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8月19日(金) 旧暦7月17日
銀行へいくわたしの前をいくお兄さんたち。 二人ともアイスキャンディーを美味しそうに食べていて、うしろのわたしにバナナの香りが漂ってくる。 食べられないわたしは、せめてその香りでもとしばらく後について行く。 今日の暑さはまさにアイスキャンディーがふさわしい。 わたしも食べたかったあ。。。。 新刊紹介をしたい。 著者の伊奈秀典(いな・ひでのり)さんは、昭和17年(1942)横浜生まれ、千葉県市原市在住。昭和41年(1966)俳誌「濱」に入会し、大野林火に師事、昭和47年(1972)「濱」賞受賞、濱同人、大野林火の期待に応えるべく作句に励むも、昭和57年(1982)林火逝去によって、俳句を中断する。その後「百鳥」を経て、平成20年(2008)村上喜代子主宰の「いには」に入会し、同人となる。本句集は、全体を四つに分け、「濱」そのⅠ、そのⅡ、「いには」そのⅠ、そのⅡとして編集してある。 「濱」そのⅠ、そのⅡは、伊奈秀典さんの20代から40代初めまでの作句品が収録してある。「いには」そのⅠ、そのⅡは、平成20年(2008)より現在にいたるまでであるから60代後半から70代半ばにかけての作品ということになる。中断の年月の長さは、師を失った絶望感の深さだったかもしれない。 本句集には、「序にかえて 大野林火選 『濱』雑詠を見る」と題して、林火が著者の俳句によせた文章を収録してある。この一文を読むと、いかに林火が若い伊奈秀典に期待していたかが分かる。また、跋文を村上喜代子主宰が寄せている。この跋文によって、かつて「濱」で「雲の上の人」だった伊奈氏がふたたび俳句を発表するようになったのは、村上主宰の強いお誘いがあったことによるものと分かる。あるいはこうして一句集を上梓されたのも村上喜代子主宰の熱心なおすすめがあったのだと思う。 以下大野林火の文章より抜粋して紹介をしたい。 石の卓潔し青蘆揺れづめに 「濱」昭和43年 作者は甲斐虎童君のいる富士電機千葉工場勤務の青年。俳歴はまだ三年ぐらいか。この句はさきごろの千葉県大会で私をよろこばせた句。青蘆が揺れづめに揺れて、つねにこの石の卓を浄らかにしているのである。すがすがしい感覚的処理と思う。「石の卓」は宿舎湖畔荘のものか。 私は伊奈君がこの句のように柔らかい感性の持主で、その上にその句がつねに具象で詠まれていることに前途をたのしんでいる。観念・思想といえどそれに姿を与えて示すのが俳句である。伊奈君はそのことをいち早く心得てくれたようだ。 聖夜の妻白編む何も欲しがらず 「濱」昭和46年 美しい句である。夫を信じ、家を守り、満ち足りている若妻である。「何も欲しがらず」はクリスマスの贈答であるが、この妻にとってそんなものは欲しくないのだ。何よりも夫の愛に満ち足りているからである。それに元来、日本にはそんな習慣はなかった。戦後、キリストを信ぜぬ日本人はクリスマスを馬鹿騒ぎでしか受け入れなかったが、そんなものが永続きする訳がない。クリスマスの贈答にしても同じことだが、それでも若い伊奈君ともなれば考えは別かも知れぬし、妻に何かを贈ろうと思ったのであろう。そしてその結果の「何も欲しがらず」であろう。 冒頭、私は美しいと書いたが、本当に美しい句だ。「白編む」の白は伊奈君のセーターか。若し、生れくる第一子のものならなおめでたいのだが─。因みにその「白」、この句をいやが上にも清浄に美しくしている。 このほかにも沢山の句に林火はその鑑賞の言葉を寄せている。伊奈秀典さんは、かつて師の林火らとよく吟行もされたらしい。以下「濱」時代の作品より。 何も持たぬ旅あかつきの青葉木菟 ぶだう剪る太陽に眼をさへぎられ 雲割れてひかりの中の麦を踏む 校門に海の日強し卒業歌 氷上に妻置き遠くより見詰む 傍観者たり得ずマスク外しては 炎天に出てけふのことけふ炎やす 深く息して大寒にかしこまる (林火先生御自宅) 花菜道しんじつ妻の妊りよ 闘牛の眼に島の草萌えゐたり 雲白く飛び盆路を昏れしめず 寒星のまんだらに子の生れけり 命名やしづけさ加ふものに雪 退路なし一子得て履く紺の足袋 水着したたらせラジオを携帯す 出棺に合掌汗も出尽くせり (林火先生俳人協会葬) どの句も清らかな美しい抒情があり、大野林火に愛された弟子であったことが分かる。そして若さがもたらす力強いリリシズムがある。この章の終わりにおかれた「汗」の句には、師を失った歎きの深さと茫然自失の状態もうかがわれる。なんということか。 長い年月を経て、ふたたび俳句は再開されることになる。跋文をよせられた村上喜代子主宰は、「いには」時代の伊奈さんの句について触れている。抜粋して紹介したい。 長勤めせしオーバーの裏も紺 ちょうど定年を迎え、初心に還ってまた句作を始めたいと思われていた矢先のことだったのである。幸運であった。爾来、「いには」の第一集同人として作品を欠かさず発表、「いには」を支える強靱な柱として、力を尽くしていただいており、感謝している。 ねぎまかはつくね砂ぎも秋渇き 雫して海鼠一本軽からず 浦祭男ざかりを過ぎて蹤く マヨネーズ逆さに仕舞ふ夜の驟雨 (妻子飲食業を営む。故に毎夜孤食) 狐火を此度は少し追うてみる 白魚飯炊かれて泊ることになり 逃水を追ひそれからの無精髭 医通ひの茅花流しに帰るかな 銀やんまかさつと肩に林火の忌 煙茸何もそこまで踏まずとも 一師一生を貫く伊奈さんの作品の清冽なリリシズムと志は、時に孤高ですらあった。しかしながら、近詠からは齢を豊かに重ねた人の艶とユーモア、ゆとりさえ読み取ることができる。今後の展開に大きな期待がかかる。 伊奈さんは今闘病中である。この句集上梓が力となって一日も早く本復されるよう祈念しながら、御上梓を心からお祝い申し上げたい。 俳句の発表の場を得て、ふたたび俳句に向き合う伊奈秀典さんを、先輩として尊敬しつつ深い理解を以て接する村上喜代子さんである。 林火先生に初めてお会いしたのは二十四歳のときであった。 勤務先の句会に上司より誘われ出席したときである。 爾来、十七年間指導を受けた。 今回、句集『房総』を出すに当って「序にかえて」にその指導の一端を載せた。 その師、林火は昭和五十七年、この世を去った。そのことにより俳句への意欲を失い中断した。 その後、定年を機に初心にかえり復帰。 現在、がん治療に専念しながら残る歳月を俳句と歩んでいる。 「あとがき」を紹介。 簡潔ななかに師を失ったことによる孤絶感がにじんでいる。が、俳句とともにある歳月をふたたび得たことが、著者を救っている。 本句集の装幀は君嶋真理子さん。 タイトルの「房総」は、著者が住む房総半島の房総である。市原市は房総半島の内房になる。 カバーの用紙は横に荒く目がはしっているものを使う。 母郷なり夕日を流す盆の川 ふるさとには決まって川が流れている。「夕日を流す盆の川」という中7下5によって圧倒的な詩情が心を支配する。夕日とはいま目の前の夕日でもあり、かつて子どもの頃に浴びた夕日でもある。また、死者の魂をのせて流れる川に降りそそぐ夕日でもある。ノスタルジーに打ちのめされそうだ。 伊奈秀典さま、ご闘病中とうかがっております。 俳句とともにある日々が一日でも長くありますよう、ご快癒をお祈りしております。 さて、今日も啄木の一首を紹介しよう。 (するつもりはなかったのに、再版のためにパラパラと中をめくっていたら、いまの気分にバッチシのがあったの。 小池光著『石川啄木の百首』の『一握の砂』より。 こころよき疲れなるかな 息もつかず 仕事をしたる後(のち)のこの疲れ ほんと、こんな感じ。 働き蟻のyamaokaである。 小池光さんの解説によると、「息もつかず」に精彩がある。ですって。 なあるほど。。。。
by fragie777
| 2016-08-19 20:09
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