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3月8日(水) 旧暦2月11日
すでに満開の状態だった。 いつもこの場所に咲くのであるが、なんという桜なのか、誰も分からない。 (後日、俳人の奥坂まやさんより、「陽光桜」と教えていただいた。里桜の天城吉野と寒緋桜との交配とのこと) さて、昨日の俳人協会賞の授賞式を紹介したい、とレコーダに取り込んだ受賞者の方々のご挨拶を起こすべくパソコンにデータを移そうとしたところ、な、なんと! データがない。 泣きべそ状態でデータをさがすyamaokaにみかねたスタッフがやってきて、いろいろと見てくれたのであるが、 「どうやら記録されていないようです」と冷ややかに言う。 「そ、そんな!!!」わたしは泣きそうである。 しばらく呆然として、どうしようかと思い、俳人協会発行の「俳句文学館」に掲載されたご挨拶を抜粋いして紹介させていただくことにした。 せつに、お許しを。 両親岡本圭岳・差知子の許で幼い頃より俳句に慣れ親しんで参りましたが、真の俳句が如何なるものか、どう取り組むべきものなのかを、十分に理解せぬまま、随分無駄な時間を費やし、多いに悔やんで参りました。漸く俳句に対する姿勢を改め始め20数年が経ちましたが、その間は迷い悩みつつ、進むべき道を見失わぬよう、懸命に作句し続けて参りました。 そして今、真の俳句の姿を理解し、とるべき道もはっきり定まり、遅まきながら俳人としての自信も少しは身にそなわったように思います。(略) 本賞は私の力で戴いたのではなく、何にも替えがたい俳縁の賜と、有り難く思うばかりです。 俳句を始めた学生の時分、今日まで続けていようとは思ってもいなかったろうし、まして句集を出してなにかしらの俎上に載ることなど現実的なこととして想定していなかったと思う。これまで俳句を続けてこられたのは、ひとえに定例の句会(と懇親会)が僕を飽きさせなかったことが大きい。作句について自由な「河」の気風も、僕の居どころをゆるしてくれたように思う。(略) これからのこととしては、いっそう好き勝手に、思うところを句に詠んでいけたらいい。その中に見るべきものがあれば幸いである。まずは僕を応援して下さった句会の皆さんとこの度の受賞を分かちあいたいと思う。 吉報を頂戴したときは文芸部の活動の最中であった。鍛錬句会の合評を行っていた終盤である。初めは信じられない思いがして我が耳を疑った。まさに晴天の霹靂という他はなかった。その夜、江崎紀和子主宰から喜びの声が届き、徐々に実感が湧いてきた。(略) 坂本(謙二)先生のお導きと、江崎主宰を始め「櫟」の皆様のお力添えの賜物である。「写実を軸とし、日本語を大切に人間を詠う」「師系を尊ぶ」心を継承しながら、今後とも精進に励みたい。 この度のご受賞、おめでとうございました。 こころよりお祝いを申し上げます。 まず、相子智恵さんによる「月曜日の一句」は、 紅梅や死化粧薄き棺を閉づ 石原日月 句集『翔ぶ母』(2017.03 ふらんす堂)より 〈死化粧薄き〉によって、納棺された人は女性だということが想像される。その化粧の薄さの中に、哀しみが静かに表現されている。 納棺の句では〈ある程の菊投げ入れよ棺の中 夏目漱石〉という句が有名だが、漱石の号泣が聞こえてきそうな句に比べて、掲句の〈棺を閉づ〉の哀しみは何と静かなことだろう。 つづきを読む→「月曜日の一句」 そして関悦史さんの「水曜日の一句」は、 流灯の介護ベッドに流れ着く 石原日月 介護ベッドはいうまでもなくまだ存命中の者を世話するために使う。そこに死者の魂を弔うための流灯が流れ着くというのが衝撃的である。 介護している側から見ての句と思われるが、介護の果てには当然死別がある。それは誰にでもわかっているはずなのだが、時間的順序も空間的制約もとびこえて闖入する流灯は、頭では理解しているつもりでも、腹から得心がいっているわけではない現実を、いきなりつきつけてくるのである。 つづきを読む→「水曜日の一句」 今日は珍しいお客さまがいらしてくださった。 2005年にふらんす堂から句集『知足』を上梓された村地八千穂さんである。 村地さんは、大正13年のお生まれであるから今年93歳になられる。 句集を上梓されたのは12年前の81歳のときのこと。 「その頃は81歳はずいぶん年寄りに思われたんですが、いまでは81歳はそれほどの年寄りではありませんね」と明るくおっしゃる。 俳誌「知音」(行方克巳、西村和子代表)でいまも俳句を続けておられるのである。 「『知足』を出して本当に良かったです。あのあとすぐ大病をして手術をしたり、いまでは元気になりましたが」とおっしゃりながら、句集『知足』と一緒に、行方、西村それぞれの代表にいただいたお手紙や序文を、「わたしの大事な宝です」と言って取り出されたのだった。 句集をつくったことがこれほど人を支えるのかと、わたしは目が開かれるような思いがした。 そうして句集を刊行するお手伝いをさせていただいたことを改めて嬉しく思ったのだった。 この『知足』という句集の装丁がとても素敵なのである。 「あなた、忙しいでしょ、だから15分だけお話してそれを伝えたかったの」 「せめてお写真を」と申し上げると、 「いいえ、それはダメ」と言いながら、ご自身のガラ系携帯を取り出して、 「これであなたとの記念写真を」と言って、それは通常天地がひっくり返ってもお断りするのであるが、yamaokaもうどうしたことか、スタッフが撮るガラ系携帯写真に村地さんとツウショットでおさまったのだった。 20数分ほどいらっしゃって、「西村和子先生の「俳句日記」、毎日見てるんです。見るのはふらんす堂さんのホームページのみ」とにっこり。 お一人でいらっしゃってあっという間に帰っていかれたのだった。 恐るべき93歳である。 さよならと踵かへせば花疲 村地八千穂 村地八千穂さま、 10年以上の時を経てふたたびお目にかかれたこと、本当に嬉しかったです。 どうぞ、お元気で俳句をつづけてくださいませ。
by fragie777
| 2017-03-08 19:16
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Comments(4)
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白濱一羊
at 2017-03-09 21:09
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さすがyamaokaさん、期待を裏切りませんね。
久しぶりにお顔を拝見し元気をいただきました。 樹氷三銃士をお忘れなく(^O^)/
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fragie777 at 2017-03-10 08:50
白羊さま
忘れていませんてば。 3人のナイスボーイが仙川にいらっしゃることを待ち望んでいるんですから。。。。 わたしもお目にかかれてとてもうれしく存じました。 はっきんとんこさまによろしく。 (yamaoka)
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白濱一羊
at 2017-03-10 20:36
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fragie777 at 2017-03-11 09:28
一羊さま
いやだあ、もう。 真ん中を省略しちゃいました。 大変失礼をいたしました。 ほんとうにおっちょこちょいで。 鷹羽先生にご挨拶されなかったんですか。 つつしみ深い一羊さんですこと。 わたしなど恥をどこかに置いてきてしまいました。 嗚呼。 (yamaoka)
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