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5月22日(日) 旧暦4月16日
昨日歩いた谷保では卯の花がきれいだった。 昨日の朝のテレビ「佐和子の朝」というタイトルだっただろうか、阿川佐和子さんのインタビュー番組であるが、そこに建築家隈研吾氏が出ていた。 いまはオリンピックの新国立競技場を任された建築家として話題の人である。 その彼が興味ふかいことを言っていた。 建築することにおいて、(だったか)デザインすることにおいてだったか、ちょっと忘れたが、 「大切なことは何ですか?」という阿川さんの質問に、 「物質です」と答えたことだ。 形ではなく、物なのだという。 形というのは、見える範囲のことを言うが、物というのは触ることができ、感じることができるものだ。 わたしは隈さんの話を聞きながら, あらまっ、わたしとおんなじ!! と思ったのだった。不遜でしょ。でもそう思った。。。。 というのは本作りのことである。 本の形はインターネット上でも確認できる。 どんな絵がほどこされているか、どんな色合いか、などなど。 しかし、物質そのものはインターネット上では決して確認することはできないのだ。 その本がどのくらいの重さをもつものか、どんな風合いの用紙を使っているか、どんな匂いがするか、造本はどうなっているのか、などなど物質がもつあらゆる情報は、そのものを手にした時でなくてはわからないである。 たとえばふらんす堂の本にはグラシンという薄紙が巻かれているものがあるが、こればネット上ではひどくぼけたものとして掲載されるが、この風合いは実際手にとってみないとわからない。 「形」ではなく「物」である、という隈研吾さんの言葉は、ふらんす堂が目指そうとしている本づくりを後押ししてくれるような思いがしてわたしはおもわずテレビを見ながら、 うん、そうだよ!! と叫んでしまい、猫たちを驚かせたのだった。 隈さんは言う。 日本の職人さんの技術がいかに優れているか、海外経験を通して改めて知ったと。 しかし、その日本の伝統的な技術が継承されるかどうかが、いまちょうどその端境期にあると。つまり職人さんを育てその技術を継承させていけるかどうか、今まさに問われるところに来ていると。 わたしも本作りをしていてそう思う。 日本の製本技術もすばらしいものがある。 しかし、いまや安価な本作りへとながれ、多くの製本屋さんは廃業し、昨日まで出来たものが、今日は出来ない、そんなことをこれまで何度も体験してきた。 製函屋さんが減り、箔押し屋さんが減り、中継ぎ表紙の職人さんがいなくなり、頭をかかえることもある。 ふらんす堂は職人さんの手による本作りをしていきたいと思っている。 それには、技術を持った職人さんを大事にしながらともに本作りをしていきたいと思っている。 先週、スタッフのPさんが製本屋さんを訪ねた。 嬉しいことにそこには若い職人さんが、いて溌剌を働いていたということ。 「ふらんす堂さんの本は機械ではできないので、特別にやっているんですよ」ということ。 本作りが大好きだという若い女性の職人さんが手がけてくれているということだ。 その製本屋さんは老舗で、大手の出版社の本をたくさんでかけているところであるが、「ふらんす堂さんの本は特別」と思って造って貰っているということ。それを知った。 こちらの本作りへの思いが職人さんに伝わっているということ、そのことが嬉しいである。 著者にとっては特別の一冊が、版元にとっても製本屋さんにとっても印刷屋さんにとっても特別な一冊である。 そう思って本作りをしていきたいのである。 書くほどに虚子茫洋と明易し 深見けん二 昨年冬号を以て季刊俳誌「花鳥来」(深見けん二主宰)が創刊百号を迎えられた。その記念として会員全員の作品各三十句(故人各十五句)をまとめ上梓された『花鳥来合同句集』は、主宰を始め句歴の長短を問わず全員の三十句作品と小文が掲載されており、主宰を含め選においては皆平等な互選句会で鍛錬するというこの結社ならではの私家版句集となっている。掲出句はこれを機会に読み返してみた句集『菫濃く』(2013)から引いた。作者を含め、虚子の直弟子と呼べる俳人は当然のことながら少なくなる一方であり筆者の母千鶴子も数少ない一人かと思うが、その人々に共通するのは、高濱虚子を「虚子先生」と呼ぶことだ。実際に知っているからこそ直に人間虚子にふれたからこそ、遠い日々を思い起しながら「虚子先生」について書いていると、そこには一言では説明のできない、理屈ではない何かが浮かんでは消えるのだろう。茫洋、の一語は、広く大きな虚子を思う作者の心情を表し〈明易や花鳥諷詠南阿弥陀〉(高濱虚子)の句も浮かんでくる。 そして今日の「増殖する歳時記」は、小笠原高志さんによって田中裕明句集『夜の客人』より。 真清水や薄給の人偉かりし 田中裕明 目の前の真清水に見入っています。濁りなく、たゆむことなく、少しずつこんこんと透明な清水が湧きあがっている。そこに、地球のささやかな鼓動を見ているのかもしれません。この時、かつて、薄給を生きていた人を思い出しました。それは、父であり、父の時代の人たちです。給料が銀行振込になった1980年代以降も、給料が高い低いという言い方は変わっていませんが(例えば高給取りとか、高給優遇とか、低所得者とか、低賃金など)、一方で、給料袋を手渡されることがなくなったので、その薄さを形容する薄給という言葉は無くなりました。ところで、薄給という言葉には、清貧の思想が重なります。あぶく銭で儲けるのではなく、自分の持ち場を離れず誠実に役割を果たす。しかし、小さな成果だから、労働対価は微々たるもの。けれども、誠実な仕事人は、少ない給料を知恵を使ってやりくりして、無駄のない質素な生活を営みます。ゴミを出さず、部屋の中もすっきり整頓されて、ぜい肉もない。薄給を手にしていた人たちは、それが薄くて軽いぶん、むしろ、手を自由に使えました。針仕事をしたり、日曜大工をしたり、手料理を作ったり。今、真清水を目の前にして、生きものは、清らかな水があれば何とかなる、作者は、そんな思いを持った。『夜の客人』(2005)所収。 今日は夕方から、詩人の手塚敦史さんと岸田将幸さん、そして思潮社の編集者の出本(いずもと)さんが仙川にいらっしゃった。 手塚さんが上京されたので、手塚さんを囲む一夕をと思いお誘いしたのだった。 岸田さんと手塚さんが会うのはなんと6年ぶりであるという。 夜行バスで京都まで帰られる手塚さんだが、話に夢中になりぎりぎりの時間に慌てて立つことになってしまった。 (手塚さんが食べる予定だったにゅうめん、わたしがいただきました。また、太ってしまう、、、) 3人はほぼ同世代である。 さきほど夜行バスの手塚さんから「本当に楽しかった!」というメールをもらったところである。 わたしも久しぶりに手塚さんだけでなく岸田さんや出本さんのお話をうかがえて楽しい時間を持つことができたのだった。
by fragie777
| 2016-05-22 23:53
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