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6月15日(水) 梅子黄(うめのみきばむ) 旧暦5月11日
みな同じようなリュックを背負い、かわいいマスコットをぶら下げている。 彼女たちの未来に祝福あれ! とこころの中で言って、わたしは彼女たちを追い越したのだった。 わたしはかなりのおっちょこちょいであるが、スタッフのPさんもわたしにまさるとも劣らずである。 というのは、今日は夕方よりひとつ会が入っていることになっていた。 Pさんが出席する予定だ。 Pさんは仕事を手早く済ませ、間に合うようにと出かけていった。 一時間後、Pさんより電話が入った。 「日にちを間違えてました!」 会場に誰もいなかったらしい。 案内状を今日はコピーしたりしていたのにわたしもとんと、気づかなかった。 よくよく見ればその会は来週なのであった。 「ご苦労さま」とわたしは電話を切ったのであった。 ふらんす堂は、わたしとPさんがおおいなる粗忽者で、緑さんと文己さんは粗忽者でない。 粗忽者でないふたりがいて、どうにか正常さを保っている。 新刊詩集を紹介したい。 著者の八潮れん(やしお・れん)さんは、長野県長野市生まれ、横浜市在住の詩人である。すでに既刊詩集を三冊もつ。アルチュール・ランボオの詩に触れて詩に目覚め、詩作をはじめるようになったと伺っている。2011年アンスティテュ・フランセ東京主催フランス詩翻訳コンクールで優勝の経験を持つ。ここ数年日本とフランスで朗読パフォーマンスを続けているという詩人である。本詩集は、これまでの詩集に収録された作品と新しい作品を収録し、それのフランス語訳を対訳として収録したものである。 訳者は、オルファ・ベルーマさん。パリ生まれ、パリ育ち、パリ第3大学文学部映画技術専攻修士課程修了。2010年より東京在住。慶應義塾大学で日本映画を研究する。日本語のほかアラビア語、英語、スペイン語にも堪能で語学、文学、美術、スポーツ、文化交流等々多方面で活躍中。2015年NHK「テレビでフランス語」に出演。本書の装画も手がけている。 模造スキンの手帳が残されて ささやかな記憶 模造クィーン苦しめられて 理解とは異なる微かな出会い わたしは勝手でボケているが土壇場の眺めに気づくこともある なぜ対訳詩集? これも実験だ。 帯のことばである。 フランスの文化、とくに言語、文学、芸術を愛する私は二〇一〇年春、語学が堪能で美術︑文学などに造詣の深いフランス人女性オルファ・ベルーマと偶然東京で出会い、自作を一緒に仏訳するという素晴らしい機会を得ました。二〇一一年にアンスティテュ・フランセ東京でフランスの著名な現代詩人クリスティアン・プリジャンの小品を翻訳して小さな賞をいただく栄誉を得たものの、専門家でもない私が自作の仏訳をすることにどんな意義があるのか不安もありましたが、彼女はにこにこして、いとも簡単に「できる、やりましょう」と言ってくれたのです。私はうれしくてもう夢中になりました。初めて自作の一行がフランス語になった時の熱狂は今でも忘れられません。翻訳を得た自信は日本やフランスで詩的パフォーマンスを行うという行動力を私に与えてくれました。オルファが世界を広げてくれたと言えます。彼女との出会いは絶大でした。オルファ、本当にありがとう。 八潮れんさんの「あとがき」の言葉を一部抜粋して紹介した。 芸術の醍醐味は私にとってその作品の完璧さだけではなく、それが伝える意味にあります。たとえばデュシャンの「泉」のように、物の容器を用いた巧みで意味深い表現は、その作家の手法と私たちの知性や感性をもってすれば、美しい花束としての価値をも帯びてきます。私にはその非常に大きな転換の力として常に詩が必要でした、その困難を書き、追い払い、それを尊ぶ作品を生み出すために。私は文章を書くことから詩作へと移っていきます。それはもう単なる好みの問題ではなく、意外で不思議ではあるけれど必然的な変化だったのです。私は八潮れんともそのような不思議な力によって出会いました。彼女はまるでついに現れたというようにそこにいて、初対面でありながらすでに知り合っていたのです。人は理解できないもの、美しいものを示すとき奇跡という言葉をよく使いますが、詩、我が友八潮れん、特別にまったく思いがけなく起きる未来のシナリオ、これらはまさに私にとって奇跡と呼べることなのです。 オルファ・ベルーマさんの「あとがき」の抜粋である。 このようにお二人の詩人の熱い思いによって本詩集『時砂』の刊行は実現されたのだった。 ともかく詩の作品を紹介したい。 フランス語訳のほうは興味ある方やフランス語がわかる方は是非に読んでいただきたいと思う。できたら声に出して。 ウーサ 見失うというべきか 立ち戻るというべきか めぐり流れる逸する常軌 Eメールからしたたる体液は判じ絵と思え ここに対話はあるのか わたしたちの身ぶりのせめぎ合い 望むものはよりどりみどり なぜか違うものを手にしているような 汗をかいた手足からうそつきの衝動が生まれ 清らかでよこしまなものを一瞬犯す 赤裸の笑い まだ目の前の光しか見えない だがどうしても子供の形状はとてもさみしく なにかを思い出そうと両の手を宙にとどめている * 人は体を売る生き物で わたしは不可解でみだらです 成長と破壊はおなじで 過度の性愛に浸らないではいられない わたしたちがキスするなんてありえないでしょ 語はおどろいて 離れる 健康そうで 落ち着いたものを誇る気はなく わたしたちの仕事とは ホルモンをつくること 近づきたいのなら刺してみればいい この小さな世は男君ばかりでいやになってしまう 善人の妻になって静かに暮らし つぎに口にするものは 下品な冗談のつうじるもの ハンサムな観念と秘密をわかちあい なんてしあわせな着床 最悪のことをやりかねない もっとも敏感なところをまさぐられ しっかりつかまれる ひっとの手を嚙んでやった つぎにどうすればいい? けだものからの しかるべき返答はまだない だが遊ばれたものから強烈ニュアンスはむきでる 本音とはそのときどきの情でしょ? だらしなく ワルで好色な 体に合ったものだけを着る あいして あいして あいして あいしてと セミとツグミがないているので ほしい ほしい ほしい ほしいとおうじ その発話レベルでいいのか にしても ふかくふかく友だちになりたい なりたい セミとツグミのまっさかさま 原本ではなんとなくのか? わからない 何一つまともにできない ベッドのなかではたしかに恋していた はまりすぎる 噓をついてなにがわるい 真実にこだわるな いい子にしてなきゃ捨てられる 巨大なおもちゃものがたり わたしはあなたのまえならはずかしくない ひとは消耗品であるから ひるまなくてもいいとか 経験と体験はちがいすぎて いつでもどちらかが深くせつない *ウーサ アリストテレスの用語「ウーシア」(実体とと訳される)の 由来となっている語。「在る」の意。 Ous(I)a Doit-on dire perdre ? Doit-on dire retrouver ? Circulant dans un écoulement, laissée échappée, lʼextravagance Prend les sécrétions gouttant des e-mails pour des énigmes peintes Yʼaurait-il un dialogue ici ? Attaques mutuelles de nos gestes Des désirs à revendre Mais étrangement jʼobtiens dʼautres choses Des membres suintant un mensonge impulsif est né Chose pure et perverse violée en un instant le rire de la nudité Ne voir encore que la lumière en face de soi Mais quoi quʼil arrive la forme de lʼenfant est très triste Garder les deux mains dans lʼespace pour se souvenir * Les gens, en êtres vivants, vendent leur corps et Je suis énigmatique et impudique Croissance et destruction équivalentes Addiction à la baignade dans lʼexcès dʼamour charnel Nʼest-il pas impensable que nous nous embrassions ? Le langage surpris sʼécarte Je ne veux pas être fier des choses calmes et en bonne forme Cʼest là notre travail, créer des hormones Essaye le poignard si tu veux te rapprocher Ce petit monde, juste par ces messires est devenu complètement pourri Femme de bonnes gens vivant paisiblement Ce qui vient à la bouche ensuite est une blague basse qui nous fait sens Partager un secret avec une séduisante idée Quelle implantation ovulaire heureuse ! Jʼen arrive à oser la pire des choses Tâtonner dans le plus sensible des endroits saisir fermement Jʼai bien mordu dans la main du monde monde Que faudrait-il faire ensuite ? De lʼimbécile Toujours aucune réponse convenable Mais de lʼobjet du jeu se découvre une nuance intense Les intentions véritables ne sont-elles pas les sentiments de ces moments ? Mauvaise fille, érotique et négligée, porte seulement ce qui à son corps va Aime-moi aime-moi aime-moi aime-moi Font les cigales et les merles, et donc Je te veux je te veux je te veux je te veux en réponse Mais est-ce bon comme niveau de conversation ? tout de même Profondément profondément amie je veux devenir Cigales et merles à la renverse Quel cri font-ils donc dans le texte originel ? Je ne comprends pas je ne peux rien faire normalement Amoureux dans le lit certainement Trop bien emboîtés pourquoi ne pas mentir ? Ne pas sʼattacher à la vérité Si je ne suis pas sage je serai jetée Le récit dʼun jouet gigantesque Devant toi je nʼaurais pas honte On dit que le monde plein de ses fournitures nʼa pas besoin de reculer Lʼexpérience corporelle ou sensitive est si différente Que lʼune ou lʼautre nous languit toujours profondément 八潮れんさんの詩は、ランボオに通じる現実をあざ笑うような挑発性があって面白い。ことばの勢いもいい。 もう一篇だけ、短い詩を紹介したい。 旅に耐える 人間の頭ほどにせまい池を 内側から抱え込んで でく の坊 ふるえている ワセ リン 洋菓子の色と匂い わたしは駄作 陰毛に赤い ツルボラン そのまま交接 しつづける 想像しつづけ る 体内のダイオキシンと PCB 自意識を干す と いっても 空は快晴か 感 傷の少年と外傷の少女 生 殖に奉仕しないゾウリムシ 行こう どこへ行こう 獲 物は捕食者に 会いたいが ため 愛してくれなくても いい 愛しているからとい たぶりあう わずか二︑三秒のリアル…… Supporter le voyage Petit étang étroit comme la tête dʼun homme Quʼenlace de lʼintérieur lʼinutile tremblotant Vaseline couleur et odeur des bonbons occiden Taux et moi oeuvre sans valeur asphodèle Rouge aux poils du pubis de cette manière co It continu imagination continue PCB et diox Ine de lʼintérieur du corps faire sécher la con Fiance en soi et malgré ça il fait beau temps ? garçon sentimental et fille à traumas para Mécie ne servant à la reproduction on y va Mais où ? car la proie veut rencontrer le préda Teur tu peux ne pas mʼaimer, prédateur puis Que tʼaimer me blesse à peine 2,3 secondes de réalité... 本詩集の装画はオルファ・ベルーマさんによる。彼女はパリの美術学校でコンピュータグラフィックも学んでいる。その装画をもとに和兎さんがブックデザインをした。 カバーの用紙も地模様のあるもの。 帯と同じ用紙。 ピンクが差し色となった美しい詩集が出来上がった。 今週末には、詩集『時砂』刊行を記念してイベントが開かれる予定である。 わたしも伺うつもり。 この詩集の製作過程で八潮さんからこのようなメールをいただいていた。 「Kikoeru?」という日仏のアーティストを紹介しているフランスのサイトに私のインタビューが載りました。日本語の訳もあります。(私が訳した 笑) よかったらごらんください。 興味のある方は是非に! 今日の讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、 高野公彦歌集『無縫の海』より。 いくたびも鴉に生まれ夜明けごろ鴉ら集ひ甘く鳴き合ふ 高野公彦 何の報いか、鴉から鴉に生まれ変わる、それも幾度も。その鴉たちが夜の明けやらぬうちから鳴き騒いでいる。何と甘やかな声で。輪廻(りんね)の海を漂いながら永遠に鴉でありつづける者たちの、それはそれで甘美な世界。歌集『無縫の海』から。 わたしは鴉の悪口を言って、鴉に糞をかけられたことがある。 それからは決して鴉の悪口は言わないことにしている。
by fragie777
| 2016-06-15 19:15
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