賀会に出席するために、大阪へ。 俳誌「河内野」は、昭和42年10月、山下豊水(ほうすい)が八尾市で創刊。師系高濱虚子。虚子の花鳥諷詠を基礎に、品格と伝統を守る。をかかげ、今年で50年を迎えられた俳句結社である。現主宰は、山下美典(みのり)。 ふらんす堂とのご縁は、今年の1月に「河内野」の母体となった「野鶯(やおう)会」の発会80周年を記念して合同句集『野鶯』第4集を刊行させていただいたことによる。 その50周年をお祝いする会が、大阪帝国ホテル・孔雀の間に来賓と会員をあわせて500名以上が集い、盛大に華やかに行われたのだった。 この度は「ホトトギス」主宰、および伝統俳句協会会長のご列席いただきまして、また来賓の諸先生方、ご多忙のところ遠路ご参加いただきまして本当に有り難うございます。「河内野」主宰としましてこの日を一日一日千秋の思いで待っておりました。こうしてたくさんの方々にご参加いただきまして有り難うございます。「河内野」創立50周年、わたしの親爺である山下豊水が皆さまのご支援のもとに創刊致し、平成3年8月にわたし山下美典が4代目主宰を引き受け、今日に至ってまいりました。山下豊水は「和を以て貴しと為す」をモットーに『河内野」を続けて参りました。私と致しましてはこの26年間主宰を引き継いでから、ずっと皆さまに支えられて一人でも多く俳句に親しむ人を育てよう、俳句の心を全うする人を育てよう、このことをモットーに今日まで進んでまいりました。そしてこの50周年というわたしたちにとって記念すべき日がまいりました。今後も引き続きその気持ちで、俳句を志す人をひとりでも多く育てたいと、そのように覚悟をしております。 一語一語、かみしめるようにご挨拶をされた山下美典主宰であった。 その後、日本伝統俳句協会会長かつ「ホトトギス」名誉主宰である稲畑汀子氏のご挨拶があった。 (略) わたしどもは、はっきり元気でいられるうちにまわりで俳句を盛り立てていく若者たちを見守っていかなくてはならない、という大切な義務があると思います。美典さんのお姿を見ていたらその努力を本当に一所懸命してらっしゃるということが感じ取れて、わたしも一所懸命応援しようという気持になっております。 「河内野」50周年、これから俳句を若い人たちにどのように伝えていかれるか、私は楽しみに拝見していきたいと思います。美典さん、しっかり頑張ってください。私も頑張ります。今後の「河内野」に期待を持ってお祝いの言葉と致したいと思います。 最後は、皆で河内音頭を踊りながら会場をめぐる、という楽しい会となった。 創刊号の「河内野」。 題字は、大橋桜玻子。 大橋桜玻子による「河内野発刊を祝して」という文章が寄せられている。 (略)近来八尾の俳壇の熱意は実にすばらしく上昇の機運にある。私の友人の中でも豊水さんは健康に恵まれた人である。ことにその健脚ぶりは羨ましい位である。 願わくば、豊水さんが写生の技を愈々磨かれて俳句作家としてますます優れた域に達せられ、また俳誌河内野が順調に成長して立派な俳誌になることを切に祈ってやまない。 昭和42年8月15日 雨月山房において 山下美典主宰をはじめ「河内野」の皆さま 五十周年おめでとうございます。 心より御祝いを申しあげます。 今日はやはりわたしは時差ボケの影響だろうか、新幹線が新大阪についたこともわからずに寝こけてしまい、駅員さんに、「お客さま、終点の新大阪でございます」と肩を叩かれて飛び起きたという次第であった。 「新大阪」が終点で良かった!! これが、たとえば博多とかだったら、ああ、考えただけでも恐ろしい。 いやいや、考えまい。。 すべては神の摂理のうちにあったということにしよう。 (だいたい、いい歳をした女が寝こけるなんてはしたないではないか。わたしの美学に反する。 ということは、常に反しているのであるが。.. ここからはちょびっとオランダ。 旅の二日目は、フェルメールを見るべく彼の生まれ故郷であるデルフトへ行く。 デルフトは、デルフト焼きという陶器でも有名である。 街角のいたるところにデルフト焼きが顔を出す。 ここは中に入ったがひやかすのみで何も買わなかった。
by fragie777
| 2017-05-28 00:16
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