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4月21日(木)葭始生(あしはじめてしょうず) 旧暦3月15日
ここでなんどか地面に生えた竹の子につまづいてしまったのだった。 竹の子ご飯を炊いて冷凍庫に保存してある。 その上でまた竹の子を買ってしまった。 そしてまた竹の子ご飯を炊いた。 わが家の冷凍庫は竹の子ご飯でいっぱいである。 わたしは、出汁と竹の子だけで炊くのがもっとも好きである。 今日校了のためのゲラを読んでいて、「しなざかる」という言葉が「越し(新潟)」にかかる枕詞であることを知った。 そのゲラは高野公彦氏の「短歌日記」のゲラである。 5月半ばまでには刊行の予定だ。 新刊紹介をしたい。 念願のドイツ装が実現できた詩集である。 B6判ドイツ装。128ページ。 著者の手塚敦史さんの第5詩集となる。 本詩集は造本はドイツ装。装釘は著者自らによるものである。 手にとった最初の手触りや色そして風合いすべて詩人の感性に導かれるままにわたしたちはこの書物の世界にはいっていくことになる。 すべてが手塚敦史という詩人がこうあってほしいというところに置かれたものであり、言葉はその自らの光を帯びて語り出していく。 二篇の詩を紹介したい。 ひかりは、カスタネット 思いだす人々がいる それは埃が積もっており、使うのに一瞬 ためらいがある 物と似て、どこか時間の彼方の 生暖かい風を運んで来る 静電気は眠り、気配は失せ、合図は伝わらず 痺れを切らし いたるところに窓の音寄せ 思いだす人々は、しろい毛玉を被る 粉とみわけがつかない 境界面への いりぐちでぐち 端には、蜘蛛の巣や虫の死骸の 薄さや軽さ含み 射すもののあらわな、はざまへと、 葬られてゆく それは 塵を払えば舞い─ 指には、付着しだす ナンテンの赤い実 どっちが好きだろうか 手袋の指があるものとないもの ナンテンのあかい実はゆきの降りしきる町の灯のひとつ 日付を書き込みながら手を休めていた 「うれしいね、ぱっとあかるくなると。」 あなたの顔のあたりについた、まっしろなこの一粒 指がないのに、いつでも指を覆うことができる あたたかそうな手袋を手にとる ナンテンのあかい実から 贈り物 詩集名は「1981」。 何を意味する数字だろうか。 わたしはこの意味のようなものをあるいは聞いていたかもしれない。 しかし、この一冊にそれが記されていない以上、口をつぐんでいたほうがいいだろう。 今回の詩集もまたその文字の大きさから書体、本文のレイアウトまで詩人の美意識によって貫かれている。 巻末に参考文献が記されているが、それもまた詩の作品と響き合い彼の詩の世界を構築しているものの一つとなっている。 最後におかれた「あとに」より。 あとに あることの悲しみのため、小さな字で書き込んでおいたわたしとは、誰か誰でもないものを指す一人称なのかもしれない。小さな字で書き込んでおいたあなたとは、誰でもない誰かを指す二人称なのかもしれない。何を指す訳でもなく、わたしは単数。あなたも単数。ナズナとナズナ。近づけて行く耳たぶで、鳴らした。 三月二四日 この「あとに」に書かれたものもまた読み手の心をやさしくふるわせ、余韻の波が押し寄せてくる。 ことばが美しいのだ。 このドイツ装という造本についてすこし紹介したい。 ふらんす堂にとってこのドイツ装の造本ははじめてのものとなった。 もう10年以上前になるだろうか、わたしは一冊の本を本屋さんで手にした。 それは極めて美しい書物だった。 その造本はこれまで見たことがないもの。 その一冊とは辻邦生全集の一冊。新潮社刊。 こんな造本の書物をつくってみたい。。。 さっそく製本屋さんにこの書物を送り、製本が可能かどうかを尋ねた。 「ウチでは無理ですね」とにあっさり断られた。 それから何件もの製本屋さんに当たってみたが、首を横に振るばかり。 そうしてやっと「できますよ」という製本屋さんを見出したのだった。 手塚敦史さんの詩集でそのドイツ装を実現できたのは何よりも嬉しい。 詩人もまたこの造本を心より望むものの一人だった。 背と平(ひら)とがこのようになっている。 背はクロスを用い、ピンクの箔押し。 このピンクのラベルの写真は著者によるもの。 背のピンクの箔と同じ色だ。 花布はブルー。 この写真も著者によるものである。 美しく開かれたページ。 もう一篇、詩を紹介したい。 シュウカイドウの花の中へ ふたたび長く透きとおったシュウカイドウの花に制止され なにも喋ることができなくなった からだを俯かせている木々のかげに目を遣り、はてなく透きとおった あかい光に染められてゆく 歩行が必要とした対流が向こう側までのび始め、傘をさす どうしても隣にたずねます シュウカイドウは秋海棠と書く。 そしてまたの名を断腸花とも。 永井荷風は、自宅の庭にこの秋海棠を植えて、断腸亭主人と名のった。 今日の高野公彦氏の「短歌日記」にそう記されていた。 この詩をよんで、永井荷風の雨にけぶる秋海棠の庭が一瞬見えた。 お客さまがおひとりみえた。 俳人のたなか游さん。 句稿をもってのご来社となった。 たかな游さんは、現在俳誌「運河」(茨木和生主宰)と「街」(今井聖主宰)に所属しておられる。 今度の句集は第2句集となる。 俳句歴は長く、俳句は加藤楸邨に指導の下によって始められた。 「楸邨先生はいかがでした。厳しかったですか」と伺うと、 「とても厳しいところがありました。でも、句会のときにわたしの句もとってくださり、句会が終わったときにいい句をみせてくれて有難う、なんて声をかけてくださったんですよ」と嬉しそうにお話されるたなか游さん。 「句集をつくるときは、けっして後悔しないような本をつくりなさい」とは加藤楸邨に言われた言葉であるということ。 従ってこの度の句集も納得できる美しいものにしたい、というのが強いご希望である。
by fragie777
| 2016-04-21 20:26
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