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5月10日(水) 蚯蚓出(みみずいずる) 旧暦4月15日
わが家のえごの花が咲いていることに気づいた。 きれいでしょう。 わたしは本当にこの花が好き。 花の中で一番っていうくらい好きかもしれないな。。。。。 今日も新刊紹介をしたい。 俳人・長嶺千晶の精選句集である。「現代俳句文庫」の一環として刊行された。 既刊句集『晶』『夏舘』『つめた貝』『白い崖』『雁の雫』の5句集より精選400句のほか、エッセイ3篇(「馬になりたい」「草田男『帰郷二十八句』にみる構成の流れ」「草田男の虫の句に秘められたもの」)と、朝吹英和、三森鉄治による解説を収録。 朝吹英和さんによる解説から一部紹介してみた。タイトルは「感性と思索の交響詩」。 涼しさや香炉ひとつが違ひ棚 もの思ふためのわが椅子去年今年 水飲みて言はざる一語夜の雪 巴里祭客船白き崖を成し 俳句をつくるときに最も注意する点とは何かとの質問に対して千晶は「自分の受けた感動が正確に表現できているか。言葉で飾っていないか、言葉で説明していないか」と答えている。(「俳壇」2001年8月号) 日常生活の中に潜在する「生の本質」を追究するため、衒学的な言葉に依存せずに事実具体をシャープな感性で掬い取り、具体に内包された象徴性や喚起力を十全に発揮せしめる言葉に結晶させる千晶俳句は「感性と思索の交響詩」と呼ぶに相応しい。 (略) 平成24年の8月5日(草田男忌)に季刊同人誌「晶」を俳句作品発表並びに中村草田男研究の場として創刊、作句に集中すると共にライフワークである中村草田男研究に勤しみ、その成果を連載するなど千晶の活躍ぶりは目覚ましい。加えてこの間に両親の看取りという個人的に極めて重く濃密な経験を重ねている。 すでに故人となられてしまった三森鉄治さんは、長嶺千晶さんと同じ歳であったということ。この刊行を楽しみにしておられたが、本書を手にすることが出来なかった。三森さんタイトルは「静かな熱情」。五句集のうちの第1句集『晶』について書かれたところを紹介したい。 なかでも特に注目したのは、それまで未読だった『晶』の清冽な抒情である。 雉歩く頸の虹色さざめかせ 風光る馬上の少女口緊めて 芽吹く薔薇詩は放たれし光なる 春陰や煙草の匂ふ友の辞書 春昼や肉屋は赤き肉摑み 緋のダリア画家は二十歳の暗さ負ひ 夕空が夜明けの如し野分あと 蝦の眼の燐光放つ無月かな 裸木や人に若さといふ堅さ もがくたび空の深さよ懸凧 後書によれば、作者二十代から三十代半ばまでの作品という。前半部の完成度に比べれば、表現技術の面で生硬な部分があるのは否めない。だが、それを補って余りあるこの詩情の透明感、内に秘めた鋭敏な感性に息を呑む思いだった。 (略) 千晶さんが同年生まれと知ったのは数年前のことである。互いにそれと気づかぬまま、同じ時代の空気を吸って生きてきたことになる。おそらく『晶』の諸作に魅かれるのも、作品を通して遠い青春時代の記憶を鮮明に呼び覚まされるからだろう。 だが、それ以上に厚い信頼感を覚える理由は、若年の志を頑なに貫こうとする不屈の精神力にある。千晶さんは、「萬緑」入会後間もなく最初の師であった中村草田男と永訣。生前の草田男とは一度もまみえることがなかったようである。その時の無念を決して忘れず、師の没後三十年あまり経て遂に結実させたのが二〇一三年に出版された評論『今も沖には未来あり』の労作。千晶さんにとってこの仕事は端緒に過ぎず、さらに草田男研究をライフワークとして続ける所存という。実作の面でも、草田男の高い精神性を継承しながら、着実に固有の境地を開拓しつつあるように見受けられる。 千晶さんの強靱な志、その静かな熱情が今後さらに輝きを増すことを願って拙い小論の結びに代えたいと思う。 本集には、第28回評論新人賞を受賞した評論集『今も沖には未来あり』より「草田男『帰郷二十八句』にみる構成の流れ」「草田男の虫の句に秘められたもの」の2篇が収録されている。「草田男の虫の句に秘められたもの」については、斎藤茂吉の短歌が草田男俳句におよぼした影響について触れられており、興味ふかい考察が展開していく。 人は影を鴨は光の水尾を曳き 幼な児に昨日は遠し桐の花七月のひかりを梳きて蘇鉄の葉 吊革の冷たさ疲れてはならず 仔猫抱きどこか乾きし少女たち 蝌蚪に足出た笑ひたき日なりけり 落椿もの思ふ歩となりにけり 頬杖は夢見るかたち風光る 漉き上げて紙となるまで雫せり 文字流るるは秋風を生むごとく 夜気熱めかりがねの声こぼしゆく 担当のPさんがあげた句である。 吊革の冷たさ疲れてはならず わたしも好きな一句である。一瞬の心の思いを詠みとめた句だ。通勤途上のことかしら。へとへとに疲れていても坐ることも許されず、吊革にひしと掴まったところ、そのひんやりとした冷たさが身体をつらぬいた。その一瞬の冷たさに叱責されたがごとく、シャンと心と身体を立て直したのだ。都市生活者の矜持さえ感じさせる一句だと思う。 無花果や血族といふ喪服の群 ある葬列の風景を詠んだ一句だと思う。あるいはご自身も参列されていたのかもしれないが、それはどうでもいいことだ。いわゆる軽みの対極にあり、重さを感じる一句だ。「無花果」も「血族」も「喪服の群」もすべて重い。そして下五の字余りもまた重く効果的である。無花果のもつ生々しさが血族という言葉の生々しさに反響し、その血族が織り成す喪服の群もまた死と生の生々しさを匂わせている。好きな一句だ。 今日はお二人、お客さまがいらっしゃった。 「秋」主宰の佐怒賀正美さんと、「秋」に所属しておられる昆千鶴子さんである。 昆千鶴子さんが、第一句集を上梓されるご予定があり、そのご相談に見えられたのである。 いろいろな句集をご覧になりながら、和紙風の用紙が使われている句集に目をとめられた。 「これ、いいですね。わたしずうっと和紙を使ったちぎり絵をやってましたの。だから和紙のような紙がいいですね」と昆さん。 句集名はもう決められている。 「諷経」 恥ずかしながらyamaokaは、何と読むのか分からなかった。 「ふぎん」と読み、「声をそろえて経文を読むこと」であると広辞苑。 装釘のイメージなどもおありのようで、担当の文己さんにいろいろと語られていた。 仙川は、初めてということで、わたしは桐朋学園の「桐の花」などをはじめ仙川を少しご案内したのだった。 「良いところですねえ」とお二人とも声をそろえておっしゃられたので、yamaokaは「そうでしょう!」って 胸をはって答えたのは言うまでもない。 さて、さて昨日のこのブログで冊子「田中裕明賞」のことで決めたことがあると書いたそのこと。 一挙に書いてしまうのでちょっと荒っぽい言い方をしていたらお許しを。 結論から言うと、「第八回田中裕明賞」の冊子は、「選考経過報告」のみを掲載し、「吟行会」「授賞式」「お祝いの会」は、収録せずに出そうということである。 あるいは、「吟行会」と「授賞式」などは、電子書籍として刊行するときに加えてもいいのではないかと思っている。 なにゆえそういう結論になったかといえば、応募者の方々はなんといってもまず「選考会」にてご自身の句集がどう評価され語られてたかを知りたいはずである。 また「田中裕明賞」において「選考会」が一番大事な部分であるとわたしは思っている。 田中裕明賞を創設するときには、すべてを記録として残すことをその旨とした。 それは、この賞をふらんす堂で創設するように強くすすめてくださった俳人の綾部仁喜先生が、「授賞式やお祝いの会は、批評の場でなくてはならない」と言った言葉が脳裏に焼き付いていたからだ。 それゆえ、「お祝いの会」を単にお祭りにはしたくないということをまず思った。お祝いの会の参加者はただ「良かったね、おめでとう」というのではなく、少なくとも受賞句集について、あるいは受賞を外した句について、あるいは選考に不満があればそのことについても、お祝いの会で語あり会う場となればという思いがあったのだが。。。 これは何回かお祝いの会をやってみて、なかなかむずかしいという思いに達した。 「お祝いの会」と名付けた以上、やはりお祝いすることが第一義なのかもしれない。 それに応募者の方々は自身の句集がどんな風に選考会で語られているかを読むこともできずに「授賞式」や『お祝いの会」に参加して欲しいと言われているわけで、なんとも肝心な部分がわからずに参加しそれがすべて冊子になるというのは、やはり、応募者にとっては釈然としないものがあるのではないだろうか。 そんな風に私たちは反省したのである。 田中裕明賞の冊子を資料としてみれば、「選考会」から「お祝いの会」まで全部収録されていた方が資料としては面白いのかもしれないが、まずは、「選考会」の内容をいちはやく応募してくださった方々に届けること、それからすべてがはじまる。選者の方々が全力で応募句集に向かって下さっていることが分かれば、記念吟行会だって、授賞式だってもっと参加してもらえるかもしれない。「お祝いの会」もそう。 第七回のようにいくらなんでも一年近く刊行が遅れてしまうのは、イカンことである、ということ。気づくのが遅いよねっ。 長くなってしまったが、おおむねのところそういう反省をして、いまpさんが猛烈ないきおいで「選考会」のテープ起こしをしております。 「第八回田中裕明賞」の冊子は、きっと素晴らしいスピードで刊行になる予定です。 乞う、ご期待。
by fragie777
| 2017-05-10 21:11
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