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3月31日(木) 旧暦2月23日
今朝の仙川駅前の桜。 ここに来て一挙に花開いた。 昼前に通りかかったらたくさんのひとが桜の下にいて、桜を眺めたり写真を撮ったり人を待ったり、あるいはぼんやりしていた。 少し前のことであるが、デジカメを囲炉裏のなかに落としてしまった。 灰だらけになったカメラをパッパッって灰をはらってフウーって息をかけてそのまま使っていたのだが、昨日突然動かなくなってしまったのだ。レンズが飛び出したままもとにもどらない。 修理に出さなくてはならないだろう。 古いデジカメを取り出して撮ってみたが、どうもぼける。 で、iPhoneで撮影したのがこの桜。 サイズを間違えてしまったので、ちょっと大きいのだが、アシカラズ。。。 新刊紹介をしたい。 今の季節にふさわしい一書が刊行された。 四六判ハードカバー装 260ページ。 著者の植田桂子(うえだ・けいこ)さんは、昭和11年(1936)高松市生れ、高松市在住。昭和54年(1979)に俳誌「燕巣」を経て、昭和56年(1961)「馬酔木」入会、平成11年(1999)「馬酔木」同人、平成17年(2005)「花鶏」入会、同人。本句集は昭和56年(1981)より平成25年(2013)以降までのおよそ32年余の作品を収録されている。馬酔木主宰の德田千鶴子さんが序文を、花鶏主宰の野中亮介さんが帯文と跋文を寄せておられる。 植田桂子さんは高松出身の高松市在住、「あとがき」に、私の生まれ育った高松は、おだやかな瀬戸内海に面しており、島々が箱庭のように美しく、源平合戦ゆかりの屋島も、三大水城の一つの玉藻城も自宅から一望出来ます。とある。明るい日差しとたおやかな青い海、そして歴史ある風土、すばらしい環境だ。四国ってまだ行ったことがない、実は。食べ物も豊かそうである。 德田千鶴子さんは序文で、著者との関わりについて触れながらその俳句の美質を簡潔に語ってみせる。タイトルは「俳句の結ぶ絆」。 トランポリンわれもわれもとつくしんぼ 夢二絵の黒猫よぎるげんげ畑 打たるるごと裂くる石榴や一揆村 星粒をはじき出したる鬼やらひ 鞦韆や天守と海とまた天守 どの句にもリズムと発想の妙があり、景が目に浮かぶ。 また次の句の写生と抒情にも惹かれた。 てのひらに温めて飾る陶雛 姫木偶の伏目がちなり鳥の恋 俳句を始められた切っかけは、父上の伊澤健存氏の勧めであったのは、言うまでもないが、本格的に勉強されたのは、三十五年間の教師生活を退かれてから。 生来、精力的に物事に取り組まれる桂子さんは、この二十余年で地歩を固めてこられた。 現在は五年前に大病をされたご主人の仕事を手伝いながら、発展途上国からの留学生への奨学金給付のボランティア活動や東日本大震災で被災した子供達への援助等々、社会的な活動もご夫妻で続けられているという。 そして、 睡蓮の淡き浮力が咲きのぼる 植田さんは難しい理論を声高に述べるのではなく、実作を示すことで無言の内に範を垂れている。まさに「鐘楼に高さ譲らず」といった気迫を感じるものであり、たとえ新人相手であっても真剣に全力で対峙する姿勢は俳句そのものへの敬意の表れでもある。 これは野中亮介さんの帯文より紹介した。野中さんは、跋文においても植田桂子さんの一句一句に目をこらし肌理細やかな鑑賞を施している。俳句を深耕し、表現方法の巧みさと対象への迫り方、作品のもつ格調にふれ、作者の心情をも掴み出してみせる。著者の作品を熟知したあたたかな思いに溢れた跋文である。タイトルは「『初ざくら』を仰ぐ」。 桃太郎めきてとびだす桃の種 水軍の島に舟虫棲みなれし 仁王さまに背中おされて登高す 睡蓮の淡き浮力が咲きのぼる 馬の貌ほそりしままや在祭 ここに詠まれた対象と作者の位置が極めて近いことに注目したい。傍観という位置ではなく、あるいは手に取り慈しむような作者の姿が垣間見え微笑ましい。割った桃からぽろりと落ちた「桃の種」を「桃太郎」と見立てる心も、恐ろしい「水軍の島」に「棲みなれし」が故に自在に暮らす「舟虫」も実に生き生きとしている。生命が輝いているのだ。 かつて正岡子規は「故為の写実」ということを説いた。これは「俳句をものするには空想に倚ると写実に倚るとの二種あり。初学の人概ね空想に倚るを常とす」とした上で「写実の目的を以て天然の風光を探ること最も俳句に適せり」と結論付けた論だが、四句目、「咲きのぼる」ものが「睡蓮」ではなく「睡蓮の淡き浮力」であることが「故為の写実」に添った傑作であることは言うまでもないことである。 跋文の一部を紹介した。 ほかに、 国生みの地より噴き出すつくしんぼ 茶摘女の産毛ゆたかに唄ひけり コスモスや転ぶ子の口真一文字 鹿の耳立ててしづかや雪催 熱帯魚あぶく一つに翻り 強きもの秘めし無口や牡丹の芽 子遍路のゆたかなる髪束ね発つ 寒鵙や太き鋲打つ船箪笥 たかんなや夫に一途さ今もあり 露座仏の膝の厚さよこぼれ萩 亡き父の句帳の嵩と暑に耐ふる (父逝く) 木の実降る音は昔の音に降る 冬耕のふやすでこぼこ影法師 絶筆の子規の糸瓜の花ざかり 尼寺の南瓜うかつに太らせし 囀や土偶のちぶさちぐはぐに 少年の強がり写し金魚玉 『放浪記』めくれば紙魚の走りけり 台風の目の育つ日や黄泉に発ち (母もまた亡く) 蜜いろの冬日のせたるシナゴーグ 襖絵の鶴を残して春逝けり 髭面を見せにくる山羊クリスマス 春いまだルオーの道化師鼻大き 仁丹を噛めば昭和や寒波来る 句集名の「初ざくら」は、目立たなくてもいい、確実に一輪二輪三輪と俳句の花を咲かせるようになればと願ってつけました。 最初は怖いもの知らずで思いのまま詠んでおりましたが、年月を経るほどに俳句の深さを知り、自分の道を間違えたのではないかとしばし立ち止まることもありました。しかし一方では自由に自分を表現出来る十七文字の魅力は、何物にも代えがたいとの思いが確かなものとなってきました。 「あとがき」の一部を引用して紹介した。 本句集『初ざくら』の装幀は君嶋真理子さん。 「桜」を句集名とする装幀を君嶋さんはもう何冊デザインしてきただろう。 しかし、そこは無敵の君嶋真理子さんだ。 今回も、品格と華やぎのあるものをデザインしてくれた。 と、著者の植田さんより今日お葉書をいただいた。 初桜鼓に固き飾り紐 集中にある「初桜」の句。 「馬酔木」に学ぶ著者の俳句は、やはりどこか典雅な優美さを宿している。そして、色彩を豊かにひそませている。 山蟻の頭突きしてくる座禅堂 この蟻の一途な勢いに笑ってしまった。 「頭突き」ということばがかわいらしくて、いい。 座禅をしている人に猪突猛進で向かってくるのだろうか。 しかし、相手は山蟻である。なかなか侮れない。 猟師の脛に噛みついて鳩を助けたことのある蟻族である。このことは、きっと遺伝子のなかに記憶されているはずである。 座禅している人間もその頭突きにおもわずよろめいてしまったに違いない。 (わたしも山蟻の頭突きをくらいたいな)
by fragie777
| 2016-03-31 20:09
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