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5月18日(水) 旧暦4月12日
今日は久しぶりに仕事場であるいて出社。 薔薇はもう散ってしまったのだろうか。。 仕事場の途上には薔薇を咲かせている家が多い。 今日はスタッフのPさんは、製本屋さんに製本見学に行って不在である。 さきほど戻ってきたのだが、いろいろと学ぶことが多かったようだ。 新刊紹介をしたい。 塩嵜緑詩集『そらのは』 塩嵜緑(しおざき・みどり)さんの第2詩集となる。 2014年にふらんす堂から第1詩集『魚がきている』を上梓されている。 大阪市生まれの奈良市在住の詩人である。詩誌「アリゼ」同人。 まず一篇、最後におかれた詩を紹介したい。 はじまりの 執務室にひびかう ホチキスのかすかな音や 書類の頁を繰る音 受話器ごしに説明する声 ありふれた日常の 聞き慣れた音が 遠巻きに雑音になると 私は意識の坂を ゆるやかに下りゆき 公園史のエポックに佇つ 廃寺は伽藍の大きな影を 冬の日差しにまとい 参道を走り去る 若い僧侶の 法衣の裾がひるがえる 明治六年 太政官布官達(だじょうかんふたつ)は公園の制定を掲げ パークの和訳を はじめてここに記した 旧興福寺の境内地をはじまりとして 山野を入れ 東大寺を入れ ふたたび 寺院をはずし 公園地の区域は 変遷を繰り返してきた 何枚もの敷地図面に 草地の色が かたちを変えるのを 大和を被っては過ぎてゆく 大きな雲の影のようだと思いながら 私は わたしを はじまりの地におく 本詩集には、詩人の以倉紘平氏が帯文を寄せておられる。 詩集の日本語が、こんなに安らかで。いのちのつゆに満ちて、美しいのはなぜだろう。言葉が、おおちちの、そのまた先の暗がりの、大和の神々のこころを映しているからだろうか。 私は わたしを はじまりの地におく すべてはここから始まっているのだ。 この帯文が詩集のすべてを語っているように思える。 著者は奈良をテーマにした作品が多い。 桃 核 二〇一〇年九月、奈良県桜井市教育委員会は、 纒向遺跡の大型建物跡、約五メートル南で、 三世紀中ごろの土坑を発見。全国最多となる 二千個以上のモモの種が出土したと発表した。 遠すぎる時間にならぶ 係累をはげしく遡り だれかれの 声をたずねてくだる おおちちの おおははの その先の ずうっとさきの 行き着いたくらがりに 懐かしい名を呼べば 呼び交わしていた日々の 声が応えくる イザナミ と 言葉を発した瞬間に 陽の降り注ぐ部屋に 戻されてしまう 桃の実は どこにも落ちていない もう一篇、紹介したい。 東塔跡 さくら咲く日は 心がしずまらなくて 黒い肥沃な土壌に 散りひろがる薄桃色 いっときのせかいを 私のなかに呼び出(いだ)す 桜守たちが 育ててきた林は 日向に影をつくり 土地の履歴を隠してしずもる 火の中に消えてしまった 中世の 塔の記憶を 私は持たない 重源上人が夢みた七重(ななえ)の塔 石組みの基壇を覆う 土 草生 そして 気がとおくなるほどの日と夜 桜樹の林に 風がきて 木々たちは夥しいはなびらを手放すだろう 風の行方は さくらが おしえてくれる 本詩集の装釘は和兎さん。前詩集に引き続いてである。 前回は白を中心としたシンプルな装釘であったが、今回は華やかなものというのが塩嵜緑さんのご希望だった。 古典的な図案であるそうだが、どこかエキゾチックである。 奈良という時空が包括しているものと響き合っていいる。 もうひとつ短い詩を紹介する。 倭(やまと) 鐘の音がきこえる 陽も 月も 炎も 水も 神も 人も 鬼も すべては ここでおこること わたしも奈良はなんども遊びに行ったところである。 何回行ってもまた行きたいと思うところだ。 不思議な磁場がある。
by fragie777
| 2016-05-18 19:34
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